今日は夏至ですね。

地球の周波数も賑やかになっている中で、今回の夏至は近年で最もパワフルなのでは。

しかし、今日は地球も元に戻ってますね。

画像の左側が切れ落ちているのですが、ちょこっとだけ見えてる部分から察するに、昨日は真っ白にスパークしていたようですね。

 

 

昨日の記事で幾何学模様になっていたのは6/18 - 19の日曜から月曜。

 

 

 

さて、そんな本日ですが、まずは2年前に伊勢で撮った夏至の動画をシェア。

 

何が大変って、このロゴを作るのが大変でした(笑)。

 

 

 

では本題に。

 

今年は神社チャンネルの羽賀ヒカルくんのところの半年間講座のテーマが鎮魂と聖徳太子なので受講しているのですが、聖徳太子に関しては初回講座でがっつり触れましたが、以降少なめ。

加えて鎮魂に関しても少なめ。

身内の身の上話ばかりで、話が全然進んでないのですが。。。

講座自体50万弱で高かったのに、0次講座で聞いた内容と全然違っていて、不満爆発なので、自力で聖徳太子について勉強しますwww

 

実は年始のお休み中に、山岸涼子さんの傑作、厩戸皇子と蘇我蝦夷のお話『日出処の天子』を読んでました。

聖徳太子で始まった2023年。

 

 

 

日本三大怨霊といえば、崇徳天皇、菅原道真、平将門(御三方とも藤原氏にはめられて怨霊化)ですが、私は聖徳太子を入れて四大怨霊にした方がいいのではないかと思ってます。

蘇我氏によって滅ぼされたと言われる聖徳太子の上宮王家ですが、蘇我氏ではなく実は後の藤原氏の仕業だった可能性があるのではないか?

藤原不比等によって編纂された日本書紀が、あまりにも蘇我氏を悪く描きすぎるので、藤原の罪を隠すために編纂されたのではと勘ぐります。

ここが暴かれると、自分たち移民が歴史を書き換えて日本を乗っ取ったのがバレてしまうので、さすがに聖徳太子や上宮王家をやったのは自分たちです、とカミングアウトできなかったのではないでしょうか。

 

 

まだ成仏していないとも言われる聖徳太子。

日本に仏教を導入したと聖徳太子ですが、聖徳太子の御霊を鎮めるために仏教が定着したのではないかという説があります。

梅原猛氏の『歎異抄』から引用させていただきます。

 

 

私はこのごろ、古来日本の宗教史をいろいろ研究しているが、日本において真の意味の超越神があったかどうかは、はなはだ疑わしい。

日本人にとって、山や川、自然じゃ鳥獣はそのまま神であった。

 

縄文人の、元日本人の、本来の宗教観ですね。

自然や星々に神を見出す。

私も神をそのように理解しています。

決しておしゃべりのできる人格神でないのが、縄文からの日本の古来の神の認識です。

 

特に先祖の霊は、彼らにとっては何よりもおそるべき神であった。

その中でも、怨みをのんで死んでいった先祖の霊や、あるいは祭る人のない、子孫の断絶した家族の霊は、最もおそるべで霊として、手厚く祭られなければならないものであった。

怨霊の鎮護が神祭りの重要な部分を占めていたが、仏教が日本へ入ってきたときにも、仏教はこのような怨霊の鎮護を引き受けることによって日本に定着したのではないかと私は思う。

 

先祖を神として祭り、五行(木火土金水)にまで帰す。これが古神道の祖霊祭りです。

なので日本神話では、先祖を神として扱うのですね。

実は先祖から受け継がれるDNAを祭って鎮魂しているのだと思います。

ここを理解しないと、神話に出てくる神がなんであるかが分からなくなり、個人の願望の願掛けなどをしてみるようになるのです。

 

聖徳太子は日本の仏教の父であるといわれているが、私はその真の意味は、聖徳太子が仏教を普及したというより、一家断絶の悲劇を経験した太子一家の鎮護に成功することによって、仏教が日本に定着したという意味ではないかと思う。

 
我が意を得た感じです。
 
 
日本の権力と王朝が決定的に入れ替わった大化の改新、乙巳の変。
聖徳太子は蘇我氏と婚姻関係にあり、当時は女系が重視されていたが、太子の息子は蘇我氏系。
蘇我氏は古くは出雲からの正当な家系なので、乙巳の変を先導した、後の藤原氏(百済からの移民と思われる)によって殲滅の憂き目にあったのではないかと。
普通女子供はお目こぼしされるのですが、山背大兄王の上宮王家は女子供までみなごろしにされています。
ここが当時の歴史としてはかなり異常なのですよ。
藤原氏は何故そこまで蘇我氏の血を憎んだのか。。。素直に謎です。
 
 
そして、のちに藤原不比等によって編纂された日本書紀によって、全ての罪は蘇我氏に転化されてしまう。
ついでに言うなら、仏教と神道で争った蘇我氏と物部氏ですが、物部氏側の文書『先代旧事本紀』には仏教で蘇我氏と争った記述はないのです。
蘇我氏 vs 物部氏も藤原氏の捏造であった可能性があるのです。
藤原氏は徹底的に蘇我氏(つまり出雲、縄文。おそらくその先は東北に上陸したニギハヤヒの血統)の血を絶やそうとした痕跡がある。
本当は梅原氏のこちらの書も読むのがいいのでしょうけれど、間に合わず。。。
関氏は物部文書の『先代旧事本紀』をベースに、蘇我入鹿こそ聖徳太子だったのではないか、という理論を展開します。
聖徳太子は日本書紀が捏造した聖人であり、その聖人一家を葬ったことにすれば、蘇我氏の悪者ぶりが際立つからだと。
その点は私は全面的には受け入れられていないのですが、心にはとどめておきたいと思います。
 
興味深かったのは、関氏の秦河勝に関する考察です。
日本書紀には、秦河勝が読んだとされる以下の和歌があります。
太秦は 神とも神と 聞こえ来る 常世の神を 打ち懲(きた)ますも
 
秦河勝は「神のなかの神という評判の高い常世の神」をころしている。
蘇我氏が東国と関係が深いのは今まで考察してきた通りですが、律令制度の基礎を作ったのは物部氏と蘇我氏。
 
 
関氏は、東国が支持していた蘇我氏と物部氏の推し進める律令制度に強固に反対していたのが、秦河勝だったと推測しています。

(蘇我氏や物部氏が作ろうとした律令制度が、本当は国民のためになる制度だったのに、それを乗っ取って悪用し、日本の全ての土地を一時期ほぼ我が物にした藤原氏の悪行を暴いた回はこちら↓)

 
秦河勝は移民だったので、必死で貯めてきた土地や財を失うことに抵抗したと推察してます。
なので、蘇我入鹿=聖徳太子を暗殺したのではと推測している。
秦氏に関してはこちら↓
聖徳太子に重用された彼が、聖徳太子暗殺の実行犯としたら、人間の欲の深さって本当に怖いですね。。。
 
私としては、「常世の神 = 国常立尊」を連想しました。
国譲りした国津神系を「常世の神」と表現しているのではないかと推察します。
そして蘇我氏や物部氏はその国津神系である出雲系。
 
 
話を「聖徳太子一家を殲滅させたのは後の藤原氏」に戻します。
関氏の書から引用します。
 
だが梅原猛氏は、上宮王家滅亡事件には黒幕がいたという。それが中臣鎌足で、蘇我内紛を利用して、漁夫の利を得たという。
つまり、上宮王家滅亡によって蘇我入鹿が大悪人になってしまったが、中臣鎌足が陰から操っていたというのである。
 
このあたりの事情は、後にふたたび記述するが、なぜこのような推理が生まれたのか、その梅原氏の推理を、ここにあげておこう。
 
すなわち、八世紀にいたり、中臣鎌足の末裔の藤原氏が、聖徳太子を丁重に祀りはじめていたからだ。
しかも、藤原一族に、何かしらのアクシデントが起きたとき、聖徳太子が祀られたという。
その理由を突き詰めれば、藤原氏の祖の中臣鎌足が、山背大兄王一族を滅亡させた主犯だったから、とするのである。
 
自分たちが怨霊にしてしまったから、自分たち(藤原氏)に祟る。
だから恐れて祀る。
正しく因果応報ですね。

梅原氏の推論に賛成します。

京都の御霊神社系や天満宮に通じる発想です。

 

 

 

 

 

 

藤原氏によって貶められた蘇我氏の名誉を回復し、蘇我氏と聖徳太子と上宮王家を鎮魂するのが、後世の我々の役割なのではないでしょうか。

蘇我氏の名誉が回復された時に、百済系の今の勢力と、元来日本を統治していた東北の勢力である出雲系が、晴れて本当に仲直りするのではないでしょうか。

それは国譲りして押し込められた国常立尊、大国主、スサノオの復活を意味する。

そしてそれが起こるのが茨城と思われます。

 

 

長くなったのでこの辺でおひらきに。

全然描ききれていないので、いつ続編になるか不明ですが(笑)、続編に続く。