今日は、藤原氏がいかに怨霊製造マシーンとしての能力を発揮し続けたか、の話になります。

 

今までのシリーズ。

 

 

 

 

 

今回の京都の旅の最初は、参観許可が下りた桂離宮の予定でした。

ですが、桂離宮の隣に「御霊神社」という不思議な神社があって。

なんだろう?と思って近づいたら、なんと橘逸勢が祀られていたわけです。

逸勢の人生についてはvol.1で軽く触れています。

 

 

 

橘逸勢については空海のご縁で、こちら↓で学びました(笑)。

なので無実の罪を着せられて流罪されてるので、祟り神にならないように祀っているのだろうなとは思いました。

 

 

桂離宮も動画を撮ってはきていて、素材はあるのですが動画にする時間がない。。。

暫しお待ちを。。。

 

滞在3日目は台風で終日荒天の予報だったので、博物館巡りでもしようと思ったのですが、バス待ちをしていたときに「北野天満宮」行きのバスを見て、「そういえば道真公も藤原のせいで怨霊にされた人だな。よし!参ってくるか。」と行ったわけです。

 

 

立派な神社でしたね。

祀った側のビビリ具合が相当だったのでしょう(笑)。

藤原氏との関係がどうだったかは、TOLAND VLOGさんが詳しく。

 

 

道真公自体は敵を許しているので成仏さていると思います。

探せなかったのですが、以前神社チャンネルでも取り上げていて。

道真公自身が祟ったのではなく、彼についていた眷属神が祟り神の正体だったと語ってましたね。

道真公が頭も良く能力が半端なかったのは、実は彼の魂は神界から来ていたからだと述べてました。

私見ですが、なんでもかんでも道真公の呪いにして、藤原氏が自分たちの失政を都合よく言い逃れをしていた部分もあると思います(笑)。

 

立派な神社だからか摂社が多くあってですね。

一個一個眺めていたのですよ。

そこで再び「橘逸勢」の名を見つけて鳥肌が立つと同時に、ひらめいたわけです。

天満宮は道真公だけでなく、藤原氏が歴史的に無実の罪を着せて祟り神にしてしまった人たちが祀られているところだと。。。

 

 

他にも淳仁天皇と崇道天皇の名も。

時の天皇すら利用して、不都合とあらば暗殺する藤原氏。

天皇は藤原氏からすると下の地位、自分たちの利益ために利用するものという意識なのです。

 

藤原仲麻呂と関係して、歴史では流罪で病死となっているが実際には暗殺。

 

 

崇道天皇は実際には皇位継承をしていないので、親王で亡くなっている。

藤原種継の暗殺の罪を着せられたが、無実を訴え絶食。流刑の途中で憤死。

 

 

他にもこういった怨霊を祀っている神社はあり、京都だと以下が有名なのかな?

 

 

 

微妙に違う人物を祀ってますね。

 

天満宮は他にも以下の摂社が。

こちらも道真公由来。

 

 

天満宮の中の地主神社。

 

こちらの摂社は天満宮の前身のようです。

 

 

 

余談ですが、北野天満宮の近くに「天津神社」という神社があってですね。

造化三神を祀っている珍しい神社です。

個人宅内にあるような外観で入りづらいのが難点です(笑)。

 

 

 

道真公といえば日本の三大怨霊の一体。

三大怨霊のお三方も藤原氏によって怨霊にされている。

神社チャンネルから。

 

この記事の下書きを書き始めた日に、久々に能の稽古に行ったらシンクロニシティ発動。

その日のお唄の稽古は「紅葉狩」でした。

先生が突然「紅葉狩」の話の説明を始めてたので聞いていると、この話は藤原氏の信濃豪族の討伐の話なのだとか。

(2022/10/28追記:先生の勘違いでした。資料を調べたら平家の信濃討伐でしたね。すみませんでした。)

 

 

さすが怨霊製造マシーン藤原氏。信濃の豪族も祟り神にしたのでしょうか(笑)。

他にも能には超古代の継体天皇が主人公の「花筐」のお話も伺いました。

 

 

 

やはり能の演目と歴史は関係がある。

権力者側に都合よく書かれているが、どのように地方豪族たちを潰してきたかの参考にはなるのです。

例えば曽我物語。

 

 

その辺に詳しいのが、能の評論家の村上氏。

いつかお会いして色々歴史のお話を伺いたいものです!

 

 

 

脇道に逸れてしまうのですが、お稽古後に稽古仲間のマダムとお食事して帰ったのですが、歴史オタのマダムから聞いた話をメモしておきます。

平成天皇の退位の礼から、今上陛下の剣璽等承継の儀の間に若干の空白があったのはご存知でしょうか?

 

 

この空白期間の17時間は日本に天皇は不在だったのです。

果たして17時間も空ける必要があったのか?

この空位期間は、マダムによれば安倍総理が天皇の地位をお預かりしてる形にしていたそうです。

 

 

これも皇室側から見たら、相当腹がたったのではと推測します。

 

 

この記事を書き始めて2日目には伊勢白山道さんが以下の記事をUPしていて、自分が今見えている皇室&王族の風景と一緒なことを確認。

藤原氏の闇に切り込む時期が到来してるのだと思います。

 

 

陰陽の創造理論を理解するのに良い内容ですね。

陰陽の性質を男女にすり替えてしまったのが、対立の根本原因かな。。。

全体の性質の中のそれぞれの性質を、男性性、女性性の二つに分けて分類してしまったのが、理解しずらい原因でもある。

自分が属している性、反対の性に、自分が体験してきたネガティブな思いを乗せて理解してしまうので、男性性、女性性という呼び方はやめたほうが良いと感じてます。

 

 

明治維新も藤原五摂家が計画した節があり。

土佐藩は維新に大きく関わった藩ですが、なぜ外様の日本の端にあるような藩が維新の立役者になったのか?

それは土佐の小京都は五摂家の一つ、一条家がいたからなのです。

この辺はまだ調査途中なので、後にまとめて報告できたらと思います。

 

 

 

藤原氏の始祖は天児屋尊とされているが、それは捏造の可能性が高い。

天児屋尊の子孫は実は物部氏で、藤原氏ではない。

 

 
 

ナガスネヒコからどんどん広がってゆく歴史シリーズですが、まさか怨霊について書く日が来るとは(苦笑)。

 

次回は最終回、藤原氏が書き換えた日本の歴史について。

 

 

vol.4へ続く。