橘逸勢に導かれて、暫し怨霊担当になりそうな勢いなのですが、逸勢の家系についてまず紹介。

隠れた名家です。

実は武術も嗜んでいた逸勢。好感持てるわ。

そしてやっぱり怨霊製造マシーンの藤原氏に疎まれて、表舞台から去っている。

優秀ですが、縄文が強かったからなのか、押しの強さとか狡猾さには欠けていた。

 

 

菅原道真公が橘氏をかばった経歴があったとは。。。

 

10月上旬の今回の旅は道真公に導かれているっぽい、という恐ろしい事態に(笑)。

以下、ほぼ全て旅先で道真公を見かけたお話。

こちら↓と関連してます。

 

 

 

まず前回ちらっと書いた、上御霊神社から。

 

 

場所的には京都御所からちょっとだけ離れた北側にあります。

 

現在修復中で修復のご寄付を受け付けております。

寄付してきましたが、瓦に自分の名前と祈願を書き込み、屋根の瓦として使用される形になってます。

 

上御霊神社のある土地は、元々は出雲族の土地で上出雲寺があった土地だった。

平安京建設の時に出雲族を追い出した模様。

 

これも衝撃ですね。

考えてみれば、京都も元々は出雲族が支配していた場所ですものね。

そして応仁の乱の発祥の地でもある。

因縁の土地なのです。

 

 

歩いて御所の南東側にある下御霊神社に行く途中で、晴明神社があることを思い出し、立ち寄ることに。

不思議だったのは、晴明神社に「天満社」があったこと。

 

天満ということは菅原道真公。。。

藤原道長に重用された安倍晴明。藤原氏との関係は良好だったはず。

道長を助けたエピソードもあるし。

 

この天満社が道真公を祀るものなのかは、晴明神社のバイトのおねーちゃんに聞いても当然わかりませんでした(笑)。

 

 

晴明神社は、一条天皇が晴明が亡くなった後に御霊を鎮めるために作らせた神社なのです。。。

御霊鎮めということは怨霊なのでしょうか???

そのことに触れていたのはこちらのサイトのみ。

 

 

「京を追われた晴明の一族が手厚く道真公を祀って京に戻れた」とあります。

道真公は無実の罪を着せられた者の味方になってくれるようです。

 

他の情報サイトでは、その貢献ぶりを称えて祀ったとなっています。

普通は怨霊を鎮めるために神として祀るのですが、例外は晴明だけなのだとか。

 

晴明神社のあった場所に、隣接して千利休宅があったというのも衝撃です。

利休も秀吉に無実の罪で切腹させられたようなものですものね。。。

京都は狭いから、史跡が密集したり被っていたりしますね。

 

 

そして先日、やっとこさ綾部の大本教の本山に参拝が叶いました。

これはまた別件で書きたいと思います。

わたくし精神世界には日月神示から入ったもので、日月神示の元になる大本教と、空海の生まれ変わりと言われる出口王仁三郎には、ただならぬご縁を感じておりました。

なんと大本教の本部がある綾部駅の近くにも「綾部天満宮」があってですね。

 

綾部にも道真公がいらっしゃるのですよ。

大本教と道真公の関係はこちら。

 

 

 

大本教で重要な神様、ミロク神の分霊なので大切にされているのですね。
 
そんな道真公は天満大自在天神として祀られています。

 

 

 

天部神のヒエラルキーがイマイチよく分かっていないので、Wikiを参照してください。

 

 

大本教と道真公の関係を調べていたら以下の神社がヒットしたのでこちらも参拝してきました。

 

 

 

こちらの神社も修復中だったのでご寄付をしてきました。

 

なぜ「生身」なのかというと、道真公ご存命中に生き神として祀っていたからと、神主の方にお伺いしました。

 

 

分かる人には彼が神界出身だと当時から分かっていたのですねぇ。

 

電車でのアクセスは結構不便でしたので、車でのアクセスをオススメいたします。

ついでに南丹市を観光したり、亀岡の出雲大神宮を参拝するのがオススメです。

 

 

最後に下御霊神社を。

京都御所のすぐ近くにあります。

 

藤原氏2名の名前が。

親戚も怨霊にしてしまうとは。

恐るべし藤原氏。。。

 

まとめようとしてまとめられていられない以下の著書。

藤原氏の闇はこちらの書に。

 

 

 

今週末も京都にいるのですが、今週末こそ醍醐寺で収穫を得てきます!