おみょうにち劇場 -4ページ目

お便りの紹介

今日は、仙台の劇団員、石田愛さんからお便りが届いております。愛さんはカンパニーでは役者ですが、新卒で入った眼科医院でのお務めを続けながら子育てもするワーキングマザーです。震災直後の混乱状況の中でも病院での仕事を最優先して、少しでも困っている人を助けたいと言ってがんばっていたのが印象的でした。お便りは今週の「仙台座」の仙台公演の様子と、それから。

「オクトバス(仙台の劇団のおなまえ)も、来月震災復興公演のような企画があるそうで、野外の公園やお寺、えずこホールでもやるみたい。無料公演なので、チケット代を義援金にするのではなくて、公演そのものを復興の祈りとして捧げる趣旨。(中略)仙台の演劇界もほんの少しずつ活気をとり戻しつつあるのかなーと思います。カンパニーにも早くそんな日が来てほしいけれど•••まずは今月の塩釜倉庫の片付けや掃除で一歩前進。」

そう、私たちは6月19日に塩釜にある劇団倉庫の片付けにやっとでかけます。どうなっていることやら。

今週は、出張ついでに東京に寄る人や、仙台座の東京公演(6/11,12)の応援に集まる人たちなど、カンパニー関係者と東京でたくさん会えそうです。いろいろ新着情報を交換してきたいと思います。

だんだん元気に

仙台からちょこちょこ活動連絡が届くようになりました。

●カンパニー出身のフローリスト、西間木恵さん(マギー)より、
震災チャリティ、ポストカードを販売中。
http://pticouro.com/news.html/

地震の時は、お花のイベントの準備中だったのがすっかり
ダメになっちゃって、でも10日後に現場に戻ると花たちは
生きてた、というエピソード。その会場の崩れ落ちた壁を花で
飾ってポストカードを生み出してしまう創造力は、花のように
生きる彼女らしい、とっても!


●長年照明でお世話になっている松崎太郎さん、
仙台座の公演で16年ぶりの役者業。
「明日に向かって歌え!アテルイ/キャラバン再び西へ」
http://www.sendaiza.jp/kouen.html/

3月中旬に最初に連絡がとれた時の返信、男らしくてジンと来ました。
「無事。テント芝居の経験が役に立ちました。心は折れていません。」
調光卓から舞台上の役者たちにいつも真剣勝負をかけてくださる松崎さんの
役者姿、いつか見たいと思っていました。皆で応援に行きましょう!
仙台は6月3、4日、東京は6月11、12日です。



生きている人、生き生きしている人、どんどん情報を回してくださいね!

HPに劇団員のエッセイ載せています

シェイクスピア・カンパニーのメンバーに、近況や今どんなことを考えて過ごしているのか、書いてほしいなと思ってきました。というのも、4月30日に会合を持った時、来られなかった人たちから届いたメッセージがどれも実感のこもった、地に足のついた、力強い内容で、当人たちより東北の外にいる人たちがこういう声を知りたがっているのではないかと思ったからです。

今回は、劇団で一番古株の鹿又さんと、一番フレッシュな青木さんです。


http://www.shakespeare-company.net/ライブラリー/3-11のあとに/


今後も原稿が届きましたら、順次掲載してお知らせしていきます。

焦った夢のはなし

今朝、夢をみました。

すでに本番の会場に入っている状況で、
なぜか一度も立ち稽古をした記憶がない。
え、そんなんで今日開演できるの?

メンバーは会場のあちこちに散らばって、
どうしたらいいのかわかっていない。

私は客席の真ん中あたりから呆然と舞台の方向を見ている。
上がる心拍数、にじむ脂汗。
どうする?今から、どうする?
何も思い浮かばず、残り時間は刻一刻と減ってゆく。

••••• 芝居をやる人たちがよく見るあれです。
本番で台詞が丸ごと飛んでしまう夢、
芝居が始まったら全く知らない展開になっている夢、
自分の出番がすべてなくなっている夢、等々。

はっと目が覚めて、「よかった夢だったー」と思います。

でも6月20日には公演があるじゃない、
あと1ヶ月なのに、私仙台に行く予定立ててない、
稽古のスケジュール、詰めたんだっけ?
どうしてなにも思い出せないんだろ•••

だんだん落ち着いてきたら、そんな公演もなかったことに
気がつきました。

おばかさん。
長年の習慣で、カンパニーとの先の予定が全くないことに、
慣れていないらしい。

浦安から

連休が明けて、古いメンバーから続けてメールを受け取りました、
地震から2ヶ月過ぎたけれど、連休は帰省できず、やはり悶々とした思いが渦巻いているようです。
一人はかなめさん、今は浦安市在住であちらも液状化が深刻。

おみょうにち劇場

近所のマンホールがこれだけ飛び出しているそうです。
でも。

「埋立地はリスクをあらわにしましたが、
液状化なんて、ずっと前から言われていたことだから想定内のこと。
私は東北の惨状をみるショックの方が大きくて、被災している気すらしなかった。

被災した地域の人々は、いまはまだ悲しみに覆われているけれど
これまでよりもっともっと強くなる。そんな気がします。

震災の余波、原発…しばらくはいろんなリスクが付きまとうでしょう。
でもリスクのある土地で生活する人々は、明るくエネルギッシュで強い。
以前、旅公演の手伝いで石巻方面に行ったときに感じたことです。
きっと海沿い以外の東北の人々も、寡黙で辛抱強いだけじゃなく、はっきりと訴えかける、伝えていく強さが備わると思います。」

お勤め先でもブログを書いているそうなので、こちらも見てください。
http://snowydriving.seesaa.net/

この状況になってから、頭を離れない作品があります。
96年に発表したJ.M.シングの「海へ騎りゆくものたち」(鹿又正義訳)。
アイルランドの漁師の島に生きる家族の物語で、かなめさんは老母、私は長女の役でした。
家の男たちは次々に海で命を落とし、とうとう最後となった息子の亡骸を前にして老母は言います。
「今度でみんな一緒になった。これで終わりだ。」

亡くなった息子たち、生き残った娘たちのために祈り、最後の2人の息子は立派に弔ってやれたことをつぶやき、

「おらだぢは、それ以上の何をもどめっこどがでぎんだべ。
 誰も永遠に生ぎ続けることはでぎねんだがら。
 それ以上何を求めることがでぎんだべ••••。」(幕)

上演していた当時は、このラストを「絶望」ととらえていた気がします。
読み直したら、今の私には「希望」に見えました。

それとも、希望を見いだしたいと、思ってしまったのでしょうか。