浦安から | おみょうにち劇場

浦安から

連休が明けて、古いメンバーから続けてメールを受け取りました、
地震から2ヶ月過ぎたけれど、連休は帰省できず、やはり悶々とした思いが渦巻いているようです。
一人はかなめさん、今は浦安市在住であちらも液状化が深刻。

おみょうにち劇場

近所のマンホールがこれだけ飛び出しているそうです。
でも。

「埋立地はリスクをあらわにしましたが、
液状化なんて、ずっと前から言われていたことだから想定内のこと。
私は東北の惨状をみるショックの方が大きくて、被災している気すらしなかった。

被災した地域の人々は、いまはまだ悲しみに覆われているけれど
これまでよりもっともっと強くなる。そんな気がします。

震災の余波、原発…しばらくはいろんなリスクが付きまとうでしょう。
でもリスクのある土地で生活する人々は、明るくエネルギッシュで強い。
以前、旅公演の手伝いで石巻方面に行ったときに感じたことです。
きっと海沿い以外の東北の人々も、寡黙で辛抱強いだけじゃなく、はっきりと訴えかける、伝えていく強さが備わると思います。」

お勤め先でもブログを書いているそうなので、こちらも見てください。
http://snowydriving.seesaa.net/

この状況になってから、頭を離れない作品があります。
96年に発表したJ.M.シングの「海へ騎りゆくものたち」(鹿又正義訳)。
アイルランドの漁師の島に生きる家族の物語で、かなめさんは老母、私は長女の役でした。
家の男たちは次々に海で命を落とし、とうとう最後となった息子の亡骸を前にして老母は言います。
「今度でみんな一緒になった。これで終わりだ。」

亡くなった息子たち、生き残った娘たちのために祈り、最後の2人の息子は立派に弔ってやれたことをつぶやき、

「おらだぢは、それ以上の何をもどめっこどがでぎんだべ。
 誰も永遠に生ぎ続けることはでぎねんだがら。
 それ以上何を求めることがでぎんだべ••••。」(幕)

上演していた当時は、このラストを「絶望」ととらえていた気がします。
読み直したら、今の私には「希望」に見えました。

それとも、希望を見いだしたいと、思ってしまったのでしょうか。