【軍師官兵衛ゆかりの地】
もう姫路市の黒田官兵衛めぐりは
掘り尽くしたと思っていた2023年7月・・・・黒田官兵衛の屋敷跡が
なんと御着城の北にあったと姫路市の資料で見つけました。
ちなみに調べてたらそのサイト?PDF?は見つけられなかったけれど
姫路市教育委員会のやったと思うけど記事作成にあたり、探してみたけどやはり見つからず
なんせそれで別所家のお墓がラブホテル街にあるって知ったんよ。
他のサイトも調べてみたけれど
いまいち「ここが黒田官兵衛が住んでた場所!」っていう
ピンポイントなのがないんですよ。
さるるの心が勃興する・・・・ならば、ならば!ならばッ!
さるるが見つけてやろうじゃないか!
あの時の興奮を再び!
実はこのシリーズもまだ未完なのであります。
赤松愛子さんに場所をお聞きしたので
再調査をしたいのですが、結婚したり空手の試合だったりで
なかなか時間がとれずそのまま・・・・いつか必ず!
とまれ
今回は黒田官兵衛が住んでいた場所である。
すてれんきょさんが昔、教えて頂いたんやけど
お城ってのはあくまで戦時に籠るもので
普段は城下の屋敷にお殿様も家臣も住んでいるって聞いたん。
ネット(姫路市教育委員会の資料)によると
小寺のお殿様もだいたい同じ場所に屋敷があったらしい・・・・そりゃそうか
御着城ってそんなに大きな城と違うんやもんね。
よっしゃ
だいたいの位置は把握できた!
まずは御着城まで走る!
お世話になった田福先生の記念タオルを携えて!
小寺大明神も久しぶり!
2014年当時よりペンキやらなんやら整備されていました。
やはり大河ドラマ効果って凄いね
御着城と黒田家廟所
御着城は現在、市役所の出張所です。
ここで水分補給と筋トレからの小休止
・・・・そして
黒田官兵衛の屋敷跡のおおまかな場所を再度確認!
iPhoneでルート設定します。
この大歳神社の周辺らしい。
御着城を北へ
御着城の裏からRUNを再開!
・・・と思って建物のうしろにまわったらば
黒田官兵衛とは関係がないらしいけど
天川橋
当時の石材で一部を再構築したらしい。
余った石材は詰まれてた。
こういう野ざらしもいい風景だと思うよ
黒田官兵衛ゆかりの地を探索をしなければ
この道を、この住宅街も行くことはなかっただろうなぁ
そう思うだけでさるるは嬉々としてしまう。
この川の流れもずっと昔からあったんやね。
なんか原っぱにお墓があるね
古き良き石仏
なにか歴史的にあるのだろうかね?
昔、この敷地にお寺があったらしいよ
このお墓はどうなるんだろう・・・・?
石棺仏
1527年に両親の供養のためにって
親孝行なお子さんの気持ちが2023年(当時)まで現存してるんだね。
後編に続きます!
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