【軍師官兵衛ゆかりの地めぐり】

 

黒田官兵衛の才能を見出し

そして黒田官兵衛を見捨てて裏切った男

 

青山家に匿われ

鞆の浦には逃亡せず姫路市太子町に隠れ住んでいたという伝説!?

 

【これまでのポイント】

・小寺政職は鞆の浦に逃走せず青山家に匿われ、太子町広坂村に隠れ住み生涯を終えた。

・小寺家の嫁には代々、その真実が口伝で伝承されていた。

・本の著者の娘が50年前、祖父に小寺政職の墓の場所を教えてもらっていた。

・ある日、小寺家の子孫が青山家に訪れ400年以上前のお礼を言いに来た。

・50年前の記憶を頼りに小寺政職の墓を発見

・2014年に広坂村で小寺政職の子孫たちや村人が顕彰、神戸新聞に取材される。

・2022年10月にさるるが調査を開始する。

 

村のおばあちゃんとお別れして

本格的に【小寺政職の墓】を捜索開始です!

 

 

【小寺政職の墓】のそばにある【照雲寺の墓地跡】

これを探せばよいのだな! 

 

この調査で何度も訪れた【熊谷・青山氏墓地跡】

 

最初はここは何の関係もないと思っていたけど

小寺政職を匿った青山氏の墓とは、参考にさせて頂いた本の著者の家系とは

宝探しは意外に【スタート地点にあった】的な?

【照雲寺の墓地跡】はこの【熊谷・青山氏墓地跡】そばの小道にあるらしい。

地図を頼りに・・・・でもここ何度も通ってるけどね

【照雲寺の墓地跡】なんてあたっけ?

 

あった!!!

 

この小さな石碑は本を見て意識しなきゃ見過ごすわー。

ほんまあの本を図書館で見つけなければここまで辿り着けんかった。

著者・赤松愛子氏に全力で感謝やね!!!!

ちなみに【熊谷・青山氏墓地跡】のそばに【赤松家の管理地】と看板があった。

青山氏、赤松氏は地元では由緒ある家系だろうから

由緒ある家系同士の結婚だったんだろうか・・・・なんて想像を膨らませてみる。

赤松愛子氏は学校の先生だったとか。

村の人たちに聞いた話だとかなりインテリジェンスの高い人物だったらしい。

(まあ郷土の本を出版するぐらいだから当然か・・・・。)

 

【小寺政職の墓】は地図で見る限り

斜面を上がったところと推測されます。

 

何度も通った道、見つけられんかったけど

闇雲に山を探すよりはおおよその位置が分かった方がいい。

 

見つからない。

 

うーん、匿っていた以上

小寺政職の墓も秘匿されたことは想像に難しくないが

御着城の城主をこんな竹林に葬るんやろか?

捜索を始めて90分・・・・まるで見つけられない。

神戸新聞の画像をもう一度確認しよう。

 

竹林は確認できない

そして背後に空が見える、この風景に合致する場所を探す!

 

さらに60分ぐらい捜索するもわからない。

【小寺政職の墓】ってこの神戸新聞の画像を見る限り

石を置いただけって感じがせえへんか!?

枯葉に埋もれてしまっているとしたらこれは発見できんぞ・・・・。

でも空が見える場所ってここらへんしかないぞ!?

 

今度はこの木に着目することにした。

 

スマホで画像を確認しつつ

同じ木が生えていて、背景に空が見える

そして地図のあたりを重点的に調査してみる。

しっかしなあ・・・・この画像が2014年だから8年前

8年間あったらけっこう木も変化しない!?

いやそこは信じるしかないな。

 

さらに1時間

 

さるる

「・・・・あかん。」

 

もう夕暮れだ。

時間的にもう調査は打ち切るしかない。

っていうかこれ以上はもう

調査のやりようがないな・・・・こうなったら

歴史資料館からの回答を待つしかない。

 

あとは専門家に託すしかない!

 

そして1週間ほど過ぎて

さるるの携帯電話に歴史資料館から連絡が!!!!

その内容は・・・・。

 

【小寺政職の墓】が真実かどうか

歴史的に証明できず太子町としては神戸新聞以上の情報は知らない。

当時を知る人の話では「だいたいこのへんだろう、と石を置いた。」とのこと。

ふむ、そこらへんは赤松氏の著書にも書いてあったな。

登場人物数人だけの話である以上、それだけでは

太子町として観光資源とは認めにくいんだろうなぁ・・・・。

もう少し歴史的裏付け?

少なくともそれを連想させる何かがあればいんだけど。

たしかに石を置いただけっぽい

 

2014年から8年後に

この石が元の位置にあったとは考えにくいなぁ。

 

小寺政職の墓は場所が特定できませんでしたが

もうそれは2014年の出席者しか知り得ぬことでしょう・・・・。

でも楽しい時間でした。

いろんな村の人との関わり、図書館や歴史資料館の学芸員の皆さん

そして一緒に調査してくれた村のおばあちゃん。(*'ω'*)♪

 

これにて小寺政職の墓の調査は終了!!!!

 

でもせっかくなんで

広坂村の歴史ヒストリアをご紹介します。

 

【広坂のお地蔵さん】

 

【広坂のお地蔵さん】

①峰相山の鶏足寺の八ツ地蔵のひとつという説

→鶏足寺は黒田官兵衛ゆかりの地ですね。

兵庫県:姫路市打越 【鶏足寺(太陽公園内)】

②広坂村を開いた熊谷清高の7人の重臣を祀っている説

 

ちなみに熊谷清高って

須磨寺のあの銅像(熊谷直美)の弟さんです。

 

【広坂大歳神社】

 

 

【広坂大歳神社】

①広坂村を開いた熊谷清高が建てたという説

②聖徳太子が斑鳩寺の鬼門除けにつくった神社という説

 

熊谷清高(平安時代~鎌倉時代)と

聖徳太子(たぶん飛鳥時代)って時代が違い過ぎるやろー!

このお地蔵さんにしたって神社にしたって

《それっぽい話》があるわけで

やはり【小寺政職の墓】にもこれぐらいの説があれば

太子町も異説として観光案内に載せてくれたかもね~!

 

今回の歴史ヒストリアの調査に大いに参考になった

【播磨国広坂ものがたり】

 

図書館で完読させて頂きました。

小寺政職の墓の関する項目以外も面白かったです!

おかげで楽しい時間を過ごすことができました。

できることならお会いしていろいろお話を聞きたかったのですが・・・・。

 

著者・赤松愛子氏に

敬意を表します。

 

 

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