山親父の日記 -562ページ目

ラグビー人生8

新入部員は別メニューの練習をこなしていましたが。清水と私は上級生と同じグループに入っていました。

清水の事はわかりませんが、私は全く付いて行けませんでした。


最初の1週間は、ランパス三本男の通り、次にゴールしたら休ませて貰おう。次に走り終えたら、倒れてやろう。こんなことばかり考えて練習していました。


朝起きたら頭は起きているのに、体がまったく動かない。腹筋が痛くて起き上がれないんです。
まずうつ伏せに寝返りを打って、這いずって行き、家の階段は後ろ向きで降りてました。


一度学校帰りに三条京阪の歩道橋を、手すりに掴まり後ろ向きに降りているところを先生に見つかり、笑いながらケツを蹴り上げられました。


帰宅の時も最寄りのバス停から15分程歩くんですが、その道のりが果しなく遠く、ただ足元を見つめ歩数を数えながら歩いていました。距離よりも何歩歩けば家に着くかって事ばかり考えていたんです。


帰ってもまったく食欲がなく、仕方ないので親父の前にある、ちょっと泡の有る液体を一杯煽って、部屋に倒れ込みます。30分程でなんとか食べられる状態になり、食卓に付くんですが、箸を扱う力もなく、フォークを握りしめ詰め込んでました。


しかし若いときっていうのは凄いもので一月もすると体が順応して、練習は一杯いっぱいでしたが、普段は普通の生活ができるようになりました。


今はダイエット生活を心掛けていますが、当時は如何に大きくなるかばかり考えてました。

基本は先生の言う
「太りたい奴は米を横に食え!背を伸ばしたい奴は縦に食え!」

そんなことは出来るわけ無いですが、要は気合いで、そういう想いで飯を食べろという事です。


予定を変更して当時の食事を思い出してみます。


朝、家ではギリギリ迄寝ているんで、食べません。伏見稲荷の駅前で清水と2人あんパンや菓子パン買ってかじりながら登校。

1時間目が終わって、持参した弁当を食べちゃいます。デカイ弁当で(お袋には苦労掛けました)米が二合入ったそうです。

2時間目と3時間目の間は15分あり、この時売店が開くんですが、伏工名物メコパンを食べます。

昼休みは食堂で、うどんとライス(確か、130円、80円)か定食(250円位)を食べます。

この後は家に帰るまで食べません。

夕食は8時頃から1時間かけて食べます。牛乳1リットルのカートンを目の前に置いて、おかずを2つに分けて、途中休憩を入れながら食べました。


食堂を使っていることから、多分2年になってからのメニューですね。


高校時代、炭酸類は口にしませんでした。飲んだとしても数える程です。これは自分でそれぐらいの事は我慢しよう。と、決めました。外で飲み物を買うときも、牛乳かオレンジジュースです。

今でも例のアレ以外は飲みたくならないですね。


しかしこれだけ食べてもウェイトを上げるのに苦労しました。それだけ体を動かしていたんでしょう。


今なら簡単に増やせるでしょう、でもこんなに食べられないですよね。

さて、前回案内したテーマは次回で。すぐに書き始めます。

昨日のベンチ

昨日は月曜日、ベンチプレスの日でした。アップで100キロ挙げとき、なんだか軽く感じたんでMAXアップに挑戦したところ、115キロ成功しました。



いゃ~、嬉しいニコニコ

112、5キロを挙げてから4ヶ月、精進が実りました。

ラグビー人生7

いよいよ進路を確定し、残る中学生活を満喫しました。

彼女と初チューしたり、まだ清流だった雲ヶ畑に鮎の引っ掛けに行ってタバコを吸ったのが何故か学校にばれて問題になったり、隣の中学が大挙してやって来て、うちの学校でボンタンはいていた八人で話を着けたり、卒業の会で演奏するバンドを組んでドラムを叩いたり。私が卒業式で答辞を読むことが、教職員からのクレームで紛糾したり、中学最後のバレンタインデーに結構下級生の女の子に人気があったんだと感じたりしてました。



山口先生からの伏見一本で受験して、もし駄目だったら東京の目黒高校に推薦してやるという恐ろしい提案を無視して、伏見とラグビー強豪校の京都チューリップ赤園高校を受験して、無事両方合格しました。


私と清水は入学式の前春休みから練習に参加しました。しかし初練習の日に最初のランパス三本で気持ちが悪くなり、キャプテンに少し休ませて下さいと、頼みに行き、後で聞いたんですが、平尾さんは私のことを(ランパス三本男)と呼んでいたそうです。


入学式が済んで、新入生が練習を見学にきて、去年と同じ様な光景ですが、当然上級生と思っていた私達が1年のクラスにいるんで落第生と思われたりしました。


大八木さんも本に書いてますが、この学校三年間クラス替えはおろか、席替えもしません。清水と同じクラスになり、彼は三年間私の右うしろに座り続けました。

ある日クラスでぼーっとしていると、隣の組の目付きの強い良いガタイのヤツが目の前に立って、
「見て貰いたい物があるんで一緒に来てくれ。」と言います。


入学早々ややこしい事は嫌だなと思いながらついていくと、カバンから新品のスパイクを出して。
「どこのポジションやるかわからないと言うと店のオヤジがこれを薦めた。」


ウシトラのハイカット、アルミポイント。

これで良いんじゃないかと答えると。

「俺今日からラグビー部の練習に出るわ」


後に私達の学年の中心選手、今京都で中学の先生をしている、ウメでした。


一つ上の学年はラグビー経験者だらけで、確かその年の京都選抜15人中13人が中心でしたが、私達の学年はスクール出身の清水と私を入れても、5人だけでした。


とにかく、1週間程で新入部員が揃い、高校ラグビー生活が始まります。


次回は当時の日本記録と夏合宿辺りまで。