ラグビー人生7 | 山親父の日記

ラグビー人生7

いよいよ進路を確定し、残る中学生活を満喫しました。

彼女と初チューしたり、まだ清流だった雲ヶ畑に鮎の引っ掛けに行ってタバコを吸ったのが何故か学校にばれて問題になったり、隣の中学が大挙してやって来て、うちの学校でボンタンはいていた八人で話を着けたり、卒業の会で演奏するバンドを組んでドラムを叩いたり。私が卒業式で答辞を読むことが、教職員からのクレームで紛糾したり、中学最後のバレンタインデーに結構下級生の女の子に人気があったんだと感じたりしてました。



山口先生からの伏見一本で受験して、もし駄目だったら東京の目黒高校に推薦してやるという恐ろしい提案を無視して、伏見とラグビー強豪校の京都チューリップ赤園高校を受験して、無事両方合格しました。


私と清水は入学式の前春休みから練習に参加しました。しかし初練習の日に最初のランパス三本で気持ちが悪くなり、キャプテンに少し休ませて下さいと、頼みに行き、後で聞いたんですが、平尾さんは私のことを(ランパス三本男)と呼んでいたそうです。


入学式が済んで、新入生が練習を見学にきて、去年と同じ様な光景ですが、当然上級生と思っていた私達が1年のクラスにいるんで落第生と思われたりしました。


大八木さんも本に書いてますが、この学校三年間クラス替えはおろか、席替えもしません。清水と同じクラスになり、彼は三年間私の右うしろに座り続けました。

ある日クラスでぼーっとしていると、隣の組の目付きの強い良いガタイのヤツが目の前に立って、
「見て貰いたい物があるんで一緒に来てくれ。」と言います。


入学早々ややこしい事は嫌だなと思いながらついていくと、カバンから新品のスパイクを出して。
「どこのポジションやるかわからないと言うと店のオヤジがこれを薦めた。」


ウシトラのハイカット、アルミポイント。

これで良いんじゃないかと答えると。

「俺今日からラグビー部の練習に出るわ」


後に私達の学年の中心選手、今京都で中学の先生をしている、ウメでした。


一つ上の学年はラグビー経験者だらけで、確かその年の京都選抜15人中13人が中心でしたが、私達の学年はスクール出身の清水と私を入れても、5人だけでした。


とにかく、1週間程で新入部員が揃い、高校ラグビー生活が始まります。


次回は当時の日本記録と夏合宿辺りまで。