山親父の日記 -528ページ目

ラグビー人生52夏合宿Ⅲ

あくまでも私のブログなんで、

私の記憶を頼りに書いてます。

(思いでは美しすぎて)
八神純子、好きでした。

当時の関係者がブログを見に来てくれるようになったみたいで、

もし、皆さんの記憶の中の私とギャップが有っても、あくまでも私の記憶を優先します。(笑)



さて、夏合宿三本目に上がった私は暴れまくります。

普段の生活ストレスたまり捲っていますし、ダーティなプレイヤーだし。(笑)


試合で発散するしかないですから。

又、一部の上級生が私を誤解しているようなんです。



そりゃあ、ヤ○カのシンゴさんや、暴れん坊大八木さんの後輩ではありますが、

私は違うんですが。(笑)


でも、あちらが勝手に、一目置いてくれているんですから、

正直に私は本当は穏やかな奴なんだと、弁解することもないですよね。



それに私は痩せ細ってギラギラした目付きしていますし、本当に凶悪な面構え。

試合中もカッカしてラフプレー、ウェルカムだし。


ちょっと何するか分からんぞ状態です。



俺に触れると怪我するぜ、ふっ。(笑)




とにかく先輩が焚き付けます、


「お前が行きたければ、ぼこぼこにしていいから、後は任せておけ」


こんな時、関西圏出身の奴は巧くのせられるんです。

宴会の盛り上げ役と一緒です。


上級生に行けと言われれば、ボール抱えて敵の密集に突っ込みますし、


恐いものなど有りません。

私がガンガン行けば、上級生も喜んでくれます。


「こいつ、やんちゃやな」ってとこです。


私楽しかったです。


単純ですね。


ある試合で、FBのH地さん、例によって責任取るからって言うんで、


モールからこぼれたボールを割って出ようとしたら、

後ろからジャージを掴む奴がいて、そいつにさっきからムカついていたんで、


掴みかかって蹴り入れたら、レフェリーが私を退場させようとしたんです。


今みたいに、イエローカード出したりしません。


「君!いい加減にしなさい(怒)」って状態の時。


さんざん焚き付けたH地さん、いきなり私を殴り付け、


「さっきからやめろって言ってるだろ(怒)」って、


その場を納めました。


って、あんたが取る責任ってそれですか?


まぁそんな感じです。(笑)

プレーが途切れる度に、私取っ組み合いしていた気がします。(笑)


次回そんな楽しい合宿の話続けます。


楽しくない事もありましたし。(笑)

ラグビー人生51夏合宿Ⅱ

初日の午前中の全体練習の後、

我々一年生が残り、明大中野と高校生マッチをやりました。


私はNo.8で出場、センタースクラムから右にサイドアタックを仕掛けて、やすやすとディフェンスを突破しました、


残りはフルバックだけ。


彼、並木君といって、私の天敵。えげつないタックルする子で、体か小さい上に低くくるんで、苦手でした。


この時も一切スピードを落とさず、足首に入られ、私途中退場。


大学時代、怪我で退場した覚えが無いんで、後にも先にもこの時一度きりです。

今から二年程前に久しぶりに彼に逢って、この時の恨みを話しておきました。彼も覚えていました。


足首がパンパンに腫れ上がり、その日と次の日の朝練休みました。


今は怪我をしたら完治するまで休みますが、当時は捻挫程度で休んでいると、肩身が狭く、無理してでも復帰しました。テーピングもしません、

頼りないサポーターだけでした。


そして合宿が始まって3日目だと思いますが。


オヤジ何考えていたのか、私が三本目に上がります。

上で怪我人が出たのかもしれませんが。


その場で実家に電話して、親父に報告しました、


えっと、このブログでは、北島先生はオヤジと表記して、

私の父は親父とします。(笑)


四軍でも五軍でもって言っていた親父です。こんなに早く三本目に上がるとは思っていなかったらしく、大層喜んでいました。


三本目に入った私は、大活躍します。


回りのレベルが高いんです。

何でこの人三本目なんだ?

他の大学なら確実に一本目でしょう。って人が結構居ました。


私が上級生になった頃も、夏合宿では三本目が強かったです。


高校ジャパン候補クラスははゴロゴロいるし、オヤジが見ていないから、柄悪いし、のびのびやっているので、秋に一本目が戦う対抗戦の相手に大差で勝ってました。(笑)



私はロックに入り、ラインアウトは二番を飛んでいましたが、マイボールは100%キャッチしていました。


当時は今のようにリフティングしないので、普通にジャンプして捕るんですが、

一般的にワンステップと言われる、大きく踏み込んで飛び上がるんですが、


この頃、私は基礎体力最高潮で、垂直跳び60センチ近くありましたから。


踏み込まないノンステップで跳んでいました。


前に書きましたが、相手の気を逸らして、素早い動作でそのままぴょーんと跳びます。


問題は投げ入れる先輩。


私がいつ跳ぶのか判らないんで呼吸が合いません。


こんな時は上下関係もなく。



サインを言った後、構えたら、

弓を引いた状態で待ってて下さい。私は自分のタイミングで跳びますからって。


納得してもらいました。

でも、私に投げれば、確実に取れるので、重宝がられてました。


あと、スッと手を出して、指で一秒後とか二秒後とか合図していました。


さっき言ったようにみんなのレベルが高いんで、私1人好きにやっても、完璧にフォローしてくれました。

又上級生がやりたいようにやれといってくれました。

凄く楽しい試合を続けます。

なんか、この辺の話楽しい。


一年生の夏の話でパート5位いきます。(笑)


そんなにいかないか。

ラグビー人生50夏合宿

8月1日の集合を前に7月の最終日、合宿所に戻りました。

新宿から乗った京王線、

八幡山の高架駅に電車が入るとき、

遠くに清掃局の煙突をみて、現実というか、絶望感を感じました。


ここから10日の菅平合宿まで、予備合宿が始まりました。

暑い東京で、基礎体力を付けます。


普段の年は暑い中、地獄のランパスなのですが、この年はグラウンドの改修工事があり、


思っていたより、楽だったように覚えています。

当時は菅平には、下級生はバスに諸々の荷物と一緒に詰め込まれ、(一部上級生もいましたが。)


上級生は自家用車に分乗して、現地集合でした。

まるみ山荘という宿舎でした。


私が入る部屋は、ロック、No.8部屋でした。


詳しく言うと、その部屋の押し入れの下の段でした。(笑)


この頃から薄々感じていたんですが、この時5年生だったNo.8の河瀬さん(現摂N大学監督)がどうも私を可愛がってくれていました。

直接の先輩が居ない私を、大工大の飲み会に連れていってくれたりしていましたから。


この事は私の一年生の生活の残り半分に大きな影響を与えます。


さて、明治の夏合宿のスケジュールは、8月10日から20日までの10日間。


朝は確か、6時半起床。


グラウンド迄15分程走っていき、7時から10時迄練習。


練習の前半はランパス等の走り込み。


後半は1~5本目に別れてチーム練習になります。


帰りは、走って帰るか、マネージャー車に溢れ返るほど乗り込んだり。


宿のマイクロバスに乗ったりしながら帰りました。


上下関係がうるさい割にはこういうところは無頓着で、一年生もちゃっかり乗せて貰えました。


宿舎に戻って直ぐに食事。

その後昼寝します。

この間に、マネージャーがOB達と麻雀をしているオヤジのところに、お伺いに行き、


オヤジが手を動かしながら組むメンバーをメモしてきて、

食堂横のホワイトボードに、5本目迄のメンバーと、

何処のグラウンドで、


何時からの試合か、
又、出発時間を書いていきます。


大体まるみ山荘のグラウンドは1と2本目迄、


3本目から下は、相手チームのグラウンドに、小さな遠征に向かいます。


つまり、2本目以上にならないと、プレーをオヤジに観ても貰えません。


まぁOB等が偵察に来ていたみたいですが。


そして各々チーム、試合が終わると、基本的にその場で解散になり、だらだらと宿舎に戻りシャワーを浴びて終わりです。


高校の時とは雲泥の差でした。(笑)

たまにホームグラウンドに集合で仕上げの練習したりしましたが、大体がこんな感じでした。


次回はもう一度夏合宿の話を。