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そして、もう一つは、少し説明が要ります。
インドカレーの素となるスパイスは約30種類弱。それらは現在、サフランなどを除けば、おしなべて安価な金額で相当量が手に入る。
後は玉ねぎ、トマトほか野菜各種と、肉・魚。ココナッツミルクやパウダーを加えても、原価率は他の飲食に比して圧倒的に低い。
これ、
圧倒的に、低い
のです。
閑話休題、メキシコ料理が好きです。
それも、日常的なメキシコ料理〜トスターダ、ブリトー、エンパナーダ、ナチョスにタコス。トルティーヤにワカモレ、サルサソースにチリコンカンなどなど。
で、ハタと気づいた訳ですよ。これら使用されるスパイスは、ほぼほぼカレーと同様。その他の具材も、極めて日常的であるにも関わらず、
高い
圧倒的に高い
のです。
中南米で、日常的に食べられている料理ですよ。インド料理と比して変わらない原材料であるはずなのに、原宿の有名メキシコ料理店も、地元のメキシコ料理提供店も、
とても高い
そして、スパイス使い7年の経験からして、もっとスパイシーでホットなそれが、作れるであろうと、相成りました。
さて、
「この怖ろしい世界は変えられるのか」
正確に言えば、
「言語野の局在という遺伝的変異を得た“人”という種が、“記憶”の定着や自我の目覚めに代表される“意識”と共にセットで得た“大規模な同種殺戮”という能力を、制御することが出来る日は来るのか?」
という設問になる。
ノーベル医学・生理学賞を受賞したオーストリアの動物行動学者であるコンラッド・ローレンツによれば、例えば縄張りに個体が増えすぎたといったような特定の条件下でなければ、強い攻撃力を持った種であればあるほど、同種殺戮は制御される研究成果を紹介している。他種の行動選択の原理は言語ではなく、外界の刺激に応じた遺伝子に組み込まれた条件反射に誘発された“衝動”による行動選択で、人で言えば“感情”による行動選択に等しい。
では、脳内の言語による理性的な判断の結果としての行動選択と、遺伝子による衝動的な感情による行動選択と、どちらが強く働くか?
結果は、火を見るより明らか、であろう。
感情による行動選択に常に、軍配が上がる。
何故なら、“遺伝的な変異”により得ることの出来た“言語野”という機能から出される能力は、“理性”であり“意識”が働いた結果で、あくまで“遺伝”の一部の“変異”にすぎないからだ。
しかし、意識偏重により、行動選択を常に意識が行っているという錯覚に囚われやすい特徴を持つ人という種である我々は、広大な身体〜遺伝子、感情、無意識、或いは自然と言ってもよい〜の膨大な力をしばし、無視してしまう。
身体と心。遺伝子と脳。感情と理性。無意識と意識。自然と人工物。これらの対立概念について、繰り返すがどちらが強いか?どちらが親か?と聞けば、「それは前者だ」ということになる。だから、“遺伝的な変異”により得ることの出来た“言語野”という機能から出される能力が、“理性”であり“意識”であるのだから。
だから、少年兵は両腕を切り落とし、その記憶を薬によって麻痺させる。
よって、残念ながら、「世界は変えられない」という結論に帰結してしまう。
では、希望はないのか?となるが、諦めるのはまだ、早い。自転車も、漕ぎ続ければ、倒れないからだ。つまり“祈り”“畏れ”“智慧を働かせ”“助け合う”。それを社会的習慣化することによって、同種殺戮の発芽を抑制し続ける。
これしか、ない。
だから、政治は、宗教に代表される“理”は、大切かつ重要なものとなる。
それが人という種が長い年月をかけて培ってきたもの、人という種にだけ通じるもの〜教養であり叡智〜であるからだ。
台風や地震などの天災を畏れ、人の小ささを知る。そして、神社を詣で、祈る。歴史を学び、我を省みて反省する。それらの大切さを、繰り返し、自転車を漕ぎ続けるように、子どもたちに伝えよう。
願わくば、全ての子どもたちに光明を。
「背骨が折れてますね」
それが初見の一言目。
「古い箇所で、石灰化してますね」
あぁ、触れられた箇所に思い当たる。
一昨年、八王子脊椎外科クリニックの初診時の事。
思い当たった記憶は、入間ベースキャンプでのボルダリング中の落下。もう10年ひと昔も前のこと。
また、ぶら下がり器を購入して、懸垂にいそしんでいると、肩がズキズキ傷んだ。あぁ、ボールの投げすぎ。これも古傷。
そして昨年の終わり、スロージョグ中に膝が重くなり、速歩にスローダウンして帰宅。以来、膝が芳しくない。なんとも痛い。結局、スロージョグを再開出来ずに年を越し、2月2日、読売巨人軍のチームドクター、稲城やまざき整形外科に受診。
「半月板が割れてますね」
「炎症起こして水も溜まっている、抜いて、ヒアルロン酸を入れましょう、痛みが軽減します」
もうすぐよわい62。
運動と栄養、睡眠と良い加減の飲みがアンチエイジング実現の王道であると理解しているにも関わらず、継続運動のブレーキとなるのは、古傷ばかり。
肩は、本気でプロ野球選手を目指して投げ込んだ、中学時代の代償。背骨は昔の栄光をと中年時無理をした代償。ランニングはやはり、山々を登った古傷。ボクシングの代償は?今更気にしてもしょうがあるまい、いずれも宝石のような思い出の数々の代償ではあるが。
悔いはない、が、無理をすれば、それは全て自分に帰ってくるのだということを、身体で実感している次第。
これからは、したくとも、もう出来ない無理ばかりであるので、それら無理の代償を受け入れ、身体と痛みに寄り添い、感謝をもって大切にしたい。なかんずく、それら全てを受け止め支えてくれた、身体に深く感謝を。そしてそれらがもたらした色褪せない思い出の数々を、血と涙で今を創ってくれた礎という経験たちを、時には宝石箱を開けるように、仔細に眺め、自分を褒めたいと思う。よく、がんばったね、ありがとう、と。
👀🔊 Así se vio y oyó desde ringside el KO 💣💥 de Naoya Inoue 🇯🇵 a Luis Nery
— ESPN KnockOut (@ESPNKnockOut) 2024年5月6日
🎥 @trboxeo #ESPNKnockOut #InoueNery pic.twitter.com/kx1lASKz5t
1ラウンド1分40秒、左ボディから右の返えし振った最中、ネリの左フックカウンターが井上の顎先をジャストミート、井上はキャンバスに倒された。普通はこれでカウントアウトというドンピシャのタイミングだった。しかし井上はすぐさま立膝となりカウントエイトを待って立ち上がる。ここからがクライマックスであった。下がる井上、追うネリ。ここでフィニッシュブローである左ロングフックをネリは強振。またしても、普通は、これを被弾し、ジ・エンド。であるはずだ、が、井上は、ダッキングでこれをかわす。その後の強振もスウェーバックで、ダッキングで、ブロッキングで、全てをかわした。稀代のパンチャー二人の命運を分けたもの。それがこの、ディフェンス・テクニックに他ならない。攻撃が最大の防御であるネリは、稀代のパンチャーのハードパンチによって削られる。2ラウンドは左スマッシュで。5ラウンドは左フックで。
そして、6ラウンド、1分22秒。井上の右ダブルがネリを捉えると、糸が切れた操り人形と化したネリがロープ際にゴトリと落ち激戦は結した。ロープ際でなかったら、ネリのダメージは甚大なものになっていたであろう。
ネリはこれまで、KO負けはフェザー級のベルトを戴冠したフィゲロアのみ。井上もこれまでダウン経験は皆無。88%対77%のKO率を誇る両者のミックスアップは、88%の井上尚弥に凱歌は上がった。