モノトーンの暗く長い夜と、常に緊迫感と抱き合わせであったお日様の元、前科者が坂を転げ落ちていくように取り込まれる、お決まりの、アルアルな閉塞状況~環境ガチャ、親ガチャ、貧困、DV、アル中、暴力、悪意、悪行、そして重犯。
 なにより、ささやかな夢~平穏な日常に少しでも長く身を於く儚い想いは、出会いと、他者の意思と選択によってもたらされる現実によって苛まれ、それらに対する行動の選択によって、好まざるに関わらず、落下は止められない。
 では何故に、汚物だらけのこの、創造的現実の中に、光を感じさせられるのか。そこが、例えばオスカーに輝いた虚無の、美しき残酷な汚物の映像美を描ききった“ノー・カントリー”とは異なるところだ。だが、比肩して劣らないエレメントは、感じ、考えさせられるところ。
 善意はある。そして善意を元に選択された善行もある。
 そこに、社会的正義は存するのか。
 では、それらの実現の為に、何を斗志て護るのか。
 そこを観手に問い、観手を試す。
 だからこそ、痛感させられるのだ。観手の貴方はどこまで汚物から、真珠を多く掬えるか、を。
 余韻はさらに畳みかけてくる。
 他に救う方法はあったのか、と。
 そして、最善とは、何か、と。
 また、問題提起も見逃せない。
 宝物の正体は、果たしてタレントのみ、なのか。
 根っからの悪玉に対して、対処の可能性は如何に。

 その演技の質を嫌悪してきた主演男優の、珠玉の演技もまた、見事也。
 
 2013年制作された本作は、2014年4月9日アメリカで公開された。