子どもの不登校を経験して、頭の中がかる〜くなった♪
ピーマン嫌いブロッコリー苦手好き嫌いって、誰にでもありますよねそれでも、やっぱり、野菜は健康に大事だって思うから「嫌いでも少しは食べなさい」「好き嫌いはだめよ」なんて、言われてきたし周りにもそう言ってしまうけど、嫌いなのに、苦手なのに、”食ベなさい”と言われたら、苦痛ですよね〜だから、”ピーマンさえなかったら、 食べなくて済むのに””ブロッコリーの存在自体、 なかったらいいのに”なんて思ったりしちゃいますよねでも、「嫌いでもいいよ」「苦いもんね、仕方ないよ」と、伝えてたら、”自分”は苦手だけれど、嫌いなものも、それはそれで”あり”だとそんな風に思えるのじゃないかな〜?って思うんです。・・・急に何の話だって感じですが、これって、人間関係でも同じだと思うんですよね人間関係でも”苦手な人””嫌いな人”いるのが普通だと思うんです。でも、人を”嫌っちゃいけない””苦手な人でも仲良くしないといけない”って思うから相手を”好きになるために””苦手な人にしないために”相手を変えようとしてしまって、すごく、自分が苦しくなってしまったりするんですよね人間、千差万別なので、みんな仲良くなんて無理な話であって嫌いでも苦手でもそのまんまでいいんじゃないかなと嫌いなまま苦手なままそれでいいんじゃないかなと嫌いや苦手を認めたら自分のそういう部分も受け入れられるようになるし周りのそういう部分も受け入れられるようになる嫌いや苦手の根源はただの”違い””違い”はあっていい”違い”があるからこそ、社会がうまくいってる”違い”は”違い”でいいんじゃないかな〜?そんな感じが広がれば、きっと、”個性豊かな社会”の基盤にもなっていくんじゃないかな〜って思うんですけどね〜
長女が不登校ってやつですが。確かに、悩みがないわけじゃないですが。でも、子育てってそもそも悩みはつきないものでして長男にも、末っ子にも悩む事はあるわけで。ある意味、特別ではないのかもな〜なんて思ったり・・・。そんな風に思ってると”不登校”っていうワードはなんか、重たいな〜ってマイナスなイメージ爆発やな〜と・・・現に、”不登校”経験者は”不登校”な自分に引け目を感じてる長女もそう。行けない自分を責めたりしてる。言葉は少し過激かもしれませんが”学校に行けないぐらいで、人生終わらない”と、言いたいし、伝えてる母親の私がそう伝えたとしても、本人は苦しいのですが・・・まぁ、息抜きの言葉ぐらいにしてもらえたらな〜って思うなんだろうなぁ〜結局、基本的に”みんな同じ”があるからなのかなぁ?もちろん”教育を受ける権利”はあるし”教育を受けさせる義務”はあるのだけれどそれは、みんなと”同じように”ある必要はないしむしろ、その子その子に合わせて教育を受けさせてあげられる方がいい”みんな同じ”が悪いわけじゃないけど”みんなと違う”もいいじゃんね?不登校・・・選択的登校?自由登校?個別登校?言い方変えて、イメージも変えたいな
先日、長男が中学に入学しまして。入学式に名札をもらいました。台布に縫いつけて、制服のブレザーのポケットにつけるそうで(また、縫わないとあかんやん・・・)と、ひそかに憂鬱に感じていたところ長男が、『あ、お母さん、名札、自分でつけるから』と、神様のような一言〜感激して、『え!ほんまに!! めっちゃ嬉しい!! ありがとう〜 助かる〜!!』って感動してたら『いや、お母さんにつけて欲しくないだけ』と・・・(笑)確かに、私がつけると雑になるでしょう(涙)母をよくご存知で(笑)いやはや、そう言っていただけあって、とっても丁寧につけておりました。聞くところによると、何回か、やり直したそうです。パパさんの能力を受け継いでくれて感謝だわ〜親がやらないと、親ができないとってプレッシャーに思ったり負担になったりしがちだけれど親だって、1人の人間できない事、苦手な事があって当然。親が出来ない分、子どもは自分でやるしかないとそこを頑張ったりしてくれます。そこの能力が逆についたりします。親が出来ない分、子どもと協力してやったりして楽しい時間になったりもします。親が出来ない分、親を乗り越えようと子どもは頑張って、達成感を得たりします(笑)子どもは親をどんどん乗り越えたらいいんですお互い、成長し合えばいいんです親の無能も役に立つものです(笑)そのまんまでいいんです♪
春休み、長女が外出が苦手なので、結構インドアな生活をしています。でも、片付けやら、掃除やら、昼寝やら(笑)結構のんびり過ごして、これはこれで良い感じに過ごしていますそして、なにより?子ども達も穏やかです我が家の子ども達、中1、小5、小1の3人なのですが、もちろん、毎日、小さなケンカもしてますけど、基本、性格的に穏やかだし、趣味も似ていてゲームやら、動画やら、肩を寄せ合って、笑いあって楽しんでます平和だな〜と幸せな時間ですこれが、学校が始まると、なかなか難しいんですよね〜なんでかって、子ども達それぞれがそれぞれの環境でそれなりに社会勉強をしていろんな思いを抱えて帰ってくるので・・・(笑)楽しい事があった時はご機嫌さんだけれども誰か1人でも嫌な事があった時はイライラしていてそのイライラが川の流れのように伝染していってます・・・もちろん!?そのイライラの源流が自分だったりする場合もあるのですが・・・イライラの流れって、ややこしいし、困るし気分も落ちるけど・・・でも、吐き出した方がいい感情だしそれはそれで、家族お互い、癒し合えたらベストなわけで・・・自分も含め、テレビやら、音楽やらおやつやらで気分転換を試みたりする日々ですでも、実は、そんな風にできるようになったのはお恥ずかしながら、つい最近のことでして・・・子どもが家でイライラしているとなんでイライラしてるん?と、私もイライラしていました子どもだって、イライラする事があるっていう思考回路が私の中にはあんまりなかったんですよねむしろ、私の何が不満なん??毎日、こんなにいろいろやってるのにと、子どもが、私にイライラしていると、被害妄想が入っていたぐらいですイライラのとらえ違いはね、結構、悲惨な空気を生み出してきましたよ・・・でも、今日もなんかあったんだなイライラしてるのも仕方ないか・・・と、少し見守れるようになるとむしろ、家で安心しているからこれだけ感情が爆発してるんだなと思えるように努力しだすと(笑)子どもの方から話をしてくれるようになったりしました大人はね、いろいろあるねん!って言い訳よくしてきましたけど子どももね、いろいろあるねん!って事なんですよね・・・大人も子どもも、人生、山あり、谷ありこれ、気がつくと気がつかないとでは日々の疲れが変わってくるのじゃないかな?と、思いますたまには、親子でビールと炭酸ジュースで語り合うのもいかがでしょう?
私は、末っ子が産まれた時ぐらいに、子育て方法の一つを学びまして資格も取得して、自宅でサロンをしていた時がありました。諸事情があってサロンの継続はできなかったのですがその時に痛感したことがあります。子育てを楽にする理論よりも心を救う方が必要だったんだ・・・自分の子育て経験がしんどかったから、ママさんの子育てが少しでも楽になるようにママさんが子育てを楽しめるようにそう思って、当時の自分が良いと思う方法を学んで、ママさん達に伝えようとしていました。でも、自宅に来られるママさんに、その方法をお伝えしていてもママさん達の顔はあまり明るくはならなかったのです。内容は理解してくださっていました。なるほど〜とかすご〜いみたいな反応はあったんです。でも、『その方法をしっかりできる自信がない』『その手間をかける余裕がない』『私には難しい』むしろその方法が良いと知っていて、『我が子にちゃんとやってあげれていない・・・』と、マイナスになってしまうことさえありました。サロンをしている中で一番ママさん達のホッとした顔が見れたのは”雑談”している時でした。日々、子育てをしている中で感じる、たくさんの不安本当にこの方法でいいんだろうか?こんなに泣くものなんだろうか?これで大丈夫なんだろうか?大切な我が子だからこそちゃんと守ってあげたいからこそ抱えるたくさんの不安『わかるよ〜わかる』『みんな、そんな感じだよ』『大丈夫、大丈夫』『赤ちゃんが泣くのは 私たちが話をしているようなものだから 泣いて当然。大丈夫』そうやって、”大丈夫”と言ってあげた時が一番ホッとされていました。・・・きっと、今、頑張ってるママさん達もたくさん不安があると思います。不安にもなるしイライラもするし悲しくもなるし投げ出したくもなるし逃げ出したくもなるそれはみんな同じあなただけじゃないよ〜ニコニコしていられないから私はダメな母親なんて絶対思っちゃダメ!!子育てはしんどいんだもんニコニコばっかりなんかしてられなくて当然よ、当然(笑)キラキラした子育てSNSなんて気にしなくていいんだからね(笑)だからね、ニコニコするためとか理想の母親になるために”何か”を探さなくてもいいの子育ての”正解”を探さなくてもいいの赤ちゃん(子ども)は奇跡的な過程をいくつも乗り越えて産まれてきてる産まれてきただけで奇跡家族になれたことだけで奇跡生きる力があるからこそ、産まれてきてくれているそれはママがいたからこそママはそこにいればいいしママは立派にならなくていい一緒に成長すればいいママがしっかりしないと子どもが育たないわけじゃない子どもに何かあってもそれはママのせいじゃないママと赤ちゃん(子ども)は奇跡的な出会いをしただけ気負わずに、その出会いを一緒に楽しんで〜無理せず一緒の時間を楽しんで〜今は、諸事情があって自宅でサロンとかできてないけどこうやって、ブログを通して、伝えたいなと思うママはそのままで大丈夫充分、ママだよ〜
前の投稿に書いたように人生、思ってもみなかった経験をちょこちょことしてきた私ですがそのたびに、うつについて・・・とか子育て方法について・・・とか健康(食事方法)について・・・とか健康(日用品)について・・・とかを調べたり聞いたり学んだりしてきましたお恥ずかしながら、勉強するのが苦手なので深く学びこむことはできないのですが(汗)新しい考え方や価値観を知ってはへ〜と思って少しずつ生活に取り入れたりもしましたでも、知れば知るほど、いろんな考え方や価値観、方法に出会って、中には相反するものもあったりして、”正解は一体どれなんだろう?””どれが一番正しいんだろう?”ってモヤモヤした時期もありました気になるので、いろんな情報を検索したり本を読んだりもしましたでも、知ればしるほどわけがわからなくなり・・・(笑)ちゃんとした方法で毎日を生活しないと子ども達の将来が〜・・・なんて、不安になったりもしてちゃんとできない自分を責めたりして・・・ちゃんとは一体どれなの〜?!?とモヤモヤすること数年・・・で、最近いきついた答えは・・・どれでもいいやなんです(笑)どれでもいいや・・・はちょっと、言葉が悪いかもしれませんね(汗)とにかく、自分や、家族が心地よいと感じていること楽しいと感じている事それが一番大切なのだなとこの方法は絶対だ!と、言われる方法でも、自分自身が続ける事が難しかったり家族に嫌がられたりしてしまうと家の中の笑顔が少なくなってしまいますそれじゃ、せっかくの方法ももったいないし、逆効果にもなりかねませんとはいえ、知らないよりは知っていることは大切だと思っています様々な考え方を知った上で自分や家族が一番納得できて心地よいと感じている事長く続けられる事それが私や家族にとっての”答え”なのだな〜と心地よいと感じる事楽しいと思える事要は、自分や家族にとっての最善の方法はちゃんと、身体が(心が)知っているってことなのだなと人間にもちゃんと”本能”があるのですからね(笑)本やネットなどで膨大な情報が溢れる時代だからこそ生物としての”人間の本能”をもっと大切にしたいなと思います
人生って、いろいろありますね〜私自身、結婚できるなんて思ってませんでしたし(笑)うつになるなんて思ってもみませんでした(笑)(子どもが産まれる前の話ですが)3人の子育てするとも思ってなかったし、我が家の子どもがまさか、不登校になると思ってませんでしたでもね〜不思議な事に、全部、自分の人生の糧になってるんですよね結婚して、男の人の気持ちや生態?を知る事ができました(笑)(三姉妹なので、男性苦手やったんです・・・)うつになった事で、「どうにもならない辛い気持ち」「どうにもできない恐怖」「ただ、辛くて、包丁を眺めてしまう恐怖」を知る事ができましたそして、そこから、ちゃんとした食事や、睡眠で人生をやり直せるということも知りました食事(栄養)や休養が身体、そして心を作っているという事を知る事ができましたそして、笑う事が生きる力に繋がっていくという事も知りました子育てを通して、子育ての大変さを知る事もできたし子育ての喜びを知る事もできました自分が、心配性で、心配だからこそ、子ども達に厳しくしてしまうという自分の弱さを知る事もできました長女の不登校を通して、いろんな子ども達がいるということいろんな大人がいるということそして、それぞれ、素晴らしいものをもっているということ生きる力を養うためには”楽しい”と思う事が大切だということ”楽しい”と思える事は何よりものエネルギーになるということたくさんの事を教えてもらいました人生には辛い事がたくさんあるけれど(これ以外にもいろいろあったけど)役に立つ事もたくさんで全て自分の糧になっていて、次の何かに繋がっていっている生きるって面白い私の人生、次は一体どんな風に進んでいくんだろう?どんな風に楽しんでいこう?空を眺めながら、笑いながら、今日も頑張ろう
発達障害って言葉ありますけどうちの長女も広汎性発達障害と診断は受けましたけど障害って言葉を使ってるからかなぁ〜なんか、”できない”とか”合わせられない”とか”大変”みたいな、マイナスイメージが強いですけど・・・”治す”とか”適応できるように訓練する”とか否定的なように表現されがちだけど・・・”感受性が強い”とか”人に優しい”とか”考え方が自由”とか良い面もいっぱい持ってるんだけどな〜その良い面を活用できるようにより、活かせるように支援する、サポートするっていうのがいいのになぁ〜だって、彼等、彼女達に教えられる事考えさせられる事もいっぱいあるし感動をくれることだってあるいわゆる”常識”ってやつが”みんな一緒”側にあるから”障害”って言葉になってるけど”みんなそれぞれ違う””みんな違って当たり前””個性豊かな人生”的な考えが”常識”になっていったとしたら・・・今、”健常者”とされている人たちが”個性がない”と”障害”になるかもしれないわけで・・・いや、別に私はどっちが正しいって言いたいわけじゃなくてみんな、奇跡のような偶然が重なってこの世に産まれてきた奇跡の存在なのだから、産まれてきていること自体が素晴らしいわけで障害とかいう言葉に惑わされたくないなと常識とかいう言葉に惑わされたくないなと社会とかいう言葉に惑わされたくないなと目の前の命とまっすぐ向き合えるようになりたいと思うのですそんな強さを持てるようになりたいと思うのです発達障害というけれど、彼等、彼女達はこれからの時代に必要な自由で、豊かなものをたくさんもってる障害ではなくて、きっと、進化なんだよね。時代の先駆者なんだよね。視点を変えると、見方も変わるそんな風になっていくといいな
突然ですがね、私、ファーストフードとかで食べた後にごみをちっちゃくするのめっちゃ好きなんです楽しいんです♪ぐちゃ〜ってカウンターに戻すんじゃなくて5人分のゴミを1人分サイズにコンパクトにするのが楽しいんです♪マナーとか、店員さんのためにとか、そういうのではなくて(ないわけじゃないけど)とにかく、いかにゴミを綺麗にちっちゃくするかがゲームのように面白いんです(テレビゲームは全然できませんが)なのでね、いつも食べたあと、みんなのゴミをひとつひとつたたんで小さく小さくしていくんですけどね楽しすぎて、笑えてくるんです(気持ち悪いって言わないで)「みてみて〜 めっちゃちっちゃくなった!♪」「ほら〜 こうやったらゴミ小さくなるやろ〜?♪」1人、嬉しそうにゴミを小さくする私を見て子ども達は、半分あきれております(笑)でも、最近、「ほら、みて♪ ゴミを小さくしたったで♪ いい感じやろ??」「お母さんが楽しむ前に 俺がやってやったよ♪」なんて、言いながら子ども達がゴミを小さくするようになったんです『ごみをちっちゃくしなさい』なんて、あんまり言ってないのに(むしろ、私の楽しみなので)私がよっぽど楽しそうにしているので、きっと、やってみたくなったんでしょうね(笑)ま、そのやり方は私からしたらまだまだですけど(笑)そんな大人気ない話はおいといて(笑)私が楽しそうにやってたら子ども達は勝手にやりたくなるんだなって人の楽しそうな姿は何よりもの好奇心をかきたてて意欲につながるんだなってそりゃね、「勉強しなさい」って言ったってできないよね私も嫌いやもん逆に私が人と話すの好きやから子ども達も「語りたい」って言ってくるし話すのが好きになってるパパが好きな釣りやら、ものづくりやらも、子ども達も楽しそうにやってるそれでいいねんな〜って勉強は苦手やけど学びは好きやから日々の生活の中で、子ども達といろんな事学んでるそれでいいねんな〜ってとはいえ、子ども達の人生は、私とは全く別の物だしこれからの人生、もしかしたら、自分の好きな勉強を自分で見つけるかもしれない誰か尊敬できる人に出会ってその人のようになりたいと学びたいと思う時が来るかもしれない刺激し合える友達ができてその子と夢を語り合って何かに熱中するかもしれない目の前で楽しそうにしている人間が常に私たち親である必要はなくてたくさんの出会いと経験を重ねてきっと、子ども達も自分たちの好奇心や好きを発見していくんだろうなその出会いや経験はサポートしてあげたいしもし、何かにつまづいた時は帰ってこれる場所でありたいと思う子ども達は羽ばたく力をちゃんと持ってるその力を発揮できるように私自身も、自分の人生を楽しむ姿を見せたいなって思う生きていたら大人になったら楽しそうやなって思える身近な大人でありたいなと思う
長女のおかげで、自分の中の”こうあるべき””こうしなくてはいけない”っていうのが崩されるようになって少しずつ、自分の中の何かが変わってきました朝日が昇ってお天気の日は空がキラキラして澄んだ空気が気持ちよくてその空気を感じ取れる事今日も生きているという事家族と一緒に居られるという事しあわせだな〜って心地よい風を感じれる瞬間がたまらなく気持ちがよくてしあわせだな〜って痛感するようになりましたそんなしあわせだな〜って思える瞬間自分の中に少しエネルギーが溜まるのを感じます今日も1日頑張ろうってもちろん、調子が悪い時もあるけれどお天気が良かったら、きれいな空に癒してもらう時もしばしば・・・そんな風に感じるようになって人生を楽しむには人生を生きていくには自分を心地よくすることこれが一番のエネルギーになるんだな〜って思うようになりました自分の心が心地よいと気分が良いと頑張ろうって思える辛いことも乗り越えられるかも?って思える嫌な事は忘れて前を向こうって思える目標や夢を達成したり問題を解決することも力になるけれど夢をおいかけるにも問題を解決するにも自分の中のエネルギーがなかったら充分な力を出し切れない自分を心地よくすることこれは決して甘えなんかじゃないし逃げでもないなと人生を生きていく上でとっても大切な土台となるものなんだな〜と…外出が苦手で家にひきこもりがちな長女も同じ今、家にいるのが心地よいのなら家にいて、エネルギーを貯めるしかないエネルギーが貯まったらきっと、芽を出し始める土の中にある種のように生きているのだからエネルギーが貯まったら自然と動き出すそう信じて待てるようになりました(時々、小言いっちゃいますけどね💦)
私は、昔(今でも?)めちゃくちゃ怖いおかんですダメなものはだめ危ないものは危ない周りに迷惑をかけることはダメ勝手なことはしないetc...”子どもだから仕方ない”っていう思考がわからなくて(笑)(できるかどうかは別として、 ちゃんと伝えたら、絶対わかってるって 今でも思ってる)で、”ちゃんとした子に育てないと””ちゃんとした人生を歩かせないと”それが、親の仕事だと思ってましたしっかり勉強して、進学して人様に迷惑のかからないように社会に役立てるような仕事ができるように・・・それが親のやるべき事やと思ってましたでも、長女が学校行かなくなって私のかた〜い思考がトンカチでガンガンガンガンガンガンかち割られ続け(笑)みんなと同じ事ができない長女を目の前にして、そんな長女を受け入れるために自分の考え方を変えざるを得なくて・・・”ちゃんとした子”って何?”ちゃんとした人生”って何?そんな事を考えるようになりました結局、私の考えてる”ちゃんとした人生”って私の中の価値観でしかなくて自分の満足のいくような姿でいて欲しいだけでそれは長女の人生じゃなくて私の人生の一部に長女を巻き込んでるだけやったんやなと・・・我が子とはいえ、別の人生いずれ、長女が自立して生きていくとなった時一番大切なものは何なんだろう?何が生きていく上で一番の大切なエネルギーになるんだろう?そういえば、私の人生、これからどうしたいんだろう?長女は私たち家族全員に”生きるって何?””人生って何?”っていう大切なことを考える時間をくれました私の頭の固さはまだまだ残っているけれどでも、自分の想いや行動を振り返ったり冷静になれるようにもなってきました私の中の正しさや価値観で長女をがんじがらめにしてしまったせいで長女を不登校にしてしまったと自分を責めてしまう時もあったし今でもその気持ちがゼロではないけれど過去を責めても仕方がないしその間違いがあったから今の考え方ができるようにもなったわけで・・・なので、今では、子育てって母親が、父親が子どもの人生をちゃんとしたものに育て上げることではなくて親子でいろんな事を学んでいく家族は、人生を歩む仲間ってことなんだな〜って思ってます失敗もするし、間違えもする喧嘩もするし、困った事も起こるその時その時一緒になって乗り越えるそれでいいんだな〜っていろんな育児本や子育て論があるけれど参考にしたり、考え方のきっかけにしかならなくて正解は家族の中にあるんだなって家族が笑ってる家族が笑えるそれが答えなんだな〜って思います
もう、シリーズ終わっちゃいましたけどNHKでやってた『人体』っていう番組面白かった〜長女も、ものすごく興味を示して「面白い〜」「面白い〜」って見てました身体の中にある、神秘の世界私ね、記憶力が相当悪いので、ちゃんと内容をお伝えできないのが申し訳ないのですが(笑)最終回で言ってました身体の中には100兆個ものメッセージ物質が行き交ってるって100兆個ですよ!100兆個!!全くピンとこない数字(笑)地球上の人口を軽く超えてますなんなら、メッセージ物質だけでなくて、細胞の数とかも加えたら・・・もう、宇宙レベルになるのではなかろうかと・・・そんな、宇宙レベルの数が身体をつくりあげているのだろうと想像したらしかも、それが、人間の身体の中で作られて産まれてくるのだから・・・本当に、人間って、いや、命って不思議ですよね〜めちゃくちゃ神秘だな〜って思いますもっと、想像を膨らませるとね自分だって、実はだれかの(何かの)細胞じゃないのか?なんて思ったり(笑)空に見えるのは、細胞壁だったりするかも!?なんて思ったり(笑)命って、本当に不思議奇跡的なものだな〜って痛感しますだから、やっぱり、生きているってすごいこと宇宙レベルの数の奇跡の上に成り立ってる何か特別な人にならなくても何か特別にできるようにならなくても立派な人生歩まなくても生きているそれだけで素晴らしい家族で一緒にいられるそれだけで素晴らしいそれでいいんだな〜って思います
庭に、植えた覚えのないチューリップが芽を出したきっと、昨年、幼稚園から持って帰ってきた植木鉢をひっくり返した時に球根が落ちたままだったのかな?せっかくなので、踏まないようにだけ気をつけてたらしっかり伸びて花を咲かせるほどに成長した時々、水をやっていたぐらいで、特に手入れをしたわけでもなくなんなら、芽が出たばかりの頃、足元が見えてなくて、少し踏んでしまったぐらいなのに(笑)葉っぱが少し傷つきながらも(踏んでしまったので(汗))立派に成長したチューリップ土の栄養と、水分と太陽の光と、自然の力でしっかりと成長して花を咲かせたチューリップそんなチューリップを見ていて、人間も同じだな〜と栄養と、暖かい光と愛情と、時間があれば、必ず、成長する自分の伸びていく方法を知っている茎の伸ばし方や葉っぱのつけ方花のつけ方を教えなくてもちゃんと生きる方法を知ってるなんなら、少しぐらい踏まれたって(笑)しっかりと成長できる力を持ってる大切なのは栄養と暖かい光と、愛情そして、待つこときっと、子育ては”待つ”のが一番難しいでも、待てば、必ず花が咲く
長女が不登校になって、最初は、焦ったけど、今でも、このまんまで大丈夫か?とか、不安がないわけじゃないんだけども不安な気持ちが湧いてくるのは必ず周りの目を気にした時周りとの兼ね合いを気にした時そりゃ〜ね〜気にしちゃうよね〜(笑)だって、そうやって生きてきたし〜でも、そんな時、私は一生懸命自分の中にある”社会の枠”っていう作られた”常識”を一生懸命外します(笑)だってね、長女の家の中での様子は不登校になった当初よりも断然、元気になったし明るくなった”生きる”という視点で考えたら絶対に今の状況の方が最善”社会”という視点で考えたら今の状況は正直よろしくはないけれど・・・でも、ね。”社会”の中でいきるためには”生きる”力がなかったら意味ないし優先順位は断然”生きる”だもん何を信じるかって”常識”じゃなくて目の前の長女の様子”常識”にはめることよりも”生きる”ことを楽しめるように見守りたい