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ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

諸行無常の日々をことばを通して世界中の人々と心が通い合う瞬間が何よりの幸せ!に感じる日本語教師の他愛のない日常。只今、ブラジルにて修行中。

6月の初旬。


そろそろ風が冷たくなってきた時分に、シリア時代の友人(と言っても人生の大先輩!)Jさんからメールが届いた。


その内容は実にわくわくさせるものであり、胸を熱くさせるものであった!!


ー未知なる挑戦ー


日本の高校生とブラジルの高校生とでビデオレターで交信(?)を深め、

スカイプを利用して、リアルタイムで話そう!というもの。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)


まさに、地球の表から裏をつなごう!友好の橋を掛けようではないかという構想。


Jさんはシリアではパレスチナ難民支援に携わっており、視聴覚教育の専門で、シリアに住むパレスチナの子ども達と日本の子どもたちを映像やアートを媒介につなげてきたという素晴らしい実績の持ち主。


且つ、シリアで一緒に美味しいお酒を飲んでいたのです。

イスラム国のシリアではお酒飲めるお店は少ないですが、あります!


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ちょうど5年前の7月の写真。平和なシリア・・・Jさんに撮ってもらった一枚。

真夏でも肌を出さぬよう、気をつけてました。(日中は50度!)



シリアのニュースを聞くたびに胸が痛みます。


5年前には平和な日常を送っていたのです。

南米より断然治安よし!!


たった今も「UN agencies warn that 3 million Syrians are likely to need food aid in the next 12 months due to the huge effect the escalating fighting has had on agriculture.」という記事を目にし、呼吸すらできない状態です。。。


肥沃の大地として、かつて栄えたメソポタミア文明の地、シリア。

農業国のシリア・・・いつも買い物していた市場にはあんなにも野菜や果物で溢れていたのに・・・


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)


まだまだシリアの今の現実を受け止めるので、精一杯で、言葉にする事できません・・・



さて、話を戻しませう。

現在、地元のJICA中部に勤務しており、日系ブラジル人が多く暮す地域の高校生とブラジルの高校生をつなげようとの提案。


未知なる挑戦であったが、ブラジルでの日本語教育に携わって1年になろうとしていたこの頃。


継承語日本語と外国語教育としての日本語の挟まで思いあく゛ねていました。


彼らにとっての日本語とは??


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これは日本でもシリアでのインドネシアでも毎回教えていて思うこと。

現場が違えば、日本語も全く違うものであり、まさにこの瞬間、目の前にあるブラジルの高校生、日系子弟の高校生、4、5世の彼らにとっての日本語とは??


悶々としてた矢先のこの挑戦。

1つ返事で「やってみます!」と返信ボタンを押す。


という事で、新たなる挑戦が始まったのであります。


先ずは、同僚の先生に相談。「是非やってみましょう!!おもしろそう!!」と快諾してくださいまして、ポンっと背中を押してもらいました。



とにもかくにもやってみることに!



当初は生徒達はぴんっときてなかったようで、且つ日系人の子達、けっこうシャイなのです。


動画を撮るのもやっとでしたが、思うに・・・


考察①外国語で話さないといけないこと

考察②ブラジルの学校では人前で話す機会がないこと

考察③他の国の移民子弟が前に出る事が多く、日系人は大人しくなってしまう


以上のような理由から、ものすごく恥ずかしがるのではと推察いたしました。


とはいえ、


ビデオレターのやり取りを重ねて行くたびに俄然やる気になってくれました!


1回目のビデオレターでは、自己紹介、お互いのイメージと質問。

それから、各々の返事を送ることに。


やはり海の向こうにいる同世代への関心・興味は距離に関係ないですね。

むしろ、遠いからこそ、知りたいとか、もっと身近に感じられるのかもしれません。



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日本の高校生にブラジル紹介すべく、ブラジルの地図を作成中!


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無事に完成!


さ、ビデオレターでやりとりし、スカイプで実際にリアルタイムで交信する当日。

といっても、時差が何せ12時間なので、今回は私一人のみの出演(?)

(日本が朝11時。ブラジル23時)


授業が終わり、21時に帰宅し、胸を高鳴らせながあ、PCの前に。


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Jさんと高校生。


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Jさんと私の共通であるシリアの事、シリアでの活動、そしてブラジルでの活動、国際協力について、色々と話しをしました。


シリアのとこでは感極まって、涙を流してしまいました・・・


高校生とインターネットを通じて、何万キロも離れた点と点が一本の線でつながれた瞬間!

何物にも変えらせませんね。そして、シリアにも思いを馳せました。


青く黄色い、はちきれんばかりのパワーに元気をもらいました!!

夜が深まれば深まる程、私の胸は高鳴っていったのでした!!


結局、夜中の2時を回ったとこで、交信終了。


このあと、胸がいっぱいで眠りにつけなかったのは言うまでもありません。


こうして、今の生の日本とつながった日系子弟の彼らにとって、大きな一歩になったようです。

日本語を学ぶ意義を各々が彼らなりに感じ取ったのではと思います。




改めまして、このような素敵な機会を与えてくださったJさんに感謝致します!!


まだまだ私自身の課題がありますが、この反省を次回に必ずや生かします!


シュックランジャジーラン!(ありがとうございました!!)


シリアへの感謝の思いと平和への祈りをこめて・・・


シリアでいつも買い物してた市場。


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市場でいつも会っていた果物屋のアハマドや


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この兄弟も無事だろうか・・・・


また、シリアの素敵な笑顔にあいたい。


6月9日(土)、☁空のこの日、私の住む街から1時間半のパラナ州第2の都市ロンドリーナへ。

ここには同期の小学校教諭のボランティアSさんが活動している。


この日、日系人団体が主催する「日本祭り Festival do Japão」にSさんの学校もブースを出すというので、

お手伝いに(正確には、遊びに)行ってきました!


こうやって、ブラジル各地では定期的に日本祭りが行われ、日系人以外にも多くのブラジル人も憩い、日本文化に触れる機会が多い。


ある意味、日系文化というより、ブラジルの中ですっかり定着している日本まつりは、移民国家ブラジルのお祭りの1つと言ってもいいだろう。


ここが日本の裏側にある国であることを忘れてしまう。
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6月、ブラジル南部は冬支度。曇り空のこの日、Sさんと私は背中にホッカイロを貼りつけ、戦闘開始!

12時から23時までの戦闘が開始したのであります。

思い起こせば、この日、パラナ地区日系生徒研修(日系人子弟が日本に行く研修)の選考試験があり、早朝6時半に任地を出た私。


30歳になってもまだまだ体力あります!


それでは写真を見ていただきませう。

先ずは会場の様子から。


日本食。ブラジル人大好きです!


うどん、おそば、やきそば、てんぷら、この辺りが主流でせうか。
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あと、沖縄県人会もロンドリーナにあるので、沖縄そばなんかもあります。


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日本食品や日本製品も。


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そして、漫画!


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シリアでもインドネシアでもそうでしたが、日本のサブカルチャーの威力は凄まじい!

アニメや漫画の総売上はハリウッド映画の何倍にもなると何かの記事で読んだことがあるが、庶民への浸透度を見ると、納得。


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群れるブラジル人達。このアニメブースは我々が帰宅する23時になっても満員!


そして、歌・踊りは欠かせない。高齢者の皆様ががんばっておられました。


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夜は若者が踊り狂って(?)おりました。


さ、日本文化のコーナー。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ひな壇に五月人形。



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書道。この書を書かれたのはいつもお世話になっている方で、

この書を目にした時に、心に太陽が宿りました!

その方のふんわりとした温かい雰囲気を醸し出しています。


いつもこうありたいですね。



その他、生花に茶道に、あらゆる日本文化に触れられる空間となっておりました。


Sさんの学校の掲示。

松ノ木に生徒の顔が!かわいい。
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そして、お手伝いに(遊びに)行ったブースでは・・・


折り紙に
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書道


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苗字を書きたいというリクエスト多し。

5,6世の時代になっている日系社会。

日本語を操る人も少なくなり、ましてや「文字」は話し言葉より廃れるスピードが猛烈に速い。


そんな中、みなさんの心の中に「日本人の血」を引くものとしてのアイデンティティを感じる瞬間だったようだ。


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たくさんのブラジル人も挑戦!


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そして、多くの日本帰りの人にも会いました。
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外国で住む諸々を知っている彼らに「がんばってね!」という励ましの言葉、

ありがたいお言葉いただきまして、感無量(涙)!!


何より、Sさんの真摯な姿に胸を打たれました。

彼女は心からの愛で生徒、そして全ての人と接する。

一つ一つが丁寧。その成す手に愛情が込められている。

そして、謙虚!

す、素晴らしい・・・!


もう、私もそうありたい!といつもSさんに会うたびに思うのであります。


そんな素晴らしい方と出会えたのも、ブラジルに来たから。

インシャアッラー(神の思し召しのままに)


精進しなければ!!


本当にありがとうございました!!



7月、初のブログ。

2日の日本語学校の修了式&日本語ミニ運動会が終わったその足でいざバスに乗り込み、アルゼンチンへ。

(アルゼンチンに赴任中のシニアボランティアの大先輩の任地へ。「アルゼンチンの日系社会を知る旅」)

そして、仕事もあり、サンパウロに。そして日系人家庭でホームステイ。

そして、勢いにのってリオデジャネイロにも行ってきました!!


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かの有名なポンジアスーカル@リオ


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「優しはあの世に持っていけない。」のTさんの娘さん宅にホームステイ@サンパウロ

そんな訳で久しぶりに書いております。


今日は6月に堪能したパラナの山をご紹介。

パラナはサンパウロ州の南部にある州。この2州にブラジルの日系人の9割が暮しています。



6月2日。この日、私より1年先にブラジルに赴任したボランティア3名の送別会に出席。


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「2年間、このブラジルでこのパラナ州で現地の方と暮らしたんだな。」と3人の顔を見て、ひしひしとその日々、その重みが伝わってきました。


帰国ボランティア2名の演奏とともに、皆さんで「ふるさと」「赤とんぼ」を歌ったのですが、ブラジルという土地柄もあってか、切なくて・・・


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

胸に染み渡りました。


私も1年後、あの場所にたって、何を思っているのだろう。と、背筋がピンとなりました!

泣いても笑っても残り1年!!



そう言えば・・・ちょうど1年前、私が赴任したとき、

1年前に赴任したボランティアも一緒に「歓迎会」をしていただきました。


一昨年していなかったので、一緒にしたそうな。

このおおらかさはブラジルのおおらかさですね!


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ブラジルの習慣なのか、日系社会の習慣なのか、わかりませんが結婚式の新郎新婦のように、メインテーブルで食事をいただきます。



そして、その足で帰国するボランティアの1人が赴任していたマウアダセーハという小さい街へ。ここにも日系コロニアがあり、近隣の街に比べて、まだまだ日本語や日本の風習が残っている土地です。


大自然を堪能すべく山登り!


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といっても、夕方近くになっていたので、車で連れって行っていただきました。

連れて行ったくださったのは1世のKさん。


東京育ちのKさんはお父さんがどうしても広大な大地で暮らしたい!という強い希望から、望んでいなかったけれども、ついてきたそうだ。


東京の大都会から、この大自然に移り住んだKさん。

今ではKブランドとして、この地域で有名な卵を生産している。


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頂上に到着。


ただただ、壮大な景色に言葉を失う。

圧巻!!


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自然の前では人間はちっぽけですな。

そして、ここパラナが地元になっていることを発見!


ー1年、確かにここで暮らしたという実感ー


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そして、日本人会の会長Kさんと帰国するEさん。

この2年間をともに、日系社会のために尽力してきたお二人。




とってもいいお顔をしていました。

そして、かっこいい!!



素直に「いいなあ。」と思う。

自分も来年、帰るとき、そんな表情で帰国日を迎えたいなと切に思います!!!!

ーさとんのばあちゃんがね「里美はよその国に行ってる」と話をしたみたいー


これはつい今しがた、宮崎に住む幼馴染Mちゃんからのメールの一文である。

*「さとん」とは私の高校生までのあだ名である。


もう久しく、会っていない彼女だが、幼少時から色々な事をして遊んでいた。

高校からは別々だったが、故郷を離れた大学時代に、ばったり私のアルバイト先で、会ってから、会っていないが、たまにメールをくれる彼女。


彼女のメールを読んで、涙が溢れ出た・・・


うちのばあちゃんとMちゃんのばあちゃんが、デイケアで一緒になっているそうで、その時、うちのばあちゃんが、Mちゃんのばあちゃんに話したそうだ。


91歳のばあちゃんにとって「よその国」に行っている私のことを心底心配してくれてるし、応援してくれている。


ばあちゃんにとって、その「よその国」はどのくらい遠くて、どんな風景なのだろう。


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・同い年の姉とばあちゃん。

私のシリア土産のスカーフを巻き、afternoonteaのバックを使いこなすハイカラなばあちゃん。



家の裏の畑には季節の野菜を植え、更にお茶の木も育てて自ら摘み取り、煎って緑茶も作っていたばあちゃん。(全くの家庭菜園です)



家には柿の木、柚の木、ざくろの木、椿、梅の花、紫陽花などなど、色々な木があり、まさに自然のものと一緒に育ってきた。お風呂にゆずを入れたりしてたな。


今でも野菜を作り、梅を漬けている。


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・霧島連山。世をお騒がせした新燃岳は右側。


シリアに行った時も、インドネシアに行ったときも、日本にいるときでも、今でも

いつでも、私の安全と健康と平和を祈ってくれている。


おばの話によると、私が、中東に行ってからは至極、中東の地理に強くなったそうで、ニュースで中東諸国が出ると、即、反応していたらしい。


そういえば、中学3年生の夏休みに「アメリカにホームステイに行きたい!」という私を応援してくれ、笑顔で送り出し、笑顔で迎えてくれたばあちゃん。


今、思えば、ばあちゃんにとっては敵対国アメリカに行きたいと孫に言われたのにも拘らず、応援してくれたばあちゃん。


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・地元の神社「東霧島神社」


2,3週間に一回は電話しているが、受話器の向こうから私の声を聞いて、全身で喜んでいるばあちゃんの姿が目に浮かぶ。


さっきもMちゃんのメールを読んで、即電話したが、元気そうでよかった!

そういえば、姉のメールに「里美の帰りを待ち侘びています」という一節があり、嗚咽した今年のお正月。


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「健康こそ宝。体(心身)が一番大事。」と小さい時から、言い聞かせてくれたばあちゃん。


私の原点であるばあちゃん。

私が「詩」が好きなのはばあちゃんの影響である。


宮沢賢治の詩は暗記するまで聞かせてくれたし、玄関に「雨ニモマケズ」の1節の書かれたものも掛けてあったし、あとは野口英世の「至誠」という書も。あと、二宮金次郎をはじめ、「修身」の教えを聞かせてくれた。


とにかく、健康で帰国しなければ!!


何より、

「何かばあちゃんに用事があればなんでも言ってね。」と言ってくれたMちゃんの優しさが身に沁みて、涙が倍増した。


そして、

「私たちが30代に突入ということは、お互いのばあちゃん達もそれなりに歳を取るよね~。」


当に、諸行無常の響きあり。



Mちゃん、ありがとう!!

この場を借りて、心から御礼を言います!!



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神話の里、宮崎。

今、思えば、生活のあちこちに神話のかおり、してました。


ふる里に感謝。




今月初めに、パラナ州の州都クリチバに出張で出かけてきました。

11時の夜行バスに揺られ、朝6時に到着。

もう、すっかり長距離移動に慣れてきました。



久しぶりに、田舎暮らしをしておりますが、たまに、都会の空気も吸いたくなります。

この日は、たんと都会の空気を吸い込もうと気合を入れて、クリチバ入り。


☆この「たんと」という日本語について。

tanto というポルトガル語も「たくさん」という意味であり、

日本にポルトガル人やってきたと同時に幾つかのポルトガル語も入りました。


例えば、てんぷら、こんぺいとう、かるた、びょうぶ、かっぱ。

「たんと」もそうかもしれませぬ。(きちんと調べます。)




到着早々、約束の時間まで時間 あったので、市営マーケットを覗くことに。



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きれいに陳列された果物。野菜。ヨーロッパのどこかの市場に似てますね。
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そして、我ら日本も負けておりません。



「これでもか!」という程の日本食品の数々!!
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トロピカル巻寿司!
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両脇、全て日系のお店。
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そして、ブラジルといえば、コーヒー。
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こういう喫茶店も任地にはないので、大興奮!!



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市場を出て、駅舎を利用したショッピングモールに


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汽車も残っています。
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いざ領事館へ!



諸用も終わり、ずーっと行きたいと思っていた「オスカーネイマイヤー美術館」へ。

オスカーネイマイヤーはブラジルを代表する建築家。



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若かりし頃のオスカー。現在、97歳くらい。


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ブラジルの美術館は大抵、どこでも、フラッシュたかなければ、撮影可。


有名な「目」の形をした別館。
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夜になると、ライトアップされる。


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計画都市クリチバ名物のチューブ型のバス停。


感嘆のため息を漏らしながら、文化に触れたクリチバ出張でありました!!




この日、何よりの収穫は私より1年先にブラジルに赴任したボランティアのEさんと

バスターミナルでコーヒーを飲んだ時のこと。



私がブラジルに来てから、胸に抱いていた色々なことをEさんと話して、クリアになったこと。

共感できたこと、かなり、大きいです。


やっぱり、人生の必要な瞬間に必要な人やことばと出会うものなんですね。



Eさん、ありがとうございました!!


そして、また夜行バスにゆられて、コルネリオプロコピオへの帰途についたのでした。




さあ、行事、催し物が続く6月!!


ざっと振り返ってみます。

(忘れぬよう、書きおきます。)


・てんぷらうどん作り


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・総領事との日本語教育意見交換会。ちょこっとクリチバ観光。


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・今月、帰国するパラナ先輩ボランティアの送別会。そして、山登り。改めて、パラナ、好きになりました。


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・日本祭り。(同期のSさんの活動に同行。折り紙、書道。祭りダンス。いろんな人と触れ合いました!何よりSさんの真摯な姿勢!勉強させていただきました。)


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・日本の高校生とのビデオレター交換、スカイプでの交流会。(インターネット出前講座。JICAで働く友人のおかげで実施できました!!新しい挑戦。そして、実に学びの多い経験となりました。生徒にとっても!)


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・カラオケ大会(朝6時に出発、帰宅の途についたのは夜の9時。「流行歌大会」)


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・シニアボランティア蓑輪さんによる太鼓教室(子供たちにとっても、親御さんにとっても、日本人会全体にとって、貴重な経験となりました!!)




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・すきやき会&太鼓の発表会。(先程、終わって、帰ってきました。感無量で胸いっぱいです!!)


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

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最後に日本から最近帰ってきた方といろいろお話したのですが、またいろいろと考えさせられることがありましたし、ブラジルにきたこと、この決断、間違いじゃなかったと確信しました!)


上の行事も一つ一つ、実に濃厚で、書ききれません!が、少しずつ、書いていこうと思っております。


これから、少しずつ、御紹介してまいります。


こう振り返ってみると、いろいろな方の支えあってこその、毎日であること、改めて、痛感しております。

ありがたや!!感謝感謝です!!


以上、今後の予告でした。


徐々にUPしてゆきます故、何卒、お付き合いの程、お願い申し上げます!!





6月18日は「海外移住の日」。


1908年(明治41年)日本からの本格的な海外移住の第一陣781人を乗せた笠戸丸が、ブラジルのサントス港 に到着した日なのです。


毎年、この日、ブラジルの日系社会では開拓先没者慰霊祭が行われています。


先週、パラナ州の慰霊祭に参列してまいりました。パラナ州はサンパウロ州に続いて、日系人の多い州で、この2つの州に日系人の90%が暮らしています。



この日、隣町の文協の会長Sさん 夫妻に車に乗せていただき、約1時間20分の旅。

道中、いろいろなお話を聞かせていただきました。


3世のご主人。2世の奥様。子供の頃から、今まで日本式で暮らしてきたそうで、お味噌や漬物、お団子など、すべて、奥様が作られている。




農業一筋でこれまで生きてこられたお二人。お二人で力を合わせて、今日まで来られたんだろうなあと、心が温まった1時間20分の旅。




人の生き様って顔に、雰囲気に現れますね(痛感)






そして、パラナ移民の聖地ローランジャに到着。


式典まで時間があるので、敷地内を散策することに。




先ずは、神社を発見!


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
これだけ、見ると、日本みたいですね。


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そして、初期移民たちが暮らした家(バラック小屋)の中に。


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中に入ると、先ずは・・・


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やっぱり出ました!!



日本人の心の拠り所!!



天皇御一家!!




今になって、92歳になるばあちゃんが、天皇御一家を見ては、とてつもなく喜んでいた姿や、涙を出していたこと、理解できます。


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そして、二宮金次郎の絵。(写真下)


(これ「修身」の一節。二宮金次郎の話もばあちゃんがよく聞かせてくれてました。・・・「修身」とは戦前の日本の教育にあった科目)





そして教育勅語。(写真右上)


どんな環境に置かれても、教育を守った先人たち。


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お風呂!


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仏壇も海をわたってきたのですね。






そして資料館に。

在クリチバ総領事と記念撮影。
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若かりし頃の皇太子様もいらっしゃたそうです!


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皇太子さまを待つ観衆。



とすっかり移民の暮らしにワープしてしまいました。







そして、慰霊祭開始。



荘厳な雰囲気の中、しめやかに行われました。
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やっぱり、和太鼓の音(ね)、よかですね・・・(しみじみ)

胸に染み渡ります。




先人たちの生き様に触れた一日となりました。


やっぱり、忘れてはなりませぬ、先人たちの心。







ブラジルの南部にあるパラナ州。


すっかり寒くなってまいりました。



セーター、マフラー、ストーブ。



まさか、ブラジルで使わないだろうと思っていたもの、使ってます。




そして、風邪・・・



健康でありたいものですね。

母の日の昼食会、当日。


午前は太鼓のリハーサルと児童・生徒の発表のリハーサル!


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

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法被と老人クラブで作ったお花を手に、歌います!


子どもより、大人のほうが緊張するのは何故でせうか。


いよいよ本番!


まずはコルネリオプロコピオ太鼓クラブの発足から指導してくれているバンデランティス市闘魂太鼓の発表。


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いや~、太鼓の音が鳴り響き、皆さんの心をぐっと掴みます!

ここでも同郷宮崎出身の和太鼓指導シニアボランティアの蓑輪さん作曲の「さくら」を披露。


すごい!しっかり、蓑輪さんの心が染み渡っている(涙)!

ブラジルで聞く篠笛、さらに哀愁を誘います。


そして、日本語学校生徒による発表。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

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年少チーム。ただ、壇上にあがってくれるだけで、会場を和ませる!恐るべし、子どもパワー!


しっかり、日本語でお母さんへのメッセージも伝えました!!


そして、初の太鼓の発表!!



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ものすごい拍手を受けながら、整列、礼「よろしくおねがいします!」


小さい子どもは間違って「ありがとうございました!」と言ってしまいましたが、すぐに「よろしくお願いします!」と切り替えました。すばらしい。



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まだ、衣装はないので、服は黒で統一し、日本人会の法被を借りての晴れ舞台。


私も一緒にたたきましたが、23名、みんなの心が一つになっていくのをひしひしと感じました。

もう、年齢も関係ないな。


もう、ただただ必死!


最後に「ありがどうございました!!」

と深々と頭を下げた子供たち。何だか、一回り、成長したように思います。


そして、母の日のプレンゼントが配られ、お母さんたちに感謝の意味をこめて、 「Parabéns a você( Happy Birthday)♪」の大合唱。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
最年長、89歳のCさんによるケーキ入刀。今、老人クラブにも参加してくださっています。

沖縄移民2世のCさん。縫い物をされていて、私も誕生日や引越しのときに素敵な刺繍が入ったタオルをいただきました。


太鼓もきっと、最高のプレゼントになったと思います!!


やはり、日本人会あっての日本語学校。


日系社会を活性化するための日本語教育。

いよいよ残り1年1か月となりました。




ブラジルの母の日は「お母さんありがとう!」ではなく、こう言う。


「お母さん、おめでとう!」


日本語だったからか、最初違和感を覚えたが(否定している訳ではなく、初めて聞く響きだったため)、ブラジルの中の日系社会であることを痛感。



母の日、本番に先駆け、5月6日(日)に私の働く日系人団体ACEPで母の日の昼食会が行われた。日本ではちょうどこどもの日ということもあり「母の日・こどもの日昼食会」となった。


この日のために私の関る日本語学校、老人クラブ、太鼓クラブでは1週間、準備!


☆老人クラブ

こどもの日の贈り物として、折り紙でこいのぼりの飾りを作成。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

☆日本語学校

壇上に飾る「お母さんありがとう!」のメッセージと巨大鯉のぼり、お花づくり。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

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取り付け、会場設営はお母さん、お父さん方。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
わが子達の作品を真剣に飾るため。熱く話し合う!
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
いざ、貼り付け。
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
私も手伝う。
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

皆さん、納得のご様子。

「おかあさん、ありがとう」と大文字で書いたのだが、白いとこには実は生徒が銘銘にお母さんへのメッセージを書いていた。それを発見して感動するお母さん達!
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
無事に取り付け完成!子ども達作成のこいのぼりも泳ぎ始めた。


☆太鼓クラブ


3月に発足した太鼓クラブ。発の発表を行うべく、猛練習!!


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
みんなと一緒に太鼓を始めたHくん(左)はリーダーに自ら立候補し、指導もしている!

右は近隣の街の太鼓クラブの青年。週に1回、教えに来てくれている。


金曜日・土曜日と5時間ずつ練習!

舞台の立ち方、並び方、あいさつの仕方、全て一通り、練習。


同僚のMさんも来てくださり、最後の仕上げ。

先生はスポーツマンでいらして、「師匠、ついていきます!!」と思わず、

言ってしまうほど、かっこよく、魅力を持っている方で、子どもたちもブラジルの学校では経験できない、集団で何かをする、あいさつ・礼をあわせてやる、声を出す等々。

初めての経験に最初は戸惑っていた子どもたちも、どんどん引き込まれていた。


そんなとこから「日本」を知ってもらえたらなと切に思う。


ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
「私は日本人だから、日本語を勉強しないといけない。」と先日の会話テストで話していたHくん。

この世代(4.5世)にしてはめずらしい。

5月4日のこの日、晴れて17歳になりました。

おめでとう!!


会場準備してた会の方々と太鼓クラブのみんなで「Parabénce a você~♪(Happy Birathday)」の大合唱!


この日、会館を出たのは23時をまわっており・・・


皆様、本当にお疲れまでございます!!


さ、いよいよ本番です!!

そんなこんなで世代を超えて、一つの行事を作り上げることの素晴らしい経験をここ、ブラジルでさせていただいております。

本日の文字クラスにて。



*文字クラスの生徒さんは平均年齢は67歳(推定)。50代の方がいらっしゃるので、平均年齢が若くなっています。

2.3世の皆様で、子どものときは日本語で育った皆様。


しかし、戦争中~戦後に幼少期を送られた皆様。ブラジルでは日本語の勉強が禁止されていたため、したくてもできなかったという経緯がある


日本語とポルトガル語を操る。普段は、ポルトガル語で日常生活を送っていらっしゃる。

それから下の世代は日本語が話せないため。家族とのコミュニケーションはもはやポルトガル語。



まさに「一般的に継承語は3世代で消滅する。」ということばを実感する。



授業の始めに、沖縄移民2.5世(おじいちゃんが子どものときに来た)のKさんが、一枚の紙切れを見せて、


「先生、この漢字、何て読むの?」とおっしゃった。



紙を見ると、


「伊達○○」


と、書いてある。


Kさん「うちのばあちゃんはいだちって。でも誰かわからんのよねえ」


私「ああ、これ、だてさんですね。」


Kさん「ああ、だてさん!!」


と、喜んでくださった。


伊達の漢字の横にidachiと書いてあった。


『確かにidachiって読むよなあ。』とそのアルファベットが感慨深かった。



それから、1時間半、みっちり、漢字をやって、色々な話で盛り上がり、授業が終わった。

またKさんが私のとこにきてくださり、



「お葬式のときの、香典に書いてあったけど、誰かわからんくて。もう4年も。」



4年。


どうやら、ご主人のお葬式のときだったそうで。


何だか、胸から熱いものがこみあげてきた・・・


-4年。ご主人のお葬式。-


そして、日本語をいっしょうけんめい、勉強されるKさん。


何だか、Kさんの喜んだお顔を見ただけで、ブラジルにコルネリオに来て、よかったと心底思った。日本語知っててよかった!とすら思った。


やっぱり、この時分に日本から来る1世の役割は確かにある。


それをしみじみと感じたのでありました。


ちなみに、日系社会内でも沖縄移民は「琉球方言」を話していたため、差別を受けたそうだ。


今日、「伊達さん」が判明して、顔がほころんだKさんの彫りの深い顔にはしっかりと、沖縄の血が流れている。


テレビ、ラジオが普及する前は所謂、標準語を耳にすることも話すこともなかったわけで。


いまや、メディアの普及とともに、標準語を理解する(話せる*全員が話すわけではないので)ようになったが、それでお国ことばが消えていくのもさびしい。一方、やはり異質のものに対する差別があったわけで。


そうやって、言語政策も変遷し、今にいたる。



今後、どんな方向に持っていくべきか、考える上で、過去の事実をしっかりと見つめないといけない。

「ことば」に関る仕事をする者として、生きるものとして、しっかり胸に刻みました。




☆サンパウロにて。ブラジルの歴史に触れたある日。


ブラジルに奴隷とした連れて来られたアフリカ人の歴史をつづる博物館に。
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
そして、ブラジルがポルトガルから独立を宣言した公園と博物館に。
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)
煌々と燃える独立の火。
ことばでひろがる和・輪(ブラジル編)

ブラジルの歴史も知らねば!