こんにちは、親のためのオンラインサロン「不登校の先にあるもの」主宰さとさんこと高島です。
10年前までは、本当にしょっちゅうイライラしていたなーって。
だから、すぐに怒る人でした。
特に弱い立場の人にね。
こうやって、振り返るとほんと最低な部類の人間だったな、わし。
イライラする人は鏡
さとさんがイライラしていた人
・自分の意見を言わない人
・目的と関係ないことをやる人
・仕事に関係のない話をしてくる人(職場において)
・雑な人
なんか、書いて分かったけど、自分の周りにいるほとんどの人にイライラしてたのかもしれない。
むしろ、周りが一般的で、わしが変わっているパターンだったのかな。
イライラする人は鏡
これを聞いた時に、まず出てきた言葉。
はぁっ
怒った反応だったな(笑)
その人の行動を見て、イライラしているのは私。
その人のせいでイライラしていると思っていたけど、その行動を見て「私」の何かに引っかかって、もしくは地雷を踏んでイライラしている。
地雷はイライラさせる人が踏むのではなくて、イライラさせる人を見て「私」が踏んでいる。
なるほどーって、なったなー。
例えば、「自分の意見を言わない人」。
自分の意見を言うことが、コミュニケーションにとっていいに決まっていると思っていた。
でも、違うってことを知った。
自分の意見より、周りの意見に合わせることが当たり前の人もいる。
自分意見を言うのに、よくよく考えてから伝える人もいるので、時間のかかる人もいる。
その両方にイライラしていた。
意見はすぐに言うってのが、さとさんは「正しい」って思ってたんだ。
意見はぶつけあうことが、一番いいと思ってた。
そうするべきだって。
なぜに、そう思う大人になったのか…ってところが、また奥深い世界になる。
私の幼少期からの育ちや家庭の環境、学校でのコミュケーションとか、複雑に絡み合って、「べき」が構成される。
細かく書くと膨大な文章になっちゃうので、とっても簡単に書くと、「甘えたい」という気持ちを小さい私は我慢していた。
だけど、子どもの行動って、甘えたいを我慢していても甘えた行動をしていると思うんだけどね。
でも、私の気持ちとして我慢していた。
だから、甘えた行動をとったらいけないと思ってるし、甘えた行動を見ると腹が立つ。
だけど、実際のさとさんの行動を小さい頃から今の今まで追いかけると、とても甘えた行動をしてきているのも事実。
「甘える」というキーワードが、人生に大きく覆いかぶさってる感じだ。
「甘える」から「自分のことは自分で」ってのも、書いていて芋づる式に出てきた言葉。
引っかかるんだなー、そういうのが。
気づくと変わる
面白いもので、このことに気づいて、じゃそれを変えようとしないのがさらに面白いところでね。
甘えない自分になるとか、意気込まなくていい。
そんな自分がいることを、静かに眺めて、少しずつ受け入れていく。
受け入れていく過程では、いっぱい学んだよ。
腑に落ちたと思ったら、全然わけわからなくなったり、また急に腑に落ちたりの繰り返しだったな。
そうやってゆっくり時間をかけて、それこそ気づいたら変わっている自分を見つけることになる。
怒ることが激減した。
甘えたい自分を否定しなくなると、他の人に対しても否定をしなくてよくなる。
その人は、そうなんだなって。
自分の周りに境界線を引くことができるようになったんだな。
さてさて、今晩はみょんさとライブです。
facebookライブで配信です。