前の記事では、伝説の柔道家、木村政彦の生涯を追ったルポルタージュ『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』について書いた。

戦前には間違いなく柔道家の頂点に君臨し、ひょっとすると格闘家の頂点であったかも知れない木村政彦は、戦後のプロレスで汚名を着せられ、表舞台から姿を消した。

頂に達した人間は、永遠にそこにいることはできない。
どうしたって年齢による衰えや死、世代交代には抗えないからだ。

それでも、本作でも言われている通り、頂から自分の足で、ゆっくりと降りることができるならどんなにいいだろうか。
木村政彦にはそれが許されなかった。頂から、奈落の底へと一気に落とされた。

 

 

木村政彦とは違って、頂からゆっくりと降りることができた人物が描かれる小説がある。

かの一刀流開祖、伊藤一刀斎を描いた好村兼一先生の『伊藤一刀斎』(徳間文庫(2015))という作品がまさにそれだ(文庫は上下巻に分かれている)。

伊藤一刀斎の生年は正確にはわかっていない。
戸籍制度は近代以降の発明であり、歴史的な剣豪とはいえ由緒のある出自ではなかったのだから当然だ。

本作では、1570年の時点で20歳として描かれる。
歴史の教科書で言うところの戦国時代真っ只中に青年時代を送っているのだ。
生年に諸説あるにしても大きくはずれていないだろう。

20歳の時に故郷である伊豆大島を飛び出し、三嶋神社の神官となった青年、弥五郎は剣術を極めるために廻国修行に出、数々の死闘を経験すると共に鐘捲自斎、富田勢源ら先達の剣豪の下で修業を重ねる。
そして天下一の剣豪、伊藤一刀斎と名乗るようになり、後世まで聞こえた一刀流の開祖となる。

 

 

本作において重要なのは、弟子の小野善鬼と神子上典膳との出会いだ。

小野善鬼も歴史上謎の多い人物で、伊藤一刀斎を殺す機会を伺うために共に旅をしたとか、一刀流の継承を巡って神子上典膳と戦い、討たれたという説があるが、本作においては違う。

伊藤一刀斎、小野善鬼は師弟であると同時に盟友として共に旅をし、神子上典膳という得難い後継者を見付ける。
二人は神子上典膳の育成に励む一方、伊藤一刀斎は自らの加齢による衰えを小野善鬼に打ち明ける。
小野善鬼は伊藤一刀斎のために一肌脱ぎ、彼が頂からゆっくりと降りることができるよう計らうのだった。

過去の記事でも触れたが、歴史上の謎を人間関係で説明するのが好村先生特有の描き方だ。
本作においては小野善鬼の人となりや伊藤一刀斎との関係性が友情として語られる。
 

 

また本作では伊藤一刀斎が富士山を見る場面が度々登場する。
故郷の伊豆大島から眺めては憧れ、廻国修行の最中に眺めて改めてその偉大さを思い知り、最後には富士山の側から伊豆大島を眺めることになる。

富士山との距離感は、その時々の伊藤一刀斎の想いや、剣豪としての到達点のメタファーだ。
名を成すこと、天下一の剣豪になることが単なる憧れから具体的な目標に変わり、それに近付くことによって尚更そこに達するまでの道の遠さ、険しさを痛感する。
伊藤一刀斎が富士山の側に立つことこそ、彼が天下一の剣豪になった証左だ。

「富士山を見る」視点が、最後は「富士山から見る」視点に変わる。
この視点の切り替わりは、ディズニー映画の『アナと雪の女王2』におけるエルザと重なる。
エルザは謎の声に導かれるまま一歩踏み出すが、振り返ればそれは内なる自分の声だったのだ(アナ雪、特にこの点についての解説はTBSラジオ「アトロク」2020年5月14日放送回に詳しい)。
 

 

伊藤一刀斎の正統後継者となった神子上典膳は、後に小野忠明と名乗るようになり、徳川将軍家二代目の秀忠の剣術指南役となる。

そのあたりの経緯は月村了衛先生の『神子上典膳』(講談社文庫(2015))にも描かれている。
神子上典膳や小野善鬼の人物像は好村先生の作品とは異なるが、月村先生の処女作として、後の作品にも見られる要素の嚆矢や、一刀流における極意の一つ「夢想剣」、他の小説にはあまりないロック・クライミング描写が見られ、こちらも面白い。
 

 

伊藤一刀斎から神子上典膳が受け継ぎ、神子上典膳が小野忠明と名乗って後に伝えた一刀流は、後に小野派一刀流と呼ばれることになる。

小野派一刀流は現代において我々が知るところの「剣道」の源流の一つになるのだが、それについては次の記事でまとめたい。

前の記事では、明治以前の武術から離れた武道として柔道と空手が成立する様について、今野敏先生の小説でどのように描かれるかについて書いた。
また、実在の人物であり柔道の創始者である嘉納治五郎実際が思い描いた理想の柔道は現在のそれとは異なり、総合格闘技的な性格の武道であったことも。

 

 

記事の最後で少し触れたが、そんな柔道がもし成立していたら、という「歴史のif」を体現した木村政彦という柔道家が実在した。

木村政彦について筆者が知ったのは、「今野敏ユニバース」の一連の小説を読んだ後、知人の推薦で増田俊也著の『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』(新潮文庫(2014))を読んだことによる。
その生涯は先述の通り歴史のifの体現であり、今野敏ユニバース作品の後日談としても読める。

 

 

 

本作は極めて丹念な取材を基にした非常に長いルポルタージュだ。
ハードカバーは鈍器レベルの重量と厚さがある上に、「なぜ力道山を殺さなかったのか」という物騒極まりないタイトルをブックカバーで隠すことができないため、持ち運びにも通勤電車で読むのにも向かない。
そのため筆者が読んだのは上下巻に分かれた文庫版だ。

文庫版でも内容の重さは変わらない。
柔道の成立と変遷、ブラジリアン柔術やプロレスの歴史まで話が及ぶが、一切余計な部分はない。
それらすべてが木村政彦の生涯や人物の持つ意味、そしてタイトルにある「なぜ力道山を殺さなかったのか」という問いの意味と答えを解き明かすのに必要だからだ。

 

 

本作によれば、木村政彦は1917年生まれの柔道家で、戦前には全日本選士権3連覇、天覧試合制覇など数々の偉業を成し遂げ、「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」とまで謳われる。

戦後は戦いの舞台をプロレスに移し、1957年、37歳の時に「昭和の巌流島決戦」と呼ばれる一大イベントで力道山に敗れる。
事前の取り決めでは試合は引き分けにすることになっていたが、力道山が無視したためだ。

ちなみに最近の研究では、宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島決戦も正々堂々の勝負ではなく、宮本武蔵が佐々木小次郎を嵌めたのだという説がある。
過去の記事にも載せた好村兼一『行くのか武蔵』角川学芸出版(2010)ではそちらの説に基づく決戦が描かれ、そこが物語の大きなターニングポイントになっている。
巌流島に謀略はつきものなのか。

 

 

戦後の日本国民にとってプロレスは数少ない娯楽で、試合の中継の視聴率は事実上100%。
取り決めの存在は誰にも知られておらず、木村政彦は真剣勝負で無残な敗北を喫したと全国民が受け止めた。

それどころか、力道山は取り決めの存在について、さも木村政彦が八百長をしかけたかのように喧伝した。
そもそもプロレスの試合結果が事前に取り決められるという現在の常識は当時にあっては常識ではなく、また取り決めの存在がプロレスの価値を減ずるものでは断じてないという意識が形成されるほど格闘技観も成熟していなかったため、木村政彦はバッシングに晒されることもなった。

伝説の柔道家は「敗者」「卑怯者」というあまりに似つかわしくない汚名を着せられ、表舞台から姿を消すことになる。
そんな屈辱を受けてもなぜ力道山を殺さなかったのか(犯罪だから、という単純な話では決してない)、という疑問が本作の出発点であり、最後には見事な回答が与えられる。

 

 

本作では、豊富なデータを基に木村政彦が戦前日本において最強の柔道家であったことが立証されている。
強さの背景には、柔道を文字通りの真剣勝負と考え、負ければ腹を切るという覚悟までしていた(それを裏付ける恐ろしいエピソードも多々ある)という、「鬼の木村」の異名に相応しい常軌を逸したストイックさにあった。
それは質量共に他を圧倒する練習に直結する。

柔道の立ち技、寝技、関節技すべての稽古に加え、松涛館などで古流の空手を修めるなど、異種格闘技の研究と対策にも余念がなかったという。

前の記事では、小説の中で嘉納治五郎が空手の伝道者である船越義珍の演武を観覧し、柔道の打撃技術向上のため「空手部門」の指導を打診するも断られるという一節を記したが、本作を読むとそれが小説上の創作ではなく事実であったことがわかる。
嘉納治五郎は実際に打撃技術も含めた総合格闘技としての柔道を理想としていたのだ。

嘉納治五郎の打診を断った船越義珍が東京で開いた道場こそ、木村政彦が修行した松涛館である。

つまり、嘉納治五郎の理想は、木村政彦という柔道家の個人レベルでは完成されたのだ。感動を禁じ得ない。

残念でならないのは、戦後日本ではプロ格闘技として生計を立てることができるのはプロレスくらいしかなく、木村政彦が持てる力を最大限発揮できる総合格闘技という受け皿がなかったことだ。
もしあれば、という歴史のifをここでも感じてしまう。

一方で、目の上のたん瘤であった木村政彦に勝利した力道山はプロレス界、格闘界どころか、戦後日本を代表するスターとして教科書にも掲載されるほど、現在に至るまで木村政彦とは比較にならないほどの知名度を持っている。
ここに、もう一つの、そしてより大きな歴史のifを感じる。

本作で浮かび上がるのは、圧倒的強さ故に強さをわざわざ証明する必要性も感じず、何物にも頓着しない木村政彦と、出世欲が強く権謀術数に長けた力道山という対照的な人物像だ。

山崎貴監督映画の『ALWAYS 三丁目の夕日』が最たる例だと思うが、エンタメ作品では戦後の復興は基本的に美談として描かれる。
焦土と化した国を、勤勉な日本国民が我慢と努力で立て直す、力道山はそんな日本国民を勇気付けるスターであると。

しかし、実際の歴史はそんなにきれいなものではない。
冷戦の勃発により、東アジアにおけるパワーバランスの維持のため、アメリカを筆頭に西側諸国が「同盟国」としての日本の復興を急いだという国際政治力学、米ソの代理戦争の意味合いも持つ朝鮮戦争による特需を受けるなど、戦災復興と経済発展に邁進できる環境下にあったことは見逃せない。
またその裏では戦前の政財界人の復権や、右翼の暗躍があったこともだ。
そして、政財界や右翼の大物こそ、力道山が積極的に人脈を作ろうとした人々だった。

 

 

つまり、もし仮に力道山ではなく木村政彦が勝利し国民的スターとなる戦後日本があったとしたら、それは『ALWAYS』で描かれるような美しい戦後日本とも、現在と地続きになっている戦後日本とも、あり方が根本的に違っていたと思うのだ。
それがどのような違いなのかは歴史のifなので誰にもわからないし、ましてどちらがよかったかというのは立場や考え方によるので何とも言えない。
ただ、見てみたい気がするのは確かである。

今野敏先生は、筆者が最も敬愛する小説家だ。

数年前に出張先で仕事の関係者の本棚から帰りの道中のお供として本を一冊もらえることになり、数多のジャンルの中から偶然に近い形で今野先生の『特殊防諜班-標的反撃-』(講談社文庫(2009))という作品を手に取ったのがきっかけだ。

研究上の必要性があった大学時代を除いて、筆者は全くと言っていいほど読書の習慣がなかった上に、当時は今野先生の名前も聞いたことがなかったが、本作はホテルに戻って読み始めたら止まらなくなり、結局帰りの道中のお供とするどころかもらった日のうちに読み終えてしまった。

今にして思えば副題で気付いてもよさそうだが、当時の筆者は最後まで読んで本作がシリーズものの三作目だったということにようやく気付き、即座に地元の図書館のサイトで過去二作を予約。
それ以来、今野先生の作品はほとんどすべて読んだばかりか、他の作家の小説や、小説以外の様々なジャンルの本も読む習慣ができ、今では読書が生活の糧の一つになっている。
まさに人生を変えられたと言っても過言ではない。

 

 

今野先生の作品は本当に読み始めると止まらなくなる。
それは個々の作品やシリーズが面白いからというだけではなく、通底するユニバース、世界観があるからだと思う。

ここ十年ほどでは、Marvel Cinematic Universe(MCU)、つまり、様々なスーパーヒーローが同一世界に存在し、互いの作品を行き来したり、一堂に会して共通の敵と戦ったりするマーベル・スタジオの映画群やドラマシリーズが一大コンテンツと化している。

今野先生は1987年のデビュー以来、ざっと数えただけでも200以上の作品、30以上のシリーズを手掛けているが、MCUにおけるニック・フューリーやコールソン同様、主人公ではないものの多くの作品に登場する共通のキャラクターが存在する。

わかり易い例として、警視庁捜査一課の田端課長はいくつもの警察小説シリーズに登場して管理職として活躍する。中でも『パラレル』(中央公論新社(2006))は、三つのシリーズと一つの単体作品の主人公達が集合するまさしくアベンジャーズ的な作品だが、警察官も民間人も含む多様で癖のある面々を束ねるのが田端課長だ。

 
 

 

 

また、切れ者の官僚である陣内平吉という名脇役が暗躍する作品の中でも、とりわけ『内調特命班』シリーズと『聖拳伝説』シリーズは、詳述は避けるがある意味で完全に表裏を成していて面白い。

 

 

 

他にも、大なり小なり登場人物達が作品間を行き来したりやコラボレーションしたりすることが多く、それらを線で繋ぐとほとんどのシリーズ、作品が繋がる。
それ以上に、「日本という国がどのようにできて、いつ、どのような人が住んでいたのか」という神話時代から続くテーマが、伝奇小説と呼ばれるものからそうでないものまで、作品によって濃淡こそ違うものの面的な広がりを見せており、筆者は作中の言葉を基にして、これを勝手に「山の民サーガ」と呼んでいる(実は今野先生のサインを何度か頂戴したことがあるが、そのうちの一つには名前の前に「山の民」という言葉を直筆頂いた。ありがたい)。

上述の『特殊防諜班』『内調特命班』『聖拳伝説』のシリーズも含むこの「山の民サーガ」についてもいずれ自分の考察をまとめたいが、本記事における本題はタイトルにある通り「柔道」と「空手」の成立だ。

ファンにとっては常識だが、今野先生は空手の有段者で今野塾という空手団体を主宰し、「最もオリジナルに近い空手を追求」(HPより)しているという凝り様だ。

 

 

作品の中にも武道を扱ったものや、武道家故の感性で書かれた格闘描写が見せ場となるものが多いが、実在の武術家を題材にしたものもあり、それらもユニバース構造を成している。
同時代の日本に実在した武術家を題材にするのだから当然と言えば当然だが、これらに共通するのは実在性以上に「武術を広めることと深めることのジレンマ」というテーマだ。

一作目は武田惣角の生涯を描いた『惣角流浪』(集英社(1997))だ。
武田惣角は江戸時代末期の1859年の会津の生まれで、幼い頃より剣術、槍術、相撲を修め、後に廻国修行して大東流合気柔術の中興の祖と言われるようになった人物。

本作では、1860年生まれで武田惣角と同世代の嘉納治五郎の若き日も描かれる。天神真楊流柔術などを学び、生来の強者が長年に渡る危険な修行を経た上でしか奥義に辿り着けない従来の武術が、明治という新しい時代を迎えた日本では健全な心身の育成のために万人に開かれることを目指した嘉納治五郎は、その意味で武田惣角と対照的な人物と言える。

嘉納治五郎は明治日本における体育教育の第一人者となり、現在では世界的なスポーツにもなっている「柔道」の創始者として、武術界はともかくとして一般社会においては武田惣角を遥かに凌ぐ有名人だ。

 

 

そんな嘉納治五郎の生涯は、彼に見出され、彼が開いた道場である講道館(現在も柔道の総本山)の四天王と謳われた西郷四郎を主人公とする『山嵐』(集英社文庫(2008))にも見ることができる。

本作において西郷四郎は稽古で武田惣角と立ち会う。
武田惣角は幼い頃からの修行の結果、様々な武術を身に付け、現代で言うところの総合格闘家になっていた。
立ち合いの結果、武田惣角は投げ技専門の西郷四郎を圧倒し、当て身(打撃)の修練や対策がない講道館の柔道が今後、パワーに頼る投げ合いになることを予感して憂慮する。

 

 

しかし、嘉納治五郎が本来目指した柔道はそんなに単純なものではないということは、『義珍の拳』(集英社文庫(2009))を読むとわかる。
本作は空手の創始者の一人である船越義珍の物語だ。

現在「空手」と呼ばれるものは、明治以前は「手(てぃ)」、「唐手(とぅでぃ)」という武術であり、沖縄(琉球王国)においてのみ伝わり、しかも現在の空手とは大分様相を異にしていた。
それは試合として競技化されておらず、父から子へ、師から弟子へ「型」を通してひっそりと伝えられるものだったのだ。
1868年に生まれた船越義珍は、武田惣角や嘉納治五郎よりは少し年下で、むしろ1866年生まれの西郷四郎と同世代だ。

虚弱だった幼少期から唐手を通して心身を鍛え、1922年には東京で演武する機会を得る。
それは琉球の秘術であり、長きに渡って被支配の歴史を歩んできた琉球の誇りでもある唐手が、初めて本土に上陸しその目に触れる晴れ舞台であった。
琉球古来の「手」や中国から伝わった技術というニュアンスを持つ「唐手」という言葉が「空手」と表記されるようになったのは、船越義珍を含む伝道者らによる全国普及の過程における意図的な産物だ。

作中では、演武を観覧した嘉納治五郎が船越義珍に対し、柔道の打撃技術向上のため「空手部門」の指導を打診するが、船越義珍はこれを断るという場面が描かれる。
空手を柔道の一部門ではなく、柔道や剣道と並び称される「武道」にしたいという切なる思い故だった。
その結果柔道は、嘉納治五郎が目指したような、打撃の技術も含む総合格闘技的な性格の獲得には至らなかった一方で、船越義珍の切なる思いが時を経て見事に結実したことは、現代を生きる我々の目には疑いようもない。

 

 

船越義珍と同郷、同世代の空手家の一人が、『武士猿』(集英社(2009))の主人公、本部朝基(1870年生まれ)だ。
作中では生真面目な船越義珍と対照的に描かれ、夜な夜な辻に繰り出しては相手を見付け、「掛試(かきだみし)」と呼ばれる実戦稽古を繰り返す。
生来のすばしっこさと、そんな素行から付けられたあだ名が「猿(ざーる)」だ。

しかし、決して唐手における「型」を軽視していた訳ではない。
型は唐手の極意を密かに伝える手段以上でも以下でもなく、型を修めた上で実際に使い、工夫してこそ初めて意味を持ち、型の持つ意味の理解も深まるという考え方に基づいた行動なのだ(その勢いでボクシングを含む異種格闘技にも臨んだのは、モハメド・アリと対戦したアントニオ猪木や、映画『イップ・マン 葉門』(日本公開2011年)の走りのように見える)。

 

 

その考え方は『義珍の拳』においても『武士猿』においても船越義珍と共有されている。
それどころか、船越義珍は自らが学んだ古来の唐手が普及する一方で、空手が一定のルールに縛られた競技と化し、勝敗が型の習得や理解の程度ではなく、体格や若さ故のスピードに左右されていくことに危惧を抱いており、本部朝基のアプローチに憧憬すら抱く。

つまり、柔道の祖である嘉納治五郎も、空手の祖である船越義珍も、それぞれ武田惣角や本部朝基といった「実戦派」のカウンターパートがいたのだ。
考え方には根本的な相違はなく、嘉納治五郎も船越義珍も、柔道や空手を体育教育の一環として広く一般に普及させるという過程で実戦性を泣く泣く切り捨てざるを得なかったように描かれている。

結果として、柔道も空手もオリンピックの競技種目として採用されるなど、日本国内における普及に留まらず世界的なスポーツとしての地位を獲得した。
一方で、オリンピック種目としての空手が形(型)と組手(試合)に分かれていることからもわかるように、小説の中で本部朝基が実践し船越義珍が憧れた「型の延長としての掛試、掛試による型の理解の深化」は、個々の空手家の意識や実践のレベルとしてはともかく、現代の空手界全体として実現されていないと言える。

また、空手の組手にしろ柔道にしろ、競技としては男女別、体重別に行われ、他のスポーツと同様に選手が現役でいられる期間が限られていることは、パワー、体格、若さ故のスピードが重要であることを意味しており、作中で船越義珍や武田惣角が憂慮した通りだ。

船越義珍が東京で開いた松涛館という道場は、現在も「空手道に試合はあり得ない」という創始者以来の理念の下で指導を続けており、武田惣角が中興した大東流合気柔術も競技化しなかったが故に、古来の技術を現在に至るまで伝えているのは喜ばしいことだ。

しかし、船越義珍が伝承したような古来の空手と柔道とが融合し、嘉納治五郎が目指した総合格闘技的な武道が完成していたらどうなっていたのか、という「歴史のif」を思わずにはいられない。

またその一方で、歴史のifを現実のものとして体現した格闘家が実在したことも確かだ。
木村政彦という柔道家が最たる例だが、それについては次の記事でまとめたいと思う。

※上述した今野先生の作品はハードカバーが出た後に文庫化されており、筆者はとにかく早く手に入る方を読んだ。
作品名の後の括弧内は筆者が読んだバージョンだ。

※実在の空手家を描いた作品は他にもあるが、本記事では触れられなかったため、タイトルのみ記しておく。
『チャンミーグヮー』集英社文庫(2017)
『武士マチムラ』集英社(2017)

数日前、とあるネットニュースを目にした。

 

 

「韓国サバイバル番組「SIXTEEN」の参加者ソン・ミニョンが脱落後初めて近況を報告した」とある。

SIXTEENは2015年に放送された韓国のオーディション番組で、このオーディションを勝ち抜いたメンバーで結成されたのがTWICEであるということは筆者も知っている。

リアルタイムで観ていた訳ではないが、何を隠そう、筆者は2020年にHuluで配信され、日テレの情報番組「スッキリ」などで取り上げられて社会現象にもなったNizi Projectの虜になった一人だからだ。

今更言うまでもないが、Nizi ProjectはTWICEなどを手がけたJYPエンターテインメントとソニーミュージックの共同プロジェクトだ。

最終的なデビューメンバーの人数、構成、そしてNiziUというグループ名が最も早く公表されたのは、ズバリ「デビューメンバー最速公開スペシャル!」と銘打った日テレの「虹のかけ橋」で、放送開始日時は6月25日(木)の24時59分だった。
平日ど真ん中の深夜だが、結果が気になるあまりオンエアまで起き続け、翌日の仕事が心身共に辛かったのは筆者だけではないだろう。

 

 

オーディションには1万人を超える応募があった中、最終選考まで残ったのが12名、デビューすることができたのはわずか9名のみという極めてシビアな世界だ。

直前まで「煽りVTR」を観て、誰が残るはずだの誰に残ってほしいだの散々騒いでいたが、筆者の印象に残ったのは最終選考で敗退した3名の方だった。
デビューメンバーと健闘を称え合う姿を見て、1984年の映画『ベスト・キッド』(原題:The Karate Kid)の最後で、少年カラテ選手権大会の決勝で敗れたジョニーが、優勝者のダニエルにトロフィーを手渡す場面を連想したからだ。

そんな連想がつらつらと繋がったのを思い出し、こうして記事を書いている。

 

 

ジョニーは極めて好戦的な道場、コブラ会のエースで、仲間と共にダニエルを虐めていた人物だ。
ダニエルは自分を守るため、マンションの管理人のミスター・ミヤギから一風変わった方法でカラテを学び、精神的にも技術的にも成長して大舞台でジョニーをやっつけたのだ。

しかも、コブラ会は準決勝でダニエルに怪我を負わせたばかりか、センセイ(先生)・クリーズ(作中でもこの語順)はダニエルが怪我した箇所を狙うよう決勝でジョニーに指示し、その上で負けてしまうという完敗っぷりだった。

そんな『ベスト・キッド』の34年越しの正統な続編として製作されたのは、なんとジョニーを主人公にしたドラマ、『コブラ会』(原題:Cobra Kai)だ。
『ベスト・キッド』でダニエルを演じたラルフ・マッチオ、ジョニーを演じたウィリアム・ザブカを始め、主要キャストが続投して同じキャラクターを演じている。
ちなみに権利は紆余曲折を経てNetflixが取得し、現在シーズン3まで配信されている。

 

シーズン1の序盤は、ダニエルに敗れたジョニーが34年の年月を経て完全な負け犬としての人生を送っているところから始まる。

決勝で師のNo mercyな指示(「情け無用」はコブラ会の標語の一つ)に対し、戸惑った表情を見せたジョニー。
自分の意に添わぬ戦い方をした挙句に敗北したという事実が、後悔となって彼を過去に縛り付け、少年時代から成長できずに、前に進めずにいるのだ。

一方のダニエルは、カラテを通じて人として成長したものだから、ビジネスの場面でも車のディーラー(原体験には師であるミスター・ミヤギに車をもらった時の感動がある)として成功を収めており、ジョニーは人生の巻き返しを図るべくコブラ会を復活させる。

本作ではそれぞれの子供も登場し、親同士、子供同士、親と子供が複雑に絡み合うストーリーで、一時も目が離せない。

 

 

最近、このような「負けた側がどんな思いで人生を歩んできたか」という物語がたまらなく面白い。

『コブラ会』と同じ構造を持つのが、映画『クリード 炎の宿敵』だ。
日本では2019年に公開された本作は、『ロッキー』シリーズの正統続編である『クリード』シリーズの2作目であり、1985年の『ロッキー4 炎の友情』でロッキーの盟友アポロを亡き者にしたイワン・ドラコの息子ヴィクターが、アポロの息子でありロッキーの弟子のアドニスと因縁の対決をする。

伝説的作品の、30年以上経った後の正統続編というのも『コブラ会』と同じなら、ロッキー、イワン・ドラコという親世代の主要キャストを同じ俳優(シルベスター・スタローンとドルフ・ラングレン)が演じているのも共通している。
オリジナルの企画と無名の俳優陣では制作に漕ぎ着けるのさえ困難という事情もあるのだろうが、観る側としては面白ければ文句はない。

本作でも、イワン・ドラコの悲哀、親子と師弟の関係の変化、そして対決の決着の仕方の描き方のどれもが見事である。

 

 

マーベル映画の『ブラックパンサー』(2018年)もこの系譜に入る。
ヴィランであるキルモンガーは、ブラックパンサーが治めるワカンダ王国の闇に葬られた男を父に持ち、王国を乗っ取って変革しようとする様はヴィランでありながら思わず感情移入してしまうほど魅力的だ(実際、インド映画の大傑作『バーフ・バリ』やディズニーの『ライオンキング』ではこちらがヒーローとして描かれている)。
ブラックパンサーとの決闘の際、”I lived my entire life, seeking for this moment.”(この瞬間のためにこそ生きてきた)とキルモンガーが言う場面は、マーベル映画の中でも筆者が最も好きなシーンである。
まさしく負けた側の人間がリベンジのために費やしてきた時間の重みを感じさせる。

 
 

 

 

マーベル映画ではヒーローの過去の罪や影の部分がヴィランとなって現れるのが珍しくないが、キルモンガーのキャラクターの深さ、重みは群を抜いている。
それもそのはず、『クリード』の1作目で監督、2作目で製作総指揮を務めたライアン・クーグラーが監督・脚本を手がけているのだ。
更に、キルモンガーを演じたのはクリード役と同じマイケル・B・ジョーダンだが、彼はブラックパンサーを演じたチャドウィック・ボーズマンが亡くなった際、決闘の場面の別の台詞になぞらえて追悼の意をSNS上でで表明した。
このような作品外の出来事もブラックパンサーとキルモンガーの物語に重みを加えている。

以上、SIXTEENやNizi Projectから連想した作品群について書いた。
まあ、オーディションで敗退したメンバーは、ジョニーと違ってデビューメンバーを虐めていた訳でもないし、クリードやキルモンガーと違って親同士が殺したり殺されたりした訳でもないが...

冒頭の記事では、SIXTEENで敗れた後、「音楽を数年間休んだ」とも書かれているから、10代で苛烈な競争に挑み、敗北するという経験はやはり並大抵のものではないのだろう。

ましてやデビュー後のTWICEやNiziUの活躍を目の当たりにするのはどんな気持ちか想像すら付かない。

しかし、いずれのオーディションでも惜しくも敗退したメンバーだって、プロデューサーのJ. Y. Parkの言葉通り「残った時点で逸材」なのであり、いずれ何らかの形で活躍するのを見るのがファンとして待ち遠しい。
また、そうなることを確信している。

コブラ会の道場の標語の一つにこんなものがあるからだ。

Cobra Kai never dies.

「コブラ会は死なない」と。

前の記事で、『82年生まれ、キム・ジヨン』について触れた。

 

 

映画版でも小説版でも、韓国の女性は生涯を通して「誰かのための何か」であることを強いられる。
尊い男の子の姉(または妹)、妻、母親etc

映画版では、原作の小説の著者、チョン・セランの次作『彼女の名前は』に登場する女性達よろしく、主人公のキム・ジヨンは「一歩でも前に」進もうとする。
そして自分で自分の言葉を紡ぎ始め、そこにこそ誇りを持つ。

日本の作品でも同じようなテーマのものがないかと思い、手に取ったのが王谷昌の『ババヤガの夜』(河出書房新社(2020))だ。

 

 

暴力が好き且つ得意な新道依子が、暴力団会長の一人娘を護衛するアクション&シスターフッド&ハードボイルド小説。
幼い頃より祖父に様々な武術、体術を仕込まれ、女性でありながら一人で何人ものヤクザを捻じ伏せるというキャラクターが新鮮だ。

本作は、「誰かのための何か」であることをやめる、または拒否し続ける女性の話だ。
しかも、途中からどんでん返しともいえる展開が続くのだが、その展開自体が、人は「誰かのための何か」であるという読者の無意識故に成立し、そんな無意識を浮かび上がらせる。
作品の構造とメッセージが一致しているのだ。

新道と、新道に護衛される尚子は後に雇用被雇用の関係ではなくなり、かといって友達にも恋人にもならないが、ただ長い時間を共に過ごす。
そう、人は「誰かのための何か」である必要はないし、人と人との関係に定義や呼び名など必要ないのだ。

自慢じゃないが(という文句に続くのは間違いなく自慢だ。本記事もその例に漏れないが)、2017年に公開され、社会現象にもなった『カメラを止めるな!』(監督・脚本・編集:上田慎一郎)は公開初期に映画館で観た。

当時の公開館数は東京の2館のみ。
終業後に筆者が足を運んだ平日夜の池袋シネマ・ロサは満員だった。

その満員の観客が、腹を抱えてゲラゲラ笑う雰囲気から、「この作品は絶対来る」という確信を得て、鑑賞後は「今のうちに観ておけば後々に絶対自慢できるから」と周囲の人に手当たり次第おすすめしまくった。

実際に社会現象になり、今時珍しくネットでチケットが購入できない池袋シネマ・ロサは連日長

蛇の列、公開館数も全国で激増といった状況を傍目に、筆者の言うことを素直に聞いて映画館に行った後輩と酒を飲んではほくそ笑んでいた。

 

 

また、「2019年におけるカメ止め」と話題になった『メランコリック』(監督・脚本・編集:田中征爾)も、作品のテイストこそ違うが映画作家によるほぼ自主製作のオリジナル作品、無名だが最高のキャスト陣の輝きという点については同じ感動を覚えた。

 

 

そして2021年。
まったく同じ感動を味わった日本映画が『ある用務員』だ。
ちなみに2020年で言えば前の記事にも書いた『狂武蔵』だろう。

監督は若干25歳の阪元裕吾。
学生時代から数々の映画祭で成績を残していたらしいが、筆者が実際に作品を観たのは恥ずかしながら初めてだった。

 

 

ストーリーは、暴力団のフィクサー(表の顔はあくまで実業家)である真島が殺され、その娘の唯が通う高校で用務員として働く主人公、深見が殺し屋から唯を守るために戦うという話だ。
深見の父親は真島と兄弟分の暴力団員だったが深見が幼い頃に殺され、深見はその後殺し屋として真島に育てられたが、父親を殺すよう命じたのは実は真島だった、というのがドラマチックだ。

本作には、真島を演じる山路和弘をはじめ、深見の父親役の野間口徹、真島の暗殺の手を引く西森役のラッパー・般若(入江悠監督の『ビジランテ』の怪演でもおなじみ)など、著名な俳優、タレントも出演しているが、多くの主要な俳優陣は『カメラを止めるな!』や『メランコリック』と同様、知名度は比較的低い(舞台やドラマなどでは活躍されている方々なので新人ではない)。

だが、すべてのキャラクターが最高の味を出している。
般若が演じた西森の歩き方、重要な会談に臨む際、部下の村野に何度も「キレるな」と釘を刺されたことで逆にキレる件、禁煙中に煙草を吸うの吸わないのという村野とのやりとり...
村野は村野で、死ぬ間際の台詞は思わず笑ってしまう。

筆者が一番好きなキャラクターは、唯に密かに想いを寄せる幼馴染のヒロだ。
ヒロは、そのセリフから恐らくは組み技系の何らかの武道を習っていることが伺えるほか、ケンカになりそうな時には毎回ピアスを外すという、場慣れした雰囲気を持つ。

実際、唯を狙う殺し屋と遭遇した際、ヒロは殺し屋から顔面パンチを食らって倒されるが、すぐに立ち上がって殺し屋の前に立ち塞がる。
この時、ヒロが顔面にもらったダメージを振り払いつつ、少しだけ体をほぐしながら殺し屋に対して「唯には絶対に手出しさせない」と目だけで訴える一瞬のシーンは、筆者が本作で最も好きなシーンだ。

見事な格闘技術で殺し屋の1人を退けるヒロを演じた伊能昌幸(調べたところ阪元監督作品の常連らしい)は、村野役の元プロ格闘家、一ノ瀬ワタルと並んで明らかに体格が普通じゃないのだが、パンフレットの情報によるとすべてのアクションを自身でこなしているとのことだから余計に驚く。

主人公の深見のアクションにしても、次から次へと襲ってくる殺し屋を満身創痍になりながらも毎回撃退できる理屈が明快なのが素晴らしい(そうでないアクション映画では、満身創痍でも「うおぉー!」とか言って気合を入れた途端に強くなって勝ってしまうようなことがよく起こる)。

日本語ラップや格闘アクションが好きな筆者が挙げると上記のように偏りがちだが、他のキャラクターも例外なくいい味を出している。

また本作は、これもパンフレットの情報によると小学校5年生の時に『ダイ・ハード』をテレビで観て興奮した阪元監督が、「ダイ・ハードみたいな映画を」と企画したオリジナル作品だ。

なるほど、本作で深見が数々の殺し屋と戦うクライマックスの舞台は「補修の生徒と限られた教員以外、誰も来ない土曜日の学校」であり、「時間的にも空間的にも限定された戦い」なのだが、『ダイ・ハード』のオマージュだというのは頷ける。
この「時間的空間的な限定」という仕掛けこそ、予算規模でハリウッド映画には到底敵わない日本のアクション映画が取り得る数少ない戦略だが、本作では見事に機能している。

 

 

そんな感慨と共にパンフレットをめくっていると、戦慄すべき言葉を見付けた。
阪元監督は映画学校時代、プロデュースの授業でこう言われたそうだ。

「君たちのオリジナル企画はもう映画業界には必要ない」

その講師がどのような意図で言ったのかはわからない。
想像するに、映画の企画を通す上で一定以上の集客を見込むことができ、それ故に予算を確保する目途が立つということは重要な指標であり、オリジナル作品が作り辛いのは現実なのだろう.。

しかし、それが映画学校で単なる現実としてではなく「教訓」として伝えられているとすれば悲しくなる。

と同時に、映画学校で何を言われても、現実がどうであっても最高に面白いオリジナル作品を作り続けてくれる映画作家の方々に、精一杯の賛辞と感謝を送りたい。

トニー・ジャーもイコ・ウワイスも、現在はハリウッドでも活躍する一流アクションスターだ。

タイ出身のトニー・ジャーはムエタイ、インドネシア出身のイコ・ウワイスはシラットという、それぞれ母国の格闘技、武術を中心に身に付け、前者は『マッハ!』(2004年日本公開)、『トム・ヤム・クン!』(2006年日本公開)、後者は『ザ・レイド』(2012年日本公開)などでエクストリームなアクションを見せ、世界中を驚かせた。

 

 

 

最近では彼らが戦うのは人間だけに留まらず、エイリアンをも相手にするようになってきた。

イコ・ウワイスはいくつかの過去作でも共演及び共同でアクションの振付を行った、同じインドネシア出身の盟友にして名優のヤヤン・ルヒアン(『ザ・レイド』では事実上のラスボスであるマッド・ドッグを演じる)と『スカイライン 奪還』(2018年日本公開)で再共演し、地球を侵略するエイリアンをナイフや格闘技術で倒してしまう。
主演はフランク・グリロで、イコ・ウワイスらは中盤から登場して一緒に戦うことになるのだが、これが時に主役を食うくらいに、まあかっこいい。

作品自体が106分と観易い長さで、前作の『スカイライン 征服』を観ていなくてもまったく問題ないのがまたいい(事実、筆者は前作の方を後追いで観たし、前作の方はあまりいい所がない)。

第33回東京国際映画祭でも上映された、3作目の『スカイライン 逆襲』の全国公開が2021年2月26日に控えており、今から楽しみである。

 

 

一方のトニー・ジャーがエイリアンと戦うのが、2021年1月15日公開の『アース・フォール JIUJITSU』だ。
ちなみに本作では主演ではないが、重要なキャラクターを前述のフランク・グリロが演じている。

元々ジャンル映画は好きだし、ジャンル映画を観る上で所謂「ツッコミどころ」を探すのは野暮ということは心得ているが、これは久々にひどい内容だった。
悪い所を挙げればきりがないので省略するが、それにしても、「ホイス・グレイシー完全指導!」という謳い文句の割にアクションも(すごいにはすごいのだが)今一つ真新しさがなかったのも残念でならない。

 

 

このように、似た境遇のトニー・ジャーとイコ・ウワイスだが、役の恵まれ方は違うように思える。

トニー・ジャーのハリウッドデビューは、日本では2015年に公開された『ワイルド・スピード SKY MISSION』だ。
おなじみ「ワイルド・スピード」(ワイスピ)シリーズの7作目で、主人公のブライアンを演じたポール・ウォーカーが本作の撮影途中に交通事故で亡くなったこと、作品終盤で見事な追悼シーンが流れるというメタ構造があまりに有名な本作で、トニー・ジャーはブライアンらと敵対する組織の一員、格闘のスペシャリストを演じた。

 

 

ポール・ウォーカーがもう見られなくなるという悲しさから、ついつい当人に注目して観てしまいがちだが、トニー・ジャーはまさにこのポール・ウォーカーとの格闘シーンを演じている。
しかし、残念ながらキャラクター描写としてはハリウッド映画が過去にも描いてきた「非欧米人の格闘のスペシャリスト」以上ではない。
極めて少ないながらも印象的な台詞”Too slow.”(お前の動きは遅すぎる)というのも格闘シーンの中で言うのだが、最後には同じ台詞を逆にブライアンに言われ、敗北する。

非欧米人は、格闘やその他の身体技術、「東洋の秘術」以外に取り柄がないのか。

ところが、イコ・ウワイスは違った。

2019年に日本公開された『マイル22』でイコ・ウワイスが演じたリー・ノアーは画期的なキャラクターだ。

 

 

CIAの特殊部隊(隊長を演じるのはマーク・ウォールバーグ)が、テロの重要参考人であるリー・ノアーを国外脱出させるため、米国大使館から空港まで22マイル護送するのだが、彼を狙う武装勢力と戦うことになるというアクション・サスペンスだ。

リー・ノアーは基本的にCIAの保護下にあるが、自ら武装勢力とも戦うことになる。
その際の格闘は見事なもので、さすがはイコ・ウワイスと思わせる。

しかし、それだけではない。
リー・ノアーは普通に英語で会話もし、巧みな交渉によってCIAはじめ米国政府を終始翻弄する。
むしろそれがストーリーの基軸であると言っても過言ではない。

「格闘のスペシャリスト」以上の非欧米人が描かれる稀有な例だ。

一方、新たな疑問も湧いてくる。
非欧米人は、必ず格闘技術に精通していなければならないのか。

その答えを見せてくれるのは、(新型コロナウイルスの影響で延び延びになっているが)2021年に公開予定の『ワイルド・スピード ジェットブレイク』だろう。

予告映像はすべてのワイスピファンを驚かせたに違いない。

えっ、ハン生きてたの!?と。

ハンと言えば、日本を舞台にしたシリーズ3作目『ワイルド・スピードX3 TOKYO DRIFT』に登場したキャラクターで、ドミニクのファミリー(一味)だ。

ハンは劇中、交通事故で死亡するが、その事故はジェイソン・ステイサム演じるデッカード・ショウがハンを殺すために意図的に起こしたものだと後にわかり、上述の『SKY MISSION』は、ドミニクがファミリーを殺された怒りでデッカード・ショウと死闘を繰り広げる話だ。

デッカード・ショウはそれ以降の作品で、あっさり許されてファミリーに加わったり、ファミリーの一人であるホッブス(ドウェイン・ジョンソン)とイチャついたりと、どうかと思うような展開を迎えることになるが、ともあれ、そのデッカード・ショウにハンは殺されたものだと思われていた。

ハンが生きていたとなると、『SKY MISSION』での戦いは何だったのか、デッカード・ショウがあっさり許されたのは更に何だったのかという気持ちになるが、嬉しいことに変わりはない。

格闘技術、身体能力が突出して優れている訳でもないし、いかなる「東洋の秘術」も使わないが、ただ単にお洒落でクールという、こちらも稀有な非欧米人キャラクターだからだ。

ワイスピシリーズはなんだかんだ文句を言いつつも、いつも結局観てしまう。
今後の展開が迷走してエイリアンとレースすることになっても、多分観てしまうと思う。

 

 

前の記事を補足することから始めたい。

前の記事では、筆者の通う護身術の道場の先生の最近の言葉を記した。

「何かに専念した結果、それに付随する形で捨てたはずのものができるようになる。」

思えば、何年も前に読んだある小説で同じことが言われていた。
それは月村了衛先生の『影の中の影』(新潮社(2015))だ。

 

 

極めて大雑把に言えば、主人公の景村瞬一が、中国の暗殺部隊からウイグル人亡命団を守るために戦うアクション小説だ。
景村は学生時代に剣道でならした猛者だが、とある経緯からロシアの武術、システマを修行することになる。
修行の過程で、あまりの哲学の違いにより、景村は剣道で身に付けたことを一度すべて忘れることにしてシステマの修行に専念する。

すると、本人にとっても不思議なことに、修行の末で一番の強みになったのは長物の扱いだった。
主人公は始めから剣道とシステマの両立、または融合を目指していたのではない。
むしろ、システマに専念するために捨てたはずの剣道が、捨てたからこそ再び立ち現れたのだ。
後に、剣術を学び直すことで主人公は唯一無二とも言える達人になる。

小説は、本当に思いもよらぬ形で人生の教訓を与えてくれる。

本題に入るが、月村了衛先生は筆者が敬愛する作家の一人だ。
前述した『影の中の影』を含め、月村先生の作品における人間関係はほとんど例外なく疑似的な兄弟(姉妹)関係、家族関係を成している。

兄弟の杯を交わすヤクザ同士は言うに及ばず、ヤクザと会社員、ヤクザと警官、警察の一部署、自衛隊の小隊、会社員同士etc

『暗鬼夜行』(毎日新聞出版(2020))もまた然りだ。

 

 

主人公は元小説家志望の中学教師で、交際相手の父の後を継ぐことで政治家になることを目指している。
そんな矢先に、主人公が監督する作文コンクールで盗作疑惑が起こり...というサスペンスだ。

血縁を家族関係の必要条件とするならば、交際相手というものはそれがない以上、家族ではないということになる。
ましてやその親ともなれば、心理的紐帯も薄れいよいよ他人だ。

仮に結婚して、交際相手が配偶者に、その親が自分の義理の親になったとしても、戸籍を除けば本質的には変わらないのだから、結婚とはつくづく不思議なものである。

時間が経てば、配偶者やその親とも血縁を超えた縁で結ばれるのだろうが、残念ながらというべきか、本作ではそうはならない。
むしろ本作は、交際相手とその親という存在の他人性、寄る辺なさを痛感させる。

本作においてストーリーが進行する間、主人公は担当教科である国語の授業で、現実の国語の教科書にも使われる『山月記』を教えている。

筆者も授業で習ったが、『山月記』は主人公が「臆病な自尊心と尊大な羞恥心」によって虎になってしまうという寓話だ(これを中高生に教えるのは教訓のためか、意地悪なのかわからない)。

『暗鬼夜行』の主人公は、学生時代に文芸誌に自作の小説が掲載されたことをずっと誇りに思っており、いずれは政治家になるつもりでいるため、一介の中学教師であることにアイデンティティを置いていない。
しかし、ストーリーが進むに連れ、元小説家志望としての誇りは打ち砕かれ、政治家になる道も断たれて、自ら軽視していた一介の中学教師ですらいられなくなってしまう。
人生の巻き返しを図るため、暗い部屋で一人、ある作業に勤しむ主人公は『山月記』の主人公同様、完全に虎になってしまう。

この、疑似的とはいえ一度は家族関係、兄弟関係になった人物同士が結局は他人のままで終わり、うら寂しい読後感を残すのも、すべてではないものの月村先生の作品の特徴と言える。

さて、『暗鬼夜行』の主人公の経緯は、後に知った町山智浩氏のそれと重なる。
町山氏と言えば、アメリカ在住の映画評論家として執筆やラジオ出演等で活躍している人物だ。

 

 

ラジオで見せるおちゃらけた態度とは裏腹に、実は町山氏にも大変な苦労があったことは、当人がある本に寄せているあとがきを読むと明らかになる。

雑誌の編集者時代、町山氏は新興宗教を特集する記事の中で、オウム真理教を取り上げた。
当時はオウムが地下鉄サリン事件を起こす前で、誰も団体の実態を知らなかった。
しかし、「知らなかった」では済まないのが残酷な現実だ。
事件後、特集の内容が不適切という後世の視点からの非難により左遷され、退社して奥さんの仕事の都合で渡米するも、事業の失敗により夫妻は借金を抱えることになる。
そんな状況下での執筆活動が契機となり、映画評論家として認知されるに至った。
 

『暗鬼夜行』の主人公は社会に認知され、人間に戻れるのか、はたまた洞窟の中の虎のままなのか。

その町山氏があとがきを寄せた、島田裕巳著の『映画は父を殺すためにある-通過儀礼という見方-』(ちくま文庫(2012))という本についても触れたい。
ちなみに、町山氏が左遷されるきっかけになった特集で、執筆を依頼したのがこの島田氏だ。

 

 

一見すると衝撃的なタイトルだが、本作は通過儀礼という宗教学の視点から映画を分析するという映画評論の良書だ。
『スタンド・バイ・ミー』などのアメリカ映画が好例に挙げられる一方、言わずと知れた宮崎駿監督の『魔女の宅急便』は、主人公が成長する上で必要な通過儀礼を経ていないとされる。

なぜなら、魔女である主人公のキキは途中、魔法が使えなくなるが、その契機は「自分の好意が他者に伝わらない」というトラウマチックな経験であるはずが、ストーリーの終盤で再び魔法が使えるようになるきっかけは偶然に過ぎない、つまり、トラウマを乗り越えることで成長するという過程がないからだ。

この指摘は、スクリプトドクターの三宅隆太氏が良質のスクリプト(脚本)の条件として挙げる、「主人公の抱えている葛藤なり問題が解決すること」とアクション的な見せ場が一致すること、という点に照らして見るならば、確かに頷ける。

 

 

また、ライムスター宇多丸さんが、いくつかの映画評論の中で指摘する「アクションシーンによってストーリーが止まる」という状況とも一致する。
アクションの展開に従ってストーリーが展開する作品として過去に挙げられたのは、インドネシアのアクション映画『ザ・レイド』だ。
事実上のラスボスであるマッド・ドッグとの戦いは筆者にとっても大好きなアクションシーンの一つである。

さて、町山氏、三宅氏、宇多丸さんは雑誌『映画秘宝』(色々あるが)やTBSラジオのファミリーと言える。
こちらの疑似家族はいつまでも面白い。

2020年に開催された第33回東京国際映画祭の上映作品の中で、『佐々木、イン、マイマイン』は気になる一作だった。
残念ながら時間が合わずに映画祭期間中に観賞することはできなかったが、TBSラジオの番組「アフター6ジャンクション」のコーナー「ムービーウォッチメン」でパーソナリティのライムスター宇多丸さんの批評(2020年12月4日放送)を聴き、「やはり観なくては」と思い直してようやく観ることができたのが2021年の正月休みだ。

ちなみに、映画や本等のカルチャーが好きな人であれば珍しくないだろうが、筆者は「アトロク」の前身番組「タマフル」時代からのヘビーリスナーだ(ヘビーリスナーであれば珍しくないだろうが、ライムスター、日本語ラップ、ヒップホップ全般のファンでもある)。

 

 

内容の紹介は公式サイトにある通りだし、ご覧になった方も多いだろうから多くは語るまい。

さて、本作では劇中劇として『ロング・グッドバイ』という戯曲が演じられる。
「人生とは小さなサヨナラの積み重ねだ」というセリフが印象的なこの戯曲は、青春時代とその終わりを描いた本作のテーマを強く浮かび上がらせる。

宇多丸さんの批評で度々言及される青春の定義は、未来に向かって可能性が無限に開かれている状態のこと。
そして、青春が終わった後で、無限の可能性の中から選び取った人生と、あり得べき別の人生とを同時にかけがえなく思う感覚こそが「懐かしさ」の本質だとも言っている。
まさしく妙言だ。

 

 

筆者が初めてこの概念を耳にしたのは、2016年10月22日に放送された『何者』の批評においてであった。
朝井リョウの同名小説が原作、就活(「売り手市場」と呼ばれる現在のシーンとは大分様相が異なる)をめぐる大学生の人間ドラマで、キャッチコピーは、「青春が終わる。人生が始まる―」。

登場人物達は、「未だ何者でもなく、何者にでもなれる」という状態から、就活によって「何者かになる」=可能性を限定する選択をしなくてはならない。
そして、そこからが真の人生の始まりであると本作は伝える。

 

 

奇しくも、筆者は当時『晩夏-東京湾臨海署安積班-』(ハルキ文庫(2015))という小説を読んでいた。
敬愛する今野敏先生の警察小説である。

タイトルの「晩夏」が意味するのは人生において「青春」の後に訪れる季節のこと。
青春が終わってこそ、真っ赤に燃え盛る夏が来る、ということを中年の刑事達が噛み締めるという熱い話だ。

当時の筆者は就活を終えて社会人になって3年といったところ。
日々が学びと成長の連続で充実すると共に、「まだまだ何にでもなれる」という気がしていた。つまり、青春は未だ終わっていなかった。
青春よりも燃え盛る「晩夏」の訪れを心待ちにしていた。

 

 

時が経ち、『佐々木、イン、マイマイン』に胸を打たれる現在、30代になろうとしている筆者は、この青春が終わろうとしている感覚をありありと感じている。
可能性は無限大ではなく(例えば就活との関連では年齢的に第二新卒の枠には入れない)、自分は自分で思うほどすごくないことがわかってきた。

では、日々がつまらなくなったかといえば、まったくそんなことはない。
「何者にでもなれる」とはさすがに思わないが、やりたいことはある。それは日々の努力と地続きになっている。
青春時代の根拠のない万能感より、満ち足りているかも知れない。晩夏が、人生が始まろうとしている。

話は変わって、先日、筆者が通う護身術の道場の先生がこんなことを言っていた。
「人生には戦略が必要だ。
戦略は戦(いくさ)を略(りゃく)すと書く。
つまり、何かを捨てて別の何かに専念することが必要だ。」

先生のご出身は九州で、20代の時から東京に出て武術の道場を構えることを夢見て修行されていたそうだ。
しかし、現代社会では「武術で飯は食えない」と言われている。
そこで、「武術」を捨て「護身術」に専念した結果、40代で実際に東京に進出されたのだから説得力が違う。

しかし、先生の話はここで終わりではなかった。
「何かに専念した結果、それに付随する形で捨てたはずのものができるようになる。」

確かに、道場では護身術のみならず正統な武術も教えて頂ける。
つまり、先生は広義では武術で飯を食っていることになる。

『佐々木、イン、マイマイン』の批評の中で、映画監督・川島雄三の「サヨナラだけが人生だ」という言葉の意味が「初めてちゃんと分かった気がする」と宇多丸さんは言った。

なるほど、どこまでも深い言葉だ。

2020年12月31日付の記事に書いた通り、2020年は武術にハマり始めた年だ。
それは自身の稽古のみならず、武術関係の小説や映画も含む。

宮本武蔵を題材にした作品は媒体を問わず過去に数え切れないほど出ているが、2020年8月21日にアクション俳優の坂口拓氏が宮本武蔵を演じた映画『狂武蔵』が公開されるのに伴い、改めて武蔵関係の小説を何冊か読み、遅まきながら題材としての面白さを痛感した。

小説の話に入る前に、映画について少しだけ触れておく。
残念ながらあまり評判は芳しくないようだが、筆者にとっては間違いなく印象に残った作品だからだ。
宮本武蔵が吉岡一門と戦った場面を描く本作は、91分の上映時間のうちなんと77分間がワンカットのアクションシーンだ。
その間、宮本武蔵が吉岡一門の400人を相手に単身立ち回り、ひたすら斬りまくる。
「とにかくすごいものを見ている」という感覚が終始付きまとい、尚且つ武蔵の心境の変化等もアクションを通じてしっかり伝わってくる。

技術的にも精神的にもこんなことが現在の日本の映画界でできるのは坂口拓氏をおいて他にないと断言できる。

観賞後、筆者は稽古開始前の道場で一人、映画の動きを思い出しながらよく木刀を振っていた。
筆者にとってはこのような実生活への影響、前後に読んだ小説も含めて本作であり、その意味で大いに楽しめた。

 

 

本題に戻る。
読んだのは2名の作家によって書かれた以下の4冊だ。

津本陽
『新装版 宮本武蔵』文春文庫(2012)
『巌流島 武蔵と小次郎』角川文庫(2016)

好村兼一
『行くのか武蔵』角川学芸出版(2010)
『武蔵 円明の光』角川学芸出版(2010)


津本陽先生は2018年に亡くなられた歴史小説、伝記小説等の作家で、遺作となった著書『剣豪夜話』の紹介文によると「剣道三段、抜刀道五段」。
好村兼一先生は東大在学中に剣道の指導員として渡仏し、30年以上を経た現在でもパリに在住して指導に携わる傍ら、ご自身も(実力的に対等な稽古相手のいない中で)八段に合格されたすごい方だ。

ちなみにこの選定は、創作活動に携わる人間が実体験として作品の内容についての経験を有するべきと筆者が考えていることを意味する訳ではない。
そんなことを言ってしまえばヒトラーを演じることのできる俳優はいなくなるし、そもそも作家にしろ俳優にしろ綿密な取材や訓練、感情移入に基づいて作品を作り出し、演じるのが仕事だからだ。

だが武術、武道関連で筆者が偶然(?)手に取る小説については、作家自身がその武術、武道の高段者、指導者であることが多い。

 

 

 

再び話が逸れたが、上に挙げた小説はいずれも宮本武蔵を題材にしながら、作家によって描き方が全く異なる。

津本先生の作品は武蔵自身を主人公としてその生涯を描いた作品で、いかにも戦国時代といった殺伐さが特徴的だ。
大男にして戦いの天才といえる宮本武蔵が、日々戦いの最中に身を置くことによって学び、自らの剣術を作り上げていく。
また、津本先生の他の作品でも言えることだが、心霊の存在が当然視されていたり、何なら武術の達人も、周囲からは人智を超えた妖怪扱いされたりする。
近代以前の日本人の世界観を反映しているのだろう。

 

 

一方、好村先生の作品は、珍しいことに武蔵の父親である宮本無二の視点で描かれる。
武蔵が剣術の才能に溢れていることには変わりないが、その才能を父の熱心な指導と愛情によって開花させていくのだ。
『行くのか武蔵』では、タイトルから連想される通り悲しき離別が待ち受ける。
『武蔵 円明の光』では、今度は武蔵が父の立場になって無二のことを思い出し、父と同じように自らの子を愛する。

このように、好村先生の伝記小説はいずれも、歴史上の背景を精査した上で、解明できない点についてはそこに親子の絆や友情、夫婦の愛、恋慕があったという視点が作品の肝となる。
その視点がなんとも優しく心地よい。

対極ともいえる両先生の作品にも共通点がある。
それは徳川家康像だ。
一剣豪や市井の人間を描く歴史小説では、武将や将軍の存在は大き過ぎて、天候や地形と同じく、人が決めることのできない条件のように描かれることが多い。
上に挙げたいずれの作品でも、徳川家康が生き生きとした人物として描かれることはないが、他の登場人物の台詞や境遇から、将軍家の剣術指南役に対しても大した禄を与えず、戦で勇猛果敢に戦った武将にもまともな褒美をやらないという、「武術軽視」の家康像が垣間見えるのが興味深い。

さて、『武蔵 円明の光』では、有名な「巌流島の決闘」(両先生がこれをどう描くかという対比も面白いのだが)以降、真剣勝負を避けるようになった武蔵の姿が描かれる。

詳述は避けるが、筆者の目を引いたのは、武蔵の兵法を見込んだ殿様が自分の城と城下町のグランドデザインを武蔵に任せる場面だ。
剣豪小説、しかもあの宮本武蔵を題材にした小説の中で、武蔵が都市開発を行うのはなぜか。

筆者は真っ先に是枝裕和監督の映画を連想した。

是枝監督が家族を描いた作品では、「男らしさ」や「父性」と不動産業が結び付けられる。
『海よりもまだ深く』で阿部寛が演じるダメ男の元妻が付き合っている男は不動産関係の仕事に就いており、いかにも「ちゃんとした大人で強い男」だ。
不動産業も色々だが、きれいな身なりやスマートな身ごなしから察するに、きっと多額の資金と大勢の人員を動かしているのだろう。

『そして父になる』の方はより直接的だ。
福山雅治が演じた野々宮良多は、大手建設会社に勤めるエリート。休みなく働いて沢山お金を稼ぎ、子どもに「いい教育」を受けさせるのが男、父の役目だと(物語序盤では)思い込んでいる。

彼の会社が建てるビルや、彼が家族と暮らす高層マンションは、彼の思いを具現化した男根のように映る。

宮本武蔵が刀を納め、城や町をつくるに至ったのは、「男の戦い」のフェーズが移ったことを意味するのではないだろうか。