◼︎この投稿のキー・メッセージ

この歌は、女性が覚えておいて、ふだんから口ずさむようにしておくと、いざという時に歌詞を口ずさめば、イエスの名に対する信仰によって、天使の軍団の助けを期待できます。パウロが獄でつながれていた鎖が解けた時のような、奇跡的な助けが期待できます。

もちろん、男性でも、いざという危機の時に、この歌の歌詞を口ずさめば、同じことが期待できます(^o^)

ハロウィンの諸々に打ち勝つのにも、優れた力を発揮する現代賛美歌だと言えるでしょう。

 

◼︎アルバムはビルボードのクリスチャン・ミュージック部門1位

“Mention of Your Name”(あなたの名を口ずさむと)は、ベテルミュージックのジェン・ジョンソンとご主人のブライアンとでユニットを組んでいるブライアン&ジェン・ジョンソンが今年1月に商業的にリリースしたCD”After All These Years”(これらの年が過ぎ去って)の中の1曲。

 

ベテルミュージックは、米国カリフォルニア州のベテル・チャーチの賛美音楽部門。賛美礼拝関連ミュージシャンを養成する学校を併設していることから所属ミュージシャンも多く、見る限りは逸材揃いです。上は40代から下は20代まで。若い層がどんどん育っています。


こちらの投稿でも紹介しましたが、収録アルバムは今年1月のリリース後、ビルボードのコンテンポラリー・クリスチャン・ミュージック部門で1万6,000作品中の第1位を獲得しています。


◼︎危機に打ち勝つ最強の賛美歌

この歌は、賛美で日々の状況に戦う際に、最強と言ってよいぐらいの力を発揮します。過去数カ月、スポンテニアス・ワーシップの中身を調べたり、比較検討したりしてきましたが、第一には、歌っている人の信仰の強さが反映されている点で、第二には、聖書解釈における「イエスを信じた義人が行使できる権利」をきちんと把握している点で、第三には、聖書的な詞の中身がイエスの名を正しく扱っている点で、この歌はダントツの現代賛美歌です。メガトン級のパワーがあります。


◼︎イエス様と近い距離感

歌詞の中身を見て行きます。

*All lyrics are used for commenting purpose (fair use by US law). 

[歌詞1]
You're here
あなたがここにいる
With the grace of the Saviour
救い主の恵みを携えて
With the heart of the Father
父の御心とともに
You're all we need
求めたものは全部あなたにある
You're here
あなたがここにいる
With the hands of the Healer
癒し主の御手をもって
With the power of Your Spirit
あなたの御霊の力とともに
You're all we need
求めたものは全部あなたにある


どの行にも聖書解釈という点で、浮ついたものはないと思います。
そして全体を鳥瞰してみると、「イエス様がここにいる」という強い信仰が大前提になっていることがわかります。天にいるのではなく、ここにいるのです。

そしてそのイエス様に「あなたは」と言っています。イエス様は、ではなく、目の前にいるイエスに対して、「あなたは」と言っているのです。
英語の場合、二人称も単純なのでこういう表現になるのでしょうけれども、この関係性の近さは、信仰の強さを物語っています。


◼︎イエスの名に対する信仰告白

ここからがこの歌の本領です。

[コーラス]
At the mention of Your Name
あなたの名を口ずさむと
Every chain will break
すべての鎖が解かれる
I know everything will change
物事すべてが変化する
Jesus, just the whisper of Your Name
イエス、あなたの名をささやくだけで
Will silence wind and waves
風も波も静かになってしまう
At the mention of Your Name
あなたの名を口ずさむと


冒頭の「あなたの名を口ずさむと」の英単語”mention”は、「イエスの名」に対するシンプルな信仰告白になっています。

イエスの名に対する信仰は、使徒行伝のペテロの告白の中に出てきます。

そして、このイエスの御名が、その御名を信じる信仰のゆえに、あなたがたがいま見ており知っているこの人を強くしたのです。イエスによって与えられる信仰が、この人を皆さんの目の前で完全なからだにしたのです。(使徒3:16)

その他、ヨハネ1:12、2:23、3:18でも、注意深く読むと、「イエスを信じる信仰」ではなくて、「イエスの名を信じる信仰」について述べています。


◼︎イエスの名を呼び求める者は誰でも救われる

日本語の伝統的な語法では、「◎◎の名によって」という言い方がないので、わかりにくい意味感覚ではあるのですが、「イエスの名によって何々をなす」という時の「名によって」、英語では”in one’s name”は、新約原典のギリシャ語からすでにそういう言い方になっています。

またわたしは、あなたがたがわたしの名によって求めることは何でも、それをしましょう。父が子によって栄光をお受けになるためです。(ヨハネ14:13)

それがそのままラテン語圏に、そして英語・ドイツ語圏に伝播したのでしょう。そして国によっては1,000年以上、短くても500年は経っていますから自国語に馴染んだ普通の言い方になっています。日本語では聖書が翻訳されてまだ150年程度しか経っていないため、この「◎◎の名によって」はこなれた日本語にはなっていません。間もなくこなれるでしょう。

この「◎◎の名によって」という時の「名」。
その名は、イエスの名でなければなりません。
そしてイエスの名を呼び求める者は、誰でも救われるのです。

「主の御名を呼び求める者は、だれでも救われる」のです。(ローマ10:13)

このイエスの名に対する信仰が、この歌の基礎になっています。



◼︎イエスの名で祈るのではなく、単に口ずさむ

そしてすごいのは、イエスの名によって祈るのではなく、単にイエスの名を「口ずさむ」のです。

”Mention”の意味は色々ありますが、ふっと口にする、というニュアンスで使っています。力まずに、普通にその名を口する。そういう表現になっています。

イエスの名を口ずさむだけで、鎖が解け、物事すべてが変化するとまで言い切っています。この信仰の強さは、稀代の賛美リードでであるジェン・ジョンソンの真骨頂です。この歌全体に彼女のそういう信仰が乗っています。


イエスの名を口ずさむだけで、風も波も静かになってしまうのです。そういう、この名に対する強い信仰がこの歌にはあります。


◼︎主は毎日惜しげもなくプロバイドする

残りの部分も、その基本的な姿勢は同じです。イエス様との距離感が近く、聖書のみことばにひも付けられる歌詞で構成されています。

[歌詞2]
You're here
あなたがここにいる
You're the Provider
あなたが備え主
All I've ever needed
私が必要だったすべては
Jesus, You supply
イエス、あなたが備える
You're here
あなたがここにいる
Wonder-working power
不思議を伴う力
Everything You breathe on
あなたが息を吹きかけると
Coming back to life
すべてに命が戻る


ちなみに、米国人の牧師の説教ではよく「主がプロバイドして下さる」ということが強調されます。日本では「主が供給して下さる」という言い方はもちろんしませんし、「主が備えて下さる」という言い方はしても、その中身は穏やかです。
米国の牧師の楽天的な姿勢が反映しているのが、「主がプロバイドする」仕方。毎日毎日惜しげもなくガンガン供給して下さる(主の祈りがベースにある)というニュアンスがあり、その信仰のシンプルさに驚きます。

英語は語彙がシンプルであり(日本語の語彙の多くは翻訳語であり、移入して来た時代や移入した分野の違いを反映させて複雑)、言い方もシンプルであるため、「主が供給なさる」と一言で言えば、ああ、そういうことなのかと、すっと信じられる。けれども、日本語の場合は、「供給」の大元の意味は何か。主が供給なさる時、何を供給なさるのかというように、細部に関心が行き、なかなか骨太の信仰になりにくいところがありました…が、それも過去の話でしょう。これからは骨太のシンプルな信仰の時代です。


◼︎Deliverは悪霊からの解放のこと

続く歌詞では、”You will deliver”という言い方が出てきます。この”deliver”は出産するという意味でも使われますが、新約の文脈では、イエス様が福音書でよく悪霊から人を解放していました。その「(悪霊から)解放する」という意味です。これは別な意味で日本ではなかなか浸透しない事柄です。そのへんのことはこちらで書きました。しかしいずれ、普通になるでしょう。「イエス様は悪霊から解放する主」というような言い方で。


[ブリッジ]
You are my strength
あなたは私の力
You are my anchor
あなたは私の錨(いかり)
And You never fail
あなたは決して負けない
You are my hope
あなたは私の希望
You will deliver
悪い霊を追い出す方
Emmanuel
インマヌエル




インマヌエルは言うまでもなく、イエス様のご生誕を記したマタイの福音書に出てくる、「神は私たちとともにおられる」という意味の言葉です。

「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:23)


[エンディング]
Just the mention  of Your Name
あなたの名を口ずさむだけで
Every chain will break
すべての鎖が解かれる
Just the whisper
口ずさむだけで
I know everything will change
物事すべてが変化する
You're just a breath away
一息のところにいる方
Jesus
イエス様



◼︎まとめると → 危機の時には、この歌で培われた信仰により、イエスの名が天使の軍団を呼び寄せる

ここまでをざっと読んでいただいて、その上で、この歌のジェン・ジョンソンの歌を聴くと、ものすごい信仰の強さが伝わって来ると思います。

イエスの名をちょっと口にしただけで、鎖が解かれ、物事すべてが変化し、風や波までも穏やかになる。これはすごい信仰です。

この信仰を、ジェン・ジョンソンたちは、商業主義の音楽の中に解き放っています。そして、ビルボードで部門第1位(アルバム)を獲得し、この歌の持つ信仰と力をこの世に広めています。

この歌には戦略的な意味があり、それは、ちょっと見、軽いポップミュージックと見せかけておいて、ヒットチャートの流れに乗せ、世に広める。しかし、歌詞が持っている意味は、上記のように、かなり普遍的、かつかなり強力な信仰をベースにしています。そのため、「よい歌だ」と思って気軽に口ずさんでいるうちに、「イエスの名」に対する強い信仰を採り入れた格好になります。

そしてその人が、何かのきっかけで、本当に「イエスの名をちょっと口にした時」、そこにすべての鎖が解け、物事すべてが変化する奇跡が起こる可能性があります。

「イエス!」と口にするだけで、悪霊が吹っ飛び、悪者が天使に連れ去られる奇跡が起こる可能性があります。

 

この歌を覚えておいて、口ずさんで歌うだけでも、同様のことが起こるでしょう。

私はこの歌を何度か聴いているうちに、きっと、ジェン・ジョンソンはこの歌を若い女性に贈っているのではないかと思うようになりました。異性との間で何か危ない状況になった時、腕力では勝てない相手でも、「イエスの名」をちょっと口にする。「イエス!」と一言言ってみる。それで背後の悪霊が退き、天使の軍団(万軍の主の軍隊)が助けに飛んでくる可能性がある…。ということで、女性に向けた秘密兵器としてリリースしたのではないでしょうか?そういう推察も可能な歌です。

イエスの名にはそれほどまでに強力な力が宿っているのです。

すべての支配、権威、権力、主権の上に、また、今の世ばかりでなく、次に来る世においてもとなえられる、すべての名の上に高く置かれました。(エペソ1:21)



Photo courtesy of Sarah R

以下では、言葉にその人の信仰が乗る現象を発見した経緯について書いています。今では確信しています。その人の信仰は、書かれた言葉や、演奏・録音された歌の言葉に乗せることができ、遠くにいる相手に伝えることができます。時間を超えて伝わります。聖書の言葉が生きているのも、聖書執筆者(詰まるところは聖霊であり、イエス・キリストです)の信仰が聖書のみことばに乗っているからだと考えることができます。

 

ある人のブログに、強い信仰を感じるのも、その人の信仰がその書かれた文字に乗っているからです。同じ言葉(文字列)を使っていても、書いた人の信仰によって、読む人が受け取るものも違うのです。これは、言葉が霊であるから(ヨハネ6:63)、ということで説明できると思います。

 

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■賛美リードによって臨在の質感が違う

最近発見した事柄があります。スポンテニアス・ワーシップにおいて、同じ曲、同じ歌詞を用いていても、ジェン・ジョンソンとアマンダ・クックでは、現れる主の臨在の質感が違うのですが、その理由が何かがわかりました。

 

賛美礼拝ないしスポンテニアス・ワーシップでは、一般的な事柄として、毎回毎回、現れる主の臨在のテクスチャーが異なるということがあります。雲の形がひとつとして同じ形がないように、礼拝ごとの主の臨在の現れ、それがもたらす経験の感覚的な内容は、おもしろいように異なります。

 

異なるとは言っても、そばとうどんほど異質なものの違いということではなく、同じそばでも、産地の違い、打ち方の違い、茹で方の違い、出しの違いというような比喩で表される違いです。臨在のテクスチャーの違いと言ってよいでしょう。

もう少し詳しく見てみます。

 

スポンテニアス・ワーシップについて、もっとわかりやすく説明をしようと思って、キリスト教界のベスト10に入ると思われる名曲の”What a Beautiful Name”(詞曲ヒルソング)のジェン・ジョンソンと、アマンダ・クックと、カリー・ヘイリゲンタル(いずれもベテルチャーチ)との違いを聴き分けたり、他のアーティストによる礼拝系の動画と聴き分けたりしていました。それで発見したのは、ジェン・ジョンソンがリードする賛美礼拝の”What a Beautiful Name”がもたらす臨在のテクスチャーと、アマンダ・クックがリードする賛美礼拝の”What a Beautiful Name”がもたらす臨在のテクスチャーが違うということです。


それだけでなく、何度聴いても、ジェン・ジョンソンの賛美リードによる”What a Beautiful Name”では、特定のところで内なる聖霊様がいつも同じように反応なさり、同じような臨在の質感を感じるのに対して、何度聴いても、アマンダ・クックの賛美リードによる”What a Beautiful Name”では、別な箇所で別な形で聖霊様が反応なさるということです。

賛美リードの人の違いによって、スポンテニアス・ワーシップの主の臨在の現れが違うということは、所属教会で2年間礼拝賛美に参列して、大阪の本部と東京の教会とで、教会の大きさも賛美リードを務める方も違うなかで、ああそういうものなのだなと、自然に理解できました。(実は、主が好きな曲がある、ということも、最近わかってきました)

 

どちらが優れているといったことではなくて、シェフが違えば料理の味付けが違うように、賛美リードの方によって、主の臨在のテクスチャ−は違います。どちらかと言えば、パワフルなテクスチャーが現れやすい方もいらっしゃれば、どちらかと言えば、シルキーなテクスチャーが現れやすい賛美リードの方もいらっしゃいます。個性が違うように、その賛美リードの方の時に現れる主の臨在が与える感覚は違うのですね。

それを踏まえて、Youtubeの録画で、ベテルチャーチに所属するジェン・ジョンソン(企業の役職で言えばヴァイス・プレジデント)と、アマンダ・クック(同じくシニア・ダイレクター)の”What a Beautiful Name”で現れる臨在の違いを比較して、何度も何度も確かめてみると、次のようなことが浮かび上がってきました。

■言葉は同じでも、それぞれの人の信仰が乗ると、現れが違う


「同じ言葉」を使っていても、その人が信じている信仰の内容によって、現れるものが違うのではないか、ということです。

非常に興味深いことです。「言葉」は同じです。文字列として見れば。しかし、そこに信仰が乗っかると、現れるものが違ってくるらしいのです。

神の言葉は生きています。

神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。(ヘブル4:12)

その生きている言葉の、生きた様は、それを口から言葉に出して言う人の信仰を乗せて何かを現し、その何かには無限のバリエーションがあるのでしょう。

 

「イエス様のお名前によって祝福します!」と言った時、その祝福の現れ方には、思わず踊り出したくなるような祝福もあれば、静かにじわーんと浸りたくなる祝福もあるということですね。

言葉に信仰を乗せるとは、言葉に、霊的な力を乗せることだ、と言うこともできるでしょう。言葉は霊でもあります。

いのちを与えるのは御霊です。肉は何の益ももたらしません。わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです。(ヨハネ6:63)

言葉を口にして、音にして、世界に放つ時、そこにはその人の信仰がそのまま反映された、霊の力が乗っかって、外部に出ていくと考えることができます。

 

まことに、あなたがたに告げます。だれでも、この山に向かって、『動いて、海に入れ』と言って、心の中で疑わず、ただ、自分の言ったとおりになると信じるなら、そのとおりになります。
(マルコ11:23)


そのために、ジェン・ジョンソンがもたらす臨在と、アマンダ・クックがもたらす臨在とが違う、ということが起こるわけですね。そういうことなのだと理解しました。

それぞれが、スポンテニアス・ワーシップの考え方に違いがあり、聖書的な信仰の何にフォーカスするかが違うわけです。これは、ある人はマリアのような信仰を持ち、ある人はペテロのような信仰を持つ、というような違いを指しています。

従って、同じ言葉を使っても、もたらされるものは違うのです。

まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしを信じる者は、わたしの行なうわざを行ない、またそれよりもさらに大きなわざを行ないます。わたしが父のもとに行くからです。(ヨハネ14:12)

このイエス様の預言についても、「わたしの行なうわざ」は、信仰の違いを反映させて、人によってまったく異っていると思います。その方が自然です。

 

また、「それよりもさらに大きなわざ」とおっしゃっているその「大きなわざ」を支える信仰も、人によって、あるいは、時代によっても大きく異なってくるのではないないかと考えています。

 

これから来ると預言されている巨大なリバイバル(2017年10月26日追記。もう来ています)の中で、ひょっとすると、過去にはなかったような大きな信仰が立ち上がり、大きなわざが、ごくごく普通のことのように行われるようになるのではないかという予感があります。


そこで、彼らは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばに伴うしるしをもって、みことばを確かなものとされた。(マルコ16:20)

 

イエス様がいらっしゃった時の福音は、ペテロに例をみる、みことばに伴うしるしがありました。あの頃の信仰が、当時の人の言葉に乗って、しるしを現したのだと思います。同じようなことが、同じ信仰を持つことができれば、同じように起こります。イエス様の預言は、さらにもっと大きなことが起こるということを、はっきりと示しておられます。

 

そのようにして何が回復されるのかと言うと、創世記でサタンがアダムやエバから奪った、神の言葉の本来的な働き。その神の言葉を使う人が、神に似せて創られたということ。神の国そのもの。

 

Photo courtesy of barnyz

2000年代前半に韓国映画の「シルミド」が話題になって、私も観ましたが、すさまじい映画でした。韓国人のスピリッツが炸裂する印象がありました。
この映画の元になった実尾島事件に関係したクリスチャンの証しの話が偶然見つかったので、記しておきます。

映画は、北朝鮮の首長を暗殺するために韓国・仁川沖の実尾島(シルミド)で特訓を受けていた特殊部隊の20数名が、自分たちの名誉を取り戻すためにソウル大統領府に直訴に行く途中で、自国軍から反乱兵として鎮圧を受け、全滅するという内容。映画の中で描かれる訓練があまりに過酷であり、時の政府の彼らに対する態度があまりに無慈悲であるがゆえに、日本で言えば忠臣蔵のような共感を得て韓国で大ヒットした映画です。日本でも観た人が少なくないのではないかと思います。

先ほど、この事件に触れていた記事を読んでいて、この事件に関係したクリスチャンが必ずいるという想いが、ふっときました。

Google検索で「実尾島」「クリスチャン」を韓国語に翻訳し、この2語で検索してみたところ、やはり出てきました
米国のキリスト教新聞クリスチャンデイリー(Christian Daily)に韓国語版があり、そこに記事が出ていました。記事は韓国語ですが、Google Chromeにはウェブページを翻訳する機能が組み込まれているので、日本語か英語にすることで内容を読むことができます。

◎「訓練兵の目から私を隠して下さい」

生き残った方は反乱兵側ではなく、彼らに対する武道の教官として実尾島に赴任していた人、現在は教会で長老になっているヤンドンス氏。当時すでにクリスチャンでした。また、彼の母が熱心なクリスチャンで、事件のあった時に息子に危機が迫っていることを夢で知らされ、それから12時間祈り続けたと書かれています。

1971年8月のある朝、3年間以上にわたる苛烈な特殊訓練の成果を発揮する機会がないまま、政権の判断による極秘任務がなくなって、不満を募らせた特殊部隊24名が島内で武装蜂起。その日の朝、ヤンドンス氏は宿舎にいて、突然、背中から首にかけて銃弾が貫通し、訓練兵の武装蜂起を知ります。逃げなければ命が失われます。

大量に出血しながらもヤンドンス氏は島内を逃げます。兵に見つかりそうになった時、彼はダニエルの奇跡を思い出したそうです。高温の炎が燃える炉に投げ込まれたダニエルが、火傷ひとつ負わずに炉から出てきた奇跡です。そして主に「彼の目から私を隠して下さい」と祈ったそうです。これで見つからずに済みました。
再度見つかりそうになり、同じ祈りをして、見つからずに済みました。島内では逃亡兵に隠れ場を与えない目的で樹木が切り倒されており、逃げ隠れできるところはありません。普通なら必ず見つかるところを、兵が通り過ぎたそうです。

三度目、これで必ず見つかるだろう、見つかれば必ず殺されるだろうという局面で、ヤンドンス氏は「訓練兵から私を隠して下さい。生かしていただければ、一生を主のためにお捧げします」と祈ったそうです。

訓練兵には彼が見えることなく通り過ぎました。しばらくして訓練兵たちはソウルの大統領府に出発します。

この間、彼の母は12時間、祈りに祈り続けたそうです。

事件が収束して後、彼は軍を除隊し、学校の美術の先生になり、教頭を経て校長になります。教会では熱心に奉仕をして、長老に選ばれます。
実尾島で経験した奇跡について、各国の教会から呼ばれて証しをしているそうです。韓国、米国、オーストラリアなどの教会をめぐって、すでに500回以上の証しをしているそうです。

 

この最後の彼の祈り。私を救って下さったら、私はこれからの生涯を主にお捧げします!という祈り。こういう祈りの証しには、過去に何度か接しています。ここまで切実な祈りは、主が、必ず聴いて、奇跡を現して下さるのでしょう。

 

ここまで切実でない祈りでも、イエス様の決定的なみことばが複数ありますから、必ず聴いて下さるでしょう。奇跡も現して下さるでしょう。どちらもハレルヤです!

 

Photo courtesy of AJ Cann