米国のベテル・チャーチなどが取り組んでいる、霊の導くままに自由自在に賛美を続けて行く礼拝の形式は、「スポンテニアス・ワーシップ」(Spontaneous Worship)と呼ばれていることがわかりました。「スポンテニアス」とは「自由きままな」「自ずから出てくる」といった意味の形容詞です。訳語の問題は後で考えましょう(^o^)

 

ベテル・チャーチの礼拝賛美動画には常に"Spontaneous Worship"という言葉が掲げられていて、これは当初バンドの名前なのかなと思っていたのですが、だんだんと、伝統的な礼拝の形と区別するためにそういう名称で呼んでいるのだということがわかってきました。ベテル・チャーチ大研究というシリーズ名で始めた際に、「現代的な教会の1つのモデルのような気がして」と書きましたが、その「モデル」の中核がこのスポンテニアス・ワーシップであることは、ほぼ間違いありません。

 

スポンテニアス・ワーシップについては、検索してみると、礼拝形式に関心がある教会関係者や、賛美の歌・演奏に関わる人たちが論じているテキストがかなり見つかります。色々目に飛び込んできた中で、もっともしっかりしているように思えたのが以下のページ。これから読み込んでみます。

 

Spontaneous Worship at Justworship.com written by Steve Pruitt

 

この記事は、1983年から中米ハイチの教会でユース・パスターを務め、1986年からアラバマ州アニストンのビンヤード・クリスチャン・フェローシップ(Vineyard Christian Fellowship)を創設して礼拝主任を9年務めた後、礼拝専門のサイトJustworship.comの運営を始めたスティーブ・プルイット氏(Steve Pruitt)によるものです。聖書の根拠聖句をいくつも引用しながら、スポンテニアス・ワーシップがなぜ重要かを論じています。彼は”Ingredients of Worship”(礼拝を整えるための素材)という書籍も執筆しているので、礼拝形式のオーソリティと言っていいでしょう。

 

スポンテニアス・ワーシップでは、「曲」の枠組みはあまり重要ではなく、1つの歌で始めて、それが延々と、賛美リーダーが導くままに、聖霊の促しがあるままに、強くなり静かになり、激しくなり静かになり、ちょうど賛美の主体が聖霊様であるかのように、すべてを霊に委ねて全体が進んで行きます。

 

そのわかりやすい例が以下のアマンダ・クックがリードする"What A Beautiful Name"の動画の前半部分です(前半20分程度)。これはベテル・チャーチで2017年1月1日に行われた日曜日のスポンテニアス・ワーシップです。アマンダ・クック。やはりすばらしい!この方は預言の賜物がありますね。

 

 

この歌は、主イエス・キリストの御名と十字架とよみがえりを賛美する内容です。冒頭のゆったりしたアンビエントの部分は、すでに主イエスの御名を賛美・礼拝する霊的な流れの中に入っています。

アマンダ・クックが繰り返していく言葉は、主の御名への畏怖を念頭に置いて、「私たちはこの特別な時のために創られた」「私たちはこの特別な時のために生まれた」という、礼拝する者として、この時を、自分たちを、聖別するニュアンスを持っていると思います。これも内なる聖霊様からわき上がるものを語るという意味で、預言です。

新年であるために、「私たちはこの特別な年のために生まれた」というフレーズも混じります。

そのようにして、言葉によって、礼拝者としての霊の調子を整えた上で、歌の中に入っていきます。

なお、冒頭で笑っている男性の声が聞こえますが、主の臨在が強く臨んだ場合、聖霊の強い動きによって号泣したり、笑い始めたりすることはよくあることです。ヨハネ3:8にあるように、聖霊様はきままに動かれます。

 

男性のジェレミー・リドルやアマンダ・クックが両手を挙げているのは、主の臨在をよりよく感じ取るためです。まだ試した経験がない方は、ぜひとも試してご覧になることをお勧めします。主の臨在が現れやすい賛美の歌があり、そういう曲の場合には、両手を挙げることで主の臨在をより感じ取りやすくなります。

 

そう。主の臨在は経験できるものです。この主の臨在を経験できることが、スポンテニアス・ワーシップの最大の特徴と言えるでしょう。多くの方がそのことを口にします。

主の臨在を何度も何度も経験することで、聖霊様の実体がより身近なものとなり、イエス様が聖霊様について言及した内容が生き生きとしたものとなって、自分の日常生活が活気あるものとなるように思います。

 

この歌は主の御名のすばらしさ、力強さ、御名のゆえの恵み、自分がイエス様から受けたすばらしい経験。さらには、イエス様が死を克服して、サタンに完全な勝利を収めたその勝利を賛美する歌であり、その勝利によって自分が救われた証しも含んでいます。証しは黙示録12章11節にある通りですから、聖霊様の盛り上がりがどんどんすごくなります。

 

12分頃からアマンダ・クックが宣言をし始めた内容は、「断絶が消え去った」「孤独が消え去った」「孤立の年は終わった」という、おそらくはこの礼拝の最中に彼女が聖霊様から受け取った預言です。

 

この頃の会場には、ものすごい濃密な主の臨在が満ちているはずです。18分を過ぎた当たりから賛美リードは男性のジェレミー・リドルに代わり、彼が導く霊的な流れの中に入っていきます。

 

主の臨在は、聖霊様が風のようにきままに吹く性格があるため、現れ方が自由でいらっしゃいます。それゆえに、この礼拝形式も Spontanenous な(自由きままな)ものでなければならないのかも知れません。主の臨在を感じ取りながら、賛美の歌や演奏を行うメンバーが曲を進めていくと、1つの曲が長くなったり、静かになったり、力強くなったり、色々に変化するわけです。

 

 

主の臨在はすばらしいです。ひとつとして、主の臨在の経験内容が同じ礼拝はありません。毎回違います。これは、主が創造主であられ、みこころのままに、その都度リアルタイムで自らの現れを創造なさるからだと思います。集う人数が多いか少ないかは関係ありません。

 

この動画の12分あたりから始まるアマンダ・クックのリードによる圧倒的な経験(エペソ2:13-16, 18)。これはほんとうに「主」そのものである、という感じです。ぜひ経験しましょう!

 

Photo courtesy of Eden Brackstone