アウトプットが多くなったなという場面は、それなりに年を重ね、許されているなという

 

 発言はすごい表現だなと言う我ながら思うところだが、受け止める方も?と思い、

 

 こうじゃないの?という返球をしてくれ、助かっている。

 

 参戦したところで、「あ~来てくれたのぉ~ありがとぉ。さくら要員だね」と言われたので

 

 「はい、梅です」と言った。サクラ要因という決めつけられたことにイラっときての返し言葉が

 

 なぜ梅だったんだろう・・とおもった矢先、「梅~~?!せめて百合にしようよ」と、

 

 笑顔満載で席に促す上司。

 

  人が集まらない危機的状況を知った時、

 

 私でよければ~という行動も積極的に行けなくなった分、サクラと受け止められている事実

 

 そこが、哀しかったかもしれない。

 

 

 

 

  昨日は、募集したけれど人が集まらないところへの参戦。

 

 市民活動団体はこのご時世、逆になんでここにいる?!ここまで続いている?と問われる

 

 ところに、私はいるんだなと痛切に思うところで「所属感ですね」と応える事は、

 

 私なりに学びや恩恵を受けてそこが「面白かった」に付き、15年ほど鎮座していますが、

 

 今や運営・管理側になり、そんな肩書与えられても変わらないスタンスでいたのですが、

 

 自ら動いて発信していかなければという、苦手部類のアウトプットの矢先に、「病」という

 

 弊壁なのか回避するのかがわからず、動けるうちは動いておけ!と、

 

 学び直しとして、忘れていた事を思い出させる原点とか、今じゃ見方が変わっているのは

 

 当時きっと理解していなかったんだろうな~。わかったつもりでいたのかもな~という事の

 

 再認識の中で、何だこの流れは?!というくらい、人間シャッフルなのか

 

 初めまして~と久しぶり~の交わす挨拶は、「ごめんなさい。知っていたけれど、対話する

 

 タイミングと時間がなかった・・」という心の声と共に、それでも大人の対応なのか、

 

 お互いさまという暗黙の〇〇で、繋がるご縁を感じるている体感中で、

 

 ネットでも、初めてお声頂くメッセージは、詐欺なのか?という懐疑心の中、

 

 調べると、へぇ~~という理念は素晴らしいという反面、

 

 返信に慎重かつ躊躇しているところで、今週はやる作業が多く、という言い訳と

 

 先延ばしとするのが、よろしくないのよね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 朝テレビをつけると、不穏な音が発生したらしく、なにこれ?!とつぶやいている方は

 

 私を見て、「ほら聞えないか?」とあらためてテレビに目をやると、「パチパチ・ジリジリ」とか

 

 確かに音が聞こえ、電波でも乱れてるんじゃないの?と、外は曇天。

 

 3年目だぞこのテレビ。と、最近録画の方もおかしくなって、何だろうと使用せず放置。

 

 設定をいじりながら、電波というか電磁波というか電気に囲まれる生活が当たり前になって

 

 約30年。世間一般家庭より早ーく導入しているものだから、それによる影響ってあるかもしれないし、

 

 ないかもしれない。と、

 

 ふとみると、色んな家の中に鎮座するデバイス16台と繋がっているらしく、全部グーグルに

 

 行っているらしいことが正しい認識かどうかわからないが、まっ、いいか。と、

 

 複雑化しているのは私じゃないし、テレビはほぼ見ないのでそのう直るでしょう感覚。

 

 

  行動力は、人一倍あった。考えている暇があったらまず行動というか、

 

 見聞録として、収集が必要よねという肩書きは度外視していて、その時にしか味わえない

 

 体験の繰り返しで学んだことはいっぱいだったが、利己主義だったかな?と思うところもある

 

 けれどとにかく突き進んだ。想い出作りの老後の楽しみのためにねというアイテムは進化して、

 

 記録として気がつけば、私はカメラマンで自分が写ってないじゃんという、

 

 それでも自我撮りは、気張ったよね。とか。

 

 おかげで、年を重ねて行動力は減ったものの、最後の想い出作りで

 

 神とあがめるあるアーティーストの公演に、応募したよね。

 

 前回(10年前)は抽選に外れてしまった。リベンジ。

 

 月末に発表があるぅ。

 

 ドキドキで、この期間は気分はアゲアゲ。キャリアオーバーしているロト7も挑戦♪

 

 

  心が病んでいたのであろうか?!

 

 30代の時に、毎年女性は厄年というのも実体験であ~確かにそうだった…。

 

 もうね、この30代は一気に来たか?!というまさかの人生経験が人よりも早く訪れ、

 

 毎年神社にすがって乗り越えた過程がある中で、精神科にも行ってみた。

 

 すると、「貴方より、お子さんの方が気がかりです・・」との言葉に、

 

 私の事が心配じゃないんだ・・。医者なのに・・直してくれない。と、期待を裏切られた

 

 感覚に陥った。

 

 一念発起というか、

 

 反面教師で「じゃぁ、やってやろうじゃないか!自分で治す」と、40歳でパートに出た。

 

 でっ、同時進行でカウンセラーという知識を学び、その時に「あなたはどうしたいの?」という

 

 先取り手法のアドラー心理学に基づいての問いだったんだな・・。とか、

 

 どうしたいのかわかなくて迷走しているむしろ誰かにこうしたほうがいいよと言うのを

 

 求めていたかもしれない。なぜなら、染まる事(順応性が高い)が、できるから・・。

 

 どうしたいの?と聞くのは、上から目線に聞こえることがある。

 

 という経験の元、今は「寄り添い型」推奨しているご様子だけれど、それはそれ。

 

 相談業務が多く、漂流とかさまよっている人も多いという話を聞き、カウンセラーの

 

 掛け持ちは疲弊しているご様子。

 

 わたしはどんなカウンセラーなんだろ。と、自然体だよな。

 

 一応技法とかは知っているけれど、一緒に落ちないラインでの発動なので

 

 普段は、面白い関係になると思います。と。