旅行や出張先からのお土産として頂く品物は、あ~あの人に買っていこう!と

 

 お付き合いの延長線上で、相手の喜びそうなものを・・と吟味するけれど、時間がない!

 

 とか、とりあえず買いましたと言うモノもあるであろう「気持ち」の表れかなとも思うところ。

 

  最近、お土産を頂く先は、「韓国」「横浜」「東京」「函館」から。

 

 昨年から復活したかな?!旅&お土産という、「今」という時間の中での想い出作り。

 

  久々の出張だというので、リクエストしたのはお土産のチョイスがセンスなさすぎだからw。

 

 函館と言えば、今は「いか」より「ラッキーピエロでしょ!」と、

 

 「自販機あるからさ、ガラナ買ってきて!」と頼んだ。

 

 私からのミッションを達成しようと、寄り道をしてもらったらしい、

 

 「何ですか?これ」と言われ、知らなかったらしく、

 

 説明したら皆さん、こぞって買ったらしい。(←こういうのが経済を回しているんだ)

 

 ついでに、生スノーマンも空港で買ったという。(←こういうのが余計なのだけれど)

 

 

 

 と、私自身はお土産話で充分で、楽しそうに話している姿を眺めているだけでいいのだけど、

 

 語彙力弱すぎて、いちいち質問して突っ込んだりしている。

 

 理想は、物語を聞いているような流暢な語りが望ましぃw。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  年を重ねると、より素直さと純粋さを応援したいところで

 

 圧倒的、子どもたち世代をどう活かすかとなると、親目線もある払拭の中で

 

 表現力が見た目と音楽なのか?という今の時代。

 

 二男に期待していた幼少の頃の歌とダンスと音楽は抜群”!と、思春期の部活と声変わりと

 

 環境変化で、別の道へは。私にはなかった仲間意識と一途な自己意識の構築なんだろうなと

 

 俯瞰した目で見られるくらい寛容になった自分は音ナを失った代償なのかもしれない。

 

 親子故の血のつながりは、尊重の時代。

 

 それが見守りという保守的な部分も備えつつ、どこかもったいない才能を引き出せなかった

 

 親の責任というか、先を生きてきたならではの思想なのだろうかと。

 

 音楽を改めて影響力はすごいのだなと言う、スノーマンとかいうアイドルとバックナンバーという

 

 世代を、なるほど・・という認めつつも、いまいち乗れないのは年月のせいなのか?!

 

 

  太陽はさしているが風が冷たい、なので寒い。

 

 いよいよ歩くのがきつくなるというか、身に染みる寒さに外出は控えるところ。

 

 訃報が相次ぎ、なんでこんなに連続しておこるのか?!というと持論だが、とある説を

 

 唱えるところだけど、批判殺到する予感がするのでここでは伏せる事として、

 

 やはり地域という町内会に携わっての関りを持ち、ご近所の方の亡くなりは、

 

 「遠くの親戚より近くの他人」という感覚で、寂しさの方が勝つところ。

 

 自宅に伺ったら、鍵がかかっていて応対もない。私の中での送る出す側の経験値が

 

 いろんな事例を知っている・・。ところの感覚で伺ったつもりが、いない?!出ない?!

 

 もう会場入りしたのか?と、そんなはずはないと思う経験上からは、きっと特例措置なのかな?

 

 と、こんな時他の人に聞けばいいものの、私もどこか躊躇する実は浅い関係。

 

 日を改めて、行けばいいか・・。と、それにしても2024年は、訃報が多いとしみじみ

 

 思うところ。

  どうも、このご時世において「ホワイト社会」の成立は、いかにブラックと呼ばれる、

 

 威圧的な攻撃的抑え込みも通用しない、いかに隠蔽(都合の悪い事)と洗脳(これが正しい)する

 

事は難しい局面はネット普及という影響は思う程強く作用されたな・・・。という、先駆者であろう

 

その流れを俯瞰しつつ、現実との折り合いの中で培った経験値と共に、ここまでくるとは思わなかった

 

我が子たちのネットとの関わり姿を見て、そういう捉え方と発信をするんだ~という展開法として

 

これを知る技法と供給とニーズのバランスが崩壊中というか、行き過ぎた演出を信じる世代が来るんだぞ!

 

 と、「ふぇぃく」が散漫するこの世界観を軽んじて与えている世代。

 

 お陰様で、視力が衰えます。情報社会の考察って体を酷使します。