エッセイ9「初バイト」
初バイト
やー、初バイト行ってきましたよ。さほど緊張もせず。トラックで運ばれてくる家電を検品したり、店頭に出したり、仕分けする。驚きました。この非労働主義者の僕が、「労働って楽しい」と思えたんですよ。今までブルーカラーの仕事はほとんどしたことがありませんでしたが、いざやってみると自分はこっちに適性があるのかもと思ってしまいました。前の特許事務所をくびになった時も上司に「君は肉体労働の方が性に合ってるのかもな」といわれました。そのことはずっと覚えていたし、やはり僕はブルーカラー派なのだろう。
親の職業ってすごく影響ありますね。父が公務員だったから、僕も受験はしたし。大学の周りの連中がどんどん大手メーカーに就職していったけど、僕はアンチ理系って感じで文系就職活動をしていた。そこには文と理しかなくて、白と青という概念はなかった。同期でサービス業や小売業に行ったヤツなんていませんもん。
今、そう状態だからあらゆることをポジティブにとらえられているのかも知れませんが。これが数カ月続いたらどう思うかもわかりませんしね。一カ月後にどう感じてるか。でもバイトっていつまで続けるんだろう。人はいつまで会社に属すんだろう。と、先のことを考えているとうんざりしてきます。どうやら僕は「永遠性」とか「安定性」みたいなものを恐れているようです。都合のいい安定性はほしがるくせに。いずれにしても精神状態が悪くなったときのバイトが心配ですね。バイト中に記憶が飛んだらやばいし。まあくびになったらなったでいいや。つうか、くびにしてくれと。初日でまだ少し興奮しているのだと思います。一週間後にはドライな見方ができていると思います。
やー、初バイト行ってきましたよ。さほど緊張もせず。トラックで運ばれてくる家電を検品したり、店頭に出したり、仕分けする。驚きました。この非労働主義者の僕が、「労働って楽しい」と思えたんですよ。今までブルーカラーの仕事はほとんどしたことがありませんでしたが、いざやってみると自分はこっちに適性があるのかもと思ってしまいました。前の特許事務所をくびになった時も上司に「君は肉体労働の方が性に合ってるのかもな」といわれました。そのことはずっと覚えていたし、やはり僕はブルーカラー派なのだろう。
親の職業ってすごく影響ありますね。父が公務員だったから、僕も受験はしたし。大学の周りの連中がどんどん大手メーカーに就職していったけど、僕はアンチ理系って感じで文系就職活動をしていた。そこには文と理しかなくて、白と青という概念はなかった。同期でサービス業や小売業に行ったヤツなんていませんもん。
今、そう状態だからあらゆることをポジティブにとらえられているのかも知れませんが。これが数カ月続いたらどう思うかもわかりませんしね。一カ月後にどう感じてるか。でもバイトっていつまで続けるんだろう。人はいつまで会社に属すんだろう。と、先のことを考えているとうんざりしてきます。どうやら僕は「永遠性」とか「安定性」みたいなものを恐れているようです。都合のいい安定性はほしがるくせに。いずれにしても精神状態が悪くなったときのバイトが心配ですね。バイト中に記憶が飛んだらやばいし。まあくびになったらなったでいいや。つうか、くびにしてくれと。初日でまだ少し興奮しているのだと思います。一週間後にはドライな見方ができていると思います。
連載短編小説『それでも人生に』 ⑨
私は理科系に向いていないことを六年の在学生活で分かっていたので、大学推薦によるメーカーや情報産業への就職活動は行わなかった。無謀にも出版社や学習塾を受験し、全滅した。十月頃、大学の就職課に相談して日本最大の特許事務所を紹介された。あっさりと内定通知が来た。小難しそうな仕事だったがそこに行くことにした。
実際に仕事は難しかった。オフィスの雰囲気に最後まで慣れることができなかった。部長と机を向かい合わせて毎日顔を突き合わせなければならないのも苦痛だった。特許法の知識と技術明細書の作成方法を習得しなければならなかったが、そのどちらにおいても私のインセンティヴは低く、研修の時点ですでに落ちこぼれていた。「スーツを着て、満員電車に乗って、月曜日から金曜日まで、九時から十七時まで働く、という生活が三十五年も続くのか」と思うとうんざりした。こういう人生はアホらしいと今でも思っている。自分はサラリーマンには向いていないことを痛感した。
心身ともに限界が来ていることを実感し始めた頃、昔付き合っていた玲子の夢を見た。玲子自身は出て来なかったが、夢の中で私は玲子の部屋に掛かっているカレンダーを見ていた。カレンダーには私と別れてから彼女が付き合った五、六人の男の名前が書かれていた。
それで玲子に無性に会いたくなり、電話をして飲む約束をした。数年ぶりに会った玲子は昔と変わらず普通か少し綺麗なくらいの顔立ちで、話をしてもその魅力は奥が深く、捕まえたくても捕まえられない青い鳥の様な女だった。この女を自分のものにしたいと思った。
「今付き合っている人と九月に婚約してアパート借りて同棲するんだ。それで年内には結婚することになってるの」そう幸せそうに話した。自分から振った女ではあったが私は絶望的な気分になった。飲めないくせに自分にしてはかなりの量の酒を飲んだ。
翌日は二日酔いと睡眠不足のせいで全く頭が働かず、部長の前で仕事をしているふりをするのが精一杯だった。それでかなり自己嫌悪に陥った。仕事に対する自信を完全に失った。
実際に仕事は難しかった。オフィスの雰囲気に最後まで慣れることができなかった。部長と机を向かい合わせて毎日顔を突き合わせなければならないのも苦痛だった。特許法の知識と技術明細書の作成方法を習得しなければならなかったが、そのどちらにおいても私のインセンティヴは低く、研修の時点ですでに落ちこぼれていた。「スーツを着て、満員電車に乗って、月曜日から金曜日まで、九時から十七時まで働く、という生活が三十五年も続くのか」と思うとうんざりした。こういう人生はアホらしいと今でも思っている。自分はサラリーマンには向いていないことを痛感した。
心身ともに限界が来ていることを実感し始めた頃、昔付き合っていた玲子の夢を見た。玲子自身は出て来なかったが、夢の中で私は玲子の部屋に掛かっているカレンダーを見ていた。カレンダーには私と別れてから彼女が付き合った五、六人の男の名前が書かれていた。
それで玲子に無性に会いたくなり、電話をして飲む約束をした。数年ぶりに会った玲子は昔と変わらず普通か少し綺麗なくらいの顔立ちで、話をしてもその魅力は奥が深く、捕まえたくても捕まえられない青い鳥の様な女だった。この女を自分のものにしたいと思った。
「今付き合っている人と九月に婚約してアパート借りて同棲するんだ。それで年内には結婚することになってるの」そう幸せそうに話した。自分から振った女ではあったが私は絶望的な気分になった。飲めないくせに自分にしてはかなりの量の酒を飲んだ。
翌日は二日酔いと睡眠不足のせいで全く頭が働かず、部長の前で仕事をしているふりをするのが精一杯だった。それでかなり自己嫌悪に陥った。仕事に対する自信を完全に失った。
今日の日記「かぐわしきキンモクセイの香り」
こんばんみだ! こんちきちきマシーン!
今日のニュース。
タイガー・ウッズ 元モデルのノルデグレンさんと挙式
米メディアは5日、男子ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズさん(28)=米国=が同日、元モデルのエリン・ノルデグレンさん(24)とカリブ海のバルバドスで結婚式を挙げたと一斉に伝えた。ウッズさんはこれまで結婚式について、一切公表していなかった。(毎日新聞)
ウッズってすごく若い印象を持っていたのですが、もう28ですか。結婚適齢期ですねえ。天才ゴルファーと元モデルの結婚。結局オトコは容姿の美しさを女に求め、女はオトコに金を求めているのかなあ思うと、なんだかねえ。。。
今日の自分。
5時おきです。すぱっと目が覚めるんです。そしてすぐ机に向かう。勉強したりネットしたり。お昼ころには眠くなるんですけどね。今日は昼食後の眠気覚ましにコーヒーを飲んだら胃が荒れて吐きました。胃腸弱いです。いろいろデリケートで嫌になっちゃう。自分を受け入れていくしかないです。
午後も勉強したり、ブログで遊んだり。今ブログが面白いです。アメーバブログというところでやっているのですが、昨日が今ひとつな感じがして他のブログにも手をつけました。でも結局アメーバに落ち着きそうです。読者制度とランキング制度が楽しいですからね。
右京散歩。久しぶりにいい天気でしたね。涼しげな風がキンモクセイの香りを運んできてくれて気持ちがよかったです。僕は秋大好き! 春嫌い。精神おかしくなるから。夕飯は唐揚げ弁当。母もやる気がないようです。息子ひとりのために料理を作るより、たぶん弁当買ったほうが安上がりですよね。僕も皿洗いしなくてすむし。
そんな感じで今にふれんち。今後の予定は漢検復習。あとDVDも観ないと返却日が迫っています。明日の予定もあさっての予定も明々後日の予定もやの明後日の予定も同じ! 「やの」という字は難しすぎて変換できませんでした。
そんなところでしょうか。最近時が経つのが早いですね。エンジョイしてください。
今日のお言葉
調子いいぞう!
(まったり)
今日のニュース。
タイガー・ウッズ 元モデルのノルデグレンさんと挙式
米メディアは5日、男子ゴルフ界のスーパースター、タイガー・ウッズさん(28)=米国=が同日、元モデルのエリン・ノルデグレンさん(24)とカリブ海のバルバドスで結婚式を挙げたと一斉に伝えた。ウッズさんはこれまで結婚式について、一切公表していなかった。(毎日新聞)
ウッズってすごく若い印象を持っていたのですが、もう28ですか。結婚適齢期ですねえ。天才ゴルファーと元モデルの結婚。結局オトコは容姿の美しさを女に求め、女はオトコに金を求めているのかなあ思うと、なんだかねえ。。。
今日の自分。
5時おきです。すぱっと目が覚めるんです。そしてすぐ机に向かう。勉強したりネットしたり。お昼ころには眠くなるんですけどね。今日は昼食後の眠気覚ましにコーヒーを飲んだら胃が荒れて吐きました。胃腸弱いです。いろいろデリケートで嫌になっちゃう。自分を受け入れていくしかないです。
午後も勉強したり、ブログで遊んだり。今ブログが面白いです。アメーバブログというところでやっているのですが、昨日が今ひとつな感じがして他のブログにも手をつけました。でも結局アメーバに落ち着きそうです。読者制度とランキング制度が楽しいですからね。
右京散歩。久しぶりにいい天気でしたね。涼しげな風がキンモクセイの香りを運んできてくれて気持ちがよかったです。僕は秋大好き! 春嫌い。精神おかしくなるから。夕飯は唐揚げ弁当。母もやる気がないようです。息子ひとりのために料理を作るより、たぶん弁当買ったほうが安上がりですよね。僕も皿洗いしなくてすむし。
そんな感じで今にふれんち。今後の予定は漢検復習。あとDVDも観ないと返却日が迫っています。明日の予定もあさっての予定も明々後日の予定もやの明後日の予定も同じ! 「やの」という字は難しすぎて変換できませんでした。
そんなところでしょうか。最近時が経つのが早いですね。エンジョイしてください。
今日のお言葉
調子いいぞう!
(まったり)
エッセイ8「そう状態」
そう状態
その日も何をしたかすぐには思い出せない。壮年性健忘症か? 朝四時に目が覚めた。前の日寝たのが一二時だったので「四時間睡眠だなあ」と思ったのを覚えている。最近はこれくらいの短さは慣れっこになってしまった。
午前中はパソコンに向かった。昼寝もした。何かの夢を見たのか「なんで村上龍や春樹にはあんな小説がかけて僕にはかけないんだろう。才能だけで片づけていいのだろうか」と思った。それでAmazonで「小説の書き方」とキーワードを入れて検索した。良さそうな本は一七冊あった。気分が高揚しているのですべて買ってしまいそうな勢いだが、何日か経ってみるとそんなに欲しいわけでもなくなっている。
僕はこれがよくある。最近ではシマリスがそうだった。結局「今飼っている右近を大切にしよう」という結論に達したのだ。だから今回の本も冷却期間をおくことにした。それでなくても買ったはいいが読んでない本が今一○冊くらいある。本を読むよりやりたいこと、やるべきことが多いのだ。
僕はメモ魔で、気づいたことはすぐメモして整理して解決していく。そのメモが今、多い。つまりやりたいと思っている ことが多いのだ。これはとりもなおさずそう状態だからだ。そうは睡眠さえきちんととれればうつよりずっといい。充実している。お金の支出が少し増えるけど。翌日を充実させるためにその日も早く寝ます。
その日も何をしたかすぐには思い出せない。壮年性健忘症か? 朝四時に目が覚めた。前の日寝たのが一二時だったので「四時間睡眠だなあ」と思ったのを覚えている。最近はこれくらいの短さは慣れっこになってしまった。
午前中はパソコンに向かった。昼寝もした。何かの夢を見たのか「なんで村上龍や春樹にはあんな小説がかけて僕にはかけないんだろう。才能だけで片づけていいのだろうか」と思った。それでAmazonで「小説の書き方」とキーワードを入れて検索した。良さそうな本は一七冊あった。気分が高揚しているのですべて買ってしまいそうな勢いだが、何日か経ってみるとそんなに欲しいわけでもなくなっている。
僕はこれがよくある。最近ではシマリスがそうだった。結局「今飼っている右近を大切にしよう」という結論に達したのだ。だから今回の本も冷却期間をおくことにした。それでなくても買ったはいいが読んでない本が今一○冊くらいある。本を読むよりやりたいこと、やるべきことが多いのだ。
僕はメモ魔で、気づいたことはすぐメモして整理して解決していく。そのメモが今、多い。つまりやりたいと思っている ことが多いのだ。これはとりもなおさずそう状態だからだ。そうは睡眠さえきちんととれればうつよりずっといい。充実している。お金の支出が少し増えるけど。翌日を充実させるためにその日も早く寝ます。
エッセイ7「4月2日の意味」
四月二日の意味
四月二日、月曜日。一年が始まる日でしたね。会社にお勤めの方は後輩が入社してきたり、異動があったり。僕はそんな世の中の動きとは全く関係なく、無為な一日を過ごしてしまいました。有為な人生というのはどういうものなのだろう。やはり社会参加ということになるのだろうか。きっと労働したり賃金を得たりすることが有為なのではなくて、そこで人と関わり合ってコミュニケーションをとることが有為なのでしょうね。
では人間が嫌いで、人間という存在を自然発生するプランクトンと同程度にしか考えていない人にとっては、有為なことというものは存在しないのでしょうか。人間=プランクトン だと思っている人は、つまりその人自身がプランクトンと同程度の存在価値しかないと自分で思っているわけで、そんな人が自分の人生の有為無為について考えたり論じたりすること自体生意気というか、権利がないことをしているわけですね。つまり人間を嫌うもの人生を論ずべからず、と。
僕が人間を嫌いなのは自分に自信がないから、自分を愛していないからでしょう。人間関係で傷つくのが怖いと。それは育成環境に因るところが大きいから直そうとして直るものでもないし、積極的に直したいと思うわけでもない。ではこういう人はつべこべ言わず勝手に無為な人生を生きろと。確かに。ノーペイン、ノーゲイン。傷つくのが怖かったら何も得られないということと同時に、何も得ようと思わなければ痛い思いはしないですむと。世間は前者を推奨するけれど、僕は後者を選択したい、というかせざるを得ない。明るくてポジティブで元気であることが評価される世の中ですが、暗くてもネガティブでもいいじゃないかと。死ぬときになって「ああ、なんにもなかった人生だったな」と思うような人生も有りだと。
だいぶこじれてますね。別に落ち込んでいたりするわけではないのですが、やはり四月二日という日に世間の有為と自分の無為のコントラストを感じたのです。孤独だからこじれるのか? じゃあ嫁さんもらえばこじれないのか? 人生の意義を見いだすために嫁さんもらうのか? 嫁さんはあんたの人生の道具かと。よくわかりません。
皆さん、会社でお花見に行ったりします? 日本人の花見の騒ぎようっておかしくないですか? 何十年も前からやっていて飽きないの? って思いません?
四月二日、月曜日。一年が始まる日でしたね。会社にお勤めの方は後輩が入社してきたり、異動があったり。僕はそんな世の中の動きとは全く関係なく、無為な一日を過ごしてしまいました。有為な人生というのはどういうものなのだろう。やはり社会参加ということになるのだろうか。きっと労働したり賃金を得たりすることが有為なのではなくて、そこで人と関わり合ってコミュニケーションをとることが有為なのでしょうね。
では人間が嫌いで、人間という存在を自然発生するプランクトンと同程度にしか考えていない人にとっては、有為なことというものは存在しないのでしょうか。人間=プランクトン だと思っている人は、つまりその人自身がプランクトンと同程度の存在価値しかないと自分で思っているわけで、そんな人が自分の人生の有為無為について考えたり論じたりすること自体生意気というか、権利がないことをしているわけですね。つまり人間を嫌うもの人生を論ずべからず、と。
僕が人間を嫌いなのは自分に自信がないから、自分を愛していないからでしょう。人間関係で傷つくのが怖いと。それは育成環境に因るところが大きいから直そうとして直るものでもないし、積極的に直したいと思うわけでもない。ではこういう人はつべこべ言わず勝手に無為な人生を生きろと。確かに。ノーペイン、ノーゲイン。傷つくのが怖かったら何も得られないということと同時に、何も得ようと思わなければ痛い思いはしないですむと。世間は前者を推奨するけれど、僕は後者を選択したい、というかせざるを得ない。明るくてポジティブで元気であることが評価される世の中ですが、暗くてもネガティブでもいいじゃないかと。死ぬときになって「ああ、なんにもなかった人生だったな」と思うような人生も有りだと。
だいぶこじれてますね。別に落ち込んでいたりするわけではないのですが、やはり四月二日という日に世間の有為と自分の無為のコントラストを感じたのです。孤独だからこじれるのか? じゃあ嫁さんもらえばこじれないのか? 人生の意義を見いだすために嫁さんもらうのか? 嫁さんはあんたの人生の道具かと。よくわかりません。
皆さん、会社でお花見に行ったりします? 日本人の花見の騒ぎようっておかしくないですか? 何十年も前からやっていて飽きないの? って思いません?
エッセイ6「年金」
年金
隔週水曜は病院へ行く日だ。最近そう状態で、一日に二時間ほどしか眠れておらず、目は痛いわ、肩はこるわ、吐き気はするわ、体力的にはしんどいわ、ということで、医者に薬をかえてもらった。それから障害者になる手続きをすることにした。僕のように病気によって働けない人を障害者と認定して、障害者年金で国に食わせてもらうという制度があることを比較的最近知った。体が悪い人は身体障害者。精神が悪い人は精神障害者。精神障害者に自分からなるなんて何となく聞こえが悪いですけど、世の中こうでもしないと生きていけない人がいるのです。
まだ書類を集めている段階だし、役所に提出しても認可にはだいぶ時間がかかるらしいです。でも僕的には年金をもらうことに決めたことで精神的にかなり楽になりました。今までは無理をしてでも働かなくてはならない、働けなかったらホームレスになってゆくゆくは自殺するか餓死するだろうと思っていたので、かなりネガティブでプレッシャーがかかっていました。年金の支給額なんて微々たるものですが、母親にパラサイトして、母の年金と合わせれば貧しいながらも何とか食っていけるんじゃな いかという見通しが立ちました。あくまで障害者に認定されればの話ですけど。
あとはひきこもり状態にならないように無理のない範囲で社会参加する。若いうちなら軽いアルバイトとか。でも年をとるにつれてバイト先もなくなってくる。そうなったらビルの清掃員でもできればいいかなと思っています。ボランティアをしたり。生きていくことが少し楽になってきました。
隔週水曜は病院へ行く日だ。最近そう状態で、一日に二時間ほどしか眠れておらず、目は痛いわ、肩はこるわ、吐き気はするわ、体力的にはしんどいわ、ということで、医者に薬をかえてもらった。それから障害者になる手続きをすることにした。僕のように病気によって働けない人を障害者と認定して、障害者年金で国に食わせてもらうという制度があることを比較的最近知った。体が悪い人は身体障害者。精神が悪い人は精神障害者。精神障害者に自分からなるなんて何となく聞こえが悪いですけど、世の中こうでもしないと生きていけない人がいるのです。
まだ書類を集めている段階だし、役所に提出しても認可にはだいぶ時間がかかるらしいです。でも僕的には年金をもらうことに決めたことで精神的にかなり楽になりました。今までは無理をしてでも働かなくてはならない、働けなかったらホームレスになってゆくゆくは自殺するか餓死するだろうと思っていたので、かなりネガティブでプレッシャーがかかっていました。年金の支給額なんて微々たるものですが、母親にパラサイトして、母の年金と合わせれば貧しいながらも何とか食っていけるんじゃな いかという見通しが立ちました。あくまで障害者に認定されればの話ですけど。
あとはひきこもり状態にならないように無理のない範囲で社会参加する。若いうちなら軽いアルバイトとか。でも年をとるにつれてバイト先もなくなってくる。そうなったらビルの清掃員でもできればいいかなと思っています。ボランティアをしたり。生きていくことが少し楽になってきました。
アメブロについて
breviewさんのところでアメブロのデメリットを書いていました。
僕はホームページに訪れてくださっている龍さんにここを紹介されたので
やってみることにしました。
だいぶ勝手が分かってきました。
日本唯一の賞金つきブログだとは知りませんでした。
賞金なんて要りません。
読者がついてくれるとうれしいことと、
ランキング制度があるのが張り合いがでますね。
って、3日くらい前からランク変わっていないのですが。
欠陥なのかな。
ヤフーでブログ検索したらいっぱいでてきました。
なにもアメブロにこだわる必要はないみたいです。
移籍しようかなあ。二股かけてみようかな。
読者がついて、ランキング制度があるのがいいな。
どこかいいところがあったら教えてくださいね。
僕はホームページに訪れてくださっている龍さんにここを紹介されたので
やってみることにしました。
だいぶ勝手が分かってきました。
日本唯一の賞金つきブログだとは知りませんでした。
賞金なんて要りません。
読者がついてくれるとうれしいことと、
ランキング制度があるのが張り合いがでますね。
って、3日くらい前からランク変わっていないのですが。
欠陥なのかな。
ヤフーでブログ検索したらいっぱいでてきました。
なにもアメブロにこだわる必要はないみたいです。
移籍しようかなあ。二股かけてみようかな。
読者がついて、ランキング制度があるのがいいな。
どこかいいところがあったら教えてくださいね。
エッセイ5「床屋」
床屋
「あんたそろそろ床屋に行ったら」と母によく言われる。床屋にはもしかしたら半年くらいいってないかも知れない。高いし、うまくいかないことが多いし。だから自分で切っている。少しずつつまんで切れば失敗しないものだ。襟足が伸びているというので母の前で切って見せた。すると「あたしが切ってやろうか」ということになり、少しだけやってもらった。
うちは中二くらいまで父に髪を切られていた。とても恐ろしい父だったので抵抗できなかった。いつも悲惨な髪型にされていた。ある日、絶望的な髪型にされたことがあった。この家を出ようと思った。図書館に行って来る、といって自転車で新宿から奥多摩まで行った。途中で「もう家には帰らないから」と家に電話を入れて一方的に切った。山の中で寝るつもりだったが、三月頃だっただろうか、草の上に横になっても寒くて一睡もできない。こんなことをしている場合じゃない、仕事を探して食って行かねば、と思った。奥多摩から職のありそうなところといえば、南下すれば横浜に着くはずだと思い立った。
峠では自転車を押して横浜に向かった。中学生の僕が働く手段として思いついたのは新聞配達屋しかなかった。店長は人徳のある人だった。なんだかよくわからないが何となく帰るように説得された。「本当に働きたかったら中学を卒業したらおいで」と優しく言われて、僕は家に帰ることにした。
両親は泣いて出迎えた。僕はこいつを一生許すまいと思った。父は三年前に死んだが、僕は父がつくった自分を許していない
「あんたそろそろ床屋に行ったら」と母によく言われる。床屋にはもしかしたら半年くらいいってないかも知れない。高いし、うまくいかないことが多いし。だから自分で切っている。少しずつつまんで切れば失敗しないものだ。襟足が伸びているというので母の前で切って見せた。すると「あたしが切ってやろうか」ということになり、少しだけやってもらった。
うちは中二くらいまで父に髪を切られていた。とても恐ろしい父だったので抵抗できなかった。いつも悲惨な髪型にされていた。ある日、絶望的な髪型にされたことがあった。この家を出ようと思った。図書館に行って来る、といって自転車で新宿から奥多摩まで行った。途中で「もう家には帰らないから」と家に電話を入れて一方的に切った。山の中で寝るつもりだったが、三月頃だっただろうか、草の上に横になっても寒くて一睡もできない。こんなことをしている場合じゃない、仕事を探して食って行かねば、と思った。奥多摩から職のありそうなところといえば、南下すれば横浜に着くはずだと思い立った。
峠では自転車を押して横浜に向かった。中学生の僕が働く手段として思いついたのは新聞配達屋しかなかった。店長は人徳のある人だった。なんだかよくわからないが何となく帰るように説得された。「本当に働きたかったら中学を卒業したらおいで」と優しく言われて、僕は家に帰ることにした。
両親は泣いて出迎えた。僕はこいつを一生許すまいと思った。父は三年前に死んだが、僕は父がつくった自分を許していない
連載短編小説『それでも人生に』 ⑧
私が大学二年の初夏に父親が腎臓癌であることが判った。それまでも健康診断で精密検査が必要であることは判っていたが父親は「俺が病気になる訳がない」と検査結果を無視していた。しかし流石に血尿を出した時には自分でも余程驚いたのだろう。会社で検診を受けた病院で精密検査を受けた。
すぐに入院して片方の腎臓を摘出する手術を受けた。執刀医は術後すぐに私ら家族に摘出した腎臓を見せてくれた。「ほら、腎臓全体が黄色くなってるでしょ。これ全部癌細胞に侵されているんですよ。本来なら腎臓はこの三分の二くらいの大きさなんですけど癌細胞で膨れ上がっちゃってるんですね」私は腎臓を見たのも初めてだったし、癌細胞とやらにお目に掛かったのも初めてだった。これは摘出して正解だと思った。
父親は術後数日でいつもの小うるさいジジイになっていた。腹には大きな切り痕があったし、体もげっそりと痩せこけていた。本人には知らせていなかったが既に他の臓器にも転移していて後一年程度の命だと言われていた。そうとは知らない父親は退院して完全に治ったと思い、会社にも復帰して仕事をしていた。
ちょうど一年後、再び容態が悪化した。家で静養していると意識障害が出てきた。何もない壁を指して「おい、あれを見ろ。滅多に見れないぞ」父親には壁が映画の銀幕に見えたらしかった。また何かを言いそうになるので家族が注目していると、言うべきことを忘れたのか意識が途切れてしまったのか、口をもごもごさせて黙り込んでしまうことが頻繁にあった。
結局有名な癌センターのホスピスに入院することになった。ホスピスはホテルの様な部屋から広い庭園を一望できるようになっていた。私は大学が夏休みに入っていたので談話室で宿題を済ませたり、近くのバッティングセンターの回数券を買って遊んだりしていた。父親には痛み止めのモルヒネを打つだけで延命治療は一切施さなかった。
七月二十二日、家族用仮眠室で寝ていた私を母親が起こしに来た。「ちょっと危ないみたいだから来て」病室には母親、兄、医者が揃っていて緊張感が漂っていた。父親の呼吸で上下する胸と口元を一体何時間見つめ続けただろうか。少しずつ呼吸が小さくなっていった。兄と母親は「父さん」と時々声を掛けながら父親の手を握っていた。
私は人の息が止まるのを生まれて初めて見た。本当に父親は静かに死へと収束していった。午前五時七分。涙は一滴も出てこなかった。むしろ嬉しかった。ああ、これからやっと自分の人生を生きられる、私にとって今日が本当の誕生日なんだ、と。
「バッティングセンターの回数券、残っちゃった。まさかこんなに早くお父さん死ぬとは思ってなかったから」と言うと兄も
「そうだよなあ。俺も母ちゃんもこんなに早いとは思ってなかったよ」と答えた。ホスピスに入院してから十日程しか経っていなかった。
墓は要らない、葬式はやるなと父親は言っていたが結局親戚の強い反対に合い葬式が行われた。多くの親戚が遙々北海道から飛行機でやってきてくれた。予想以上に大きな式になった。役職名ばかり一丁前でほとんど平社員みたいなものだろうと思っていたが会社から花が沢山届けられた。会社の人の参列は断ったが「私の父親みたいな存在だったんです。どうか参列させて下さい」と言う人がいたので二人だけ来てもらった。親戚にも「孝夫ちゃんにはホントにお世話になったから」と口々に言われた。若い頃から貧乏な家を手伝っていたらしいし、退職金もほとんど世話になった親戚にバラまいてしまっていた。私が憎んでいた父親が社会ではこんなに評価されていたことを父親が死んでから初めて知った。
生命保険の掛け金は年齢と共に高くなっていく。父親は掛け金が上がる年になった時「当分死にやしないんだから馬鹿らしい」と解約してしまった。後に母親は「だってお父さんはもうすぐ死ぬんだから掛け続けた方が良いよなんて言えないじゃない」と悲痛な表情をしていた。解約後すぐに再発した。「あのとき解約しなきゃあ良かったな」と病院のベッドの上で悔しがっていた。
「宝くじを買え。俺の生命保険の代わりに当たる筈だから」そう言って家族に宝くじを買って来させた。父親が病床にいる時も死んでからも宝くじを暫く買い続けたが、結局一度も当たりはしなかった。
すぐに入院して片方の腎臓を摘出する手術を受けた。執刀医は術後すぐに私ら家族に摘出した腎臓を見せてくれた。「ほら、腎臓全体が黄色くなってるでしょ。これ全部癌細胞に侵されているんですよ。本来なら腎臓はこの三分の二くらいの大きさなんですけど癌細胞で膨れ上がっちゃってるんですね」私は腎臓を見たのも初めてだったし、癌細胞とやらにお目に掛かったのも初めてだった。これは摘出して正解だと思った。
父親は術後数日でいつもの小うるさいジジイになっていた。腹には大きな切り痕があったし、体もげっそりと痩せこけていた。本人には知らせていなかったが既に他の臓器にも転移していて後一年程度の命だと言われていた。そうとは知らない父親は退院して完全に治ったと思い、会社にも復帰して仕事をしていた。
ちょうど一年後、再び容態が悪化した。家で静養していると意識障害が出てきた。何もない壁を指して「おい、あれを見ろ。滅多に見れないぞ」父親には壁が映画の銀幕に見えたらしかった。また何かを言いそうになるので家族が注目していると、言うべきことを忘れたのか意識が途切れてしまったのか、口をもごもごさせて黙り込んでしまうことが頻繁にあった。
結局有名な癌センターのホスピスに入院することになった。ホスピスはホテルの様な部屋から広い庭園を一望できるようになっていた。私は大学が夏休みに入っていたので談話室で宿題を済ませたり、近くのバッティングセンターの回数券を買って遊んだりしていた。父親には痛み止めのモルヒネを打つだけで延命治療は一切施さなかった。
七月二十二日、家族用仮眠室で寝ていた私を母親が起こしに来た。「ちょっと危ないみたいだから来て」病室には母親、兄、医者が揃っていて緊張感が漂っていた。父親の呼吸で上下する胸と口元を一体何時間見つめ続けただろうか。少しずつ呼吸が小さくなっていった。兄と母親は「父さん」と時々声を掛けながら父親の手を握っていた。
私は人の息が止まるのを生まれて初めて見た。本当に父親は静かに死へと収束していった。午前五時七分。涙は一滴も出てこなかった。むしろ嬉しかった。ああ、これからやっと自分の人生を生きられる、私にとって今日が本当の誕生日なんだ、と。
「バッティングセンターの回数券、残っちゃった。まさかこんなに早くお父さん死ぬとは思ってなかったから」と言うと兄も
「そうだよなあ。俺も母ちゃんもこんなに早いとは思ってなかったよ」と答えた。ホスピスに入院してから十日程しか経っていなかった。
墓は要らない、葬式はやるなと父親は言っていたが結局親戚の強い反対に合い葬式が行われた。多くの親戚が遙々北海道から飛行機でやってきてくれた。予想以上に大きな式になった。役職名ばかり一丁前でほとんど平社員みたいなものだろうと思っていたが会社から花が沢山届けられた。会社の人の参列は断ったが「私の父親みたいな存在だったんです。どうか参列させて下さい」と言う人がいたので二人だけ来てもらった。親戚にも「孝夫ちゃんにはホントにお世話になったから」と口々に言われた。若い頃から貧乏な家を手伝っていたらしいし、退職金もほとんど世話になった親戚にバラまいてしまっていた。私が憎んでいた父親が社会ではこんなに評価されていたことを父親が死んでから初めて知った。
生命保険の掛け金は年齢と共に高くなっていく。父親は掛け金が上がる年になった時「当分死にやしないんだから馬鹿らしい」と解約してしまった。後に母親は「だってお父さんはもうすぐ死ぬんだから掛け続けた方が良いよなんて言えないじゃない」と悲痛な表情をしていた。解約後すぐに再発した。「あのとき解約しなきゃあ良かったな」と病院のベッドの上で悔しがっていた。
「宝くじを買え。俺の生命保険の代わりに当たる筈だから」そう言って家族に宝くじを買って来させた。父親が病床にいる時も死んでからも宝くじを暫く買い続けたが、結局一度も当たりはしなかった。
日記「毎日楽しいです」
こんばんみ!夕飯前だ! 腹減った!
今日のニュース。
「うちの名字言ってみろ」 オレオレ詐欺撃退
73歳男性 警察の防犯劇ヒント
「オレオレ詐欺」とみられる不審な電話を受けた東京都文京区の無職の男性(七三)が、警察が企画したオレオレ対策の「防犯劇」を見ていたことから犯行を見抜き、教わった通りに「うちの名字は」と迫って相手の男を撃退していたことが五日、分かった。(産経新聞)
面白いですねえ。いいアイディアです。老人を標的にするなんて嫌ですねえ。もうすぐ全人口の25%が65歳以上の「老人」になるそうです。うちの母なんか見ているとまだまだ若いと思いますけどね。
今日の自分。
午前中は勉強していました。全体の50%の復習が終わりました。いいペースです。午後はブログの読者登録をたくさんしてしまいました。定期購読者もついてくれました。やっぱり読まれてナンボです。ランクアップしたいです。
歴検の勉強も少ししました。これで歴史が好きになれるといいんだけどな。
今日は大雨でしたね。ほとんど家から出ずに過ごしました。シエスタもしました。目を酷使しているせいか、首の後ろが凝ります。僕は視力が右0.1以下、左が1.0とばらついているのでどちらかの目に負担がかかっているのだと思います。たいてい眠れば治りますね。目に熱さまシートを貼って寝ると気持ちいいだけでなく、治癒に効果的な感じです。どうぞお試しあれ。
なんだかにわかに忙しくなってきました。24日まで漢検の勉強をする。並行してパステル画を描く。12月の歴検にもエントリーしたい。翻訳の勉強もしたい。金曜日までにDVDを3枚観て返却しなくてはならない。
これで忙しいとかいっていたら働いている方が怒りますね。どうでもいいこと、自分の好きなことで忙しいなんていっている。毎日ブログの更新をするのも楽しみです。おかげさまでしあわせです。精神障害者がしあわせなんてあり得るのか? などといつもの疑問を投げかけてしまいますが、浮浪者だって犯罪者だって自分がしあわせを感じたらそれでいいんですよね。
そんなところでしょうか。今後の予定はブログの更新と勉強。ときどきフレンズを観る。明日もあさっても同じです。
それではナイス水曜日をお過ごしください。
今日のお言葉
地味に忙しい。
(まったり)