あなたのココロ、治します。 -60ページ目

エッセイ 4 ケチ

ケチ
最近眠りに眠って、とうとう昼間でも起きてられるようになりました。そうすると案外やることがないもので、ゲームをしてみたり、欲しい本を探して図書館や本屋や古本屋をはしごしてみたりします。でもそのうちに「どうせ今欲しいと思っている本も買ったらどうでもよくなる」ことが想像ついてしまいました。ああ、こうして消費の罠にはまっているんだなと。ならば図書館を使えばと思うが在庫が少ない。古本屋は在庫も不確かだし探すのが一苦労だ。本屋やAmazonだったら欲しい本は確実に手にはいる。しかし今欲しい本は七冊で計一万円オーバーになってしまう。立花隆が「ぼくはこんな本を読んできた」の中で書いているようにケチるべきではないのだろうか。彼は三万円(一九七五年当時の)もって本屋へ行ったそうだ。しかし彼の場合は仕事の取材としての読書であり、僕は趣味みたいなものだ。高々一万円でどうしてこんなに迷うのだろう。確かに僕は極貧だ。でも財布に一万円くらいならさすがにある。問題はケチな性格だ。一度読まれたら二度と開かれずに本棚に置かれている本を見ると、無駄なことをしたと思ってしまう。読んだことが頭に残っていたり、実生活に活きていたりすればいいのだが、そんな実感はあまりない。本代は惜しむなという。ふーむ。やっぱただのケチだな。

連載短編小説『それでも人生に』 ⑦

退院してからは大学を休学することになった。退学したい旨は父親に何度か話してあった。父親は自分が若い頃に家庭が貧しくて大学に行くことができず、職場でも自分より能力の低い大卒の人間に先に出世された苦しい経験を何度もしていた。それで兄と私を絶対に大学を卒業させるつもりでいた。

実際、兄が私立の最高峰の大学に入学した時には父親は自分で角帽を被り、涙を流して狂喜した。大学のロゴ入りマグカップで毎朝コーヒーを飲んで会社に行っていた。私が二流大学に入学した時には喜びもしなかったし、大学グッズも何一つ使わなかった。

休学中は、翌年復学した時にどうしたら私より三歳年下のクラスメイトと仲良くなれるかを考えた。その結果がカラオケだった。元々好きだったので、カラオケブックに載っていた自分の知っている全ての曲を十八時間掛けて歌い尽くした。カラオケに飽きると、何か生産的なことをしようと考えて英語の資格試験の勉強をした。今思えばカラオケの練習なんてバカらしいが、人間関係の構築が下手な私にはそれが精一杯の努力だった。病気持ちの人間ができることで思いつくのはこれくらいしかなかったのだ。かといって実際に人には会いたくなかった。

復学すると体育会自動車部に入った。そこで同じ学科の友人を得ることができた。もうこれ以上遅れをとることはできないという気持ちから全ての科目に全出席し、熱心に勉強した。まだ病気が完全に治っていないせいか、良い成績が取れそうにない科目の試験前には死にたくなった。首席を目指していたが学科中で五番だった。自分でも評価していいくらいの良い成績だったが、人より三年も余分に掛かっているくせに自分よりできる人間が四人もいるということが私を複雑な気分にさせた。

四年時の卒業研究は病気が進行していたこともあり、とてもつらい作業だった。ただでさえコンピュータ音痴な私がワークステーションを使って膨大なデータ量の計算をする研究をすることに決まった。卒業は不可能だと絶望的な気分になった。

「学校を辞めるか病院に行きたい」と家族に言い出した。結局四月に二週間登校拒否をし、その時から現在まで精神科に外来通院している。所属研究室の太田教授は超多忙であるにも関わらず私の病気を配慮してワークステーションの使い方などを付きっきりで教えてくれた。飲み会の席で

「私、サラリーマンやっていけない自信がありますよ」と言うと「おいおい」と苦笑いをしていた。結局その予言は現実のものとなった訳だ。一年間苦しみ続けたが教授に助けられ、無理に卒業させてもらった様なものだった。世の中には卒業論文もゼミも卒業要件ではない学部がいくらでもあるというのに、わざわざ適性の合わない進路を選んで無駄な苦労をしたという訳だ。

歴史能力検定

こんばんみ!
元気だこんにゃろー。

今日のニュース。
千秋の長女・彩華ちゃん、赤ちゃんモデルデビュー
 人気お笑いコンビ、ココリコの遠藤章造(33)&千秋(32)夫妻の長女、彩華(いろは)ちゃん(1)が、赤ちゃんモデルとしてデビューすることが3日、分かった。千秋がママライフを綴った自著「いろはに こんぺいとう」を発売したのを記念して都内で開いたトークショーで明かした。(サンケイスポーツ)

いろはちゃんって名前、かわいいですね。でも絶対読まれない。あやかちゃんとかさいかちゃんって呼ばれますね。僕が娘を持ったらどんな名前を付けるかなあ。やっぱり彩とか華とか香とかいう漢字を使いたくなりますね。うーん、いい名前思いつかないから子作りはやめとこ。

今日の自分。
午前中は漢検の勉強をしていました。午後、ネットしていたら歴史能力検定のサイトにたどり着きました。存在自体は知っていました。でも受けようなんて思ったことありませんでした。でも今回は猛烈に「受けたい!」と思ってしまいました。なんででしょ。漢検に飽きてきているからかもしれません。

でも2級落ちたら1月の試験に再挑戦したいと思っています。なぜってこんなにがんばっているし、問題集が1冊余っているし(笑)。歴検ですよ歴検。

僕は昔っから社会が苦手でした。都立高校入試でさえ70点しか取れませんでした。そのことを中学の社会の先生に話したら「そっかあ」といったまま言葉を失ってしまいました。責任を感じたのでしょうね。若い先生で人気もあったし、授業もよかったと思うのですが、僕が応えられませんでした。

高校に入ってからも世界史、日本史、地理、倫理、全部ダメ。日本史の定期試験で9点しか取れなかったのを覚えています。おかげで3年の3学期末試験の勉強をしなければなりませんでした。大学入試の真っ最中だっちゅうの。
そんなわけで社会が大の苦手。でも今なぜかゼロから勉強したい! と思うのです。早速大きな書店へ行ってみました。僕が受けるのは4級。とにかく易しくないといけません。4級の過去問集がありました。勉強しづらそうだなあと思って学参コーナーへ行ってみると、小学社会のノート式問題集がありました。やりやすそうですごく気に入りました。

その2冊を何度もめくりながら2時間延々と考え続ける。「こんなの一時の感情だよな」「本当にほしかったら明日買いに来よう」と思っていったん家に帰りました。シエスタして漢検の勉強に取りかかろうとしたら、頭の中歴検のことでいっぱいいっぱい。勉強が手につきません。「やっぱ買いに行こう!」と立ち上がりました。

買って来ちゃいましたよー。2冊。無駄にならないのだろうか。まだ開いていません。今日はなんだかやることが多いです。

ダイソーへ行きました。プックルさんに8色入りのパステルが2種類発売されたと伺ったので見に行きました。近くのダイソーにはなかったのでちょっと遠くのダイソーへ。ありました。でも色が冴えません。なんだかんだいって10年前に買った24色入りのハードパステルでほとんど間に合っているので新しく買うのはやめました。

夕方に右京散歩。夕飯は鍋。ブログで遊んでいたらいい時間になってしまいました。よかったら「Blog版ふらわー日記」というところから入ってみてください。この日記のコピペと『それでも人生に』と(だいぶ読みやすくなっています)エッセイを載せています。ランキングがあったりして楽しいです。よかったら定期購読者になってください。張り合いがでます。

今後の予定はブログ書きと歴検の本をニヤニヤしながら眺めるのと、漢検の勉強です。パステルは今日は気分じゃありません。というか、昨日リンゴを2枚描いたのですが、僕はリンゴ以外描けないことに気づきました。バナナとか形が複雑なのはダメです。また描きたくなるまで待ちます。

明日の予定も勉強ですねえ。ときどきパステル&歴検。12月に歴検本番があるのでそれも受けるか?! やることいっぱいあって楽しいです。
そんなところでしょうか。また明日も冷たい雨が降るそうですね。お勤めの方、お疲れさまです。来週体育の日があるからラッキーな人は3連休ですよ。

今日のお言葉
社会嫌いだったのに!
(まったり)

エッセイ 3 労働(昔の話です)

アルバイト
家庭教師のアルバイトを三月いっぱいで解雇ということになりました。お金にもならないし、対人恐怖症の僕が家庭教師なんて少ししんどかったんで、辞めて下さいってご家庭からいわれたら辞めようと前々から思っていたんですが、実際いざそうなるとブルー入りますね。「あなたは不要です」といわれるのがショックなのか、生活の変化が怖いのか、たぶん両方だと思うんですが、すごく頭が重くなって全身倦怠感がひどかった。でもへこんだ気分も夕飯を食べてフラットになり、totoの予想をしていたらちょっとふくらんだ。下半身じゃなくてね。
家庭教師の給料の安さと自分の適正の無さをこの一○カ月でよくわかったので、とりあえずこれからは外に出るバイトはやめて、のんびり休息をとろうと思っています。それで退屈を感じてきたら在宅でできる内職みたいなものをやってみてもいいかなと。
しかし無遅刻無欠席でよく頑張りましたよ。一○カ月というのは僕の労働期間としては最長です。どうやら僕のこれからの人生は仕事をしたりしなかったり、職を転々としたり、志茂田影樹みたいなワークスタイルになりそうですね。それが性に合ってますわ。サラリーマンみたいに自分の上に課長だの部長だのがいて、そいつには逆らえないっていうのはむかつくし。あくまで自分の都合で必要最小限の仕事しかやらない。失業率も最低で僕みたいなのがゴロゴロいる。いい時代になりましたな。

連載短編小説『それでも人生に』 ⑥

監獄のような病室から出されることになった。外はやはり閉鎖病棟であり、私と同じように精神を病んでいる人間が沢山いた。私と同い年くらいの患者は、祥子と俊のいるグループと女三人のグループに分かれていた。

初めに声を掛けてきたのは祥子だった。祥子はシンナーか何かで頭をやられてしまったような少し足りない感じの女だったが、すこぶる明るく社交的だった。祥子は自分のことを沢山喋った。私はただ聞いているだけだったが、聞いても聞いていなくてもどちらでも良い様に倍速テープレコーダーみたいに喋っていた。いわゆる元不良という奴でかなり悪いことをしてきたらしい。私も祥子も午前三時くらいまで眠れないことが多く、消灯後の談話室のテーブルで祥子はマンガを読み、私は日記や小説をよく書いていた。

俊は何処を病んでいるのかは分からなかったが、レクリエーションの時間に習字で書いた言葉が「破滅に向かって」という人気ロックバンドのコピーだった。精神科でこの後向きな言葉はまずいだろうと私は思ったが、本人も看護婦も医者もどうでもいいようだった。本人はとても落ち着いていて普通の人の様だった。俊も私も寡黙だったので祥子が繋ぎ役みたいなものだった。私は彼らと一緒に食事を取ったりするようになった。

木村はとても綺麗な女だったが、幻聴と幻覚があるらしく

「家のガラスを割って彼氏の家に行っちゃうの」と言っていた。彼女は私のお気に入りの女で他の男と楽しそうに話しているのを見ると羨ましかった。私も木村と楽しく話したかったが彼女が年上で私がシャイだったので数回しか話せなかった。木村と祥子ともう一人の女と私の四人で消灯後の談話室で話せた時は「私はなかなか幸せ者だな」と思った。

「ビルの五階から飛び降りました」そう高田は言っていた。五階! と私は驚いたが、彼は体に傷を一つも作ることなく、ただ意識がはっきりしていない状態だった。それでもフラフラとした足取りで談話室にやってきて煙草を吸っていた。

女三人組の一人は拒食症で手足が病的に細かった。それでもその閉鎖病棟からセーラー服を着て高校へ通っていた。何を話したかは覚えていない。きっと過去に強烈な失恋体験でもしたのだろう。もう一人の女は何処を病んでいるのかは分からなかったが

「私、大学生なんだよ!」と嬉しそうに話した。

「へえ、放送大学か何か?」

「うん」嬉しそうに頷いた。

「ホント? いいなあ、私もやってみたかったんだよね。通信添削大好きだからさあ」私は彼女が羨ましいのと同時に申し訳無い様に思った。私は大学受験に失敗し、二流の大学に進学することになっただけで自殺を企てたが、噂には聞いていたが世の中には大学に行きたくても行けない人がまだいることを本当の意味で知った。彼女だって病気さえなければ普通の大学に行きたかった筈なのだ。

閉鎖病棟の生活は楽しかった。実地研修に来た看護学生をからかったり、祥子たちと一緒にテレビを見たりした。売店に買い物に行けない為、欲しい物は買い物リストに商品名と氏名を書くようになっていた。そうして俊が買ったカップラーメンを

「これ、おいしいよね」などと言いつつ私と祥子でほとんど食べてしまい、俊ががっかりした顔をしていたのがやたらおかしかった。

ある日、父親、母親、兄、私、医者が小さな部屋に集められた。医者は

「どうしてあんなに沢山の薬を一度に飲んだのですか」と聞いた。

「死にたかったからです」と答えた。

「どうして死にたいなんて思うようになったのですか」という質問には

「父親のせいです」と答えた。そう答えるのには勇気が必要だったが、そう言ったことで今までの恨みを少しは返した気がした。父親は私の言ったことに対して何も言わなかった。

私の症状が軽かったのか、二週間で退院することになった。私より早く退院した友人はいなかったので何だか申し訳無いような気がした。そんな気分は全く感じていないかのように祥子が閉鎖病棟の出口まで見送りに来た。少し足りないくらいの抜群の笑顔で手を振っていた。

勉強とパステル

こんばんみ。
夕飯後眠って今に至りあん。21時です。

今日のニュース。
<イチロー>弓子夫人が談話発表
 大リーグの年間最多安打記録を84年ぶりに塗り替えたマリナーズ・イチロー外野手(30)の妻、弓子さん(38)が2日、喜びの談話を発表した。全文は次の通り。
 ただただうれしく感激しています。メジャーでプレーできるという思いがかなった時、鏡の前でマリナーズの帽子をかぶってみては子どものように喜んでいた笑顔が今でも心に残っています。
 あれから4年。あの時かぶって見せてくれたマリナーズの帽子を、メジャーの偉大な記録を塗り替えるという瞬間に、大勢のファンの方たちの喝采(かっさい)に応えて高々と掲げる日が来るなんて、その感激は言い尽くせません。
 この4年間、決して平坦な道のりではありませんでしたが、私自身、主人のひたむきな姿に支えられてきました。感謝の気持ちでいっぱいです。
 そして、なにより、応援してくださったファンの皆様、支えてくださったすべての方々に心より感謝致します。本当にありがとうございました。
[ 10月3日 18時4分 更新 ]

イチローが弓子さんと結婚した理由、知ってます? 「英語しゃべられるから」と「両親の面倒を見てくれそうだから」だそうです。イチロー、計算イチコちゃんですよね。それにしても8歳も年上だなんて。子供はつくらないのでしょうか。初産が35歳以降だとダウン症の発生率が急激に上がると聞いているのですが。

今日の自分。
やはり5時くらいに目覚めたと思います。勉強しています。もうすぐ全体の27%終わることになります。単純作業なので疲れてきます。気分転換にDVDを観たりしているのですが、息抜きになりません。とうとう最終兵器を導入することにしました。パステル画です。

F2という比較的小さな紙にリンゴなど果物をひとつ描く。これを2枚提出することになっています。もう2枚描いちゃいました。1枚は普通に描いたリンゴ。もうひとつは点描で描いたリンゴ。どちらももう手の入れようがないというところまで描きました。点描は簡単でいてきれいなので好きです。

あと2枚描けます。16枚のうち4枚提出すればいいことになっています。あとはバナナでしょうか。意外と果物って書く物がありません。バナナは昔描いたヤツが好評だったので、あれ以上のものは描けないだろうなあと思っています。バナナを2枚描いたら11月のノルマ達成です。なんかすごく簡単だったのですが。もっと手を入れて重厚な感じにしようかな。

雨は嫌ですね。明日も雨だそうです。今日は一日家でひきこもりです。夕飯はスクランブルエッグと煮カボチャです。眠かったので皿洗いをさっさと済ませて寝ました。起きて今に至りあん。

うれしいことに、勉強していて解けなかった問題をカード化しているのですが、記憶の定着率がいいんです。もう覚えている、復習する必要なしという問題が多いです。これは意外でした。普通向精神薬を服用していると記憶力が低下するはずなんです。これはいい。2級は無理でも準2級は確実に取れそうです。

そんなところでしょうか。今後の予定は勉強。絵は今日はもういいでしょう。0時には寝ます。明日に備える。明日も勉強とパステルだけです。
それでは、月曜日、冷たい雨が降っていて嫌ですね。500円のドリンク剤を買ってみましょう。

今日のお言葉
オトコ心と秋の空。
(まったり)

エッセイ 2 そう

最近そう状態です。気分がハイで、体は疲れているのに脳が覚醒しちゃって眠れない。眠剤をいつもの五倍飲んでやっと眠れるほどです。どけちな僕が金遣いもやや荒くなった。最近朝の九時まで眠れません。こういうパソコンタイムも午前五時だったりします。通常春はブルーがひどいのですが、たぶんそれは四月五月にやってくると思われます。僕は単極のうつ病だと思っていたんですがやっぱりそう状態にもなるんだなあ。でも年間を通しての比率はうつ九五:そう五くらいです。
就職活動前の二・三月も毎日図書館に通い詰めで公務員試験の勉強をかなりがんばってました。受けるかどうかもわからない段階だったのに。あのときもそうだったんでしょうね。結局、国家Ⅱ種・東京都・千葉県は本命の大手出版社の試験日と重なってしまったのでパス。国立国会図書館は最終面接までいきました。「あなたはネットワークに詳しいですか?」という質問に「なんて漠然とした質問だろう」と思いつつ、当然「はい」と答えました。ほんとはネットワーク関連のことなんてLANとWAN位しか知らないけど、「いいえ」とは答えられないでしょう。そこで自分はネットワーク関連のことで「こんなことができる」とか具体的に話せた人が合格したのでしょうが、国会図書館を志望し、且つネットワーク関連に精通したひとっていったいどれだけいるんだか。

エッセイ 1 人生の目標

精神的に煮詰まったときは銭湯に行けばいいということがよくわかりました。マイナスイオンが大量に立ちこめる中、出たり入ったり三時間はいました。今回はメモを持っていって、今後の人生ですべきことをリストアップ。サウナ内のテレビを見ていてヒントを得たり。いろんなことを考えました。
人生の目標ってなんだ? 他の人たちは何を目指して毎日生きているんだ? 楽しいこと、好きなことをやればいいのはわかった。じゃあ僕にとって好きなことってなんだ? 寝るのは好きだ。でも寝ているだけじゃ食っていけない。経済活動に結びつく好きなことってなんだ? 世の中でたぶん好きなことを仕事にできている人は少数だろう。他の大勢の人はお金のために嫌な仕事を仕方なくやっているのだろう。僕も嫌なことでも無理してやるべきなのだろうか? でもまた無理して死にたくなっては困る。困らないのか? 
結局対人恐怖の僕が飯を食っていくためには、家で仕事をすることになる。家でできる仕事というと内職関係か印税関係になる。内職は収入も少なくて不安。印税関係というと物書きか特許しか思い浮かばない。ということで、とりあえず物書きになるための本と、
弁理士になるための本を買ってきました。どちらもなるのは超難関。もっと現実的な収入を得る方法はないかなあと考えています。

連載短編小説『それでも人生に』 ⑤

最初のうち意識ははっきりしていなかった。医者や看護婦が私の周りで忙しそうに動き回っていた。点滴と注射をされていた。私はその後何時間か眠り、急に上半身を起こして

「そうだ、学校に行かなくちゃ」とほとんど無意識で言った。さっきよりは少なかったが三、四人の医者と看護婦に

「いいから、いいから」と強引に横にさせられた。そのすぐ後、また

「そうだ、○○○○○しなくちゃ」と何か言って起き上がった。また

「いいから、いいから」と横にさせられ、今度はゴムのベルトで手足と胴体をベッドに固定された。私はその処置に納得ができ、おとなしく従った。

 その後私は眠った。夜中に無意識で

「おかあさーん!」と叫んだ。そうか、私はマザコンだったのかと無意識の叫びに教えられた。普段そんな行動を取ることはなかった。「母」なるものへ還ろうとする本能なのだろう。

 日が経つにつれ、そこが何処であるかがだんだん分かってきた。以前八ヶ月ほど精神科に通っていた大学病院だ。そこのいわゆる閉鎖病棟という所らしく、本当に監獄のような所だった。四畳半くらいの所にベッドとトイレが付いている以外何も無かった。部屋は外からロックされ、中からは開けることはできなかった。しかし私はその環境を何故か受け入れることができた。室内には親が持ってきたらしい洗面道具や着替えが置いてあった。しかし私が自殺を試みたのは代々木公園であり、どういった経緯で都内から離れたこの病院に担ぎ込まれたのかいささか不思議だった。しかしそんなことはどうでも良かった。時間の感覚がほとんど無かった。数日か、数時間おきに医者がやって来て何か質問をしてきたが、意識がはっきりしない状態が続いていたので的確な答えを返せなかった。そしてまた暫く眠るという日々が何日間か続いた。

ランキング下がったあ。

一生懸命更新しているのになんでやろ。
小説が暗いかな。それもご愛敬だと思うんだけど。
画像を増やしてみるかな。