連載短編小説『それでも人生に』 ⑧ | あなたのココロ、治します。

連載短編小説『それでも人生に』 ⑧

私が大学二年の初夏に父親が腎臓癌であることが判った。それまでも健康診断で精密検査が必要であることは判っていたが父親は「俺が病気になる訳がない」と検査結果を無視していた。しかし流石に血尿を出した時には自分でも余程驚いたのだろう。会社で検診を受けた病院で精密検査を受けた。

 すぐに入院して片方の腎臓を摘出する手術を受けた。執刀医は術後すぐに私ら家族に摘出した腎臓を見せてくれた。「ほら、腎臓全体が黄色くなってるでしょ。これ全部癌細胞に侵されているんですよ。本来なら腎臓はこの三分の二くらいの大きさなんですけど癌細胞で膨れ上がっちゃってるんですね」私は腎臓を見たのも初めてだったし、癌細胞とやらにお目に掛かったのも初めてだった。これは摘出して正解だと思った。

 父親は術後数日でいつもの小うるさいジジイになっていた。腹には大きな切り痕があったし、体もげっそりと痩せこけていた。本人には知らせていなかったが既に他の臓器にも転移していて後一年程度の命だと言われていた。そうとは知らない父親は退院して完全に治ったと思い、会社にも復帰して仕事をしていた。

 ちょうど一年後、再び容態が悪化した。家で静養していると意識障害が出てきた。何もない壁を指して「おい、あれを見ろ。滅多に見れないぞ」父親には壁が映画の銀幕に見えたらしかった。また何かを言いそうになるので家族が注目していると、言うべきことを忘れたのか意識が途切れてしまったのか、口をもごもごさせて黙り込んでしまうことが頻繁にあった。

 結局有名な癌センターのホスピスに入院することになった。ホスピスはホテルの様な部屋から広い庭園を一望できるようになっていた。私は大学が夏休みに入っていたので談話室で宿題を済ませたり、近くのバッティングセンターの回数券を買って遊んだりしていた。父親には痛み止めのモルヒネを打つだけで延命治療は一切施さなかった。

七月二十二日、家族用仮眠室で寝ていた私を母親が起こしに来た。「ちょっと危ないみたいだから来て」病室には母親、兄、医者が揃っていて緊張感が漂っていた。父親の呼吸で上下する胸と口元を一体何時間見つめ続けただろうか。少しずつ呼吸が小さくなっていった。兄と母親は「父さん」と時々声を掛けながら父親の手を握っていた。

私は人の息が止まるのを生まれて初めて見た。本当に父親は静かに死へと収束していった。午前五時七分。涙は一滴も出てこなかった。むしろ嬉しかった。ああ、これからやっと自分の人生を生きられる、私にとって今日が本当の誕生日なんだ、と。



「バッティングセンターの回数券、残っちゃった。まさかこんなに早くお父さん死ぬとは思ってなかったから」と言うと兄も

「そうだよなあ。俺も母ちゃんもこんなに早いとは思ってなかったよ」と答えた。ホスピスに入院してから十日程しか経っていなかった。

墓は要らない、葬式はやるなと父親は言っていたが結局親戚の強い反対に合い葬式が行われた。多くの親戚が遙々北海道から飛行機でやってきてくれた。予想以上に大きな式になった。役職名ばかり一丁前でほとんど平社員みたいなものだろうと思っていたが会社から花が沢山届けられた。会社の人の参列は断ったが「私の父親みたいな存在だったんです。どうか参列させて下さい」と言う人がいたので二人だけ来てもらった。親戚にも「孝夫ちゃんにはホントにお世話になったから」と口々に言われた。若い頃から貧乏な家を手伝っていたらしいし、退職金もほとんど世話になった親戚にバラまいてしまっていた。私が憎んでいた父親が社会ではこんなに評価されていたことを父親が死んでから初めて知った。

生命保険の掛け金は年齢と共に高くなっていく。父親は掛け金が上がる年になった時「当分死にやしないんだから馬鹿らしい」と解約してしまった。後に母親は「だってお父さんはもうすぐ死ぬんだから掛け続けた方が良いよなんて言えないじゃない」と悲痛な表情をしていた。解約後すぐに再発した。「あのとき解約しなきゃあ良かったな」と病院のベッドの上で悔しがっていた。

「宝くじを買え。俺の生命保険の代わりに当たる筈だから」そう言って家族に宝くじを買って来させた。父親が病床にいる時も死んでからも宝くじを暫く買い続けたが、結局一度も当たりはしなかった。