皆さん こんにちは。

 

私は以前からとても気になる聖句があります。

それは、こちら↓です。

 

🌿旧約聖書 イザヤ書 四十六章十節(参照)

王国の初めから終わりの事を宣言する。その事は、古来よりまだ行われていない事を言う。

わたしの忠告は適い、わたしの意志(主の御意志)は、すべて行われる。

 

🌿新約聖書 ヨハネによる福音書 五章三十九節(参照)

あなた方は、聖書の中の言葉を調べている。

あなた方は、それら(聖書の中の言葉)に永遠の命があると考えているからだ。

そして、その聖書の中の言葉は、わたし(主イエス)について証言しているものである。

 

こちら↑の聖句が私の頭の中で色々想像を膨らまし、

 

聖書の初め創世記終わりヨハネの黙示録ではないか…

ヨハネの黙示録は主イエスの預言なのだから、

創世記に主イエスの預言の記述があるのではないか…

ヨハネの黙示録に創世記の記述があるのではないか…

神は六日間で天地創造されたので、

六日間の記述の中に六千年の主イエスの預言の記述があるのではないか…

第一の日〜第六の日の言葉は、主イエスの預言の記述ではないか…と考え、

第一の日〜第六の日の主イエスの預言の言葉を考察することにしました。

 

こちらの↓ミカエル氏の記事が大変参考になりました。

真の聖書福音と預言 の記事 千年王国の真実 後編 より引用 *記事本文の文字に

罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)

 

上述のように、

黙示録20:1~9で語られていることは過去からキリストの再臨までの地上の様子

新しい天と新しい地の統治の様子を順不同に暗示的に描写しており、

その中に千年を六回散りばめてこの世が六千年であることを表し、

キリストの再臨があって、

それから永遠の安息にあずかる次の世が来ることを表しているのです。

この世がキリストの再臨の時に、火で焼き尽くされて滅び、キリストに結ばれて眠りについた人が最初に復活し、大艱難を経て神が事前審判の上、厳選されたごく少数の生きている人が携挙されて、神が再創造した新しい天と新しい地に主イエスとともに行き、

そこでいつまでも平和に暮らしていくのです。

悪人(神に属する人間以外)は、最後の審判を経て、生前の行いに応じて裁かれ(黙示録20:12)、命の書に名が無い者は火の池(地獄)に投げ込まれるのです(黙示録20:15)。

 

引用ここまで

 

今回は、

創世記一章十四節〜十九節の第四の日に

現出された光体についてと

昼(光)と夜(闇)の間を分けられた意味を調べ

主イエスの預言を考察します。

 

この聖句の

第四の日に、「星々」と指定はありますが、「太陽」と「」の指定はありません。

二つのとても大きい光体で、

昼を統治する大いなる光体と、それより小さい光体が夜を統治すると表されています。

 

太陽のヘブライ原語は שֶׁמֶשׁ   英語は sun

月のヘブライ原語は  יָרֵחַ   英語は moon    

語源は   יֶרַח   意味は…(暦の)「月」等です。

 

この聖句箇所の大空の二つのとても大きな光体とは太陽と月のことですが、

なぜ、sun、moonとしなかったのか…と疑問に思います。

 

神が光体を現出されたのは、

昼と夜の間を分けるため

日々と歳月、定められた時のため

気象の変化のしるしのため

昼と夜を統治させるため、更に星々も造られた

地上を照らすため

闇から光を分けるため

でした。

確かに、太陽と月にもその役割が当てはまりますし、四日目に太陽と月が造られた記述も

あります。

 

旧約聖書続編 エズラ記(ラテン語)  六章四十五節(二千十八年聖書協会共同訳 参照) 

四日目にあなたは、太陽が輝き、月が光るように命じられ、星の位置を定められました。

しかし、

過去記事で第一日〜第三日までの聖句を考察した結果、

*光→昼→主イエス

*闇→夜→堕天使(悪魔)

でした。

この事↑が引き続き関係するので、二つのとても大きな光体と表現されているのではないか、第四の日に秘められた事があるのではないかと思い調べました。

 

原語から確認してみましょう。

 

🌿旧約聖書 創世記 一章十四節〜十九節 (参照)

神は言われた。

「*昼と夜の間を分けるために、天の大空に光体を現出せよ。

そして、日々と歳月のため、定められた時のため、しるしのために現出せよ。

天の大空の光体地上を照らすために現出せよ。」

そして、そのようになった。

神は二つのとても大きい光体を造られた。

大いなる光体に昼の統治をさせ、そして、それより小さい光体に夜の統治をさせられた。

彼(神)は、また星々も造られた

また、神は天の大空に地上を照らすために、それらを置かれた。

昼の間と夜の間、そして、*闇から光を分けるために。

神はそれらを見られ「それは素晴らしい。」と認められた。

夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第四の日が現出した。

 

上記↑の箇所の翻訳を新共同訳では光体光る物定められた時季節と訳されています。

 

私が調べ考えた光体とは何か、定められた時とは何かを説明します。

 

<KJV>

十四節

And God said, Let there be lights (מְאֹרֹת)in the firmament of the heaven to divide the day from the night; 

and let them be for signs, and for seasonsוּלְמוֹעֲדִים),and for days,and years:

 

英語でlightsの意味…光、照明、(屠られた羊・豚などの)肺臓 等です。

lights ヘブライ原語(מְאֹרֹת光体を調べます。

語源…אוֹר  

意味…光、輝き、夜明け  創世記一章三節の「」等です。

 

原義…luminaryמָאוֹר

意味…光体、光源、光、輝き、灯火

 

英語のluminaryの意味…発光体、(知的)指導者、有名人、輝ける存在、権威等です。

 

同じ原義の意味を持つ他の聖句

 

光体

🌿旧約聖書 詩編 七十四編十六節(参照)

昼はあなたのもの、夜もまた、あなたのもの。あなたは太陽と光体を備えられました。

<KJV>

The day is thine, the night also is thine: 

thouhast prepared the lightמָאוֹר) and the sun.

 

光源

🌿エゼキエル書 三十二章八節(参照) 

「天のすべての光源をわたしはお前の上で暗くする。そして、お前の地の上に恐れを

置く。」と主なる神は言われる。

<KJV>

All the bright(  מְאוֹרֵי) lightsאוֹר) of heaven will I make dark over thee,and set darkness upon thy land, saith the Lord GOD.

 

🌿詩編 九十編八節(参照)

あなたは私たちの不正を懲らしめるために、あなたの前に置かれました。

私たちの罪をあなたの御顔のの中で覆い隠してください。

<KJV>

Thou hast set our iniquities before thee,

 our secret sins in the lightלִמְאוֹר)of thy countenance.

 

輝き

🌿箴言 十五章三十節(参照)

目の輝きは心を喜ばす。

<KJV>

The lightמְאוֹר) of the eyes rejoiceth the heart

 

蝋燭、灯火

🌿出エジプト記 三十五章八節(参照)

灯火のための油。

<KJV>

And oil for the lightלַמָּאוֹר),

 

他、レビ記、民数記の幕屋の蝋燭や灯火

 

参考までに、

漢字の「」は聖なる場所の燭台に火が燃えている灯火の形を表すことから成りました。

 

以上から、

光体は、光り輝く聖なるものであると考えます。

 

次に、

英語で seasonsの意味は…短い期間、時節、時期、旬、季節等です。

and for seasons   ヘブライ原語וּלְמוֹעֲדִים定められた時を調べます。

語源…יָעַד   

意味…定める、集まる、相談する、出会う、臨む、呼び出す、置かれる、向けられる

 

原義…appointed timeמוֹעֵד

意味…合図、協約、取り決め、集合場所、集会所、会堂、集会、(特定の)時間、祝祭

会見、出会い

    

英語のappointed timeの意味…約束の時間、定刻、指定された時間、決められた時刻等です。

 

同じ原義の意味を持つ他の聖句

 

🌿旧約聖書 創世記 十七章二十一節(参照)

しかし、わたしの契約はイサクと立てる

そしてそれ(契約)は、サラが来年のこの定められた時にあなたに産む(イサクと立てる)。

<KJV>

But my covenant will I establish with Isaac, which Sarah shall bear unto thee at this set time (לַמּוֹעֵד)in the next year.    

 

🌿出エジプト記 十三章十節(参照)

それゆえに、あなたはこの(律法の特別な儀式の除酵祭)法を毎年定められた時に守らなければならない。

<KJV>

Thou shalt therefore keep this ordinance in his season  (לְמוֹעֲדָהּ)from year to year.

 

🌿出エジプト記 二十三章十五節(参照)

あなたは除酵祭を行わなければならない。あなたは(過越祭と除酵祭の祝祭に)わたしが

あなたに命令した、アビブの月の定められた時に、七日間種無しパンを食べなければならない。

<KJV>

Thou shalt keep the feast of unleavened bread:(thou shalt eat unleavened bread seven days, as  I commanded thee, in the time appointed (לְמוֹעֵד)of the month  Abib; 

 

以上から、

神と人間が立てた契約の中の定められた時と考えます。

 

次に、

聖書とミカエル氏の解釈から学び、

日々と歳月のため、定められた時のため、しるしのために地上を照らす意味を確認します。

 

引用ここから

 

新約聖書 マタイによる福音書 十四章二十二節〜三十三節(ミカエル氏訳)
それからすぐ、イエスは、

群衆を追い払うまで、彼の弟子たちを舟に乗って、向こう岸に彼の前に行くように強いた。そして、群衆を追い払って、祈るために一人で山に登りはった。

晩になったが、一人でそこに居てはった。


ところで、舟は既に湖の只中に居って、逆風のために波に悩まされていた。


しかし、夜の第四の見張り時に、イエスは湖の上を歩いて、彼ら(弟子たち)のところに

行きはった。(中略)

主イエスは、

「我は、我を遣わしはった方の業を日中である内に行わないかん。夜が来ると、誰も働く

ことがでけへん。 」(ヨハネ九章四節 ミカエル氏訳)と言わはった。

つまり、

日中は神が与えた恩恵期間を暗示し、

暗い夜は悪の支配が極まって誰も神の業を行う事がでけへん期間を暗示し、

伝道活動もそれに含まれる。それらの活動が誰もでけへんようになるであろう。
主イエスは、晩になるのと同時に、弟子たちと別れた。

つまり、

日のあるうちしか主イエスに頼ることが出来ず、

大艱難期になったら、原則、主イエスは何もしはらず、

頼ることがでけへんということや。

つまり、

恩恵期間終了後、原則、キリスト者は自分たちでどうにかするしかないということを暗示してる。

また、主イエスは

「未だ少しの間、光はあんた方と共にある。暗闇があんた方を捕らえへんように、

光を持ってる内に歩きなはれ。実際、暗闇の中を歩く者は、何処へ行くのか分からへん。

光を持ってる内に、光の子となるために、光を信じなはれ。」

(ヨハネ十二章三十五節〜三十六節 ミカエル氏訳)とも言わはり、

 

恩恵期間内に

ほんまもんの光である主イエスに立ち返り、信じて生きなければ、

光の子、即ち、神の民にはなられへんのであり、

暗闇(悪魔や悪魔崇拝者の勢力)に取り込まれ、獣の刻印を受けて滅びる人間になってしまうということや。

 

未だこの世で光があるうち、未だ真のキリスト者による伝道を見聞き出来るうちに

主イエスという光を信じなはれ。

 

後回しにしたり、軽んじたりしてると、マタイ二十五章の愚かなおとめの例え話のとおり、締め切られて、時機に遅れると、もはやどうにもならへんよ。いつまでも時間があると思うな。
堕天使である悪魔ルシフェルは、「光を掲げる者」という意味を持つ名であるが、

これは主イエスという神の光に憧れて偽装する者であり、この偽物に騙されてはならん。

 

真の聖書福音と預言 の記事 水上を歩く より引用 *記事本文の文字に罫線、

色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)

 

更に、

星々」についてですが、興味深い記事があります。

 

引用ここから

 

クリスマスツリーの頂上には(star)を飾っていますが、これも意味があるのです。

上記の申命記の聖句からも当然に星を崇めることも偶像礼拝になるので禁忌ですが、

は、サタンを示します。以下の聖句のとおりです。

 

旧約聖書 イザヤ書 十四章十二節(ミカエル氏訳)

どうしてお前は天から落とされたか、明けの明星、暁の子よ。

お前は地に切り倒された、諸国民を打ち負かした者よ。

 

他の聖句でも明けの明星は出てくるのですが、

上記聖書箇所の明けの明星サタンを示すものです。

しかし、

聖書に出てくるすべての明けの明星サタンではないことに注意してください。

特に黙示録2:28と22:16とは真逆の存在です。

これを知らずに混同する反キリストがいます。

話が逸れましたが、

よく五芒星(逆さ五芒星も同様)で表現される星はサタンを象徴するもので、

ハリウッドスターやスーパースター、アイドル、セレブ等をスターと呼んで英雄扱いしたり、憧れたり、追っかけたり、熱狂的なファンになることは偶像礼拝であり、

サタン崇拝していることと同じことなのです。

故に、

クリスマスツリーにも星が飾られ、木という偶像の頂点にサタンがいて、人々はそれを見て歓喜しているのです。ちなみに、空の星の形は五芒星ではありません。

誰がそないな形だと証明したのか。

五芒星も六芒星と同じく悪魔崇拝で使用されるものでしかなく、

あれを星(star)と思い込むのは世間に洗脳されてるだけです。

この点、

主イエスは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」(マタイ4:10)、

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての

民を私の弟子にしなさい。」(マタイ28:18〜19)と仰いました。

ここで明白なように、

 

神に仕え、主イエスの弟子になることが重要なのであって、

人間の弟子になったり、サタンや偶像を拝むことは絶対にいけません。

 

真の聖書福音と預言 の記事 クリスマスと太陽神崇拝 より引用 *記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)

 

後、気になる箇所があります。

 

創世記 一章十六節(KJV)

And God made two great(הַגְּדֹלִים lights; the greater(הַגָּדֹל light to rule the day, and the lesser (הַקָּטֹן)light to rule the night: he madethe stars also.

 

great、greater

語源(גָּדַל

意味…大きくなる、成長する等

 

greatgreaterגָּדוֹל)ヘブライ原語の意味…大きさや広さの意味だけでなく、

重大、重要、大きな事、大それた事、(神&属性)偉大だ、大いなる等

 

英語の意味…大きさの大小の比較だけでなく、価値や重要性の比較をすると、

the greater…偉大な、賞賛に値する

the lesser…〜より劣る、重要でない方

 

💡もしかして…

大いなる主イエスより小さいパウロ

 

と頭に浮かんで来て、ミカエル氏の記事を調べました。

 

引用ここから

 

主イエスは、天地が滅びるまで、

つまり、この世が滅びるまで律法の文字から一点一画消えることはないと断言しはり

(マタイ五章十八節参照)、律法にある掟の中の一つも消えることはないと仰せや。

どないに些細な掟一つでも廃止されたと思って破棄し、そうするように教える、

即ち、

律法を守る必要が無いと教えるような人は、主イエスが言わはった「最も小さい者」ということや。

創造主である主なる神が制定しはった神の律法を人間という被造物ごときが生意気に否定する権利なんか無いんや。

僭越にも主が制定しはった律法を廃止されたなんて大言壮語する不届き者を神が忌み嫌い、天の国に入るのを阻むんは当然やろ。これを当たり前の道理やと思えへんのは異常者やし、滅んで当然の存在。
また、

主イエスは、キリスト者が過去の律法学者やファリサイ派の義よりも優れへんようでは、

決して天の国に行くことはないと断言しはってる。

過去記事「パウロは偽使徒」でパウロという名の意味が「小さいという話をし、

理由を後述すると書いた。ここでその理由が分かる。その過去記事で引用した聖句どおり、

主イエスは、

「(モーセの律法の中の)掟の最も小さなもの

一つを破棄し、そうするうように人々に教えるなら

各天の国で最も小さい者と呼ばれるだろう。」と明言しはり、

サウロは律法を軽んじた故に、小さいパウロ)者になるんや。最も小さき者や。

 

真の聖書福音と預言 の記事 偽使徒パウロの反キリスト教義 二 より引用 *記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)

 

以上↑のミカエル氏の奥深い解釈の記事から分かる事は、

 

光体は神が現出された主イエスの光を持つ神の刻印を押された神の民と

 神の光を偽装する悪魔たちの闇に属する獣の刻印を押された者たちに分けるため

・星は天使とサタンを示し二種類に分かれる

明けの明星主イエスと主イエスという神の光に憧れて偽装する堕天使ルシフェル

・昼は神が与えた恩恵期間を暗示

・夜は悪の支配が極まって誰も神の業を行う事ができない大艱難期を指す

律法違反する者は小さい者になる

恩恵期間内に

 光である主イエスに立ち返り信じて生きなければ、光の子、神の民にはなれず、

 暗闇(悪魔や悪魔崇拝者の勢力)に取り込まれ、獣の刻印を受けて滅びる人間になる

 

聖書とミカエル氏の解釈から、

神の光である主イエスが統治する昼(光)に従う神の刻印を押された神の民と、

神の光を偽装する悪魔たちが統治する夜(闇)に従う獣の刻印を押された者に分かれると

理解できます。

第四の日は、

神と人間が交わした契約の律法を行う者と従わない者が分かるように、二つの大きい光体が現出され、地上を照らしたのではないか…

それは、

神の王国に相応しい人間を選別するためと考えました。

 

神が、天の大空に光体を現出されましたが、

この光体は聖なるものですが、それぞれの思いによって、

に属するか、堕落してに属するかに分けられます。

例えば、

神と人間の契約に定められた十戒の四番目の安息日は、

金曜日の日没から始まり、土曜日の日没まで神の民は聖別します。

しかし、この戒めを守らず、

神よりも悪魔の教えを信じて太陽自体を崇拝する太陽神崇拝を行う者もいますし、月、星を崇拝する者もいます。

定められた事を守るか、否か。

律法遵守するか、違反するか。

つまり、

主イエスに従うか、堕天使(悪魔)に従うかです。

主イエスの教えを守り、神の王国に入るか、悪魔の誘惑に負けて、地獄に落ちるかです。

 

次に、

何のしるしのために光体を現出されたのか…

 

新約聖書 ヨハネの黙示録 八章十節〜十二節(TR日本語訳 参照)

すると灯火のような、燃えている大きな星が天から落ちた。それは川々の三分の一の上に、また、水の泉の上に落ちた。

その星の名は『苦よもぎ』と呼ばれており、その水の三分の一は、苦よもぎとなる。

そして、人々のうちの多くがその水によって死んだ。それが苦くなったからである。

そして、第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。

すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星々の三分の一が打たれた。それらのものの三分の一が暗くされ、昼はその三分の一が光を放たず、夜も同様になるためであった。

              

旧約聖書続編 エズラ記(ラテン語)    六章二十節 (二千十八年聖書協会共同訳 参照)

そして過ぎ去ろうとする世が封印されるまさにその時、私は次のようなしるしを行う。

天空に巻物が開かれ、すべての者はこれを同時に見るだろう。

 

また、

反キリスト艱難期前携挙説を信じて安心していては地獄に落ちてしまいますので、

こちらの↓記事をご覧ください。

 

真の聖書福音と預言 の記事 携挙の真実 より引用 *記事本文の文字に罫線、

色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)

 

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章二十九節〜三十一節(ミカエル氏訳)

しかし、

それらの苦難の日々のすぐ後、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。

また、その時、人の子のしるしが天に現されるだろう。

そして、その時、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ちて天の雲に乗って来るのを見るだろう。人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、

天使たちは各天の果てから果ての四つの風の彼の選ばれた人たちを集めるだろう。

(中略)

苦難の日々の後、即ち、大艱難の後に太陽と月と星々に通常では起こり得へんような大きな変化があるということやな。

つまり、大艱難を経過した後に主イエスが再臨しはり、その時に神の民たる真のキリスト者が集められるということであり、その現象を「人々は見るだろう」と主イエスは言わはり、誰でも目視して分かるってことで、秘密に起こるのではないことは明らかやろ。

「気付かんかったー」と済ませられる人は居らへんよ。太陽が暗くなり、月が発光をやめ、星が落ちれば、誰でも異常事態と気付くよね。

そして、赤字で強調したとおり、

人々は主イエスが再臨するのを「雲に乗って来る」んを見るだろうと共通して言われ、

天のしるしへの言及も共通し、主が再臨する時に天使たちが真のキリスト者を集める

即ち、携挙するということが分かる。これだけで、艱難期前携挙説は完全に嘘と分かるし、艱難期末期に携挙されることも明らかや。

 

引用ここまで

 

聖書とミカエル氏の記事から分かる事は、

大きな星が天から落ちて来たり、太陽、月、星の三分の一が打たれて光を放たず暗くなれば、何かのしるしだと分かりますし、天空に巻物が開かれたら、すべての人が見て驚きますね。

更に、

大艱難の後に太陽と月と星々に通常では起こり得ないような大きな変化があり、

主イエスが雲に乗って来るのを見て、携挙される事が分かります。

 

第四の日に光体が現出されたのは、

終末が近づいた事を知らせるためのしるしと考えました。

そして、

主イエスご自身も人の子のしるしとして、雲に乗って来られるのです。

 

結論

 

第四の日に主イエスは光体を現出し、

人間選別のため、終末が近づいた事を知らせるしるしために

大空に置かれ照らされた。

その結果、

律法遵守する主イエスに従う神の民を神の王国に入れ、

堕天使に従う律法違反する者を地獄の火の中に投げ入れると

預言された。

 

このような経緯になると考えます。

地上の人々の上に本物の光(主イエス)と偽の光(堕天使)を置き照らす

人々は自由選択でどちらかを選び従う

主イエスに従う神の民は律法遵守し、堕天使に従う者は律法違反する

終末の兆候が現れて来る

神の刻印か、獣の刻印が押され選別される

神の恩恵期間が過ぎると地上に大きな変化の終末のしるしが現れる

主イエスが雲に乗ってこられ、天使たちに神の民を集めさせ、携挙される

悪に最期まで抵抗し、律法遵守した神の民は神の王国に入る

主イエスの教えを最期まで聞き入れなかった者は、悪魔たちと共に地獄の火の中に投げ込まれる

 

現在の世界の状況とミカエル氏の記事↓「聖書の終末預言 一〜五」と比べてください。

 

聖書の終末預言 一聖書の終末預言 二聖書の終末預言 三聖書の終末預言 四 

聖書の終末預言 五

 

終末の兆候が現れているのが分かります。

大艱難の時期はもう目の前に迫って来ています。

残された時は少ないです。

 

聖書を複数回通読し、律法遵守の重要性を理解し、悔い改めて

主イエスに立ち返りましょう。

 

皆さんに平安がありますように。

 

以上

皆さん こんにちは。

 

今回は、創世記一章九節〜十三節の第三の日について考えます。

 

 

🌿旧約聖書 創世記 一章九節〜十三節 (参照)

再び神は言われた。

「大空の下の水を一つの場所に集めよ。乾いた陸地が現れよ。」

そのように現出した。

神は乾いた陸地を地と名前を授け、

そして彼(神)は、水が集まった所を海と呼ばれた。

神はそれらを見られ「それは素晴らしい。」と認められた。

それから神は言われた。

「地は青々とした新芽の草、実を結ぶ種を持つ薬草、果物を枝に付ける木は、

実を結ぶ果樹の種類によって、それ自体でどれがその種であるか、地に成長させよ。」

そのように現出した。

そして、地は草が葉を出し、薬草は種類によって種が実を結び、木々は果物を産出し、

それらの種は、種類によって、それ自体の種が実を結んだ。

神はそれらを見られ「それは素晴らしい。」と認められた。

夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第三の日が現出した。

 

漢字の意味や成り立ち

 

…天を表す象形文字。天がすべてを覆う様を表す

  何かを始める時の「起点」という意味でも使用

  精神的な充実や成長を意味する表現にも用いる(NIPPOLLE    より一部抜粋)

 

物事が多く集まるところ漢字辞典 より一部抜粋

 

たね。うえる。くさ。種類。たぐい。

  重は「人+土+音符東(つきぬく)」の会意兼形声文字

  人が上から下に、地面にむかってとんとおもみをかけること

  種は「禾(作物)+音符重」で、上から下に地面をおしさげて作物をうえること

 

)…おもい。かさねる。かさなる。おもんじる。

  東トウは、心棒がつきぬけた袋を描いた象形文字で、つきとおすの意を含む。

  重は「人が土の上にたったさま+音符東」で、人体のおもみが↓型につきぬけて、

  地上の一点にかかることを示す

 (なまえさあち より一部抜粋

 

果物の種や核を指す

         物事が成果を結ぶ様子を表す動詞としても使われる

         事実や真実、実際の状況を示す名詞としての用法(NIPPOLLE    より一部抜粋)

 

意味を表す「糸」と音を表す「きつ」が組み合わさってできた漢字

  吉の下の「口」は神様に祈りを捧げる祝詞を入れる器の意味

  吉の上部の「士」は、斧の頭の部分の形を表す

  祝詞を入れる器を斧で閉じ込め、祈りを守るとしていた

  この吉の状態に糸を付けて、「むすんで維持する」ところから、

 「むすぶ、約束する、つなぐ」という意味となった

 (漢字の成り立ち博士 より一部抜粋)

 

白川静氏の漢字の解釈を一部抜粋してご紹介します。

 

神を迎える所

  左のこざとへんは、「はしご」をあらわす形

  このはしごをを使って、天の神が上り降りすると昔の人は考えた

  右は、神を迎えるための天幕()が二つある形

  ()の漢字の意味 天幕の形

 

…もとの字は

(墜)…左のこざとへんは、陸と同じ意味

    右は、神に供える生贄の獣

 

…草木の「め」、獣のきば「

  草木の芽も、小さいけれど同じような形をしていて、力強く生えでてくる

     

…米(穀物)と犬(この大のもとは犬)をお供えにして、祈りを捧げる天の祭

 

武器の戈に飾りを付けて、お祓いをすることを表す

 

…大昔から、人々は、血の繋がった一族でまとまって暮らしていた

  一族をまとめるお年寄りを「長老」と言った

 

 

漢字から想像した事…

 

神の聖域で、のような多数派が集まる所から神が分けられた事…

)は、神を迎える所で天幕が二つあり、

神が住まわれる天の幕屋と古い契約では地の臨在の幕屋の事…

新しい契約になってからは、自身の中にある神の住居である幕屋の事…

天の幕屋と地の自身の中にある幕屋が、はしご(階段)によって繋がっている事…

は、祭司(律法遵守)の働きをする場所の事…

は、神に捧げ物をし祈る事…

は、天から与えられた重責を最期まで貫き通し、子孫に継承していく事…

は、芽が出ても、この世の獣の支配の上で生きていかなくてはならない事…

は、主なる神に忠実な人間が真実の行いで実績を残す事…

漢字を分解すると、かんむりは、屋根のある建物

…三位一体の神、人…神の種を持つ人で、神と人が同じ住居で堅く結ばれた結果の事…

は、神との契約を守り、絆を堅く結ぶ事…

は、神の武具を身に付けて、聖なる者となる事…

は、一家の長である者が祭司の役割をし、子孫に繋げていく事…

 

地(墜)の祭司の働きには種類があり、役割が分かるように、血族でまとまって暮らし、

律法遵守できるように日々成長し、神の祭に参加し、日々祈りを捧げ神と繋がり、成長して自身の役割が分かるように、種を蒔かれたのではないかと思いました。

 

漢字の解釈は人により様々ですが、皆さんも漢字から想像されてみてはいかがでしょうか。

 

種→芽→実(實)の成長段階については

地に種を成長させるように命令されましたが、

これは人間の事であることが下記↓の聖句から分かります。

 

 

聖書の記述から考えた事

 

・乾いた地とは神の聖域で律法遵守する人が住む場所の事ではないかと考えました。

 

🌿旧約聖書 イザヤ書 四十四章三節 (参照)

わたしは彼(ヤコブ)の乾いた地の上に水を注ぎ、そして、乾いた地に(水を)流す。

あなたの子孫に、わたし(神)の霊を注ぎ(イスラエルを回復する)。

あなたの子孫に、わたし(神)の祝福を注ぐ。

 

🌿イザヤ書 五十三章二節 (参照)

乾いた地面の木の根から、若木が芽を出し(成長して、緑の葉を付けるように)、

彼は、彼(主)の前に育った。

 

・種は神の民に蒔かれた福音の事ではないかと考えました。

 

🌿旧約聖書 詩編 九十七編十一節 (参照)

繁栄の光は正しい人のために、そして(神は)真っ直ぐな人のために、心に喜びのを蒔き試される。

 

🌿エレミヤ書 三十一章二十七節 (参照)

見よ、その日が来ると主は言われる。それは、わたしがイスラエルの家とユダの家の人間と動物に(従順で実を結ぶ)を蒔く。

 

🌿ホセア書 十章十二節 (参照) 

あなた自身に正義の従順なを蒔きなさい。

刈り入れ時に神の御慈悲で、死から命を保護しなさい。

あなたの休閑地を新たに耕しなさい。

なぜなら、(真実の神)主を祈りと崇拝によって捜し求める時が来たからだ。

彼(主なる神)が正義の雨を降らしに来てくださるまで(祈り求めなさい)。

 

🌿ゼカリヤ書 八章十二節 (参照)

は繁栄をもたらすために、ぶどうの木は彼のぶどう園で実を成すために、

地は彼の収穫を産出するために、天は露を降り注ぐ。

そして、この民の残りの者のために、わたしは、これら(特別な天の恵み)のすべてを授ける。

 

旧約聖書続編 エズラ記(ラテン語) 八章六節 (二千十八年聖書協会共同訳)

ああ、私たちを支配される主よ、あなたの御前で祈ることを僕に許してくださいますか。

そして私たちに心のを与え、知性を耕して実がなるようにしてください。そうすれば、

人間として世に場を占める滅ぶべき者が皆、生きることができるようになるでしょう。

 

エズラ記(ラテン語) 九章三十一節 (二千十八年聖書協会共同訳)

見よ、私はあなたたちの中に、私の律法のを蒔く。それはあなたたちの中で実を結び、

それによってあなたたちは、永遠にたたえられるだろう。

 

🌿新約聖書 ペトロの手紙一の一章二十三節、二十五節 (参照)

あなた方が新たに生まれたのは、死滅しやすいからではなく、不滅のだからだ。

そしてそれは、永遠にとどまっている生ける神の御言葉によるものだ。

主の御言葉は永遠に存続する。

そして、この御言葉は、あなた方にもたらされた福音である。

 

🌿ヨハネの手紙一 三章九節 (参照)

神から生まれた人は誰でも罪を犯さない。

なぜなら、彼の中に彼(神)のが残っているからだ。

そして、彼は罪を犯さない。なぜなら、彼は神から生まれたからだ。

 

・芽→果実は、神の種を持つ人の成長過程と結果ではないかと考えました。

 

🌿旧約聖書 イザヤ書 六十一章十一節 (参照)

なぜなら、地がそのを生み出すように、園がそのを成長させるように、

そのように、主なる神はすべての民族の前で、正義と栄誉を芽生えさせてくださるからだ。

 

🌿イザヤ書 二十七章六節 (参照)主の審判の日 主のぶどう畑

イスラエルはが出て、果樹の花が咲き、俗世間の畑を一面の果実で満たしている。 

 

旧約聖書続編 エズラ記 (ラテン語)  三章二十節(二千十八年聖書協会共同訳)
彼らが律法によって実を結ぶように計らわれました。
 
・はしご(階段)は、主イエスの事ではないかと考えました。
 
🌿旧約聖書 創世記 二十八章十二節 (参照)
そして、彼(ヤコブ)は夢を見た。
見よ、一番上が天まで続くはしごが地に取り付けられている。
見よ、神の御使たちが、それを上ったり下ったりしている。
 
🌿新約聖書 ヨハネによる福音書 一章五十一節 (参照)
そして、彼(主イエス)は彼に言われる。
「誠に、誠に、わたしはあなた方に言う。今後あなた方は、開かれた最も高い天空と、
そして、人の子の上を上り降りする神の御使いたちを見るようになる。」
 
・種類は、ヤコブ(イスラエル)の十二部族のことではないかと考えました。
 
新約聖書 マタイによる福音書 十九章二十八節(ミカエル氏訳)
確かにあんた方に言うとく。
あんた方は我に従って来たさかい、新生において、人の子がその威厳の王座に座った時、
あんた方もイスラエルの十二部族を統治する十二の座に座るだろう。
 

真の聖書福音と預言 の記事 救いに値する完全な者 より引用

記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。

 
また、ヨハネの黙示録七章には、
イスラエルの十二部族が神の刻印を押され救われる十四万四千人の事が記述されています。
 
 
ミカエル氏のブログ記事「種を蒔く人の例え」から考える
 

引用ここから〜

 

ところが、良い土地に蒔かれたもの、これは御言葉を聞いて理解してる。

それは、確かに実を結んで行う

(中略)

良い種を蒔いてる者は人の子であり、また、畑は世界であり、更に、これら良い種は王国の子らや。しかし、毒麦は邪悪な者の子らや。また、それら(毒麦)を蒔いてた敵は悪魔であり、更に、刈り入れは世の終わりであり、そして、刈り取る者は天使たちや。

 

と主イエスの御説明があったとおり、

良い種を蒔いた人は主イエス

畑はこの世、

良い種は(天の)王国の子たる神の民

毒麦は邪悪な子たる反キリストども(不信仰者、異教徒(パウロ教信者を含む)等)、

毒麦を蒔いたのは悪魔、

刈り入れ(収穫)は世の終わり、

刈り取る者(収穫者)は天使たち…

 

真の聖書福音と預言 の記事 種を蒔く人の例え より引用

記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。

 

ミカエル氏の上記↑の記事から、

第三の日に種を蒔かれたのは主イエスだと考えました。

主イエスは良い種を蒔き、「確かに実を結んで行う」として、

聖書の御言葉を聞いて理解し、それを行う者であることを神の民として認める要件として

いる事が分かります。

 

良い種を蒔いても人間の置かれた環境によって様々に成長する事も記事に書かれています。

主イエスは公生涯で様々な場所で福音宣教されました。

この福音宣教こそが神の民になれる良い種を蒔く事だと考えました。

そして、

実を結ぶとは、聖書の御言葉を行う主イエスのような完全な者になる事だと考えます。

実を結ぶためには、主イエスを模範として律法を守り、聖なる者となり、聖霊に導かれ、

神に従順な人に成長することで完全な者となり、神の王国に入れると考えます。

 

以上の漢字、他の聖句、種を蒔く人の例えから考えをまとめると…

主イエスが、陸(神の聖域)と海(多数派)に分けられ、

主イエスが良い種である神の民に福音を蒔かれ、聖域で育て、律法遵守して祭司の働きを

成し、成長し実を結び、聖霊が宿る者となり、聖なる完全な者となった神の民が、

ヤコブ(血統イスラエル)の十二部族のそれぞれに属し神の王国に入れるように導かれる。

また、主イエスは地に成長させるように命令されている事から、

海である多数派に福音を宣べ伝え、霊的イスラエルの人々を探し出す事も秘められているのではないか…

 

漢字、他の聖句、種を蒔く人の例えから考え出した第三の日は…

 

主イエスが神の民(良い種)を救われるために、

地(墜)の祭司の働きをする血統イスラエルの神の民(良い種)が、

多数派(海)に属する人々の中から霊的イスラエルの人々も、

成長し実を結ぶように、

主イエスが神の民に福音宣教命令された日ではないかと考えました。

 

 

種蒔きを現代で考えると…

 

主イエスが私たちに御命令された福音伝道ですね。

福音の種を蒔き、その中から神の民が成長して実を結び、聖霊が宿り、神の王国に入れる

ように導く事だと考えます。

福音を聞く方も宣べ伝える方も共に成長し続けるように、聖書研究を熱心に行い、隣人を

悔い改めに導く善い行いをし、主イエスとミカエル氏の教えを宣べ伝えましょう。

 

 

余談ですが…

 

書道で使う硯には、陸と海と呼ぶ部分があります。

筆の穂先(命毛)を整えるのも陸の役割です。

海の一部の水を陸に揚げて墨をすり、清書作品に適した墨の濃さにします。

陸で墨をすりながら香りを愉しみ、精神的には心を整え、集中力を高め、自己と向き合い、清書作品の準備をし、私は神に祈り求めます。

 

硯の部分名称(呼称)と書道の役割りより)

【海】       :水を入れたり、墨液を溜める部分。
【陸】または【揚げ】:墨をする部分、筆先を整えるのにも用いる。
【波止】      :海にある水や薄い墨を、陸に導く部分、

           陸ですられた濃い墨を海に導く部分。
           波止は、墨をする部分ではありません。

(一部抜粋ここまで)

 

 

まだ、聖書を読まれていない方や聖書の内容を信じられない方は、

こちらの↓動画をご覧いただくと、聖書が真実を伝える書物だと理解できます。

 

皆さんに平安がありますように。

 

以上

皆さん こんにちは。

 

今回は、

漢字から創世記一章六節〜八節の第二の日を考えます。

 

 

🌿旧約聖書 創世記一章六節〜八節 (参照)

再び神は言われた。

「水の真ん中に天空を現出せよ。」

そして、水から水が分けられた。

それから神は天空を再び創造され、天空の上の水と天空の下の水とに水を分けられた。

そのように現出した。

神はアーチ形天井の天空を、(目に見える)大空と名前を授けた。

そして、夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第二の日が現出した。

 

 

聖句箇所の漢字の成り立ち

 

…大の字にたった人間の頭の上部の高く平らな部分をー印で示したもの。

   もと、巓テン(いただき)と同じ。頭上高く広がる大空もテンという。

   高く平らに広がる意を含む。(なまえさあち より一部抜粋)

 

「兲」天の異体字 神。創造主。万物の支配者漢字辞典 より一部抜粋)

 

…意味を表す「穴」と音を表す「工」が組み合わさってできた形声文字

  「穴」は洞窟のような空っぽの空間を表し、

  「工」は、上下2本の線の間を1本線が通って突き抜ける 

  (漢字の成り立ち博士 より一部抜粋)

 

…【会意】「刀」+「八」。刀で切り分ける意から「分かれる」の意を表す。

  (漢字辞典 より一部抜粋)

 

聖句の漢字から聖書の記述を考える

 

神が天空を再び創造され、天空の上の水と天空の下の水とに水を分けられた箇所は…

 

の漢字の異体字から、天のの住む所から下に分かれた()事

の漢字の「穴」は第一日目の底深い穴を表し、穴の表面に現出した闇の事

「工」の上下二本の線は上が天の王が住む所を表し、下は地を表し、天から突き抜けた事

の漢字「刀」が表す、戦いによって分けられた事

 

聖書に記述があります。

 

🌿旧約聖書 エゼキエル書 二十八章十三節〜十七節(参照)をまとめると

お前は神の園エデンにおいて今までずっと、油をそそがれた移動するケルブであった。

お前が創造された日から、不正が見付かるまで完全であった。

それゆえ、わたしはお前を神聖を汚す者として神の山から地に投げた。

 

 

旧約聖書 イザヤ書 十四章十二節(ミカエル氏訳)

どうしてお前は天から落とされたか、明けの明星、暁の子よ。

お前は地に切り倒された、諸国民を打ち負かした者よ。

 

真の聖書福音と預言 の記事 クリスマスと太陽神崇拝 より引用)

 

 

🌿新約聖書 ヨハネの黙示録 十二章七節〜九節(参照)

そして、天で戦いが起こった。

(大天使)ミカエルと彼の御使いたちが、反逆の竜と戦った。

そして、竜と彼の使者らは戦ったが、負かす強さがなかった。

天に、もはや彼らの隠れ場所も見出されなくなった。

そして、この巨大な竜、古い蛇(サタンと呼ばれる敵対者は、地の住民たちすべてを惑わす)は、投げられた。彼は地に投げられた。彼の使者らも共に投げられた。

​​​​

 

第一の日に

闇が底深い穴の表面に現出し、神の霊が水の深みの表面の上に神の御言葉によって現出し、神が祝福された事

第二の日に

神は天空の上の水と天空の下の水とに水を分けられた事に対して祝福されず素晴らしいとも言っておられない事

天の御使いケルブが不正を行い、

天の戦いで、大天使ミカエルと彼の御使いたちが反逆の竜と戦い、竜は使者らと共に

神聖を汚す者(闇)として、神の山から地に投げられた事

 

上記↑聖書の記述と漢字の意味から考えると、

 

第二の日に神が天空の上の水と天空の下の水とに水を分けられた箇所は…

天から堕天使(闇)を地に落とされ、天の天使と分けられた事も秘められているのではないか…そして地に落とされた闇が地を覆うように現れたのだと考えました。

 

私は聖書を知る前、

海を眺め、大空を見上げた時、同じ青色だ…なぜ、海と大空の色が同じ青色なんだろう…

どういう事だろう…と考えていましたが、聖書を読み理解できました。

天の上の水が、

神が地に不法が満ちて地もろとも滅ぼすために、ノアの生涯の第六百年、第二の月の十七日に天の窓が開かれ深淵の源が裂け、四十日四十夜地上に降り続いた雨で洪水になる場面で

使われるのですね。(創世記七章参照)

 

現在も世は不正に満ちて悪が蔓延して、ノアの時代と同じ状況です。

すでに昼の時間が短くなり、夜の闇の時間が長くなってきています。

悪霊はこの世をさまよい、人に惑わしを働いてきます。

悪の誘惑から離れ、真実である神の御言葉に包まれ過ごしましょう。

 

 

こちらは↓艱難期前携挙説(秘密携挙説)間違いであることが分かる記事です。

悪の甘い誘惑に陥らないようにしましょう。

 

引用ここから

 

新約聖書 マタイによる福音書 二十四章章三十七節〜三十九節(ミカエル氏訳)

更に、ノアの時代のように、人の子の来臨もまた、そのようであろう。

大洪水の前の日々のように、ノアが箱舟に入るその日まで、

人々は食べたり、飲んだり、娶ったり、嫁いだりしているさかい。

そして、大洪水が来て全員を滅ぼすまで、人々は分からへんかった。

人の子の来臨もまた、そのようであろう。

 

分かりましたか。

キリストの再臨の直前まで、多くの人々はいつもの日常生活をしているのです。

そして、キリストの再臨の時、真のキリスト者のみ携挙され、大多数の残りの人々は洪水ではなく、上述のように地上に火と硫黄が降り注いで一人残らず滅ぼされるんや。

そして、

ノアは、事前に天のような安全な場所に避難させてもらえへんかった。

大洪水という艱難の中を事前に箱舟を作るようにと主の指示を受け、

その指示に忠実に従ったことで守られる経験をしました。

分かりましたか。

携挙は、大艱難前に避難させるということを意味しません。

それでも、あんたは大艱難前に携挙されると根拠も無い自信を未だ持てますか。

しかし、

兄弟たち、もう時間が多く残されてへん。

危機感を持って、真理を切に求めてください。真理は聖書にしかありまへん。

サタンや反キリスト、偽預言者たちに騙されずに打ち勝つ方法は、聖書を深く研究してその真理を知り、神の掟を守り、忍耐し、熱心に主イエス・キリストに祈り、求めることです。

 

真の聖書福音と預言 の記事 携挙の真実 より引用)

記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。

 

 

こちらは↓聖書の古代イスラエルと日本との共通点、関係を数々の証拠を教えてくださる、

ミカエル氏の動画です。

 

 

皆さんに平安がありますように。

 

以上

皆さん こんにちは。

 

今回から、旧約聖書の創世記から学びます。

 

内容は以下↓です。

一、原語から訳した言葉の意味

二、五節And wereの原語から分かる、過ぎ去り現出したもの

 

<結論> 主イエスは、創造主であり、救い主であり、裁き主である

 

🌿旧約聖書 創世記一章一節〜五節(参照)

王国の始まり

 

初めに神は天と地を創造された。

地は無秩序で空虚。

そして、闇が底深い穴の表面に現出した。

そして、神の霊が水の深みの表面の上で舞っていた。

そして、神は言われた。「昼の光よ、現れよ。」

こうして、昼の光が現出した。

神は昼の光を見られ「それは素晴らしい。」と認められた。

そして、神は昼の光と闇との間を分けられた。

神は昼の光を昼、闇を夜と名前を授けた。

夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第一の日が現出した

 

 

<KJV>

 In the beginning God created the heaven and the earth.

And the earth was without form, and void; and darknesswas upon the face of the deep. And the Spirit of Godmoved upon the face of the waters.

And God said, Let there be light: and there was light. 

And God saw the light, that it was good:

and God divided the light from the darkness.

And God called the light Day,

and the darkness he called Night.
And the evening and the morning were the first day.
 
 

 

一、原語から訳した言葉の意味

 

絶対的に光のない場所のことを意味する言葉です。
「闇」という言葉は、物理的な光のなさだけでなく、法や道徳に反することや、

悪や邪悪なものを象徴する言葉としても使用されると考えられます。

(言葉の違いが分かる読み物) より引用

 

 

昼光(昼の光)…自然の灯りの中で最も明るい時間帯

青みがかった色合いを持ち、心を活性化させる効果があります。

(とはログ 昼光とは) より引用

 

夕暮れ…夕暮れは夕方よりもさらに日が落ちていく過程、つまり太陽が地平線に接近し、最終的には見えなくなる時間帯を指します。夕暮れはより詩的な表現であり、空がオレンジ色から紫、そして青へと変化し、日の終わりと夜の始まりの静かな瞬間を象徴しています。

(コトノハ辞典) より引用

 

夜明け…夜が明けること、またその時間帯。太陽が昇る前から昇り始めるまでの時間を指し、比喩的に新しい時代や物事の始まりを表現する際にも用いられます。

(言葉の意味辞典) より引用

 

現出「(見えなかったものが)実際にあらわれて出ること・実際にあらわして出すこと」を意味している言葉です。

「現出」の表現には、「人の意図(考え)・計画が働いた結果として姿をあらわすこと、

具体的な形を為すこと」といった意味のニュアンスがあります。

(意味解説辞典) より引用

 

二、五節And wereの原語から分かる、過ぎ去り現出したもの

 

原語の意味から、五節And wereには、

to be, become, come to pass, exist, happen, fall out等の

(少し時間が経って)ある状態になる、〜起こる、〜生じる等の意味があります。

 

一章では、五節、八節、十三節、十九節、二十三節、三十一節に使用されています。

つまり、

夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第一日〜第六日が現出した事で、時間が生じました。

また、

一日の始まりは夕暮れ時、日没後から始まる事が分かります。

 

・昼の光は神の御言葉によって現出した。

・闇は自然発生したものと考えます。(詳細は後日記事にします)

 

🌿新約聖書 ヨハネによる福音書 一章一節〜五節(参照)

すべてのものの初めに御言葉があった。

御言葉は神と共にあった。

御言葉は神と同じであった。 

この(正しいという名前の)方は、初めに神と共にあった。

万物は、彼(主イエス)の(御言葉)によって成った。

そして、その成ったもので彼(主イエス)の介在なしに成った者は一つもない。

彼(主イエス)の中に命があった。

その(主イエスの)命は、人々の光であった。

そして、その光は闇の中で輝いているが、闇は彼(主イエス)を理解しなかった。

 

言葉の神である主イエスが天と地を創造された事が分かります。

 

<結論>

 

天と地は主イエスの御言葉によって創られた。

無秩序で空虚の闇に覆われた地を救うために、世の光である主イエスが現れた。

光である主イエスの御言葉を理解しない闇を裁かれる。

主イエスは、創造主であり、救い主であり、裁き主である。

 

主なる神の御言葉が書かれている旧約聖書と新約聖書とミカエル氏のブログを読まない、

読んでも理解できない闇である反キリストは最後に裁かれます。

私たちは主イエスを模範に狭い門を選び、狭苦しい道を歩み、神の民が救われるように、

世の光である主イエスとミカエル氏の教えを正しく喜んで伝道し、聖書研究し、善い行いを続け、新しく生まれ変われるように励みましょう。

 

※旧約聖書と新約聖書は繋がっていますので、両方通読してくださいね。

 

こちらの↓『真の聖書福音と預言』ミカエル氏の記事を読んでいただくと大地が平面であり、

球体が嘘の教えだと理解できます。

 

「地球球体説と地動説という大嘘と太陽神崇拝」

 

 

皆さんに平安がありますように。

 

以上

皆さん こんにちは。

 

聖書『真の聖書福音と預言』の記事

 

実を結ばな滅ぶから共に学びましょう。

 

上記の↑記事は、

新約聖書 マルコによる福音書 十一章十二節〜二十六節(ミカエル氏訳)を原語から翻訳され、聖書に忠実に解釈された七部構成の内容です。

 

一、空腹と渇望の違い

二、いちじくの木を確認した意味

三、一世紀以後永久にユダヤ人には救いの希望無し

四、神殿の清め

五、反キリストどもは神に逆らい、義人を消そうとする

六、空白の半日

七、信仰と赦しの重要性

 

一、空腹と渇望の違い を以下にまとめます。

 

<ミカエル氏訳>

彼らがベタニアを出た時、(イエスは)渇望しはった。

 

<市販聖書の訳>

「イエスは空腹を覚えた」など

 

ここでの話は空腹を満たすのが目的ではない

・主イエスが十二使徒と行動を共にしているのに、

 十二使徒は空腹でないのに、何故主イエスだけが空腹になったのかという疑問が生じる

 

<原文>

・当該動詞の活用は三人称単数

・十二使徒ではなく主イエスのみというのが分かる

空腹になるという意味もあるが、ここでは食べ物を欲するという空腹ではなく、

 別の何かを欲するという渇望するという意味と考える

・原語の意味には、

 腹が減る以外に、熱心に切望する本質は渇望するという意味

二、いちじくの木を確認した意味 を以下にまとめます。


葉を持ったいちじくの木を遠くから見た時、それ故にそれに何かあるか見付けようと行きはって、それに到着した時、葉以外は何も見付けはらへんかった。

いちじくの時期やなかったからや。

 

主イエスの行動

遠くからいちじくの木が葉を付けている様子を確認

芽を出しているか確認…葉以外には何も見付けらなかった

 

<隠された意味>


この聖句の話は文脈から、

・ろばに乗ってエルサレムに入られ、人々に迎えられた翌日の話

・主イエスは、事前に御自身の死と復活を予告していた

・主イエスは間近に迫った死を覚悟していた状態だった

・主イエスの十字架刑は過越祭及び除酵祭の時期で、

 聖書暦の一月(正月、アビブの月)は、太陽暦でいう三月下旬から四月上旬頃に当たる
 

いちじくの収穫時期は聖書暦四月(太陽暦七月)から七月(太陽暦十月)

・実を結ぶ前兆として芽を出すのが正月の時期

いちじくの木が実を結ぶ時期ではない

 

・主イエスがいちじくの木が葉を持っているかを(枯れて死んではいなく生きている)

 遠くから確認し、後に実を結んで収穫出来るものがあるかどうかの判断をするために、

 芽が出ているかを確認

結果

葉以外に何も見付けられなかったとのことで、

主イエスは芽を出してないので実を結ばないと判断されたのではないか…

 

・時期的に、いちじくの実が無いことは最初から分かりきっていた


・ここでの「いちじく」というのも、その植物そのものを意味するのが本質ではない

・聖書では、いちじくはユダ(南のユダ王国の人々)を指す

他にも

・聖書に登場する「ぶどう」も比喩であり、

 これはイスラエル(古代イスラエル人とその末裔たる日本人の一部)を指す

その根拠は、

エレミヤ書二十四章五節ユダの民がいちじくという例えがある

エレミヤ書六章九節ぶどうがイスラエルの者と例えがある

エレミヤ書八章十三節に、集める事を終える(収穫を終える)

 ぶどうの木にぶどうの実が無い、いちじくの木にいちじくの実が無い

 葉は萎れ、主が彼らに与えたものは消え去ったと書かれている

聖書での「ぶどう」と「いちじく」は、例えであり、それぞれイスラエルとユダを指す

 

日本こそがイスラエルであり、聖書と最も関係が深いのは日本人


主イエスが確認したかったのは、

・ユダの人々(いちじく)に芽が出るか、実を結ぶ可能性があるかどうかを見るため

・永遠の命を与えて後の世で生かすに値する見込みのある人間が居るかの確認

それだけでなく、

・主イエスはユダから神の民がもっと出てくることを渇望しておられた

実際は

・ユダの人々は葉を持つという外観だけ整えているだけに過ぎず、中身が伴わず、

 救いに値する人になる兆候を示す芽が無かった

 ユダヤ人は神の民として芽が出ないという残念な結果だった

 

三、一世紀以後永久にユダヤ人には救いの希望無し

   を以下にまとめます。
 

そして、イエスは答えて、それ(いちじくの木)に、

「今後永久に誰もあんたの実を食べへんように。」と言わはり、

彼の弟子たちは聞いてた。

 

・主イエスは答えて語り…その前に誰かの発言があった筈だが正しい底本にも無い

 

今後永久に誰もあんたのを食べへんように。」の解釈

 

・主イエスは、いちじくの木に芽が出ていないことから、

 ユダヤ人には今後見込みが一切無い、期待しないと断じて、

今後永久に」と言われていることから神による重い判決と言える

 

・神である主イエス御自身が公生涯(三年半)の間にユダヤを宣教で回ってこられ、

 それでもユダヤの人々は真剣に聞き入れて悔い改めず、実を結ばないことが多かった

その時以後

彼らに一切期待しない、

 彼らのを食べる=彼らから悪影響を受けることもないようにということ

 

この主イエスの御発言は、

・逮捕されて十字架刑になる直前期であり、それ以後永久にという意味

主イエスの公生涯のうちに改心して悔い改めた人たちは含まれない

実際に、

・ユダヤ人はこの時を境に神に見捨てられ、

 その後ユダヤ戦争にてローマ帝国に滅ぼされ、エルサレム神殿も破壊され、

 中東のエルサレムは、もはや重要な拠点ではなくなり本来のユダヤは完全に滅亡した


救いはユダヤ人からやさかい(ヨハネ四章二十二節ミカエル氏訳)という御言葉は、

 ・主イエスや十二使徒によってもたらされることを意味する

 

・主イエスの御言葉どおり、主イエスの公生涯末期以後、

 もはやユダヤ人(偽ユダヤ人を含む)からは得られるものは何も無いのであり、

 彼らには一切希望は無く、彼らの教えに聞き従ってはいけない。


ヨハネ十五章のとおり、主イエスは御自身をぶどうの木と例えられ

 いちじくの木とは例えられなかったこともその意図が含まれている。

 

・古代ユダヤ人が絶滅して存在しないという意味ではなく、

 主イエスがユダヤ人を見限っており、救いに関してはもはや希望が無いという意味

 

主イエスが十字架刑になる際、古代ユダヤ人たちは勝手に怒り、

 釈放に際しても主イエスよりも強盗のバラバを選び、

 罪も無い主イエスの血の責任を自分たちとその子孫に降り掛かってもよいと言った

 程に堕落を極めたことからも、当時のユダヤ人もその子孫も絶望的な存在

 

・ユダヤ人の堕落具合を主イエスは前以て予見されて、

 その御言葉どおりの結果が生じたこともきちんと聖書読者は理解すべき


偽使徒パウロもこれに当てはまる

・パウロはベニヤミン民族出身。

・旧南ユダ王国のユダヤ人(旧北イスラエル王国の古代イスラエル人ではない)

パウロは主イエスのこの処断よりも何年も後に登場するのであり、

 希望の無い偽使徒パウロの教えに惑わされていては救われない

 

主イエスは公生涯のうちにユダヤ人の救いの恩恵期間の扉を閉じた

・パウロは閉められた後で入ろうとした者であり、

 自分が救われると高慢にも思い込んで資格も無いのに使徒と自称し、

 ファリサイ派の分際でキリスト者と嘘をついて多くの人を惑わした罪深き者

 

・救いの希望が失われたユダヤ人の偽使徒パウロの教えに従うことは、

 主イエスの御言葉に逆らうことを意味し、パウロ教信者は反キリストである。

 

ダニエル書によれば、

・ステファノの殉教以後、異邦人に広く伝道がなされ、それを以て

 福音はユダヤ人だけのものではなくなり、選民としての特権的な扱いも失われた

・ユダヤ人の救いの希望は、

 実際には、この主イエスの御処断によって少し早めに喪失していた

 

六、空白の半日

 

それから、夕刻になった時、(イエスは)都の外に出て行きはった。

そして、朝に(弟子たちは)通り過ぎる際、根から枯らされたあのいちじくの木を見た。

 

<正しい底本>

日中はエルサレム神殿で教え、日没頃になると、主イエスは、お一人で都の外に出て行かれた

<市販聖書の誤訳>

主イエスは弟子たちと都の外に行ったと訳されている

 

<正しい底本の原文>

動詞の活用が三人称単数のため、主イエスお一人が出て行ったということになり、弟子たちが同行したという意味にはならない

 

<改訂版底本>

三人称複数に変わっており、主イエスと弟子たちが一緒に都を出たという文になっている

・これは底本違いによる相違、改訂版底本が改ざんされた数多い証拠箇所の一つ

・主イエスはお一人で都を抜け出され、翌朝には十二使徒と合流された

 夕刻から朝までの半日程度の時間は、

 主イエスは都の外でお一人で過ごされたことが分かる

・十二使徒は後を追い掛けたという記載も無いため、単独行動だった

 

 

マタイ二十一章マルコ十一章では多少の食い違いがあるという点

 

 

ぶどう園というイスラエルの中に、いちじくの木のユダがある

という位置付けを前提とすると、

 

・ユダ(ユダ族とベニヤミン族)の人々が三年以上も実を結ばなかったという事実

・主イエスの公生涯期間(三年半)と重なる

・主イエスが死を覚悟してエルサレムに来た時期であり、公生涯も終わる間際の時期

 故に、三年経過したというのはこれに当てはまる

 

この話↑と

ルカ十三章六節から九節の実らない、いちじくの木の例えと繋がってるように考えた

 

ルカ十三章の「ある人」とは、父なる神  園丁は主イエス

父なる神と会話して、

・主イエス直々の宣教活動でも三年間ユダの人々は実らないから、切り捨てよ

 という御言葉があったのだろう

・主イエスは来年まであと少しだけ待つようにと猶予を申し出た

・主イエスの十字架刑は、春の過越祭という聖書暦の一月(正月)にあった

即ち、新年に切り替わった時期

 その前年にこの話があったというのならピッタリと合致する

上記聖句で

・主イエスがいちじくの木を見限った御言葉を出したのは、十字架刑直前期

四年目になっても実がなるどころか実がなる前兆となる芽すら出てないことを確認

・約束どおりの期間が経過したため切り倒しに踏み切ったのだろう

そして、

これを単なる過去の話と思い、他人事に思ってはいけない

信仰に入って三年経っても実らないのなら、同じようになる

 

 

以上まとめました。

 

記事を拝読した感想

 

主イエスが呪われた、いちじくの木が枯らされた意味を深く知りました。

ミカエル氏の解釈を知り、卒倒しそうなくらい衝撃を受けましたが、

間違った教えから隣人が救われるように、この素晴らしい叡智を広く伝道したいと考え、

自身の記事に夢中で入力しました。

 

信仰生活を始めて三年経過して実を結ぶのではなく、

ミカエル氏の設立された「神のイスラエル教会」の教会員になって、

そこで学んで三年経過して実を結ぶようになるのですね。

それには、

「兄弟の集いの場」に入れる努力をする

神のイスラエル教会の教会員になるための試験に合格する

 

 

ミカエル氏のご尽力の賜物に、心から感謝いたします。

 

皆さんに平安がありますように。

 

以上