皆さん こんにちは。
私は以前からとても気になる聖句があります。
それは、こちら↓です。
🌿旧約聖書 イザヤ書 四十六章十節(参照)
王国の初めから終わりの事を宣言する。その事は、古来よりまだ行われていない事を言う。
わたしの忠告は適い、わたしの意志(主の御意志)は、すべて行われる。
🌿新約聖書 ヨハネによる福音書 五章三十九節(参照)
あなた方は、聖書の中の言葉を調べている。
あなた方は、それら(聖書の中の言葉)に永遠の命があると考えているからだ。
そして、その聖書の中の言葉は、わたし(主イエス)について証言しているものである。
こちら↑の聖句が私の頭の中で色々想像を膨らまし、
聖書の初めは創世記、終わりはヨハネの黙示録ではないか…
ヨハネの黙示録は主イエスの預言なのだから、
↓
創世記に主イエスの預言の記述があるのではないか…
ヨハネの黙示録に創世記の記述があるのではないか…
↓
神は六日間で天地創造されたので、
六日間の記述の中に六千年の主イエスの預言の記述があるのではないか…
↓
第一の日〜第六の日の言葉は、主イエスの預言の記述ではないか…と考え、
第一の日〜第六の日の主イエスの預言の言葉を考察することにしました。
こちらの↓ミカエル氏の記事が大変参考になりました。
(真の聖書福音と預言 の記事 千年王国の真実 後編 より引用 *記事本文の文字に
罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
上述のように、
黙示録20:1~9で語られていることは過去からキリストの再臨までの地上の様子、
新しい天と新しい地の統治の様子を順不同に暗示的に描写しており、
その中に千年を六回散りばめてこの世が六千年であることを表し、
キリストの再臨があって、
それから永遠の安息にあずかる次の世が来ることを表しているのです。
この世がキリストの再臨の時に、火で焼き尽くされて滅び、キリストに結ばれて眠りについた人が最初に復活し、大艱難を経て神が事前審判の上、厳選されたごく少数の生きている人が携挙されて、神が再創造した新しい天と新しい地に主イエスとともに行き、
そこでいつまでも平和に暮らしていくのです。
悪人(神に属する人間以外)は、最後の審判を経て、生前の行いに応じて裁かれ(黙示録20:12)、命の書に名が無い者は火の池(地獄)に投げ込まれるのです(黙示録20:15)。
引用ここまで
今回は、
創世記一章十四節〜十九節の第四の日に
現出された光体についてと
昼(光)と夜(闇)の間を分けられた意味を調べ
主イエスの預言を考察します。
この聖句の
第四の日に、「星々」と指定はありますが、「太陽」と「月」の指定はありません。
二つのとても大きい光体で、
昼を統治する大いなる光体と、それより小さい光体が夜を統治すると表されています。
太陽のヘブライ原語は שֶׁמֶשׁ 英語は sun
月のヘブライ原語は יָרֵחַ 英語は moon
語源は יֶרַח 意味は…(暦の)「月」等です。
この聖句箇所の大空の二つのとても大きな光体とは太陽と月のことですが、
なぜ、sun、moonとしなかったのか…と疑問に思います。
神が光体を現出されたのは、
昼と夜の間を分けるため
日々と歳月、定められた時のため
気象の変化のしるしのため
昼と夜を統治させるため、更に星々も造られた
地上を照らすため
闇から光を分けるため
でした。
確かに、太陽と月にもその役割が当てはまりますし、四日目に太陽と月が造られた記述も
あります。
旧約聖書続編 エズラ記(ラテン語) 六章四十五節(二千十八年聖書協会共同訳 参照)
四日目にあなたは、太陽が輝き、月が光るように命じられ、星の位置を定められました。
しかし、
過去記事で第一日〜第三日までの聖句を考察した結果、
*光→昼→主イエス
*闇→夜→堕天使(悪魔)
でした。
この事↑が引き続き関係するので、二つのとても大きな光体と表現されているのではないか、第四の日に秘められた事があるのではないかと思い調べました。
原語から確認してみましょう。
🌿旧約聖書 創世記 一章十四節〜十九節 (参照)
神は言われた。
「*昼と夜の間を分けるために、天の大空に光体を現出せよ。
そして、日々と歳月のため、定められた時のため、しるしのために現出せよ。
天の大空の光体は地上を照らすために現出せよ。」
そして、そのようになった。
神は二つのとても大きい光体を造られた。
大いなる光体に昼の統治をさせ、そして、それより小さい光体に夜の統治をさせられた。
彼(神)は、また星々も造られた。
また、神は天の大空に地上を照らすために、それらを置かれた。
昼の間と夜の間、そして、*闇から光を分けるために。
神はそれらを見られ「それは素晴らしい。」と認められた。
夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第四の日が現出した。
上記↑の箇所の翻訳を新共同訳では光体を光る物、定められた時を季節と訳されています。
私が調べ考えた光体とは何か、定められた時とは何かを説明します。
<KJV>
十四節
And God said, Let there be lights (מְאֹרֹת)in the firmament of the heaven to divide the day from the night;
and let them be for signs, and for seasons(וּלְמוֹעֲדִים),and for days,and years:
英語でlightsの意味…光、照明、(屠られた羊・豚などの)肺臓 等です。
lights ヘブライ原語(מְאֹרֹת)光体を調べます。
語源…אוֹר
意味…光、輝き、夜明け 創世記一章三節の「光」等です。
原義…luminary(מָאוֹר)
意味…光体、光源、光、輝き、灯火
英語のluminaryの意味…発光体、(知的)指導者、有名人、輝ける存在、権威等です。
同じ原義の意味を持つ他の聖句
光体
🌿旧約聖書 詩編 七十四編十六節(参照)
昼はあなたのもの、夜もまた、あなたのもの。あなたは太陽と光体を備えられました。
<KJV>
The day is thine, the night also is thine:
thouhast prepared the light(מָאוֹר) and the sun.
光源
🌿エゼキエル書 三十二章八節(参照)
「天のすべての光源、光をわたしはお前の上で暗くする。そして、お前の地の上に恐れを
置く。」と主なる神は言われる。
<KJV>
All the bright( מְאוֹרֵי) lights(אוֹר) of heaven will I make dark over thee,and set darkness upon thy land, saith the Lord GOD.
光
🌿詩編 九十編八節(参照)
あなたは私たちの不正を懲らしめるために、あなたの前に置かれました。
私たちの罪をあなたの御顔の光の中で覆い隠してください。
<KJV>
Thou hast set our iniquities before thee,
our secret sins in the light (לִמְאוֹר)of thy countenance.
輝き
🌿箴言 十五章三十節(参照)
目の輝きは心を喜ばす。
<KJV>
The light(מְאוֹר) of the eyes rejoiceth the heart
蝋燭、灯火
🌿出エジプト記 三十五章八節(参照)
灯火のための油。
<KJV>
And oil for the light(לַמָּאוֹר),
他、レビ記、民数記の幕屋の蝋燭や灯火
参考までに、
漢字の「主」は聖なる場所の燭台に火が燃えている灯火の形を表すことから成りました。
以上から、
光体は、光り輝く聖なるものであると考えます。
次に、
英語で seasonsの意味は…短い期間、時節、時期、旬、季節等です。
and for seasons ヘブライ原語(וּלְמוֹעֲדִים)定められた時を調べます。
語源…יָעַד
意味…定める、集まる、相談する、出会う、臨む、呼び出す、置かれる、向けられる
原義…appointed time(מוֹעֵד)
意味…合図、協約、取り決め、集合場所、集会所、会堂、集会、(特定の)時間、祝祭
会見、出会い
英語のappointed timeの意味…約束の時間、定刻、指定された時間、決められた時刻等です。
同じ原義の意味を持つ他の聖句
🌿旧約聖書 創世記 十七章二十一節(参照)
しかし、わたしの契約はイサクと立てる。
そしてそれ(契約)は、サラが来年のこの定められた時にあなたに産む(イサクと立てる)。
<KJV>
But my covenant will I establish with Isaac, which Sarah shall bear unto thee at this set time (לַמּוֹעֵד)in the next year.
🌿出エジプト記 十三章十節(参照)
それゆえに、あなたはこの(律法の特別な儀式の除酵祭)法を毎年定められた時に守らなければならない。
<KJV>
Thou shalt therefore keep this ordinance in his season (לְמוֹעֲדָהּ)from year to year.
🌿出エジプト記 二十三章十五節(参照)
あなたは除酵祭を行わなければならない。あなたは(過越祭と除酵祭の祝祭に)わたしが
あなたに命令した、アビブの月の定められた時に、七日間種無しパンを食べなければならない。
<KJV>
Thou shalt keep the feast of unleavened bread:(thou shalt eat unleavened bread seven days, as I commanded thee, in the time appointed (לְמוֹעֵד)of the month Abib;
以上から、
神と人間が立てた契約の中の定められた時と考えます。
次に、
聖書とミカエル氏の解釈から学び、
日々と歳月のため、定められた時のため、しるしのために地上を照らす意味を確認します。
引用ここから
新約聖書 マタイによる福音書 十四章二十二節〜三十三節(ミカエル氏訳)
それからすぐ、イエスは、
群衆を追い払うまで、彼の弟子たちを舟に乗って、向こう岸に彼の前に行くように強いた。そして、群衆を追い払って、祈るために一人で山に登りはった。
晩になったが、一人でそこに居てはった。
ところで、舟は既に湖の只中に居って、逆風のために波に悩まされていた。
しかし、夜の第四の見張り時に、イエスは湖の上を歩いて、彼ら(弟子たち)のところに
行きはった。(中略)
主イエスは、
「我は、我を遣わしはった方の業を日中である内に行わないかん。夜が来ると、誰も働く
ことがでけへん。 」(ヨハネ九章四節 ミカエル氏訳)と言わはった。
つまり、
日中は神が与えた恩恵期間を暗示し、
暗い夜は悪の支配が極まって誰も神の業を行う事がでけへん期間を暗示し、
伝道活動もそれに含まれる。それらの活動が誰もでけへんようになるであろう。
主イエスは、晩になるのと同時に、弟子たちと別れた。
つまり、
日のあるうちしか主イエスに頼ることが出来ず、
大艱難期になったら、原則、主イエスは何もしはらず、
頼ることがでけへんということや。
つまり、
恩恵期間終了後、原則、キリスト者は自分たちでどうにかするしかないということを暗示してる。
また、主イエスは
「未だ少しの間、光はあんた方と共にある。暗闇があんた方を捕らえへんように、
光を持ってる内に歩きなはれ。実際、暗闇の中を歩く者は、何処へ行くのか分からへん。
光を持ってる内に、光の子となるために、光を信じなはれ。」
(ヨハネ十二章三十五節〜三十六節 ミカエル氏訳)とも言わはり、
恩恵期間内に
ほんまもんの光である主イエスに立ち返り、信じて生きなければ、
光の子、即ち、神の民にはなられへんのであり、
暗闇(悪魔や悪魔崇拝者の勢力)に取り込まれ、獣の刻印を受けて滅びる人間になってしまうということや。
未だこの世で光があるうち、未だ真のキリスト者による伝道を見聞き出来るうちに
主イエスという光を信じなはれ。
後回しにしたり、軽んじたりしてると、マタイ二十五章の愚かなおとめの例え話のとおり、締め切られて、時機に遅れると、もはやどうにもならへんよ。いつまでも時間があると思うな。
堕天使である悪魔ルシフェルは、「光を掲げる者」という意味を持つ名であるが、
これは主イエスという神の光に憧れて偽装する者であり、この偽物に騙されてはならん。
(真の聖書福音と預言 の記事 水上を歩く より引用 *記事本文の文字に罫線、
色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
更に、
「星々」についてですが、興味深い記事があります。
引用ここから
クリスマスツリーの頂上には星(star)を飾っていますが、これも意味があるのです。
上記の申命記の聖句からも当然に星を崇めることも偶像礼拝になるので禁忌ですが、
星は、サタンを示します。以下の聖句のとおりです。
旧約聖書 イザヤ書 十四章十二節(ミカエル氏訳)
どうしてお前は天から落とされたか、明けの明星、暁の子よ。
お前は地に切り倒された、諸国民を打ち負かした者よ。
他の聖句でも明けの明星は出てくるのですが、
上記聖書箇所の明けの明星はサタンを示すものです。
しかし、
聖書に出てくるすべての明けの明星がサタンではないことに注意してください。
特に黙示録2:28と22:16とは真逆の存在です。
これを知らずに混同する反キリストがいます。
話が逸れましたが、
よく五芒星(逆さ五芒星も同様)で表現される星はサタンを象徴するもので、
ハリウッドスターやスーパースター、アイドル、セレブ等をスターと呼んで英雄扱いしたり、憧れたり、追っかけたり、熱狂的なファンになることは偶像礼拝であり、
サタン崇拝していることと同じことなのです。
故に、
クリスマスツリーにも星が飾られ、木という偶像の頂点にサタンがいて、人々はそれを見て歓喜しているのです。ちなみに、空の星の形は五芒星ではありません。
誰がそないな形だと証明したのか。
五芒星も六芒星と同じく悪魔崇拝で使用されるものでしかなく、
あれを星(star)と思い込むのは世間に洗脳されてるだけです。
この点、
主イエスは「あなたの神である主を拝み、ただ主に仕えよ。」(マタイ4:10)、
「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての
民を私の弟子にしなさい。」(マタイ28:18〜19)と仰いました。
ここで明白なように、
神に仕え、主イエスの弟子になることが重要なのであって、
人間の弟子になったり、サタンや偶像を拝むことは絶対にいけません。
(真の聖書福音と預言 の記事 クリスマスと太陽神崇拝 より引用 *記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
後、気になる箇所があります。
創世記 一章十六節(KJV)
And God made two great(הַגְּדֹלִים) lights; the greater(הַגָּדֹל) light to rule the day, and the lesser (הַקָּטֹן)light to rule the night: he madethe stars also.
great、greater
語源(גָּדַל)
意味…大きくなる、成長する等
great、greater(גָּדוֹל)ヘブライ原語の意味…大きさや広さの意味だけでなく、
重大、重要、大きな事、大それた事、(神&属性)偉大だ、大いなる等
英語の意味…大きさの大小の比較だけでなく、価値や重要性の比較をすると、
the greater…偉大な、賞賛に値する
the lesser…〜より劣る、重要でない方
💡もしかして…
大いなる主イエス、より小さいパウロ
と頭に浮かんで来て、ミカエル氏の記事を調べました。
引用ここから
主イエスは、天地が滅びるまで、
つまり、この世が滅びるまで律法の文字から一点一画消えることはないと断言しはり
(マタイ五章十八節参照)、律法にある掟の中の一つも消えることはないと仰せや。
どないに些細な掟一つでも廃止されたと思って破棄し、そうするように教える、
即ち、
律法を守る必要が無いと教えるような人は、主イエスが言わはった「最も小さい者」ということや。
創造主である主なる神が制定しはった神の律法を人間という被造物ごときが生意気に否定する権利なんか無いんや。
僭越にも主が制定しはった律法を廃止されたなんて大言壮語する不届き者を神が忌み嫌い、天の国に入るのを阻むんは当然やろ。これを当たり前の道理やと思えへんのは異常者やし、滅んで当然の存在。
また、
主イエスは、キリスト者が過去の律法学者やファリサイ派の義よりも優れへんようでは、
決して天の国に行くことはないと断言しはってる。
過去記事「パウロは偽使徒」でパウロという名の意味が「小さい」という話をし、
理由を後述すると書いた。ここでその理由が分かる。その過去記事で引用した聖句どおり、
主イエスは、
「(モーセの律法の中の)掟の最も小さなものを
一つを破棄し、そうするうように人々に教えるなら、
各天の国で最も小さい者と呼ばれるだろう。」と明言しはり、
サウロは律法を軽んじた故に、小さい(パウロ)者になるんや。最も小さき者や。
(真の聖書福音と預言 の記事 偽使徒パウロの反キリスト教義 二 より引用 *記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
以上↑のミカエル氏の奥深い解釈の記事から分かる事は、
・光体は神が現出された主イエスの光を持つ神の刻印を押された神の民と
神の光を偽装する悪魔たちの闇に属する獣の刻印を押された者たちに分けるため
・星は天使とサタンを示し二種類に分かれる
・明けの明星は主イエスと主イエスという神の光に憧れて偽装する堕天使ルシフェル
・昼は神が与えた恩恵期間を暗示
・夜は悪の支配が極まって誰も神の業を行う事ができない大艱難期を指す
・律法違反する者は小さい者になる
・恩恵期間内に
光である主イエスに立ち返り信じて生きなければ、光の子、神の民にはなれず、
暗闇(悪魔や悪魔崇拝者の勢力)に取り込まれ、獣の刻印を受けて滅びる人間になる
聖書とミカエル氏の解釈から、
神の光である主イエスが統治する昼(光)に従う神の刻印を押された神の民と、
神の光を偽装する悪魔たちが統治する夜(闇)に従う獣の刻印を押された者に分かれると
理解できます。
第四の日は、
神と人間が交わした契約の律法を行う者と従わない者が分かるように、二つの大きい光体が現出され、地上を照らしたのではないか…
それは、
神の王国に相応しい人間を選別するためと考えました。
神が、天の大空に光体を現出されましたが、
この光体は聖なるものですが、それぞれの思いによって、
光に属するか、堕落して闇に属するかに分けられます。
例えば、
神と人間の契約に定められた十戒の四番目の安息日は、
金曜日の日没から始まり、土曜日の日没まで神の民は聖別します。
しかし、この戒めを守らず、
神よりも悪魔の教えを信じて太陽自体を崇拝する太陽神崇拝を行う者もいますし、月、星を崇拝する者もいます。
定められた事を守るか、否か。
律法遵守するか、違反するか。
つまり、
主イエスに従うか、堕天使(悪魔)に従うかです。
主イエスの教えを守り、神の王国に入るか、悪魔の誘惑に負けて、地獄に落ちるかです。
次に、
何のしるしのために光体を現出されたのか…
新約聖書 ヨハネの黙示録 八章十節〜十二節(TR日本語訳 参照)
すると灯火のような、燃えている大きな星が天から落ちた。それは川々の三分の一の上に、また、水の泉の上に落ちた。
その星の名は『苦よもぎ』と呼ばれており、その水の三分の一は、苦よもぎとなる。
そして、人々のうちの多くがその水によって死んだ。それが苦くなったからである。
そして、第四の御使いがラッパを吹き鳴らした。
すると、太陽の三分の一と、月の三分の一と、星々の三分の一が打たれた。それらのものの三分の一が暗くされ、昼はその三分の一が光を放たず、夜も同様になるためであった。
旧約聖書続編 エズラ記(ラテン語) 六章二十節 (二千十八年聖書協会共同訳 参照)
そして過ぎ去ろうとする世が封印されるまさにその時、私は次のようなしるしを行う。
天空に巻物が開かれ、すべての者はこれを同時に見るだろう。
また、
反キリストの艱難期前携挙説を信じて安心していては地獄に落ちてしまいますので、
こちらの↓記事をご覧ください。
(真の聖書福音と預言 の記事 携挙の真実 より引用 *記事本文の文字に罫線、
色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
新約聖書 マタイによる福音書 二十四章二十九節〜三十一節(ミカエル氏訳)
しかし、
それらの苦難の日々のすぐ後、太陽は暗くされ、月はその光を出さず、星々は天から落ち、各天の天軍は揺り動かされるだろう。
また、その時、人の子のしるしが天に現されるだろう。
そして、その時、地のすべての民族は悲しみ、人の子が力と大いなる威厳に満ちて天の雲に乗って来るのを見るだろう。人の子は、大きならっぱの音と共にその天使たちを遣わし、
天使たちは各天の果てから果ての四つの風の彼の選ばれた人たちを集めるだろう。
(中略)
苦難の日々の後、即ち、大艱難の後に太陽と月と星々に通常では起こり得へんような大きな変化があるということやな。
つまり、大艱難を経過した後に主イエスが再臨しはり、その時に神の民たる真のキリスト者が集められるということであり、その現象を「人々は見るだろう」と主イエスは言わはり、誰でも目視して分かるってことで、秘密に起こるのではないことは明らかやろ。
「気付かんかったー」と済ませられる人は居らへんよ。太陽が暗くなり、月が発光をやめ、星が落ちれば、誰でも異常事態と気付くよね。
そして、赤字で強調したとおり、
人々は主イエスが再臨するのを「雲に乗って来る」んを見るだろうと共通して言われ、
天のしるしへの言及も共通し、主が再臨する時に天使たちが真のキリスト者を集める、
即ち、携挙するということが分かる。これだけで、艱難期前携挙説は完全に嘘と分かるし、艱難期末期に携挙されることも明らかや。
引用ここまで
聖書とミカエル氏の記事から分かる事は、
大きな星が天から落ちて来たり、太陽、月、星の三分の一が打たれて光を放たず暗くなれば、何かのしるしだと分かりますし、天空に巻物が開かれたら、すべての人が見て驚きますね。
更に、
大艱難の後に太陽と月と星々に通常では起こり得ないような大きな変化があり、
主イエスが雲に乗って来るのを見て、携挙される事が分かります。
第四の日に光体が現出されたのは、
終末が近づいた事を知らせるためのしるしと考えました。
そして、
主イエスご自身も人の子のしるしとして、雲に乗って来られるのです。
結論
第四の日に主イエスは光体を現出し、
人間選別のため、終末が近づいた事を知らせるしるしために
大空に置かれ照らされた。
その結果、
律法遵守する主イエスに従う神の民を神の王国に入れ、
堕天使に従う律法違反する者を地獄の火の中に投げ入れると
預言された。
このような経緯になると考えます。
↓
地上の人々の上に本物の光(主イエス)と偽の光(堕天使)を置き照らす
↓
人々は自由選択でどちらかを選び従う
↓
主イエスに従う神の民は律法遵守し、堕天使に従う者は律法違反する
↓
終末の兆候が現れて来る
↓
神の刻印か、獣の刻印が押され選別される
↓
神の恩恵期間が過ぎると地上に大きな変化の終末のしるしが現れる
↓
主イエスが雲に乗ってこられ、天使たちに神の民を集めさせ、携挙される
↓
悪に最期まで抵抗し、律法遵守した神の民は神の王国に入る
主イエスの教えを最期まで聞き入れなかった者は、悪魔たちと共に地獄の火の中に投げ込まれる
現在の世界の状況とミカエル氏の記事↓「聖書の終末預言 一〜五」と比べてください。
聖書の終末預言 一、聖書の終末預言 二、聖書の終末預言 三、聖書の終末預言 四 、
終末の兆候が現れているのが分かります。
大艱難の時期はもう目の前に迫って来ています。
残された時は少ないです。
聖書を複数回通読し、律法遵守の重要性を理解し、悔い改めて
主イエスに立ち返りましょう。
皆さんに平安がありますように。
以上







