皆さん こんにちは。
前編を読まれ、どのように原語の意味から想像されましたか。
どこかの聖書箇所が浮かんだりしましたか。
私が原語から想像し、考え出した第五の日です。
🌿創世記 一章二十節〜二十三節 (参照)
神は言われた。
「水に(神の息によって)生きている生き物の群れが群がれ。
鳥は、天の大空、地の表面の空間内の地の上を飛び回れ。」
そして、
神は巨大な海の怪物とあらゆる蠢く(神の息によって)生きている生き物、
それら水に群がる種類とあらゆる翼のある空を飛ぶ鳥の種類を創造された。
そして、神はそれを見て「それは素晴らしい。」と認められた。
それから、神はそれらを祝福して言われた。
「海の水の中で多く実を結び、多数になり、満ちよ。鳥は地に増えよ。」
夕暮れと夜明けが過ぎ去り、第五の日が現出した。
原語の意味や同じ原語から考察した結果
・水が多く集まる所に多数派は群がる
・すべての生き物に清い物と汚れた物の命があり、レビ記十一章から清いものと
汚れたものについての法規が続き十九章で聖なる者になるように神の御命令がある
・神は創造し破壊もされる
・神の力が働いている翼がある
・神は神の息によって生きている命を祝福されるので、
少数の群れであっても多数派の群れを撃退できる
このような事が聖書に記述があるのは…
神に忠実な力強い指導者が、汚れた多数派の群れから離れ、
神に選ばれた少数の神の息によって生きている生き物を率いて、多数派と戦う時です。
例えばノアの場合
地が悪事に満ちていた時、
神の恩恵期間が過ぎて雨が降り続いた結果、百二十年間悔い改めなかった人々が救われたいがために箱舟に入ろうとしましたが、箱舟の周りを取り囲んでいた神に選ばれなかった汚れた獣や動物たちによって追い払われました。(ヤシャルの書より)
結果、
ノアの家族と清い生き物以外の汚れた生き物は大洪水によってすべて滅びましたが、神の息によって生きている清い生き物は箱舟に入り救われました。
ノアは翼がある鳩によって地が乾いた事を知り箱舟から出て、
神は新しくされた地でノアとその家族と清い生き物たちに、
「多く産んで増えよ。そして、地に満ちよ。」と御命令され、実を結び増えました。
また、
ヤシャルの書には、
天に生きたまま召される前のエノクが、汚れた民から離れ、神の御命令で神の霊によって、神の道を知りたい民に教えていたことが記述されています。
神の道の教えを引き継ぐ指導者は、
旧約時代は、
アダムから数えて七代目に当たるエノクから、
ノア→アブラハム→イサク→ヤコブ→十二部族→モーセ→ヨシュア→ダビデ→預言者たち→イザヤの預言を信じて、東の海の島々(日本)に向かった古代イスラエルの人々などに引き継がれ、
新約時代では、
洗礼者ヨハネ(イエスの初臨前に現れたエリヤの働きをした者)と主イエス→十二使徒たち
以上の指導者たちは聖書の記述から分かる通り、多数派から離れ少人数で群れを作り、
神の律法を守り、神の教えを信じる群れを指導し、悪と戦い迫害を受けながら、汚れた地を離れ、神が啓示なされた新しい天地を目指して働き、増えていきました。
そして世の終わりの時に、
現代に生きる神の預言者(イエスの再臨前に現れるエリヤの働きをする者)が福音宣教の
ために現れ、神の息によって生きる神の民と共に、悪の支配者とその手下の世の人々から
迫害を受けても、少数ながら主なる神との堅固な絆で結ばれ、兄弟姉妹として群れを作り、互いに助け合い、励まし合い、高め合い、愛し合い失われた羊を探しています。
白川静氏の『群』の漢字の成り立ちをご紹介します。
群 現代の漢字は君が左で羊が右にありますが、古代の漢字は上に君で下に羊です。
君…上は手に杖を持った形で、口は祈りの言葉を入れる器を表し、君の元々の意味は、
羊 杖を持った一族の頭。それから君主を表すようになった。
(以上)
一族の頭となる力強い指導者を頂点に置き、羊である神の民がその指導者に従う事を表している漢字だと思います。
以上の考察から、
水に神の息によって生きている生き物の群れとは、
預言者が導く聖霊が宿った者の群れだと考えました。
そのため、悪が支配する現代において、
聖書の教えを忠実に守り神の律法を愛し、聖書に反する悪を行う者に対して毅然と戦い、
正義を宣べ伝え、汚れた物から離れて群れ、失われた羊を探し求め伝道活動されている
主イエスの再臨前のエリヤの働きをする指導者の忠告に従い、悔い改める必要があると考えます。
ミカエル氏の過去記事から主イエスの再臨前に現れるエリヤの働きをする者について知りましょう。
ここから引用
主イエスの再臨前にエリヤの働きをする男が誰かというのを見誤ってもあかん。
騙されへんためには、やはり聖書を注意深く読んで正しい知識を持たないかん。
過去記事「預言者と偽預言者の違い」でも言うたとおり、
預言者と偽預言者では明確な違いがあり、かつ、洗礼者ヨハネの特徴を覚えときや。
主イエスの初臨前にエリヤの働きをした洗礼者ヨハネの特徴は、
男性である(生まれつきの性であり、性転換や男装によって男と偽装する者を除く)、
世の諸教会や諸教派に属さへん、
世俗権力に与せえへん、
多くの所有財産を持たへん、
金持ちではない、
世の悪に染まらぬ世捨て人、
奇跡等と目に見える業をせずそれによって人々を惑わさへん、
パウロ教信者ではない、
神の律法を守って擁護する、
他人の律法違犯(不法行為)を咎める、
主イエスを証しする、
自分の栄光を求めへん、
聖書(パウロ書簡を除く)から外れた教えをせえへん、
他者に先立って分け隔てなく多くの人々に向けて悔い改めを説く男や。
せやから、
既にエリヤらしき活動をしてる人より後で真似て同じ事を言う人といった二番煎じ以降は
該当せえへん。
それらの特徴をすべて満たす男がキリストの再臨前のエリヤであると、まともな人間なら
理解出来る筈や。
(真の聖書福音と預言 の記事 エリヤを信じひんなら滅びるより引用 *記事本文の文字に罫線、色付け、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
また、ミカエル氏は『神のイスラエル教会』の管理人もされています。
このような働きを無償で行っておられるミカエル氏に心から敬意を表します。
入会希望者は下記↓の内容をよくご覧になって、指定の手続きを行ってください。
皆さんが考察されたお考えと同じだったでしょうか。
神の御言葉の中には比喩として用いられているものもあるので、原語やその語源を知ることで驚くべき発見があります。
更に、ミカエル氏のブログ記事『真の聖書福音と預言』は、神の御意志を確認できる唯一の正しい記事で他に類を見ません。私は考えを出す時、いつもミカエル氏の記事から私の考えに間違いが無いかを確認しています。
以下↓のミカエル氏の記事を参照しました。
聖霊が宿る者の果たすべき任務
ここから引用
聖霊は神なのであり、神は利己主義の人の内には留まることはできません。
神は愛だからです。利己主義、自己愛が強い人には神への愛はありません。
神は人間の心を読むことでそれをご存知なので、
そのような者に聖霊をお与えになることはありません。
また、
聖書の隣人愛の掟だけを振りかざして他の掟を否定したり、
律法で罪と規定されていることを擁護するという神の義に反するような主張や行いをすれば、その者は偽り者の反キリストです。
私たちがこの仮の世にて果たすべき任務は、
聖霊の神と共に失われた羊を探して滅びとこの悪い世からの救いであるキリストの福音を伝え、共に立派なキリスト信仰者として神を礼拝し、神に栄光を帰すことです。
聖書には神に選ばれず命の書に名前が書かれていない者は地獄、火の池に投げ込まれる記述がありますが、どのような場所なのか、どのような経緯で地獄に落ちるのか知っておきましょう。
ここから引用
地獄は身体不自由になるよりも比較にならん程にきつい。
きついという言葉すら生温いかもしれへん。そのきつさは想像を絶する。
キリストの再臨前において、この世で生きてる間は経験でけへん事やからや。
(中略)
獣と偽預言者、神に選ばれず命の書に名前が書かれてへん者
(明らかに不信仰者、異教徒(パウロ教信者を含む)、偽りを信じたり正しい行いをしてへんのに自分自身が正しいと勘違いしてる高慢な自称キリスト者のこと)は悪魔と同じ地獄、火の池に投げ込まれ、そこで永遠に責め苦に苛まれる
(黙示録二十章十節)。
地獄では終わりが無い(永遠の)苦しみです。
(真の聖書福音と預言 の記事 地獄行きを甘く見るな より引用)
律法の重要性について
ここから引用
聖書の教え、神の律法に基づいた生活様式へと改めよと拙者は述べとるんや。
服装や心の内をはじめ、色んな点について悔い改めが必要や。
それを拒絶する人が非常に多いことは分かっとる。
多くの人々が悔い改めを拒絶する理由は、その者が神から出た者ではなく世から出た者で
あり、それ故に父なる神と主イエスを愛さず、サタンが支配するこの世を愛してるからや。
せやから、この世は良うならへんのや。
父なる神も主イエスもこの世が良うなることを目指してるんとちゃう。
聖書(イザヤ書、ペトロの手紙、黙示録)から明らかに分かるとおり、
主なる神は「新しい天と新しい地」の世界を再創造すると予定してはるし、
この世の終わりの時にこの天が崩れてこの地を火と硫黄を降らせて この地にあるものすべてを滅ぼし、地下の陰府も地獄に
火の池に投げ込むと宣言しはってる。
つまり、
この世、この地こそ将来地獄となる。
(真の聖書福音と預言 の記事 支配層に取り込まれるな より引用
また、
神の律法を愛し忠実なエズラは、ただ一人神と、天使を通して質問し答えを得ています。
旧約聖書続編エズラ記(ラテン語) 八章五十六節〜五十八節(二千十八年聖書協会共同訳)
彼らは自由を与えられていたのに、いと高き方を侮り、
律法を軽んじて、その道から離れてしまった。
その上彼らは、正しい人たちを踏みにじった。
そして、その心の中で神はいないと言った。(中略)
いと高き方は、人間が滅びることを望んではいない。だが、
造られた人間自らが、造った方の御名を汚し、今ある命を備えてくださった方への恩を忘れたのだ。
それゆえ、私の裁きはすぐ近くまで来ている。
九章三十節〜三十三節
『イスラエルよ、聞け。ヤコブの子孫よ、私の言葉に耳を傾けよ。
見よ、私はあなたたちの中に私の律法の種を蒔く。それはあなたたちの中で実を結び、
あなたたちはそれによって永久にたたえられるだろう。』
そのように私たちの父祖は、律法を受け取りましたが、それに従わず、あなたの掟を守りませんでした。
しかし、律法の実は滅びませんでした。
あなたの律法でしたので、滅びるはずもなかったのです。こうして律法を受け取った人々は滅びました。彼らの間に種蒔かれたものを守らなかったからです。
神の悲しみと律法遵守の重要性が伝わる聖句ですね。
逆の立場になれば、神の御心が分かります。
人間にとって有益であり、異邦人の模範となるように制定してくださった律法を愛と思えず、負担に感じるのは堕天使と同じ考えです。
律法をよく読むと、本当に細部に渡って人間が罪を犯さないように戒められています。
主なる神を悲しませないためにも、共に日々一つ一つ守れる事が増えて死ぬまでに完全な者に近付けるように励みましょう。
守れない原因を考え自己検証し、試行錯誤を繰り返してみましょう。
また、
衣服の縁に付けた青色で組んだ房は聖別するため、房を見る時、自身の心と目の欲によって求めないようになり、主のすべての御命令を思い起こします。(民数記 十五章三十八節)
更に、
前回記事で衣服の縁と翼は同じ語源から、そこに付けた房は癒す力が宿っていると考えます。
確かに、癒やされている箇所があります。
ここから引用
十二年血の流出問題を持つある女が居り、多くの医師によって多くの事に苦しみ、彼女自身のすべてを費やし、何の益も得られず、逆にもっと悪くなっとった。
(彼女は)イエスのことを聞いて、群衆の中に紛れ込み、後ろからイエスの着物に触れた。「彼(イエス)の着物に触れさえすれば、治してもらえるだろう」と言うたからや。
すると、すぐに彼女の血の源が枯らされ、その災難から癒やされたことを体に感じた。
(真の聖書福音と預言 の記事 律法遵守は信仰の証しと復活 より引用
私たちの中に神の律法の種が蒔かれているのですから、成長して実を結ぶように、常に罪を犯さないように努力して、成果を出せるように主に祈り求めましょう。
律法を守ることは神の民になるための絶対条件です。
なぜなら、神の民は祭司の王国、聖なる国民になると出エジプト記十九章六節にあり、
ヨハネの黙示録一章六節にも神の民が天の父なる神の王国で王、祭司になると預言されています。天の父なる神が制定された律法を祭司が律法を知らない、守らない筈がありません。
この世で生きている間に日々律法遵守することで、神の王国で祭司として働き、神と永遠の安息の日々を送れます。
ここから引用
新約聖書 マタイによる福音書 七章二十一節~二十三節(ミカエル氏訳)
「我に向かって、『主よ、主よ』と言う者全員が天の御国に入るんやなくて、我が天の父の御意志を行う者が入るんや。かの日には、多くの者が我に、『主よ、主よ、我等はあんたの御名で預言し、あんたの御名で悪霊を追い出し、あんたの御名で力ある業を行ったのではなかったですか』と言うであろう。そして、その時、我はその者らに公然と明言するだろう。『あんた方のことは全然知らない。我から離れよ、不法を行う者ども。』」
新約聖書 マタイによる福音書 十九章十七節(ミカエル氏訳)
もし命に入りたいなら、掟を守りなはれ。
新約聖書 ルカによる福音書 六章四十六節(ミカエル氏訳)
ところで、何故、我を『主よ、主よ』と呼んで、我が言うことを行わへんのか。
新約聖書 ヨハネによる福音書 十四章十五節(ミカエル氏訳)
もしあんた方が我を愛してるなら、我が掟を守る。
上記の聖句から分かるとおり、
主イエスは神の民なら主イエスの御言葉どおりに神の律法、掟、戒めを守るし、父なる神の御意志を「行う」とある。
つまり、
信仰には行いが必要不可欠やし、神の律法、掟、戒めを守ることも必要不可欠ということや。また、使徒ヨハネにも追加で以下の内容を伝えはった。
新約聖書 ヨハネの黙示録 二十章十二節(ミカエル氏訳)
また、死者たち、小さな者と大きな者が神の御前に立ってるのを見た。幾つかの書物が開かれ、一つ別の書物も開かれた。それは命の書や。死者たちは、これらの書物に書かれた彼らの行いに応じて裁かれた。
新約聖書 ヨハネの黙示録 二十二章十二節(ミカエル氏訳)
そして、見よ、直に来る。また、我が報いは我と共にあり、各自の行いに応じて与える。
新約聖書 ヨハネの黙示録 二十二章十四節(ミカエル氏訳)
主の掟を行う者は幸いや。その者たちの権限は、命の木についてと都に入る複数の門であろう。
上述の黙示録二十章十二節は改訂版(RV底本)では「玉座の前」と改ざんがあるが、
受け入れられた原典(TR底本)では「神の御前」や。
「神」を除いて「玉座」という言葉に置き換えた聖書改ざん者の罪は重い。
小さい者は庶民、大きな者は権力者や富裕層を指すであろうが、神の御前では人間は皆同じであり、神の御前にて等しい扱いで、公平な裁きを受ける。
(真の聖書福音と預言 の記事 偽使徒パウロの反キリスト教義 五 より引用
*以上のミカエル氏の記事本文の文字に罫線、色付け、拡大、文章の段落等の変化を行なっている事をご承知ください。)
以上の内容から律法の重要性が理解できましたら、即座に悔い改め改善していきましょう。
過去記事「創世記一章一節〜五節から想像し考える」で、
第一の日は、
闇が底深い穴の表面に現出し、神の霊である創造主、救い主、裁き主であられる主イエスが水の深みの表面の上に神の御言葉によって現出され、
天と地は主イエスの御言葉によって創られ、
無秩序で空虚の闇に覆われた地を救うために、世の光である主イエスが現れ、
光である主イエスの御言葉を理解しない闇は裁かれると預言された日、
と考えました。
過去記事「漢字から考える創世記の出来事」で、
第二の日は、
天から堕天使(闇)を地に落とされ、天の天使と分けられ地に落とされた闇が地を覆うように現れていると主イエスが預言された日、
と考えました。
過去記事「創世記の第三の日を種を蒔く人の例えと他の聖句と漢字から考える」で、
第三の日は、
主イエスが神の民(良い種)を救われるために、
地(墜)の祭司の働きをする血統イスラエルの神の民(良い種)が、
多数派(海)に属する人々の中から霊的イスラエルの人々も、
成長し実を結ぶように、
主イエスが神の民に福音宣教するように命令預言された日、
と考えました。
過去記事「創世記一章の第四の日に秘められた言葉」で、
第四の日は、
神は光体を現出し、
人間選別のためと終末が近付いた事を知らせる、しるしのために大空に置かれ照らされた
結果、
律法遵守する主イエスに従う神の民を神の王国に入れ、堕天使に従う律法違反する者を地獄の火の中に投げ入れると預言された日、
と考えました。
第五の日は、
神は聖なる方であり、模範とする人間も聖なる者になるために、
汚れた物と清い物を分けられた日で、
神に選ばれた預言者の声に従い、群れて成果を出せと
命令預言された日と考えました。
聖なる者になるには…
安息日を遵守して世俗から離れ、主なる神との絆を堅固にする
↓
神の息、聖霊が自身に宿り神の御言葉に聞き従う生活を送る
↓
律法を守り生活様式もすべて改善して、汚れた世の中の汚れた者から離れ聖別し、
清い生活をするために汚れた物と清い物を分ける
↓
聖なる者を目指して日々成長し、清い者たちが心を合わせ助け合い一つの群れとなり、
汚れた世の人々の中から失われた羊を救い出す働きをして主イエスの品性に近付く
命の書に名前がない、汚れた者は破滅の道を辿ります。
皆さんは『スイミー』の話を覚えていますか。
私は学校で習ったこの話を考察中に突然思い出しました。
あらら本店より
のびラボ! チャンネルより
「スイミー」の描写は本当だった!小魚の群れが作る「大きな魚」に感動
神の民の兄弟姉妹も力を合わせて群れとなりましょう。
一人一人が小さな力であっても我らは神と共に悪と戦うのですから、
最強ではありませんか。
🌿旧約聖書 イザヤ書 五十二章十二節(参照)
あなた方は(おののき)急いで出て行くことはない。飛んで行くこともない。なぜなら、
主はイスラエルに先立ち前を行かれ、あなた方のしんがりを務められるのはイスラエルの神だから。
安息日に世俗から離れ、主なる神との絆を深め、聖なる者になれるように安息日の掟を守りましょう。
皆さんに平安がありますように。
以上







