宝塚のオスカルと原作のオスカルは違う
とはもう語り尽くされた感があります
そりゃ違うでしょう。
そんなの当たり前です。
演じる役者が全部女性ですからね
仮想の男である男役を本物の男らしく見せるために女役の方は『実際の女性よりより女性らしく』盛ってあるわけです。
これはオスカルのような男装の麗人も例外ではありません。
私も大人になったので、
「客席はベルばらの愛読者ばかり」と思いこんでいた少女時代より、
俯瞰して冷静に思えば、ベルばらの観客のほとんどが原作を読んでいるわけではないと考えるほうが合理的だと思っています。
男同士でラブシーンをしている??に見えてはいけないのです
昭和のヅカばらは宝塚歌劇のセオリーと「作り物」の舞台作品としてのアピールが、極めて人工的に作り上げられたのが、とても親和性が高かったので成功したのだと思われます。
これについては理代子先生が「松竹から栗原小巻のアントワネットでとか話があったけれど日本人がやるんじゃ滑稽でしょ笑っちゃったのでお断りして。どうしても西洋人でと言ったらハリウッドじゃないと嫌だなんて生意気だとも言われました。宝塚に関しては(現実の東洋人の男女が演じるような)滑稽なことにならないだろうと思って。植田先生が女性の社会的立場、女性でありながら男性社会で生きる姿について私の意見をとても良く聞いてくださった。あの時どういう形にしていこうかと語りあった戦友だと思ってます」と、仰っているので昭和のヅカばらはああ言う形に落ち着いたのだと思われます。
個人的には植田本には言いたいことが山のようにあります。
昭和のヅカばらであってもオスカルがガラスの馬車が幸せを乗せてやってくるなんて絶対言わないだろうし(これは理代子先生が気に入っていた「少女マンガらしい」ガラスの馬車の再利用という側面が強い)
革命前夜のアントワネットが「フランスのために」とかやたらとご立派に過ぎるのもいただけないです
でも近年の脚本演出の珍奇ぶりを思うと(馬が飛んだりね。平気でいられることは脳の健康を疑いたくなる)あの時の精一杯だったのかもしれないとおもっています。
平成の大再演群で、そういう疑問を現作の愛読者だった世代がなんとかしようとした情熱があったのですが
その「なんとかしよう」という情熱がおかしくなって現在に至っています。おかしくなった原因は宝塚歌劇の方法論がリアリティと決してイコールではないというところでしょう。
その代表格が当時「安奈淳以来のオスカル役者」と称された涼風真世と役替りでオスカルを演じた原作ファンである安寿ミラと紫苑ゆうのふたり。三者三様の情熱をもって演じてくださったわけですが
涼風は自らのポテンシャルに絶対的自信を持っており、容姿も歌唱力もそれにふさわしかったし、それ故に宝塚歌劇のセオリーに従った造形でもありました。
対して安寿紫苑の二人は原作ファンらしいアプローチを試みていて、それが原作連載時中高生だった「時代と共に原作に陶酔した世代」に非常アピールしたのです。
ですが、結果としては真逆の結果が出ています。
二人共にオスカルの凛々しさ勇猛果敢さを特に意識しています
安寿は「男言葉にセリフを変更」し、セーヌ河畔の橋上でアンドレが絶命する場面で「愛する人が目の前で撃たれたら泣き叫ぶのが当たり前」と考え嘆き叫ぶリアクションを取ります。
紫苑はある公演での感動的体験から「愛する人が実際に眼の前て撃たれたら喉が締まってまるで声が出ない」という経験をしています
私自身は頭で表面的に考えるのと本物の絶望には乖離があって当たり前であると思っていました。ですからドラマチックな演劇の表現は媒体で変わって当然です。
そもそも原作のオスカルはアンドレが被弾して絶命するまで泣き叫んでいません。どちらかというと呆然としています。泣き叫ぶのはアンドレが息を引き取ってからです。
渡辺先生の「役が入った特別な経験」について語っているのを拝見した時、情熱が現実になった瞬間の感動というものを感じました。
それと同時に長谷川演出では声も出ずになすすべもなく手をのべるのみなのですが、その様式が間違っていないということにも深く感じいりました。
男性と見まごう雄々しくかっこいいオスカルこそ原作ファンが求めるオスカル像なのか…
そう言われて久しくはあるのですが果たしてそうなのか
「女っぽいオスカルは嫌い」という方も多くあります
原作のアンドレへの愛を意識し始めたオスカルは匂うような色っぽさを漂わせ、これではアンドレもジェローデルもアランもたまらんだろうというような雰囲気です。
アンドレと愛を確認し彼に甘え、弱さを見せ、その胸にもたれ安らぐ様などは彼女らしい愛らしさと色香に満ちています。
この儚く短い蜜月でのオスカルのまさに触れなば落ちんといったような儚く壊れそうな色香こそがなかなか表現できないオスカルの真骨頂のように感じるのです。
いつも世にも、危うい仮想の魅力で男装の麗人は女性の心を魅了してきましたが、その仮の姿の危うさ儚さの美しさ
原作のオスカルの儚くも匂うような色香についてあまり語られないのが少し残念です。演じるうえでとても魅力になる部分と思いますが
昭和花のVTRを見直したのですが、
オスカルがパリッとしていて凛々しい。当時の音響技術を思うと姿勢良く腹から声を出さぬわけにはいかないのでしょうけれど、凛としていて声が鍛えられていて軍人らしい凛々しさ。
ロザリーの気持ちがキュンキュン響きます。ロザリーにとって永遠に忘れ得ぬはつこひの人。
アンドレにとっては抱きしめたくとも抱きしめられない壊れそうに傷つきやすい人
ポリニャック夫人の神代さんの毅然として貴族らしいい姿
ダンディで上品な沖ジャルジェ将軍のカッコよさにオスカルのパパならこのくらいでないとと納得させられる。
この時代は効果音楽もないのですが、毒入りワインの場面で抑えられない恋情を吐露するアンドレの熱情に呆然としながら千々に乱れるオスカルの揺れる心
演技力の確かさと同じ曲でもそれぞれの心情を表現する歌
女っぽいと言われる安奈オスカルですが、バスティーユ陥落にオスカルが絶命する時のロザリーの嘆きがとても納得できる凛々しく儚いオスカルでした
近年のオスカルの方がかつらも綺麗で足も長く衣装もきれいでしょう
しかし姿勢が悪くてくにゃくにゃしていて腹から声も出ていない軍人なんてオスカルとは思えません。
小手先で色々考えて工夫したってそんなことより役者としての地味な鍛錬こそプロとしての役者の誠意。それをおざなりにして軍人を演じられると思っている役者とファンが理解できません