今日の散歩おじさん地域は午後2時半ごろからポツポツと雨が落ちてきました!
予報では夕方からって言っていたと思いますので、降り出すのが少し早かったようですね!?
さて記事の方は先の週末に歩きました、東京都足立区の花畑を「ぶらり」の続きです!
なお、「その一」をご覧になっていない方のために書きますが、「花畑(はなはた)」は足立区にある地名でして、けっして散歩おじさんが「お花畑」でスキップしたわけではありませんので念のため・・・(^笑^)
昨日の記事の最後に載せました「謎の横断歩道」を通過した先には対面2車線の道路と「本当の横断歩道」がありました!
画面奥に見えるのは小学校で、その名もズバリ「花畑小学校」ですv(。・・。)イエッ♪
画面奥に見えるのは小学校で、その名もズバリ「花畑小学校」ですv(。・・。)イエッ♪
小学校の前の街路樹のイチョウがいい具合に黄葉してました!
日に透かして見てこの色ですから、だいぶ黄色が濃いですよね(@。@)
小学校の前からは3分ほどで次なるスポットであります「不動院」に到着です!
1054年の開山と伝わっているそうですから、1000年近い歴史があるお寺なんですね(^^)
1054年の開山と伝わっているそうですから、1000年近い歴史があるお寺なんですね(^^)
本堂の脇には4基の庚申塔があり、足立区の登録有形民俗文化財になっていました!
ところでこの庚申塔の説明板にあった「・・・庚申塔は、旧花又(はなまた)村内に造立されたものが後に不動院に集められたと思われる。」という記述と併せて、「花畑」の地名の地名の由来をご紹介しますと・・・
ところでこの庚申塔の説明板にあった「・・・庚申塔は、旧花又(はなまた)村内に造立されたものが後に不動院に集められたと思われる。」という記述と併せて、「花畑」の地名の地名の由来をご紹介しますと・・・
「花畑」の由来 1889(明治22)年、花又村、六ツ木村、内匠新田、久左衛門新田、辰沼新田、久右衛門新田、長左衛門新田、嘉兵衛新田の八か村が合併したときに代表的な村であった花又村から「花畑村」と名付けられました。 ~「歩こうあだち 花畑編」より~合併した村の人たちが相談して、「はなまた」という語感を残しつつ新たな村の名前を考えたってことなんでしょうかね!?
庚申塔群のすぐそばには「矢納弁天(やおさめべんてん)」の祠があります!
・・・前略・・・ 源義光が後三年の役の戦勝祈願をして成就をし、矢を納めたことにより矢納弁天と呼ばれるようになったと伝えられています。 ・・・後略・・・ ~「歩こうあだち 花畑編」より~・・・ということで、計算してみると不動院開山から30年ほど後には矢が納められたということになりますから、こちらも不動院と同じぐらいの歴史があるんですね(@o@)
不動院から7分ほど進んだ辺りでは少しだけ川に沿って歩きました(*^。^*)
散歩おじさんが住む江戸川区と同様に足立区も都県境の区でして、川の向こうは埼玉県なんですよ!
散歩おじさんが住む江戸川区と同様に足立区も都県境の区でして、川の向こうは埼玉県なんですよ!
川のすぐそばに小さな石の祠を見つけました(@_@)
祠の奥に写っている小さな石碑には正面に「地蔵」の文字が見え、側面には辛うじて「天保」の文字が読み取れましたので、祠と石碑を結び付けて「江戸時代に建立されたお地蔵様の祠なのかな(?。?)」とも思ったのですが、後から思い返すと祠と石碑の距離が微妙に離れていたので、「祠と石碑は別のもの」・・・っていうオチがあるかもしれませんね(^_^;
祠の奥に写っている小さな石碑には正面に「地蔵」の文字が見え、側面には辛うじて「天保」の文字が読み取れましたので、祠と石碑を結び付けて「江戸時代に建立されたお地蔵様の祠なのかな(?。?)」とも思ったのですが、後から思い返すと祠と石碑の距離が微妙に離れていたので、「祠と石碑は別のもの」・・・っていうオチがあるかもしれませんね(^_^;
そんな風に想像をたくましくしつつ進んで到着した「長建寺」では、「紅葉+緑の松+本堂」の組み合わせがイイ感じで楽しめましたよ(^^♪
うっすらと白い雲が浮かぶ青空と紅葉とのコラボもきれいでした(^^)v
可愛いお地蔵様をパチリとね(^_-)-☆