【京都】

 

      順興寺は

 蓮如上人が開いたと伝えられている

    浄土真宗本願寺派の寺院。

 

  京都で古くから唄われている

     地唄・万歳は

 

   蓮如上人が晩年に授かった

末子の実従(初代の順興寺の住職)に

   唄い聞かせた子守唄で

 

      古くから

「やしょめの寺」と呼ばれています。

 

    

 

 

【ポストカード】
 

   

 うさぎ好きのご住職さまが描いた

      作品を

 何点か拝見させていただきました。

   

 

ご住職様にリクエストして

 初めてご縁をいただいた

 

【順興寺 参拝記念】

 

【順興寺 参拝記念】

 

【順興寺 参拝記念】

(令和5年参拝)
  
  ご住職様が絵を描いた

      順教寺の

       令和6年法語カレンダー音譜

 

 

 

 

 

前ご住職の二十五回忌に出版された

『私心記』と順興寺

    順興寺だより

1978年から40年以上にわたり連載してきた

  実従上人とその時代をまとめた本

 

『野の仏を訪ねて』

 中外日報で2014年より8年間連載された

   石仏についてまとめた本。

  

【本堂】

 

       1489年

浄土真宗本願寺第八世蓮如上人公開基として

     枚方に創建され

 

 蓮如上人 第27子実従兼智法印大僧都が

    初代住職となりました。

 

      実従上人は

能登七尾城出城のひとつ西谷内城主畠山政栄の

     娘蓮能尼を母とし

 

      1498年

大阪御坊(後の石山本願寺)で生まれた

    蓮如上人84歳の末子。

 

    実従上人は本願寺では

  御影堂の鍵役という重職を務め

  代々順興寺の職掌となりました。

 

          実従上人は

 『私心記』の著者としても知られ

 

  後奈良天皇にご進講の功により

8町4面の勅免地と250石の寺領を賜わり

  『勅願寺』と定められました。

 

    天正元年(1573年)

 織田信長による兵火により全てを焼失。

 

   順興寺二世の顕従上人は

蓮如上の人の御寿像を守護し、門徒と共に

    石山本願寺に籠城。

 『楼の岸大将』を務めました。

 

   その後、順興寺は

京都二条堀川に再興されましたが

   堀川丸太町に移転し

 

天明八年(1788年)の大火で

   再び本堂を焼失し

 鳴滝の地に移転しました。

 

 
   昭和50年、大阪の浄照坊で

『蓮如上人子守唄』が発見されたのを記念し

 

           翌年より毎年
「やしょめ」の唄と踊り奉納
         されていましたが

 

     コロナ禍で

この数年、見送りとなっています。

 

   枚方市市長が出演した  

 ブラタカシの寺内町編後編で

 

 順興寺の歴史にまつわる内容が

   紹介されています。

 

クローバーブラタカシ 枚方寺内町 後編

 

【蓮如上人像】

 
 
 

 観光寺院ではありませんので

         参拝の際には

事前確認をおすすめいたします。

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