河内源氏 | 柴犬さくらの旅日記

柴犬さくらの旅日記

yahooブログ終了によりこちらに引っ越しました。
九州から北海道まで全国を旅する柴犬のさくらです。
緑豊かな美しい日本の自然探訪と山歩きを中心に
旅で出会った皆さんとの触れあいを綴っています

NHK大河ドラマ「平清盛」の視聴率が過去最低と評判になっているので、どんな内容か気になって先週の日曜日にちょっと覗いてみました||
天皇家を王家と呼ぶ韓流かぶれした偏向NHKと画面の埃っぽさは相変わらずですが、この日の放映は平氏・源氏がともに同族同士敵味方に分かれて争った保元の乱でした||
ちょうど河内源氏の棟梁源為義が戦に敗れ、子供の義朝に斬られるシーンなどが有ったので、彼らを偲んで河内源氏発祥の地を久しぶりにさくらと散歩することにしました♪||

源氏と言えば、ほとんどの人が関東の武士団と思っているようですが、一族の本流は大阪の河内国なんですよ。そして、我が家からクルマで20分ほどの距離です||

ちょっと歴史のお勉強になりますが、河内源氏初代の源頼信は、平忠常の乱を鎮定し坂東(関東地方)に勢力を伸ばし、子の源頼義、頼義の子の源義家(八幡太郎義家)の時に、前九年・後三年の役で坂東武士を傘下におさめ、特に義家の時に武家の棟梁となりました||
河内源氏の祖の頼信から頼朝に至る一族の歴史は、京の政変、辺境の叛乱、兄弟間の嫡流争いなどで浮沈を繰り返しますが、十二世紀末、源氏嫡流の源頼朝は我が国初めての武士政権である鎌倉幕府を樹立します・・・1192年、イイクニ作ろう鎌倉幕府でしたね~||
源頼信ー源頼義ー源義家-源義忠-源為義-源義朝-源頼朝||

頼朝を出した河内源氏の名は武士の本流として後世まで崇敬を集め、頼朝、頼家、実朝を「鎌倉三代」と呼ぶのと同様に頼信・頼義・義家を「河内源氏三代」とも呼ぶようです||
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石碑には八幡太郎義家が奥州遠征のとき、福島県の勿来の関で詠んだといわれる「吹く風を勿来の関と思えども道もせに散る山桜かな」の歌が刻まれています||
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大きな見事なクスノキです||
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樹齢千年だと河内源氏がこの地に館を構えたころから生き続けているのですね||
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まだ小さいけど危険なスズメバチの巣がすぐ近くにありましたよ||
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近くにある八幡太郎義家など源氏三代の墓へ||
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1048年、この地で死去した源頼信の墓所||
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1106年に京で死去、この地に埋葬された源義家の墓所||
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南河内の大地を潤し大和川に合流、大阪湾に注ぐ石川に出ました。明日から雨の予報なので、たくさん歩いておきます||
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今日もご訪問ありがとうございました(^-^)||
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