既に弘田三枝子の追悼記事は書いたが、今年も、ジャズのマッコイ•タイナー、シャンソンのジュリエット•グレコ、カントリーのケニー•ロジャース、ロックンロールのリトル•リチャード、映画音楽のエンニオ•モリコーネ、POPSのヘレン•レディなど音楽界でも多くの有名人が鬼籍に入られた。皆さんきっと天国に召されたことだろう

 

ユダヤにはこんな話があるそうだ。死んであの世に行くと神様は「君は何故、モーゼではなかったのか」とは問わず「君は何故、君ではなかったのか」と問われると。ユダヤ人にとってのモーゼは日本人なら聖徳太子の様な理想の人物像だから「何故もっと自分らしく生きなかったのか?」と突っ込まれるという事である。

【左:モーゼ、右:聖徳太子】

 

我々は、幼い頃から常に「良い子」でいるよう諭されて育つので、この世では聖人君子のような一生を送るべきだと思いがちだ。しかし神様の思いはそうではなく、全員に他人とは違う個性を持たせてこの世に送り込んだのだから、我々は「他の誰でもない、その人ならではの一生を送るべきだ」という訓話である。

 

結婚や就職のような人生上の問題には「正解は無い」と書いたが、人生そのもの(生き方)にも理想的な「正しい生き方」など存在しないなら、そんなものを探したり聖人君子を目指して生きる必要も無いではないか。ただただ「自分らしい生き方(人生)」をすれば良いということになり、少し肩の荷が下りる気もする。

 

しかし「自分らしい生き方」をするのは簡単ではなさそうだ。まずは自らの個性を正しく認識しなければならない。それをしっかり煮詰められればオリジナリティに昇華できることは既に「じゃあオリジナリティって何?」「オリジナリティは個性と違うか」という記事で書いた通りだが、そもそも「自分」がよく分からないし…。

 

但し間違ってもここで”自分探しの旅”などに出てはいけない。何故なら、そもそも人生自体が旅だから旅に出る必要などないし、また以前書いたように就活や婚活と同じくこれも「探す」状況ではないので探しても見つからない。つまりここで必要なのは「自分探し(探索)」ではなく「自分選び(選択)」だということになろう。

 

では「自分らしい生き方」をするための「自分選び」とは何をすればいいかというと「ピンチとチャンスは同時に存在」で書いた様に、ただ普通に生活すればよい。日常は「今日は何を着(食べ)ようか」など選択の連続だから自然に「自分選び」を繰り返せる。でも何も考えずにボーっと生活しているだけではダメなのだ。

人は何も考えずに生きているとチコちゃんにも叱られるし、知らず知らず周囲の空気に流されるので「自分選び」にはならない。だから日常のどんな些細な選択も「これは本当に自分の意志に沿ってるか?」と自問し、その結果を振り返って「やっぱり少し違ったかな」等と反省し軌道修正する「試行錯誤」が必要になる。

 

日本語で「試行錯誤」と言うと何か良くない事のように聴こえるが、本当は極めて重要な行為であり「人生とは試行錯誤だ」と言っても過言ではない。英語では「try&error」と言うが「チャレンジには失敗なんかない」で書いたように、まさに「try(挑戦)」しなければ「error(失敗)」どころか何も始まらないと言ってもよいだろう。

 

つまり「自分らしい生き方」をするため「自分選び」を繰り返して試行錯誤することで、実は「自分造り」をしているとも言える。人生はそうした一瞬一瞬の積み重ねだし、どのみち「正解は無い」から試行錯誤を繰り返すしかない。そうやって「自分らしい生き方」を模索しているうちに、みな寿命が来て死んでしまうのである。

 

でも死ぬまで「自分選び」を繰り返して失敗したり納得したりしながら生きていれば一生何の結論も得られなくても、少なくともあの世に行った時に神様に「君は何故、君ではなかったのか」とは問われずに済むかも知れない。何故なら人生とはある意味「生まれてから死ぬまでの時間の過ごし方」なのだから

 

Saigottimo