仕事中のピアス
製造部門の若手社員の中に、仕事中ピアスをしている者や茶髪にしている者がいます。仕事には支障はないのですが、お客が来るとみっともないからやめるようにいっているのですが、いうことを聞きません。この場合、規律性はマイナス評価にしてもよいのでしょうか。
これは難しい問題ですが、仕事に支障がなければ人事考課には関係ないと判断せざるを得ないでしょう。これらは個人の感性の問題ですから、上司がみっともないといっても、本人はそれがかっこいいと思ってやっているわけで、そのことを捕らえて人事考課に反映はできません。
お客様が来るとみっともないとのことでしたが、これも感性の問題で一概には言えません。
中には「自由でのびのびしていていい職場環境ですね」と思う人もいるかもしれません。自分の感性に合わないからやめろ、やめないから人事考課でマイナスというわけにはいかないでしょう。
もちろん、相手の感性を認めた上で、人生の先輩として「そのような髪形は君には似合わないよ」とアドバイスすることは、何ら問題ありません。
また、電話応対を行う人が大きなイヤリングをしている場合は、電話応対に不都合があるので勤務時間中はずすように命じるのは問題ありません。
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支援を断る人
手こずっている様子なので支援を申し出たにもかかわらず、それを断り結果としてうまくいかないことが多い人がいます。どう評価したらよいでしょう。
最後まで自分一人でやり抜こうという姿勢は大事です。しかし、「結果がうまくいかない」のでは困ります。責任性というのは与えられた仕事を完了するために最善の努力をしたかどうかということです。
何らかの事情で仕事がうまくいかないという予測がついた場合は、その仕事を完了させるためにあらゆる手段、例えば、上司に報告し援助を得るとか、同僚に手伝ってもらうとかしてでも完了させる努力が必要です。
自分一人でやり抜こうとしてたまたま失敗をしてしまったのであれば、責任性があると判断できますが、いつも失敗するのは責任性をはき違えているか見通しが甘いかのどちらかです。
したがって、責任性に欠ける(責任性というよりは一人よがり)か、または責任性は標準で判断力に欠けるか、どちらかになります。
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やっぱり人間関係が大事
情報サイト「キャリアバイブル」が実施したアンケートによると、転職希望の理由の第1位はやはり「人間関係がうまくいかなかった」(32.9%)だった。
「お局さまを中心にしたいじめや仲間はずれなどがあったので」「上司のパワハラがひどくて部署内の雰囲気が悪かった」という声があったという。
ちなみに、2位以下は次の通りであった。
第2位 「ほかにやりたい仕事があった」(27.8%)
第3位 「給与に不満があった」(26.7%)
第4位 「会社の将来に不安があった」(20.5%)
第5位 「会社が倒産した」(13.7%)
以下、「残業が多かった」「休日が少なかった」「リストラされた」など
確か20年ほど前の他社の調査でも同じような割合で「人間関係がうまくいかなかった」が1位だったと思う。
やはり、いつの時代も人間関係が大事なことなのだろう。
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出口調査
今回はじめて出口調査に出会った。
投票を終えて会場を出た途端、「○○新聞社ですが、出口調査にご協力ください」とタブレットを差し出された。
「はじめる」をタップすると質問が次々に表示された。
1 性別
2 年代
3 支持政党
4 小選挙区での投票者名
5 比例区での投票政党名
6 これまでの政府のコロナ対策について評価するか、しないか
7 岸田政府に期待するか、しないか
テレビでよく「出口調査の結果では」と報道していたので、どんな調査をするのと思っていたが、実際体験出来てよかった。
ただ、係員の目の前で答えることには、ちょっと抵抗があった。
それにしても投票所が混んでいた。着いてから投票を終えるまでに40分超かかった。今までこんな並んだことはない。
多分投票率も上がったことと思うが、実際はどうなのだろうか。
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知らないことを威張る人
責任ある立場の人が「そんなことは知らなかった」と知らなかったことを理由に、責任逃れをする人がいる。
誰もが知っているようなことや立場上知っておかなければならないことを、知らなかったこと理由に威張っている。
知らない方が責任回避できると思っているらしい。
責任ある立場に人が、そのような考えだと困ってしまう。
そういえば、以前の証券不祥事で不正を細かく報告した社員が、役員から「なぜ報告するのだ」と叱責されたらしい。法律上は、知らないほうが責任回避できるようだ。
しかし、実社会、特にビジネスにおいてはそんなことは決していえない。知らない、あるいは知ろうとしない責任は重大であり、決して許されるものではない。
顧客や部下のちょっとした変化よからぬ前兆に気づいていながら(はじめから気づかないのは論外)、知らないふり気づかない振りをして、問題が起こってから私は知りませんと傍観者を決めこむ。こんな輩がまだまだ多いようだ。
その上司も知らなかったのだからしょうがない、とそれ以上の責任追及もしない。そして、知らないことはいいことだという風土が形成される。
ビジネスは法律とはちがう。ビジネスでは「知ろうとしない」ことは罪悪である。「知らなかった」ということは決して免罪符にはなりはしない。
「必要なこと」を知ろうとすることが必要であり、それが責任ではないだろうか。
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コロナ減少は山火事理論で
ある専門家の先生が、コロナ激減の理由を山火事に例えて説明していた。
無防備の森林に何かの理由で一本の木に火が付くと、あっという間に他の木に燃え移り大きな山火事になってしまう。
しかし、それぞれの木が湿った状態で火が燃え移りにくくなっていたら、火は燃え移ることができず自然に消滅する。
ウイルスも同じように周りが無防備であったら一気に感染が広がるが、ワクチンとマスクによりしっかり防備していると感染しにくく自然に死滅していく、ということである。
そして、第6波が起こるのは、その防御力が落ちた時すなわちワクチンの効果が下がった時とマスクの着用率が下がった時とのことである。
ということは、インフルエンザのように毎年ワクチンを打っておけば、そして必要な時にマスクを着用していれば第6波は起きないということになる。
例え海外から火種が入っても、燃え広がらずに消滅するということだ。
そして、早く世界中にワクチンがいきわたり、火種そのものが消滅することを期待したい。
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いわれのない物語
先日の結婚の記者会見によると、事実と異なる報道により「いわれのない物語」が出来上がって広がっていくようだったとのことであった。
もしその通りであれば、
反論しにくい立場の人たちを対象に、一方的に事実と異なる内容で面白おかしく書き立てて販売部数を増やし、結果として当事者だけでなく国民全体の慶事をつぶしてしまった出版社に対して不買運動など何らかの抗議活動が起きてもよいものだと思うが、どうなのだろうか。
そこまで関心がないのか、慣れっこになってしまっているのか、余裕がないのか。
ちなみに私は元々週刊誌は買わないし、読まないので詳細は知らないのだが。
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2つの信頼
信頼には、「条件つきの信頼」と「無条件の信頼」がある。
どちらがいいかは別にして、そのような違いが生じる理由を考えてみた。
条件つき信頼とは「信頼できる人」というような表現で使われ、期待通りの能力があるという意味を持っている。したがって、失敗すると「信頼できないヤツ」になってしまう。
例えば、「彼は失敗するので信頼できない」「彼はいつもいい成績を上げるので信頼できる」「能力が高いので信頼できる」という言い方を場合は、条件つき信頼ということである。
無条件の信頼とは見返りや成功を期待するのではなく、自分の意思として「信頼する」ということである。
例えば、「彼はよく失敗するが、私は彼を信頼する」「仕事の能力は高くないが、信頼している」という言い方をする場合は無条件の信頼ということである。
それでは、どのような場合に無条件の信頼や条件つきの信頼になるのだろうか。
その発生要件は、取替え不可能な場合は「無条件の信頼」、取替え可能な場合は「条件つきの信頼」だと思う。
例えば、
自分の子供・親 → 取替え不可能 → 無条件の信頼・無償の愛
新婚当時の配偶者 → 取り替えようとは思わない → 無条件の信頼・無償の愛
倦怠期の配偶者 → あわよくば他の人と取り替えたい → 条件つきの信頼(してくれない)
さとりの境地の配偶者 → もう取り替えられない → 無条件の信頼
など
すなわち、かけがえのない人には「無条件に信頼」をするということだ。
人生で何人の「かけがえのない人」と出会う、見つける、感じ取るのだろう。
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「信頼」とは?
「信頼」を辞書で調べると、「信じて頼ること」と書いてある。
また、Wikipedia(ウィキペディア)では、「信頼とは、相手を信用し頼りにすること。信用が、『悪いようにはしないだろう』程度の消極的な人間関係であるのに対し、「自分の味方になってくれる」との、積極的な意味合いがある。」と説明してあった。
ただ、同じ「信頼」でも「信頼する」と「信頼できる」とでは、ちょっと意味が違うように思う。
「信頼する」するとは、条件や見返りなどを求めないで、自分の意思として「信頼する」ことである。失敗や成功に関係なく信頼するということである。
「信頼できる」とは、自分の期待通りに行ってくれる可能性が高い、自分の都合のいいように動いてくれるだろうという期待感を含んでおり、自分の意思ではなく相手の能力に対して、「信頼できる」という言葉を使っているような気がする。
したがって、失敗すると「信頼できない」と思ってしまう。
すなわち、「信頼する」とは、相手が失敗しようがミスしようがその人間を信頼するということであり、「信頼できる」とは、自分の思惑通りにできる能力や可能性があるので期待するということである。
仮に、思惑通りにいかなかった場合は「信頼できない奴」と手のひらを反してしまうことになる。
相手に条件をつけずに(見返りを求めずに)、自分の意思で相手を信頼する気持ちをもっと強く持ちたいものだ。
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奥日光の紅葉
昨日(24日)、奥日光へ紅葉を見に出かけたが、ちょっと考えが甘かったようだ。
というのも、人出が多くいろは坂で渋滞にはまってしまったからである。
明智平を過ぎればスムーズに進むと思っていたが、中禅寺湖の丁字路までずっと渋滞していた。
予定よりは1時間以上かかったように思う。
コロナ前とほとんど変わらないくらいの人出のようであった。
紅葉の方は、ちょっと早い感じで黄色びいているが、赤みが足りない感じであった。
(日光山中禅寺 立木観音堂から中禅寺湖)
夕方、竜頭の滝付近の道路まで東京方面の車が並んでいた。
(竜頭の滝)
日光湯元温泉付近も、紅葉にはまだ早い感じであった。
(スパビレッジカマヤ別館湯恵山荘)
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