いやはや、ちょーっとずつだけど気分が浮上してきました。心配してくれて連絡してくれた大切な友人や毎日私の愚痴を辛抱強く聞き(笑)支えてくれた旦那には感謝です。ようやっと患者さんやクライアントの話を聞きながら「感じる」という感覚が戻ってきて少しほっとしています。仕事だけではなく、プライベートで音楽を聴く際にも前より心で感じられるようになってきました。

 

最近母校が創立120周年を迎えることになり、有難いことに今の在学生から記念行事の一環として生徒さんからの質問を受ける形でのインタビュー動画を撮影してほしいとの依頼を受けました。こちらの動画まだ撮影できていないのですが、自分自身の中学・高校時代、強いては大学生や社会人を含めたを振り返る良い機会を貰えています。そもそも今更ながら母校120周年てすごくないか?!120年前ってオーストラリアがイギリスから独立して数年経ったくらいだよ!

 

それはさておき、これをきっかけに中学生あるいは高校生の時の自分がいまの自分を見たらどう思うだろうか…と考えました。それはそれはおったまげるでしょうね(笑)私自身あまりぱっとしない生徒だったし、テストの学年順位も中の下くらいだったし(高校生の時は下から数えたほうが早かったことも)、興味ない授業はほぼ寝てたし(学費を払ってくれた両親よ、すまぬ…)、部活も頑張っていたが飛びぬけた成果を出した訳でもなく。継続してコツコツ努力できない私。しかし最大瞬間風速的努力で大学受験は自分も家族もびっくりな結果を出したのでした。そこからまさか交換留学して、所謂大企業に就職し、退職してオーストラリアに移住して、大学院を出てソーシャルワーカーとして働くだなんて。

 

中学高校の友人(いまなんと旦那の会社で働いている。(笑))に良く言われるのが「さりー、昔から海外で働きたいって言ってたよね」「それを思い続けて叶えるの、本当に凄いよ」って。そうなんだよね。しかもそれがこんな自分の想像を超える形で実現するだなんて、感無量です。最近謎の不安症?というか自己肯定感の低さやら自分の英語力のダメさ加減に本当に病んでたんだけど、何だかこうやって振り返ってたら私凄くないか?!という気持ちになってきた!(笑)病院の仕事は医療従事者として人の命や生活、はたまた人生に関わる複雑な事柄を扱っているし、NPOの自死遺族支援は繊細な言葉選びが求められる仕事なのだから(適切な言葉選びができないと逆にクライアントの精神状態を悪化させてしまうかも知れない)、英語を第二言語として話すものとしてこういった気持ちを抱えるのは当然だと思う。むしろこういう点でself-reflectiveではない人はそこで成長が止まるし、とりわけソーシャルワーカーとしての適性はないと思う。という訳で、いまの自分に花丸をあげたいと思います。

 

何よりも友人の発言を思い出すと20年弱海外で働くことを考えていたんですね。海外で働くって色々な形があると思うのですが、自分が一番理想としている形で働けているのは嬉しいし、ありがたいことです。就職後も永住権取得後も長年頑張ってきた自分を振り返ったり褒めたりしてこなかったので、「暫くはこういう気持ちに浸っていいんだよ~」と自分に言い聞かせたいと思います。そして次の目標は焦らず、時の流れに身を任せながら見つけていきたいです。

いやはや、物凄く久々のブログでございます。これまでにこんなに間をあけることはなかったのでは?!

 

正直あまり心の調子が良くありません。ここ数カ月色々と原因を考えている訳ですが、バーンアウト気味かも知れません。患者さん一人一人に真剣に向き合うという気力が落ちてしまい、特定の患者さんに時間を取られると「ああ、面倒だな…」と思ってしまったり、「ああ、またこのパターンか」と型にあてはめてしまったり間違いなくバーンアウトの症状である脱人格化が起きています。

またソーシャルワーカーという仕事をやる意義を完全に見失ってしまい、「所詮他の医療従事者には事務要員としかみられてないんでしょ」(←特に看護師長の態度から)とか「別に私が頑張っても人も組織も社会も変わらんし」とこれまた症状のひとつである達成感の低下も絶賛進行中です。ここ数カ月ソーシャルワーカーという仕事が好きか?と聞かれて胸を張って「うん」と答えられません。。。あんなにソーシャルワーカーという仕事にやりがいと意義を見出していたのに、悲しい。正直自死遺族のサポートグループも以前ほど前向きに取り組めていないです。辛い。。。シュン

 

そんなこんなで病院は人事異動があり、私はなんと!向かいの病棟に行くことになりました。(笑)GeriatricとGeneral medicineなのですが、これって高齢者&一般内科という訳で合ってますかね?これまでの腎臓&呼吸器とあまり変化がない気がしますが…ただこんな心理状態なので大きな変化がなく、ちょっとほっとしています。いまEDとか精神科とか行ったら変化についていけなくて本当にバーンアウトしてしまいそう。

 

そんな中今月上旬にアデレードで開催されたNational Suicide Prevention Conferenceで発表する機会を貰えたのはちょろっとモチベーションを上げる機会になりました。でも体調悪すぎて殆どホテルで寝てた記憶しかありません…泣。発表して、ちょろっと他の発表も聞いて、ほぼそのままとんぼ返り。。。アデレードをもっと楽しみたかった。。。

 

という訳で久々のブログがこんな感じですみません…まぁこれも職業病ということで?自分なりに試行錯誤しながらうまく抜け出せる方法を考え&試したいと思います。ゆるゆるやっていきます。

ドメスティックバイオレンス…こちらではFDV(Family Domestic Violence)と略されることが多いですが、病院にやってくる患者さんにはFDVきっかけの方がもちろんいます。ちなみにFDVの被害者の9割は女性と言われており、私がこれまでに見たFDVの被害に遭った患者さんは全員女性でしたが、LGBITQ+や男性で経験される方もちろんいらっしゃいます。

このブログにはFDVについて話したいと思いますが、もしそのような経験をお持ちの方はしんどい気持ちになるかも知れないので、気を付けて下さい。

ちなみに被害者の方についてはオーストラリアではvictimではなくsurvivorやa person who has gone through/experienced FDVと呼ぶことが推奨されています。

 

これまでに私が見たFDVケース…顔に殴られた跡がある方、全身にやけどを負った方(やけどの度合いが酷すぎてその後、指数本を切断)、ナイフでひざを刺された方…などなど色々なケースがありました。FDVは救急のソーシャルワーカーが対応することが多く、私はまだFDV対応の経験が浅いですが、ざっくりとした流れとしては

1) スクリーニングツール& SWのイニシャルアセスメント スクリーニングツールはこちらのFDV 951を使うことが推奨されています。質問内容を見ていただければ分かると思いますが、結構回答することがしんどいと想像される質問が多いです。私は患者さんに「回答をやめたかったらいつでもやめてもいいからね」と冒頭に必ず言います。 https://www.kemh.health.wa.gov.au/~/media/HSPs/NMHS/Hospitals/WNHS/Documents/Professionals/FDV/Assessment-Family-and-Domestic-Violence-FDV951.pdf

2) 子どもがいる場合は子どもの安全の確保。必要に応じて児童保護に連絡。

3) 警察に連絡。主に加害者がいまどういう状況なのか(逮捕された場合はいつ釈放されるのかあるいは裁判に進む場合は裁判はいつなのか)の確認。また警察にもFDVチームがいるので、退院時のSafety planのための連携。

4) 患者さんが希望する場合は弁護士(主にcommunity legal service lawyer)と連携し、接近禁止令(Violence restraining order (=VRO))の手続き

5)元の住居に帰れない場合はウーマンシェルターに繋ぐ、帰れる場合はSafety planを患者さんと一緒に考える(必要に応じてFDVカウンセリングやサポートサービスにreferralをおくる)。

といった感じです。

 

 

私がFDVで最も難しいと思う点、それは「関係性を終わらせる」ということ。長い付き合いであればあるほど尚更。

FDVに遭ったことがない方から「え、そんな酷いことされてさっさと逃げれば良いのに」という声が聞こえてくることがありますが、これはFDVの仕組みや恐ろしさを理解していないから出てくる言葉だと思います。またFDVは誰にでも起こる可能性があるということを理解していただきたいなと強く思います。

 

FDVにはサイクルがあり、このサイクルが何度も繰り返されていき、それによって関係性からどんどん抜け出せなくなっていきます。

(引用元 https://www.safechoicestas.org.au/news/the-cycle-of-violence)

 

左上のハネムーン期は特徴的でここで男性が謝ったり、愛していると言ってきたりするので、女性は許してしまい、再度暴力のサイクルに入っていきます。

またこの図の中心にdenialとありますが、男女ともに暴力の存在を拒否し、共依存のような関係になっていくパターンが多いです。これは加害者側が「お前の精神は異常」「お前の頭がおかしい」という誤った情報を繰り返すことで相手を心理的にコントロールするからです。この手法をガスライティングと言い、ガスライティングは州によっては犯罪となり得ます。

 

 

このサイクルから抜け出すのは本当に大変です。FDVに「命の危険」がチラつくのは女性が本気で加害者から逃げようと思った瞬間です。例えば別れようとすると加害者が「俺を残して出ていくのであれば死んでやる」と言ったりします。この発言通り本当に加害者が自殺してしまうケースもありますし、そのようなケースでパートナーを失った女性を何人も見てきました。

 

また離れなければ被害者が殺されてしまうケースもあります。それが正にサオリさんのケースです。ワーホリでオーストラリアに来たサオリさんは2010年にFDVの末、当時の旦那からの暴力の末逝去しました。残念ながら警察に長いこと取り合ってもらえなかったため、発見時(死後12日後)には遺体腐敗が進みすぎて死因の特定ができず、当時の旦那に殺人罪は適用されませんでした。幼い子ども二人はサオリさんの遺体と共にその12日間を過ごしたと言われています。本当に痛ましい事件です。下記でその詳細の動画が見られますので渡豪する日本人女性には必ず一度は見ていただきたいです。

 

移民女性の3人に1人はFDVの被害に遭うと言われています。これは言語の壁、期間限定のビザ、経済的問題、不安定な雇用、周りに自分の家族や気の知れた友人サポートがないこと等々でパートナーを頼らなければならない場面が多いからという調査結果が出ています。Twitterの投稿を見ていても「この女性が経験しているのはFDVなのでは?」と感じることも多く、心配になることもしばしばです。少なくとも命の危険を感じた際に000(警察)を呼べると良いのですが…(リクエストすればタダで通訳をつけてくれます)

 

パース限定になってしまいますが、助けが必要な場合は下記の利用を検討してみてください。

領事館 https://www.perth.au.emb-japan.go.jp/jp/ryojijoho/news/shinken.html

FDVを経験している外国人(Culturally and Linguistically Diverse (=CaLD) background)女性サポート

 

 

 

高齢者が多い病棟を診ていると必ず出てくるケースが介護施設に行きたくない患者さんvs行ってほしい家族問題。。。

これは本当に難しい問題です。だってどちらの気持ちも痛いほど良く分かりますもの…

こういった対立が起きた際に考慮すべき点についてまとめたいと思います。

 

1)家族は具体的にどのようなサポートを提供しているのか、何がストレスなのか、それは外部のサービスで解消できないのか(主にソーシャルワーカー(=社会福祉士)がアセスメントを行う)

家族は一体どのようなサポートを提供しているのか、明らかにしていくのはとても重要なことです。「面倒みるのがしんどい」といっても色々なレベル感や事情があります。Allied HealthはDADL(Domestic Activities of Daily Living、要は家事)とPADL(Personal Activities of Daily Living、要は入浴やトイレに行くなど自分の身の回りのこと)を誰がやっているのかということをメインにアセスメントし、必要に応じて患者さんと家族を必要なサービスに繋げます。

ちなみにオーストラリアにはMy Aged Careという連邦政府が提供する65歳上の高齢者(アボリジナル・トレス諸島バックグラウンドだと50歳以上)をサポートするスキームがあります。RAS(簡易版)あるいはACAT(ケアニーズが高い版)アセスメントの末、Entry levelであるCommonwealth home support program (CHSP)、Home Care Package Lv1-4のどれかに割り振られます。これを元にサービスプロバイダーの支援、例えば、入浴・掃除・選択・ガーデニング・ショッピング等々が提供されます。ソーシャルワーカーはこのMy Aged Careへ必要に応じてreferralを行います。しかしサービスが始まるまでに時間がかかるので(最悪数か月待ち!)病院がInterim Hospital Packageという中継ぎのサポートを必要に応じて提供することもあります。

ケアラーについては、当人の了承が得られればCarers WAというケアラーが心理的サポート(カウンセリング)やアドバイスを受けられるサービスに繋ぎます。またCentrelinkのCarers PaymentあるいはAllowanceを取得するように促します。

 

2)患者さんの機能はどの程度なのか(主にフィジオ(=理学療法士)がアセスメントを行う)

健康状態の悪化&入院をきっかけに、機能が入院前と比較すると格段に衰えてしまう患者さんは多いです。改善する余地があるようであれば理学療法士がリハビリ入院や家でのリハビリを行います。あるいは歩くためのツール(Walking Zimmer Frameや車いす)が理学療法士や作業療法士から提供されます。しかしもうどう頑張っても一人でトイレに行けなくなるようなレベルになってしまったら介護施設に行く可能性が高いです。そこはケアラーが家でどの程度のケアを提供できるかにもよるので、ケアラーと話し合うことになります。

 

3)患者さんの認知はどの程度なのか(主にOT(=作業療法士)がアセスメントを行う、必要に応じて医者と臨床心理士も)

患者さんの認知もとても重要なポイントです。介護施設に行かなければいけない状況なのにも拘わらず、認知症などで自分自身のことについて現実的な判断ができず、介護施設への入居を拒否している…そんな場合は後見人を立てる法的手続きへ進む場合があります。これをState Administrative Tribunal (略してSAT)と呼びます。ちなみにEnduring Power of AttorneyとEnduring Power of Guardianship(EPA/EPG)が既にある場合はこれは行わなくて大丈夫です。いま正にSATの手続きを行っているケースがあり、初めてSATを主導しており私も勉強中です!

 

上記の通り理学療法士、作業療法士、ソーシャルワーカーを中心にアセスメントをし、患者さん・その家族や他の医療従事者と議論し、どのような退院プランが適切か決めていきます。

退院プレッシャーがある中、これらを進めていくのはなかなか大変で、私もここまで理解し、慣れるのに時間がかかりました…なにせ始めは患者さん家族に電話したり他の医療従事者と話すのでさえ怖かった( ;∀;)

 

しかしつまるところ退院プランはallied health team decisionなので自分一人が決めなくてはいけないという責任感を感じる必要はないのです。そうするとちょっと気持ちが楽になりますよね~(∩´∀`)∩

有難いことにいまいる病棟の医療従事者はお互いの専門性をリスペクトしている人たち同士なのでとても働きやすいです!(話を聞いていると必ずしもそういう病院あるいは病棟ばかりではない…)

 

あとソーシャルワーカーとして大切なこと、それは何よりも患者さんとケアラーどちらの気持ちも肯定(acknowledge)することです。患者さんに対しては「それは介護施設に行くのは嫌ですよね」そしてケアラーに対しては「患者さんの面倒を見るのはご自身の犠牲も多く、大変ですよね」などなど。このように肯定することで患者さんもケアラーも理解したと感じてもらえ、その先の議論をすることができます。

 

という訳で凄くニッチというか専門的な話になりましたが、私は毎日こんなことしてます、ということの一部なのでしたチャンチャン

こんにちは、2024年ですね。

元旦の災害、本当に心が痛みます。被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

私の旦那は富山出身で、富山に居る義両親と義兄家族の家は物凄く揺れたようで、また3mの津波警報も出ていたことから本当に一週間ほどは気が気ではありませんでした。

 

また11月に訪れた珠洲・輪島があのような状況になり、本当に辛いです。

宿泊したのとじ荘、露天風呂付き客室がある本当に素敵な旅館でスタッフの皆さんもおもてなし精神が非常に高い、素晴らしい方々ばかりで、だからこそ起きたことのあまりの理不尽さにいたたまれない気持ちです。

この公式サイトのトップ画にある、海が一望できるラウンジが・・・

 

 

このように津波被害を受けたようです。

 

宿泊した部屋がまさにこのラウンジから一番近い一階の部屋だったので、きっとここも津波の被害を受けてしまったと思います。自然の恐ろしさを改めて思い知りました。きっといつかまた営業再開されることを信じて、その際にはまた家族で宿泊したいと思います。

 

今回悲しいと思ったのが元旦という日本人にとって1年で最も大事な日に多くの人が身近な大切な人を失ってしまったということ。この分野にいると何かしらの大きなイベントと大切な人を失った日が重なる、あるいは近いというのは本当に辛いことであると実感します。遺族にとってあるいはコミュニティにとって、元旦と言う日が持つ意味がまるっきり変わってしまうからです。「新年おめでとう」と言い合い、新年と言うものは新しい前向きなスタートであった日が、怖い経験を思い起こさせ、失った人を弔う日になります。この元旦の意味合いの変化もまた違う意味での「喪失」であり、当事者にとっては辛いことです。

オーストラリアではクリスマスが最も重要で大きなイベントですが、私がこちらで自死遺族と話すと、大切な人が自死する前と後ではクリスマスが持つ意味合いが全くもって変わってしまったという話をよく聞きます。自死したタイミングがクリスマスに近いと尚更です。

どうか色々な人にこういった当事者の心情を理解したいただき、前向きになるような言葉ではなく、寄り添うような言葉をかけてもらいたいなと思います。

 

 

さて、2024年はどのように年にしたいか?前回のブログではいくつか書きましたが正直なところ永住権を取り、オーストラリア社会の一員として生きていくという5-7か年計画の目標が達成されたことから完全に気が抜けてしまい、次のゴールが描ききにくくなっているというのが正直なところです。。。笑 ずっと気が張っていたけれども、ついに気が抜けたのかな?特に一カ月の日本帰国後。

という訳で長期的には「研究の道」とか「カウンセラーになる道」とか「病院でメンタルヘルス専門への道」などなど考えている訳ですが今年は具体的に行動に起こすより今の経験を積む方が大事かなとか思ったりしてます。自分のキャリアを振り返る&仕事で採用をやっている旦那と話しても、ジョブホッピングするより一か所に3-5年位いたほうが次に就活する際に前職のスキルと経験を重宝してもらえて有利だと思うんですよね。(個人的な見解です)ということで、あと2年は少なくとも今の職場で頑張っていきたいなと思います。まだまだどちらの仕事でもやりたいことや達成したいことがたくさんあるので!

 

今年は仕事よりも家や投資、家族計画?などプライベートなことに時間を割いていこうかなという感じです。あと健康!こんなこと言うなんて、私も年を重ねた感…(笑)あと今年は計画的にホリデーを取って上手くガス抜きをしながらやっていきたいです。さすがに一カ月のホリデーはもう当分いらんです…(贅沢な悩み)子どもを授かれれば良いのですがこればっかりは私のコントロール外なので、焦らずに時を待つしかないですイヒあとはこの不動産バブルと円安、落ち着いてもらいたいですね…

そんなこんなで今年は緒方貞子さんの「大きな夢を持って焦らない」を言い聞かせながら過ごしていきたいと思います。

いやぁ~今年は本当に一言で言うと「収穫の年」でした。過去5-7年くらい頑張ってまいた種が無事花となり実となり、収穫できた何とも贅沢な年だった気がします。下記が主だったachievement花火

 

・大学院卒業そして無事就職。週3で病院、週2でNPOの良いバランスで心身共に健康!

・旦那の仕事が安定してきた(最近「会社が潰れそう」と言う頻度が減ってきました。笑)

・どちらの仕事も慣れてきて、自分のやりたいと思うことができ、周りからの評価も得られるようになってきた。(1-4月辺りは結構しんどかったけれども病院の仕事の仕方、そしてサポートグループのセッションの回し方に慣れてきたのは本当に良かったです。サポートグループの方は特にポジティブなフィードバックをクライアントから貰えるようになってきました)

・日本に一時帰国し、家族や友人に会えた。日本で働くことそしてオーストラリアで働くことについて振り返ることができた。

・永住権取得クラッカー

・永住権取得と経済的に安定して(主に家族にまつわる)将来の計画を立てやすくなった

・将来リサーチに行けそうな(!?)ネットワークを構築できている…気がする…

・情報の受信側から発信側になってきている…気がする…

・旦那との関係がもう一歩進んだ!気がする!ニコニコ

 

ちなみに2022年にたてた2023年の目標は下記の通りで最後の点はアヤシイですが(笑)、それ以外は達成できた気がします!飲みはさておき、グループフィットネスを定期的にするようになったのは良かったです!

・NPOでの仕事に慣れる、徐々に課題意識を持ち、ネットワークを広げ、プログラムを発展させる

・病院の仕事、頑張りつつ頑張りすぎないで、しんどかったら罪悪感なくシックリーブを使う。笑

・日本に一時帰国して家族、友人に会う。健康診断!

・飲みすぎず、健康的な食生活を心掛ける

 

2024年の目標

・病院の仕事で既存の自殺予防のアセスメントフレームワークをマスターし、実践しながら自分なりの形に昇華させる。そのために週末の精神救急シフトをボチボチやる。

・NPOは自分がいなくてもグループセッションが回るような仕組みづくりをぼちぼち始める。

・健康に気を付ける(処方された薬・漢方をちゃんと飲む、睡眠と運動時間の確保)

・セルフケア!定期的なホリデー!

・投資を始める。

 

以上、2024年も頑張っていきましょう~!

日本帰国を振り返ります。恥ずかしいですがめちゃ自分語りです、あはは(笑)

 

今回日本に帰って良かったことのひとつは「なぜ自分は日本に居たくないのか」ということを改めて考え、なんとなく言語化できたこと。

一番驚いたのは日本滞在の日数が長くなるにつれて自分の自己肯定感が低くなり、段々自信をなくしていってしまったこと。正直これはオーストラリアに帰って来てから3日くらい仕事にも影響が出た気がしています。(ガシガシ人と意見をぶつけ合う職場環境なもので…まぁあと一カ月まともに英語を話していなかったのもあるけどね)無事忙しくしていたら自己肯定感も戻ってきましたが「自分が自分じゃないみたいな感覚」が結構きつかったです。

 

謙遜は素敵な文化だし、それによって集団としての統制が取れているのは素晴らしいとは思うのだけれども、それによって個性が抑圧されているということをひしひしと感じました。日本に居るとどこか自分が「集団の中での正解を出しているだろうか」ということを軸に物事を考えていしまいます。合理的な考えが必ずしも歓迎されないんですよね。これはもちろん良い面もあると思うのですが、私はこういうところに「生きづらさ」を感じているのだなぁと思いました。

恐らく小さい頃から日本で育っていればそこに違和感を感じなかったのかも知れませんが(旦那の叔母さんが「昔からそうだから特に何も感じない」と言っていてなんとなくそう思った…)やはり子どもの頃アメリカに住んだ影響は大きかったようです。という訳で日本で暮らすこと、ましてや働くのは本当にきついなぁと思ってしまいました。

 

でも家族や友人たちと会って、私の人生を応援してくれているのは本当に嬉しかったです。やはり大切な人たちがたくさんいるのは日本だなぁと思いました。それぞれがそれぞれの人生を納得して歩んでいる姿は素敵だったし、時の流れを感じさせました。

 

あと私の母、祖父母はさることながら旦那のご先祖様にご挨拶できたのも良かったです。実は失礼ながら旦那のご先祖様にお墓参りをしたことがなく、ずっと行ってみたいと思ってました。特に義父の実家のお墓は凄かった!田んぼが広がる中にちょっとした山があり、そのふもとにご先祖様が眠っていました。

氏神様にも連れて行ってくれたのですが、凄く神秘的で、素敵でした。そこに住むみなさんでこのコミュニティを守っている、そんなことを感じさせてくれました。

 

なんだかんだ日本の良いとこどりをしている私…年に一度は一時帰国したいと思います。が、1カ月は長すぎたので次は2週間くらいかなと思います。笑

超ネガティブタイトルですが、1カ月の日本滞在を経てあっという間に現実に引き戻されました。

 

日曜日に帰って来て月曜日は病院の仕事。良く知っている複雑な健康&家庭事情を抱えた患者さんがなんと3名もその日に入院。。。病棟の先輩ソーシャルワーカーさんは先週から激忙しく、どうやらメンタルブレイクダウンがあり、来て早々私に先週遭った鬱憤を全部ぶちまけ(私は彼女の専属カウンセラーかな?笑 でも気持ちは分かる…病棟で働くのは本当に凄いプレッシャーで大変なんですよね。特に人手不足だと。)、ついに先輩ソーシャルワーカーさん火曜はお休み。そんな中私、生理で火曜は体調不良になりながらも出勤。良く分からないながらもとりあえず全患者さんの状況をmultidisciplinary team meeting (MTG)とfile reviewで把握し(マネジメントが2週間に1度やる長期入院患者を把握するための会議に必要な情報なのです…)、上司に伝え、一件だけ患者さんのアセスメントをして、午後退勤。朝早い段階で上司に体調が悪いことを伝えていたので事前に色々と準備出来て良かった。けど大変だった。。。

 

水曜は半年間くらいうちの病棟に入院していた腎臓疾患を抱え、とても複雑な社会的事情を抱えた患者さんが死去。水曜はNPOの勤務日でしたがNPOのマネージャーに事情を話して病院へ行き、まだ病棟のベッドにいた患者さんと面会。患者さん家族とお話しし、その後自死遺族グループセッションのために遠出。

木曜はトレーニング。金曜は同僚のカウンセラーさんが私の個人情報をクライアントに流出した事件(!)でてんやわんや。日曜はNPOのイベントのホスト。月曜は一人で病棟をカバー(そして新たな複雑な事情の患者さん来る)…で、ようやっとちょっと落ち着いた…。(ため息)

 

昨日はNPOチームのクリスマスランチでしたクリスマスツリーサンタニコニコ楽しかった~!

でも私の個人情報を流出した同僚カウンセラーさんにランチ前にテキストを介して要約すると「お前とは話したくない」と言われ、シュンとなったんですがね。。。(この前にも私に非があるような言動がちらほら)この件はランチ後に上司に報告したところこのカウンセラーさん、こういった問題を起こすのはどうやら初めてではなかったみたいです。はてさてどうなることやら…。この分野に居ると意外と自分自身の心の問題を解決できていない心理職の人が多いなと感じます。そんな中クライアントの心に向き合うのってどうなんでしょうか。って私も100%解決はできてないと思いますがね、にんげんだもの。でも最低限プロとしての仕事ができるレベルにはいるべきだと思うのです。

 

という感じで一気に現実に引き戻されました。仕事に戻って3日くらいはマジで自分がどうやって仕事していたか覚えておらず(?!)てかそもそも当たり前だけど一カ月全然英語話してなくて、それはそれは緊張したけれども、まぁ忙しさもありちゃんと休み前の状態に戻れて良かったです!

 

今月は連休もあるし(今年のカレンダーの並び、最高だよね!)そこそこ気は楽です。モチベーションを上げるために次のホリデーも企画中。。。引き続き頑張ります~!

父と京都嵐山に行きました。京都といえば!オーバーツーリズム!(?)ということで戦々恐々としていましたが、思ったほどは酷くなかったです。良かった〜。


今年は11月に入っても暑かったせいか、紅葉の色付きが若干淡い感じがしましたが、流石秋の京都、圧巻です。最初は祐斎亭へ。ここはリフレクションが美しい紅葉が撮影できることで有名です。要予約!




竹林を抜けて…


大河内山荘にやってきました。ここの紅葉、本当に美しかったです!


退職して写真が趣味となった父。カメラ2つを駆使して撮りまくってました。


夜は湯豆腐。これも最高でした!




夜は紅葉のライトアップをしている東寺へ。こちらもリフレクションが美しいです。


五重塔。ちゃんと水面に月が映ってます。



ここの薬師如来像は圧巻でした。

翌日は友人家族と清水寺へ。こちらも良い感じに色付いてました。


というわけで秋の京都を満喫しました。夜は滋賀・大津のビジネスホテルに宿泊したのですが、これも中々計画的には良かったです。

この後は北陸を巡ります。楽しみ〜!!😊暫くぶりの旦那の実家も楽しみです!

熊本駅から八代にいく鈍行列車の道中、地元のおじさんと話が弾み、「明日おいしい水を飲ませて、焼きしいたけに田楽味噌つけたやつ食わせてやる!」(?)とのことで、のこのこ知らないおじさんについて行った変な女、それは私です(笑)しかしこれが凄い貴重な体験だった〜!


その日はそこでお別れし、私は旅館に宿泊。浜膳旅館という日奈久温泉の旅館なのだけれども、露天風呂付き客室で最高だった〜!これだけのクオリティの客室と食事で凄くコスパが良かった🥺スタッフさんたちも素敵な方々ばかりで熊本にまた来ることがあれば絶対泊まりたい!






旅館前のくまもん

翌日おっちゃんの車に乗り、山中へ入っていきます。途中で生えている柚子を収穫…


これがおっちゃんがおすすめしてくれた水。ちなみにタンクは中古の牛乳タンクでおっちゃんが業者に手配して持ってきてもらったそう。おっちゃん、自分の器用さと周りの協力を得て、これを完成させたそうです。水はとっても良い性質だそうで、物凄く美味しかった!!オーストラリアに持って帰りたい…


おっちゃん、おもむろに山林にはいっていき、


しいたけを収穫。ここでおっちゃんの同級生に出会います。


凄い量のしいたけ!


そしてその同級生の家(山奥)に行きます。たくさんの種類の野菜を作ってました。そして家屋も昔ながらの日本家屋という感じ!





豚肉以外全部手作り。


この手作りの梅味噌と田楽味噌が美味しかった〜!


同級生の奥さんが味噌汁他色々と作ってくれ、食卓が豪華になりました。


おっちゃん、帰り際に看板屋が持ってきてくれた看板を設置。ちなみに看板屋の方も一緒に昼ご飯を食べました(笑)


この美味しい水、飲み放題汲み放題ですので皆さんも是非行ってみてください!新幹線新八代駅から山道を1時間くらい。

親には知らない人についていっちゃだめと言われましたが親の言いつけを無視したら(笑)素敵な出会いがありました。もちろん一晩かけて本当についていっていいのか?!と考えましたが(念の為旦那に事前に行く場所とおっちゃんの連絡先を渡しました)、そこは日本ですね〜。
帰ったらお礼にオーストラリアのものを少しおっちゃんに送ろうと思います。喜んでくれるといいな〜!😊