いやはや、ちょーっとずつだけど気分が浮上してきました。心配してくれて連絡してくれた大切な友人や毎日私の愚痴を辛抱強く聞き(笑)支えてくれた旦那には感謝です。ようやっと患者さんやクライアントの話を聞きながら「感じる」という感覚が戻ってきて少しほっとしています。仕事だけではなく、プライベートで音楽を聴く際にも前より心で感じられるようになってきました。

 

最近母校が創立120周年を迎えることになり、有難いことに今の在学生から記念行事の一環として生徒さんからの質問を受ける形でのインタビュー動画を撮影してほしいとの依頼を受けました。こちらの動画まだ撮影できていないのですが、自分自身の中学・高校時代、強いては大学生や社会人を含めたを振り返る良い機会を貰えています。そもそも今更ながら母校120周年てすごくないか?!120年前ってオーストラリアがイギリスから独立して数年経ったくらいだよ!

 

それはさておき、これをきっかけに中学生あるいは高校生の時の自分がいまの自分を見たらどう思うだろうか…と考えました。それはそれはおったまげるでしょうね(笑)私自身あまりぱっとしない生徒だったし、テストの学年順位も中の下くらいだったし(高校生の時は下から数えたほうが早かったことも)、興味ない授業はほぼ寝てたし(学費を払ってくれた両親よ、すまぬ…)、部活も頑張っていたが飛びぬけた成果を出した訳でもなく。継続してコツコツ努力できない私。しかし最大瞬間風速的努力で大学受験は自分も家族もびっくりな結果を出したのでした。そこからまさか交換留学して、所謂大企業に就職し、退職してオーストラリアに移住して、大学院を出てソーシャルワーカーとして働くだなんて。

 

中学高校の友人(いまなんと旦那の会社で働いている。(笑))に良く言われるのが「さりー、昔から海外で働きたいって言ってたよね」「それを思い続けて叶えるの、本当に凄いよ」って。そうなんだよね。しかもそれがこんな自分の想像を超える形で実現するだなんて、感無量です。最近謎の不安症?というか自己肯定感の低さやら自分の英語力のダメさ加減に本当に病んでたんだけど、何だかこうやって振り返ってたら私凄くないか?!という気持ちになってきた!(笑)病院の仕事は医療従事者として人の命や生活、はたまた人生に関わる複雑な事柄を扱っているし、NPOの自死遺族支援は繊細な言葉選びが求められる仕事なのだから(適切な言葉選びができないと逆にクライアントの精神状態を悪化させてしまうかも知れない)、英語を第二言語として話すものとしてこういった気持ちを抱えるのは当然だと思う。むしろこういう点でself-reflectiveではない人はそこで成長が止まるし、とりわけソーシャルワーカーとしての適性はないと思う。という訳で、いまの自分に花丸をあげたいと思います。

 

何よりも友人の発言を思い出すと20年弱海外で働くことを考えていたんですね。海外で働くって色々な形があると思うのですが、自分が一番理想としている形で働けているのは嬉しいし、ありがたいことです。就職後も永住権取得後も長年頑張ってきた自分を振り返ったり褒めたりしてこなかったので、「暫くはこういう気持ちに浸っていいんだよ~」と自分に言い聞かせたいと思います。そして次の目標は焦らず、時の流れに身を任せながら見つけていきたいです。