吹田市議 倉沢さとしブログ -5ページ目

吹田市議会12月議会について思うこと



市政の運営は「市民目線」でこそ  

12月議会は後藤市長が提案した議案を一部修正するなどし、可決し閉会しました。党市議団は後藤市政の評価すべきことはキチンと評価し、問題点は指摘し、改善や修正を求めました。
住民票料金を200円を300円に値上げする件、南千里と中ノ島プールを老朽化を理由に廃止する議案は反対しました。
水道料金が大規模修繕のため値上げの提案がありました。17.7%の値上案は、審議の中で10%に減額されたので賛成し可決しました。
4月からの、まち産業部を都市魅力部に再編し、11部から12部にするなどの組織改正について提案がありました。日本共産党は、組織は簡素であるべきであること。市長の公約実行のためというので理解するが、次の点を留意するよう強く求めました。
健康医療部が新設されます。岸部の新しいまちづくりを担当します。市長の重点公約の一つです。健康長寿にむけて地道な取り組みを求めました。
都市魅力部については、大阪府の都市魅力部を引き写しています。巨大開発が予定されているものでもありません。名前のイメージよりも、地域経済振興など地道に取り組むべきだと要求しました。エキスポシティの賑わいと、旧市街地の活性化は連携されておらず空回りしています。
児童育成課が市長部局から教育委員会に移ります。児童福祉法は、保育の公的責任が明記されています。その役割を果たすように求めました。
(本会議で質問する倉沢さとし市議)

山田北ヤマト運輸前の信号は年度内に設置



長年の要望であった山田北ヤマト運輸前の信号が、年度内(来年3月末まで)に工事されることが正式に発表されました。倉沢市議の質問に吹田市が答弁し、明らかになりました。

エキスポシティ開業1ヶ月 交通渋滞の不安は?



大きな影響ないか関係者ピリピリ

エキスポシティは11月19日に開業しました。市議会で交通問題を倉沢市議が質問しました。
11月21日、22日、23日の連休がありました。21日はガンバの試合が始まる時刻に万博外周道路が約1時間渋滞しました。観光バスの運転手さんの間では、土曜祭日は「万博外周道路は要注意」となっているそうです。全体として大きな混乱はありませんでした。しかし、いくつかの課題も明らかになりました。
予想より自転車利用者による来場が多く、駐輪場が不足です。通路まであふれました。事業者側は、来年に開業する観覧車の周囲に自転車置き場を新設するとしており現在は暫定的置き場です。警備員による誘導を強化するとしています。
自転車利用者への案内が不足していることも深刻です。自動車専用道路である中央環状に迷い込んだ自転車もいます。親切丁寧な案内看板の設置を求めました。
モノレール駅から市立スタジアムへの通路は階段だけです。エスカレーターエレベーターの設置を求めました。
消防など緊急自動車の通行が心配です。消防本部は、万博外周道路の交通状況を調査するため、独自に巡回を実施。ガンバ試合のときは予備的に消防車1隊を会場近くに配置したそうです。
幼稚園バス、高齢者送迎バスなどの関係者も大渋滞を心配しています。住民は渋滞情報を求めていますが、吹田市はインターネットで「エキスポシティ駐車場満空情報」を利用するよう呼びかけています。

エキスポシティ ウオッチングでわかること



帰ってきたにぎわい。交通渋滞の不安は現実に


 ららぽーとエキスポシティがこのほどオープンしました。日本最大級の複合施設で、海遊館、映画館など8ヶ所の大型娯楽施設と有名店305のショッピング店舗が集まります。吹田市ににぎわいが戻ることはうれしいことですが、同時に交通渋滞など市民生活にマイナスとならないように、関係者の努力が求められます。
 開業して初の連休は、予想どおり渋滞が発生しています。公共交通の利用が呼びかけられていましたが、今後、クリスマスや年末セールなどでの混雑が心配されます。
 もともと開発の主導権は、エキスポランドの跡地の活用を大阪府が募集し、三井不動産が開発計画を進めてきたものです。開発問題の責任は、大阪府と三井にあります。吹田市は環境アセス条例を活用し、区域内の交通渋滞対策などを指導してきました。
 新しい後藤市長は町全体のプロディユースがかけていたと。
 今後、環境とにぎわいの両立をどのように図るか。問われています。

戦火からのがれて。満蒙開拓平和記念館




休暇を利用して長野県阿智村の満蒙開拓平和記念館を見る機会がありました。
 満蒙開拓団は第二次大戦のなかで、国策により中国に開拓移民として送り込まれた農民たちの歴史です。昨年、中国残留孤児の父、山本慈昭さんを主人公に、映画「望郷の鐘」が製作されました。山本慈昭さんのお寺の敷地に、記念館が建設されています。
 記念館は静かな田園地帯の中にあります。記念館は、満蒙開拓団の全体像を伝えています。開拓団が27万人の規模で送られたこと。敗戦により生活は一変し、死の逃避行といわれる極限の状態に追い詰められたこと。逃避行のなかで家族が離散したこと。中国人に助けられ、大量の中国残留孤児を生み出したこと。逃避行は軍隊の指揮のもと、逃げられなければ自決をせまられたことなど証言は悲惨です。沖縄の地上戦をも想起させます。
 戦後70年。伝えなければならない、ひとつの真実です。(倉沢さとし)