吹田市議 倉沢さとしブログ -7ページ目

後藤市長の施政方針をきいて



福祉の前進と課題と

みんなのき補助など

 16日、7月定例議会が始まりました。8月5日までです。後藤市長が施政方針をのべ、清新な市政の回復と、結論ありきの非民主的な市政運営からの転換をのべました。
 公共事業をめぐる前市長の疑惑問題の混乱をふまえ、今後はあらゆる行政への不当要求に一切応じないことを宣言しました。法律違反だけでなくグレーゾーンについても明確に一線を引くものです。
 福祉分野のてこ入れでは、医療的ケアを必要とする重度障害者の施設「みんなのき」について、今回、国が負担しなかった補助金を市が補充する提案がされました。(写真はパンフ)市議会は請願を全会一致で採択しており、市民の願いにこたえたものです。
 南保育園の民営化問題はまだ解決にはいたっていません。3月議会は民営化移管先選定委員会の予算を自民、公明、民主、新選らが決めてしまいました。
 待機児問題の解消とよりよい保育の実現へ。ひきつづき奮闘する決意です。
 街づくりについてはエキスポ複合施設、サッカー専用スタジアム(2015年秋開業)、循環器病センターと市民病院(2018年)などの開発が進みますが、市民の立場からエキスポ交通渋滞問題、岸辺駐輪場改善など、より良い街づくりを求めていきます。
 国が地方創生を宣伝し、昨年「まち・ひと・しごと創生法」を成立させました。社会保障のためとして消費税大増税と社会保障の切捨てを強めています。国の負担押し付けから、住民の命を守る自治体の役割を果たすことが求められます。

地域の福祉力



吹田市社会福祉協議会は、吹田市と連携し、より効果的な福祉サービスをすすめるために「5カ年計画」をつくりました。社協は、各地で高齢者の昼食会、ひとりぐらし高齢者の訪問活動、子育てサロンなどの活動を進めています。
 2012年の介護保険法改正で、重度の要介護者であっても、地域で生活できる地域包括ケアシステムが提案され、2013年の障害者総合支援法、2012年に児童福祉法の改正など、福祉関連の法改正があいつぎました。
 シンポでは、公的サービスだけでは、そのはざまで支援を受けられない人が出てくる。解決のためには地域のつながり、そしてボランティアの役割が大切。社協の役割に期待するとの発言がありました。
 公的役割が大きく後退している自民党政治のもとで、公的役割をしっかり充実させることとボランティアのあり方について考えさせられました。
(倉沢さとし)

民意無視の強行採決! 怒り



(弁護士さんも街頭で宣伝)
 安倍政権は、衆院安保特別委員会で「戦争法案」の採決を15日、強行しました。日本を戦争する国にするな――どの世論調査でも「憲法違反」「今国会の成立に反対」が5割から6割を占めています(共同調査、図)。日本共産党は、民意をふみにじった自民・公明の暴挙を厳しく糾弾し、廃案めざしてさらに力をつくす決意です。吹田市でも、さらに声を上げましょう。
今国会で廃案に。一点共同をさらにひろげ、暴走をやめさせましょう!
 全国で、吹田で。若者も、女性も、高齢者も。怒りの声が広がっています。
 93歳の作家の瀬戸内寂聴さんは「二度と戦争をしてはならない」と東京集会に参加して訴えました。世界の宝・憲法9条を守りましょう。

地域の宝 さくら苑、さくらんぼ保育園が10年



社会福祉法人こばと会が運営する、さくら苑とさくらんぼ保育園が10周年をむかえ祝う会が開かれました。
 岩崎理事長は、地域住民の要求にねざした施設と運営が法人としての大きな目標です。60年代には保育所が不足し、こばと保育園は入園児だけでなく、保育所にあづけたい願いにこたえて公立保育園をつくる運動のセンターの役割をにないました。誰もが入りたくなる特別養護老人ホームをつくる会の要請で、いのこの里の建設をこばと会がにないました。いのこの里は15年目になり、吹田の介護問題の発信施設になっています。
 さくら苑、さくらんぼ保育園は10年になり、さらに地域の願いにこたえて法人として探求をつづけたい、と挨拶しました。倉沢、玉井市議が参加しました。(さくら苑、保育園の皆さんの手話コーラス)

83才先頭に一歩、一歩 平和行進



 7月6日、梅雨空のもと、2015年国民平和大行進が、高槻市役所から吹田市役所コースでおこなわれました。核兵器廃絶・被爆者援護をアピールしました。石川たえ府議、市議団も参加しました。
 83歳の行進者の山口逸郎さんがピースコールを先導。「えらいこっちゃ、えらいこっちゃ。憲法変えたらアカン、アカン」と元気な声が商店街に響きました。
 終結集会では、後藤圭二市長からメッセージが寄せられ、木下人権文化部長が代読しました。市議会の奥谷議長は賛助金をもち激励、吹田市被爆者の会の北村事務局長は激励の挨拶をしました。
 国民平和大行進は1958年に、東京で開催される世界大会にむけて西本敦さん(故人)が広島から歩き始めたのがきっかけです。西本さんに賛同し、同行する人は日々増え、東京までの53日間に、のべ100万人を超えたといいます。翌年から、全国にコースを分けて行進がおこなわれることになりました。「一歩でも二歩でも参加してください」、この呼びかけはここから生まれたものです。
 戦後70年の節目になる今年の原水爆禁止世界大会は8月に広島市、長崎市で開催されます。被爆者をこの地球上でふたたび生まないために。核の犠牲者を救済するために、平和への決意を高める日にしたいものです。