個人セッションではよく適職を聞かれるし、聞かれたらタロットのシンボルからお答えするのだけど、「仕事を選べない」と制限かけてる方は多いなあとおもいます。不景気だから尚更なのかな?
選ばれる側、と無意識におもっているから「やりたいかどうか」よりも「採用されるかどうか」ではじめから探してる……。経験や能力といった過去の基準をベースにすることから脱却して、これまでの常識をどこかで捨てたほうがよくない?というのがわたしのおもうところです。
アセンション、なんていうスピリチュアルな概念を持ち出すまでもなく、世界は変わりはじめてる。
2030年には49%の仕事がなくなると言われています(野村総研のリサーチ)正確には、今ある仕事の49%は、10年後にはない、もしくは、AIにとってかわられる、ということ。
短期的なものならいいとおもうの。
でも2030年なんてきっとあっという間だ。
コンピューターやAIにできるような仕事は人間がやる必要がなくなる。
そうやってひとが自由を取り戻せる分、何を選択するか、『選択力』を養うことが益々大切になるだろうとおもいます。選ばれる立場からの脱却でもあるし、選ぶことに責任を負うことでもある。
じぶんに聞くんだよ、評価や評判に頼るのではなく。
じぶんで選ぶんだよ、周りのひとの意見ではなく。
何が欲しいのか、何をしたいのか、本気でじぶんに聞いてみる。じぶんを満たすことに集中する。はじめは失敗もあるかもだけど、失敗することで、より何が欲しかったのかがはっきりする。失敗は失敗じゃなくなる。変化に対する耐性や柔軟性も身につく。リスクをとった方が後々じぶんのためになるのだ。
じぶんにしかできない仕事って、情熱をもってこころからやりたいこと以外にないとわたしはおもってる。みんなそれぞれユニークな才能があって、その才能を発揮するためには個性を出すことを恐れず、やりたいかどうか、それだけじゃないかしら。そして結局、やりたいことに適性も関係してくるのだとおもう。
やりたいことやっても求めるひとがいなければ意味がない? わたしは情熱をもって意図するなら、その先にそれを求めるひとは同時に創造されるのではないかと考えている。いま実験中!充分にエネルギーが注がれれば、いないはずがない。それを信じられないのは、自分が創造主であることを忘れているのだ。(しょっちゅう忘れる…)
情熱をもてるものがわからない、こころからやりたいことがわからない、というひとは浄化が必要で、じぶんに合う方法を見つけて、まずは自分を知るところからやるがよいです。
みんながやりたいことやって豊かになる。そういうビジョンを持つひとが増えたら、世界は確実に変わるよね〜。よだれ出そう