お気に入りの壁
じぶんを表現するときにブログやソーシャルネットワークってとてもありがたいツールだなとおもいます。
基本(決められた運用ルールや法を犯してなければ)、どんな考えを発信してもいいんだよね。このひと合わないとなったらフォローを外したり見にいかなければよいのだし。
だからみんなはじめてみるといいのになあとおもいます
実際に会ったことなくても魅力的なひとを見つけることができるってすごい。そして見つけてもらうんだよ
わたしはみーっけとおもってコンタクトしたこともあるし、規模は圧倒的に小さいですが、見つけてくれた素敵なご縁がいまもつながっていたりします。
もちろん合わないひともいるから、みんなと言いながらも全員ではないのですが。
インターネットの世界でじぶんを表現する場所、フィールドをつくるということは、広大な集合的無意識の中にお家を建てることと似ているようにおもう。これ、じぶんらしく生きたいひとには欠かせないです。
そのためには、大衆意識に流されるのではなく、基礎がしっかりした土台のあるお家を建てることが大切。土台って自分軸のことね。あらゆる声に、評価という津波に流されないように。流されてもまたすぐ戻ってこれるように。
どの層のひととつながるかは、どのエリアに住むのかを決めることと似ていて。ブログなら、プラットフォームまではさわれなくても、比較的自由に設計できる。外壁や内装、インテリアで世界観も出せるよね。
これからは、いまもかな、ますます自己表現の時代に入っていくとおもいます。何を考え何を感じてるのか、こころを知ってほしい、知りたいというひとが増えるんじゃないかな。AI化も進むしね。
でね、きょうは何が言いたいかというと、そういう世界では、信用をなくすようなことは、ちっさいことでも止めた方がいいよ〜というお話。
なぜならみんなのこころが敏感にならざるを得ないから。
さっきアメブロ宛に『質問です。』というタイトルのメッセージがきたの。個人の苗字で。開くとブログのPR・広告営業でね、社名もちゃんと書いてあるんだけど、質問はどこにも書いてない。唯一のクエスチョンマークが、宣伝したあとの「いかがでしょうか?」。明らかに生徒さんとか潜在的カスタマーの雰囲気を装ってた
はじめから広告出す気なんてないんだけど、もし出すことを考えたとしてもここは選ばないぞっと
じぶんのメディアでやる分にはいいとおもうの。タイトルと本文の内容が全然関係なくても… それでOKなひとは見にくるだろうし、いやだなっておもったら見にこないだろうし。自由。クリックしてもらうためのあざといタイトル、信用はなくすだろうけど…
でもメールや電話などで相手に直接送るときにこのやり方って、ピンポンならして「宅急便です」と入ってきて実際は押し売りするようなやり方よね。。。そんな信用できない人と仕事したいとおもうひといるのだろうか…
いるんだろうけど。
効果があるからやってるんだろうけど。
迷惑メールもなくならないもんね。。
なんかね、他人のフィールドに土足で入ってくるのやめてほしい。本当に広告してほしいと望んでる場合は別だけど、そうじゃなくてなんとなくそういうひとを受け入れてしまう場合は、境界線があいまいなのかなあっておもう。良い悪いではなく、ゆるい。ゆるいということは、責任感もゆるい訳で。
じぶんを大切にするって、選択する、受け入れることに対して責任を持つことも含まれる。リソース、エネルギーをどこにつかうか。イエス・ノーを決める。決めたらその責任はじぶんが取るんだよ。簡単じゃないことも多いけど、経験して学びながら、軸は立ち上がるなっておもいます。
無遠慮に入ってくるひとには、「入ってこないで」とはっきり言うこと大事です
じぶんを不快にしてまで受け入れると必ずほころびが出る。相手や周りに当たっちゃったりとか。弱いひとに向かうこともある。その連鎖を断ち切りたいよね。ひとりひとりが他人ではなく、じぶんを整えることにエネルギーを使う時代かなとおもいます