南海平野線の廃線跡(大阪府大阪市西成区~平野区。2014年~2016年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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今回は、大阪市と堺市を結んでいる阪堺電気軌道阪堺線の今池電停から東へ分岐して、南東へ進んで平野電停へ至っていた南海電気鉄道の軌道線・
南海平野線の廃線跡について簡単に紹介します。

 

南海平野線は、前身の阪堺電気軌道(初代)により1914年に今池~平野の全線が一挙に開業しました。翌1915年に阪堺電気軌道(初代)は南海鉄道と合併し、南海平野線となりました。1929年には阿倍野電停で平面交差する上町線との連絡線を建設して天王寺駅前~平野の直通運転を開始しました。
戦時中から戦後にかけて運営会社が近畿日本鉄道~南海電気鉄道と変遷しました。高度経済成長期になると平野線の大半の区間と並行する形になる大阪市営地下鉄谷町線(現:大阪メトロ谷町線)の建設が決定し、その高架部には阪神高速道路14号松原線が建設される事になりました。そして1980年11月27日に地下鉄谷町線の天王寺~八尾南が開業し、平野線は同日の営業を最後に翌28日に廃止となりました。
尚、廃止の3日後の12月1日には、残された南海の軌道線(阪堺線、上町線)が子会社の阪堺電気軌道(2代目)に譲渡されました。

 

阿倍野~西平野では廃線跡の地下に地下鉄谷町線が、高架部に阪神高速14号松原線が走っています。

 

今回は今池~平野の順に廃線跡探訪レポートを超簡単に紹介致します。

 

尚、今回のレポートは足掛け3年に及んでいます。現在は状況が変化しているかもしれませんが、ご了承願います。
また、調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m

  
  

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(Yahoo!地図を使用)  

  
  

路線名   区間   営業キロ  備考  
南海電気鉄道:平野線  今池~平野  5.9km   1980年11月28日廃止  
(※)全区間複線、直流600V電化の軌道線。軌間1,435mm。     

  
  

探訪・撮影時   2014年~2016年  

  

  

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(1)阪堺線の今池駅跡より平野線分岐部を望む。
南海天王寺支線跡を跨いでいた橋の先で平野線は左へ分岐して細長いビルの場所を走っていました。
現在も分岐部は築堤の幅が広がっています。それ以外の痕跡は確認できませんでした。


 

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(2)阪堺線と分岐後は左へカーブして進路を東へ変えていました。
この部分の廃線跡はビルや住宅に転用されましたが、一部はフェンスで囲まれた姿で残っています。
但し、痕跡は確認できませんでした。


 

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(3)進路を東へ変えると、大阪市道上を併用軌道区間で走っていました。


 

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(4)そして上町台地へ向けて坂を駆け上がりました。
そして坂上から西平野駅跡まで、上町線跡の高架部を阪神高速14号松原線が通っています。


 

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(4)坂の部分には架線柱が残されていました。


 

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(5)坂を上ると上町線と平面交差し、阿倍野駅跡に着きます。駅跡は上町線の東側にありました。
こちらにも架線柱がありましたが、他の遺構は確認できませんでした。
阿倍野駅は上町線にもあり、上町線の天王寺駅前方と平野線の平野方を結ぶ渡り線が設置されていました。
また、平野線の電停は「阿倍野(斎場前)」とされ、上町線の電停と区別していました。


 

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(6)阿倍野(斎場前)駅跡より今池方を望む。


 

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(7)阿倍野(斎場前)駅跡を過ぎると右へカーブして南東へ進路を変え、専用軌道区間を走行していました。
そして下り勾配で文ノ里駅跡へ向かっていました。跡地は歩道など道路転用されています。
尚、阿倍野(斎場前)駅跡~西平野跡にかけて、大阪メトロ谷町線が地下を走行しています。
地下鉄谷町線の開業と引き換えに平野線が廃止されました。


 

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(8)坂を下りきると「あびこ筋」と交差し、文ノ里駅跡に着きました。駅跡は交差点の先にありました。
駅跡には「南海平野線と文ノ里停留場」についての案内看板があります。
尚、駅跡付近には谷町線の「文の里駅」があります。あびこ筋の地下には御堂筋線が通っていますが、こちらに駅はありません。
少し南側に昭和町駅があります。


 

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(9)文ノ里駅跡を過ぎると松虫通と交差してから阪和線をアンダークロスしていました。
阪和線の陸橋は美章園~杉本町の高架化により架け替えられ、新しくなっています。
阪和線に駅はありません。


 

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(10)阪和線をアンダークロス後も市街地の中を南東へ進み、田辺駅跡に着きました。
谷町線の駅が設置され、平野線を代替しています。平野線の痕跡はありません。


 

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(11)田辺駅跡を過ぎてしばらくすると水路を渡りますが、橋台などの遺構は確認できませんでした。
この辺りに駒川町駅跡があります。


 

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(12)駒川町駅跡を過ぎると左へカーブして近鉄南大阪線をアンダークロスしていました。
こちらも近鉄の陸橋が新しくなっています。
近鉄に駅はありませんが、ここに谷町線の駒川中野駅があります。


 

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(13)近鉄をアンダークロスしてしばらくすると中野駅跡に着きます。痕跡はありません。
中野駅跡から次の西平野駅跡にかけて、阪神高速14号松原線は平野線の直上に建設されました。
その関係で高架橋の構造に特徴が見られます(手前の橋脚は右寄りで、奥の橋脚は2本脚で中央に平野線を通していました)。


 

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(14)中野駅跡を過ぎると今川を渡っていました(今池方を望む)。
平野線内で一番大きな川でした。橋台などの遺構は撤去されていました。


 

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(15)そして谷町線と阪神高速が右へカーブして分かれる地点にあった西平野駅跡に着きました。
駅跡は背戸口公園として整備され、歩道には軌道をイメージしたデザインが施されています。


 

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(16)西平野駅跡を過ぎるとすぐに国道479号(内環状線)と交差します。
この先の廃線跡は少しの間ビルや住宅に転用されて歩けません。


 

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(17)廃線跡を迂回して歩くと、やがて遊歩道に転用された廃線跡が姿を現しました。
緩やかに左へカーブしています。


 

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(18)そしてすぐに終点の平野駅跡に着きました。
遺構は残存していませんでしたが、歩道が二股に分かれていて島式ホームをイメージさせてくれます。
また、こちらも歩道には軌道をイメージしたデザインが施されています。二股の手前には信号機のモニュメントがあります。


 

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(18)平野駅跡より今池方を望む。付近は市街地で、通行人も多いです。
平野線は利用客減ではなく、地下鉄への発展的解消の形で廃止されました。

  
  

(おしまい)  

  

  
廃線跡探訪の注意点  

私が南海平野線の廃線跡を探訪したのは2014年、2015年、2016年の3度で、それぞれ区間を分けて探訪したので実質1回ですw 遺構はほとんどなかったのですが、今回探訪区間の廃線跡の大半が道路や遊歩道に転用されていて、概ね廃線跡を忠実に辿れました。

  

今池~平野の距離は約6kmで、徒歩で探訪する場合は片道2時間弱ほどでしょうか。尚、阿倍野~平野では廃線跡に並行して地下鉄谷町線が通っていて、中間に駅もあるので片道探訪はもちろん、途中参加・途中リタイアも可能です。他には今池電停で阪堺線と、阿倍野電停で上町線や天王寺発着の各線と、文の里電停跡で地下鉄御堂筋線と接続しているので各方面からアクセス可能です。

  

食料・飲料について、意外とコンビニ・飲食店は少ないです。少し横道に逸れれば店舗はありますが、心配であれば用意しておいた方が良いでしょう。

  

あべのハルカスなど大阪市南部へお出かけの際は、ウォーキングがてら南海電鉄平野線の廃線跡も一緒に歩いてみて下さい。

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線
今池電停   阪堺電気軌道:阪堺線。南海電気鉄道:天王寺支線(今池町駅。廃止)  
阿倍野(斎場前)電停   阪堺電気軌道(阿倍野)電停:上町線。大阪メトロ(阿倍野駅):谷町線  
文ノ里電停   大阪メトロ(文の里駅):谷町線  
駒川電停   大阪メトロ(駒川中野駅):谷町線  
中野電停   大阪メトロ(駒川中野駅):谷町線  
  
(参考:地理院地図、Googleマップ、Wikipedia)