名鉄揖斐線(黒野~本揖斐)の廃線跡(岐阜県大野町~揖斐川町。2011年訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

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当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

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(Wikipediaの写真を使用)

 

今回は、岐阜県の県庁所在地である岐阜市の市街地やその周辺に路線網を広げていた名鉄岐阜地区600V線の一つである揖斐線のうち、利用客の減少などが原因で谷汲線とともに2001年に廃止された揖斐線の末端区間、
黒野~本揖斐の廃線跡について簡単にレポートします。
尚、岐阜地区600V線区のうち、揖斐線と谷汲線については「鉄道線」でした(他の路線は「軌道線」)。
名鉄揖斐線は、岐北軽便鉄道により1914年に忠節~北方町(後の美濃北方)が開業し、美濃電気軌道北方線になってから1926年に黒野まで、1928年に本揖斐まで全線開業しました。1930年には名岐鉄道揖斐線になり、1935年には名古屋鉄道揖斐線となりました。起点の忠節駅は長らく独立したターミナル駅でしたが、戦後の1954年に岐阜市内線支線(忠節支線)とつながりました。そして1967年に岐阜市内線直通の急行の運転が開始され、1980年代と1990年代に冷房付きの新型車両が導入され全列車が市内線直通になるなど利便性向上が図られてきましたが、地方線区の常としてモータリゼーションの影響で利用客が減り、2001年に末端部の黒野~本揖斐が谷汲線と共に廃止となりました。その後も利用客の減少に歯止めがかからず、結局、岐阜市内線や美濃町線、田神線とともに2005年に全線廃止となり、岐阜地区600V線区の歴史は終焉を迎えました…。

 

今回は黒野~本揖斐の順に廃線跡探訪レポートを簡単に紹介致します。

 

尚、今回のレポートは2011年の探訪記なので、現在は状況が変化しているかもしれませんが、ご了承願います。
そして、調査が不十分なことをお詫び申し上げますm(_)m

 

また、私は2000年に揖斐線全線を踏破しています。
写真は少ないですが、乗車時のレポートを【踏破後、廃線…】のコーナーにてUPしております。
(忠節~黒野はこちら、黒野~本揖斐はこちら)


 

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(Yahoo!地図を使用)

 
 

路線名   区間   営業キロ  備考 
名古屋鉄道:揖斐線  忠節~黒野  12.7km  2005年4月1日廃止  

  

  

今回紹介の区間  

区間   営業キロ  備考   廃止日  
黒野~本揖斐  5.6km   全線単線・直流600V電化。軌間1,067mm  2001年10月1日  

  

  

訪問・撮影時   2011年1月  

  

  

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(1)黒野駅は島式・単式ホーム1面ずつの計2面3線の構造でしたが、末期は島式ホームの2番線のみが乗降に使用されていました。
2001年までは写真奥の方、揖斐方面や谷汲線の谷汲まで路線が延びていました。
また、駅構内には車両基地(黒野検車区)がありました。
現在は『黒野駅レールパーク』として整備され、2・3番線ホームと2番線の線路が残されています。


 

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(1)黒野駅は市街地の中にあり、古風な木造駅舎を有していました。
揖斐線の廃止後も解体されずに残り、現在は駅舎を改装して『黒野駅ミュージアム』としてリニューアルオープンしました。
館内には揖斐線の備品などが展示されており、出札口や2階部分にも入ることが可能になりました。


 

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(2)黒野駅跡から本揖斐方へ進むと、揖斐線(左側)と谷汲線(右側)が分岐していました。
2011年時点では揖斐線側にレールなどの遺構が残っていました。


 

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(2)上写真と同じ地点にて黒野駅跡を望む。
2011年の時点では車庫の設備も残っていましたが、前述の2・3番線ホームと2番線の線路以外は撤去されました。


 

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(3)谷汲線と分かれると三水川を渡りましたが、2011年時点では鉄橋が残存していました。


 

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(4)三水川を渡り終えても廃線跡はその姿をとどめていますが、
レールと枕木などは撤去されバラスト、架線柱、柵が残っていました。
所々に水路を渡る橋梁跡も残存していました。


 

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(5)しばらく西へ歩くと中之元駅跡に着きました。ホームが残存していました。


 

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(6)中之元駅跡を過ぎても廃線跡は続き、バラストと柵は残っていました。架線柱は大半が撤去されていました。


 

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(7)清水駅跡に着きました。こちらはホームなどの設備が撤去され、駐車場へと変わりました。


 

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(8)清水駅跡を過ぎると廃線跡が姿を現しましたが、バラストも撤去されていました。
この辺りでは揖斐の山々を正面に見て電車が走っていました。


 

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(9)しばらく進むと廃線跡は築堤区間となって右へカーブしていました。
築堤と水路橋の橋台が残存しています。


 

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(10)さらに進むと終点の本揖斐駅が近づいてきます。
この辺りから本揖斐駅跡まで廃線跡は道路転用されています。


 

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(11)本揖斐駅跡に着きました。跡地は道路やバスターミナルに転用され、現役当時の面影が失われました。


 

(おしまい)

  

  
廃線跡探訪の注意点  

私が名鉄揖斐線(黒野~本揖斐)の廃線跡を探訪したのは2011年の1度きりです。レールは撤去されていましたが、線路敷は他の用途に転用されずに残っていて、遺構も多数みられました。現在は変化しているかもしれませんが…。
尚、私は2000年に揖斐線全線を乗り鉄しています。写真は非常に少ないですが、当時のレポート記事はこちらです。

 

黒野~本揖斐の距離は5.6kmで、徒歩ですと片道2時間あれば大丈夫でしょう。廃線跡にほぼ並行して名阪近鉄バスの路線バスが走っているのですが、黒野駅跡前には発着しないので要注意です(最寄りのバス停は大野町役場に隣接する大野バスセンターで、黒野駅跡から1km強の場所にあります)。本揖斐駅跡と養老鉄道・揖斐駅との間にも名阪近鉄バスの路線があります(バスと電車の時刻は要確認)。
ちなみに、大野バスセンターからは黒野駅跡北側を経由して岐阜市中心部方面へ向かう岐阜バスの路線もありますが、毎時1本程度と少なく、半数近くは北方バスターミナル以東で揖斐線跡と離れた場所を走行します。

 

食料・飲料について、沿線にコンビニは少ないですが黒野駅跡近く、黒野~中之元で並走する国道303号線沿い、中之元~清水、本揖斐駅跡近くにバランス良く(?)あります。スーパーも黒野~中之元に平和堂、本揖斐駅跡前にトミダヤがあります。また、黒野~中之元の国道303号線沿いにはマクドナルド、すき家などの飲食店もあります。地方では珍しく、黒野~本揖斐に限定すれば事前に用意しなくても大丈夫でしょう(黒野~忠節を探訪する際は準備が必要です)。

 

谷汲方面などへお出かけの際、養老鉄道の大垣~揖斐を往復乗り鉄するのがおっくうな場合は、ぜひ一度揖斐線の廃線跡を探訪なさって下さい。

  

  
接続路線  

接続駅   接続路線
黒野駅   名古屋鉄道:揖斐線(忠節・岐阜方面)【2005年廃止】谷汲線【2001年廃止】  
本揖斐駅  養老鉄道:養老線【揖斐線】(揖斐駅まで路線バスで5分~10分)   
 (※)揖斐線・忠節~黒野の廃線跡についての簡易記事はこちら  
 
(参考文献:『私鉄廃線25年』寺田裕一著。JTBキャンブックス、地理院地図、Wikipedia)