今回は、仙台から石巻へ通じる直流電化路線・仙石線のうち、2000年に都心部の「あおば通」~苦竹が地下化された結果、廃線となった
仙台~苦竹の地上線跡(旧線跡)について簡単にレポートします。
仙石線は私鉄の宮城電気鉄道により建設され、1925年に仙台~西塩釜が開業しました。その際、東北本線と立体交差させる必要から、仙台駅付近は日本初の営業用の地下路線となり、仙台駅も地下に設置されました。また、仙台~苦竹は市街地を縫うように走るためカーブの多い線形となりました。そして戦時中に国鉄仙石線となり、戦後には地下区間が廃止され、東北本線の東側に新たに仙台駅が設置されました。
その後は延々と当時のままの状態が続きましたが、市街地での踏切による渋滞、カーブの多い線形など問題が多く、仙台~苦竹で地下化される事になりました。地下新線(仙台トンネル)は当時計画されていた仙台市営地下鉄東西線(現在の東西線とは別物)との直通運転を前提に建設され、仙台駅の西側に少し離れて設置されている仙台市地下鉄南北線の駅付近まで延伸される形で2000年に開業しました。地下鉄駅と連絡する新駅はJRの仙台駅とは離れている事から新たに「あおば通駅」と命名されました。地下新線区間は極力直線ルートが採用され、距離と所要時間を短縮しました。尚、地下鉄東西線との直通運転計画は白紙となりました。
そして、地下化の結果、市街地を蛇行していた旧線跡は廃線となりました。
今回は仙台駅~苦竹駅の地上線跡探訪レポートを紹介致します。
尚、今回の区間はサラッと辿っただけなので調査が不十分なことをお詫び申し上げます。
さらに、探訪時期が2008年で、現在は状況が変化していると思われますが、ご了承願います。
さらに、探訪時期が2008年で、現在は状況が変化していると思われますが、ご了承願います。
(Yahoo!地図を使用)
路線名 | 区間 | 営業キロ | 廃止時 |
JR東日本:仙石線 | 仙台~苦竹 | (※1)3.8km | 2000年3月11日廃止 |
尚、旧線の駅間営業キロは、仙台(1.3km)榴ヶ岡(0.9km)宮城野原(0.8km)陸前原ノ町(0.8km)苦竹。
(※)全区間複線・直流1,500V電化。軌間1,067mm。
探訪・撮影時 | 2008年2月 |
(2)仙台~榴ケ岡は区画整理が進んでいて旧線跡をそのまま辿れないので、迂回を余儀なくされました。
地上線跡が仙台駅を出て右カーブが続いていた区間ですが、2008年の時点で一部路盤が残存していました。
現在は再開発により遺構が消えていると思われます。
地上線跡が仙台駅を出て右カーブが続いていた区間ですが、2008年の時点で一部路盤が残存していました。
現在は再開発により遺構が消えていると思われます。
(3)仙台~榴ケ岡の旧線は蛇行線形でした。
写真の地点では左へカーブしていました。線路跡にはアパートが建設されました。
写真の地点では左へカーブしていました。線路跡にはアパートが建設されました。
(4)その後、旧線は榴岡公園の南側を通り榴ケ岡駅跡に着きました。駅の面影はありません。
写真右側の大通りは仙台駅東口とコボスタ宮城などがある宮城野原運動公園を結ぶ道路です。
この道路の地下に仙石線の地下新線(仙台トンネル)が通っていて、新線の榴ケ岡駅は旧駅のやや西側(写真手前側)にあります。
写真右側の大通りは仙台駅東口とコボスタ宮城などがある宮城野原運動公園を結ぶ道路です。
この道路の地下に仙石線の地下新線(仙台トンネル)が通っていて、新線の榴ケ岡駅は旧駅のやや西側(写真手前側)にあります。
(4)上写真とほぼ同じ地点より仙台方を望む。
新線は大通り地下を直進して仙台駅へ向かいます。旧線跡は右へカーブして仙台駅地上駅跡を目指していました。
新線は大通り地下を直進して仙台駅へ向かいます。旧線跡は右へカーブして仙台駅地上駅跡を目指していました。
(5)榴ケ岡駅跡を過ぎると旧線跡は左へカーブして住宅街の中を進みました。
この付近の旧線跡は宅地転用されました。
この付近の旧線跡は宅地転用されました。
(6)その後も住宅街の中を進みます。
この辺りの旧線跡は駐車場に転用されていました。
この辺りの旧線跡は駐車場に転用されていました。
(7)住宅街の中を進むと、宮城野原駅跡に着きました。
駅の右側(南東側)には高校野球などで有名な仙台育英学園高校があります。
高校の反対側に新線の宮城野原駅と宮城野原運動公園があります。
駅の右側(南東側)には高校野球などで有名な仙台育英学園高校があります。
高校の反対側に新線の宮城野原駅と宮城野原運動公園があります。
(8)宮城野原駅跡の先、旧線跡の路盤が姿を現しました。
鉄道用地と道路の間に法面(のりめん)と柵が遺構として残存していましたが、現在はどうなっているのでしょうか…。
鉄道用地と道路の間に法面(のりめん)と柵が遺構として残存していましたが、現在はどうなっているのでしょうか…。
(9)遺構残存区間を少し進むと廃線跡は真新しい道路に転用されていました。
地下新線は道路直下ではなくやや東側を走っています。
地下新線は道路直下ではなくやや東側を走っています。
(10)そして旧線跡は右へカーブして陸前原ノ町に着きました。
地上線時代の陸前原ノ町駅には車庫(宮城野電車区)が併設されていて広い構内を有していました。
車庫は小鶴新田~福田町の間に移転しています(仙台車両センター宮城野派出)。
また、2008年の時点では広大な空地が当時の広い構内の面影を残していましたが、
現在は宮城野区文化センターなどが建設されています。
地上線時代の陸前原ノ町駅には車庫(宮城野電車区)が併設されていて広い構内を有していました。
車庫は小鶴新田~福田町の間に移転しています(仙台車両センター宮城野派出)。
また、2008年の時点では広大な空地が当時の広い構内の面影を残していましたが、
現在は宮城野区文化センターなどが建設されています。
(11)陸前原ノ町駅後の先で仙石線は宮城野貨物線をアンダークロスしていました。
地下線はこの立体交差の辺りで地上へ顔を出し、地上線時代より存在していた高架区間へ入って苦竹駅へ至ります。
尚、宮城野貨物線のアンダークロスは複々線分のスパンがありますが、
宮城野電車区の引込線が使用していたのか、用途は分かりません…。
まぁ、仙石線の地下化の際は仮線用として使用されていたとは思いますが…。
地下線はこの立体交差の辺りで地上へ顔を出し、地上線時代より存在していた高架区間へ入って苦竹駅へ至ります。
尚、宮城野貨物線のアンダークロスは複々線分のスパンがありますが、
宮城野電車区の引込線が使用していたのか、用途は分かりません…。
まぁ、仙石線の地下化の際は仮線用として使用されていたとは思いますが…。
(おしまい)
私が仙石線地上線跡を探訪したのは廃止から8年が経過した2008年の事でした。仙台駅周辺は再開発され、当時の面影は見当たりませんでしたが、苦竹へ向かうにつれて当時の線路跡が姿を見せる場面が増えてきました。しかしながら現在はさらに当時の面影が失われている事でしょうね…。
尚、私は1997年に乗り鉄した時、仙石線の地上線に乗った事がありますが、その時に写真撮影しなかったのが悔やまれます…orz
尚、私は1997年に乗り鉄した時、仙石線の地上線に乗った事がありますが、その時に写真撮影しなかったのが悔やまれます…orz
廃線跡の距離は約4kmで、徒歩ですと片道1時間半くらいあれば探訪可能です。帰り(または行き)は仙石線を使えますし、途中でリタイアしても仙石線の駅が近くにあるので大丈夫です。
食料・飲料についてですが、仙台駅周辺を中心に飲食店が多数あります。コンビニも苦竹へ向かうにつれて店舗が減少するものの、全体的には多くの店舗が沿線にあります。飲食に困る事はありません。
仙台へ行かれる際は、ウォーキングがてらぜひ一度探訪されてみて下さい!
接続駅 | 接続路線 |
仙台駅 | JR東日本:東北新幹線 (東京方面、新青森方面)、仙石線 |
仙台駅 | JR東日本:東北本線 (福島、郡山方面、盛岡方面)、仙山線、(常磐線列車) |
仙台駅 | 仙台市地下鉄:南北線、東西線 |
仙台駅 | 【仙台空港アクセス線】(仙台空港鉄道:仙台空港線方面) |
榴ケ岡駅跡 | JR東日本:仙石線 (現駅まで徒歩5分) |
宮城野原駅跡 | JR東日本:仙石線 (現駅まで徒歩5分) |
陸前原ノ町駅 | JR東日本:仙石線 |
苦竹駅 | JR東日本:仙石線 |
(参考:Googleマップ、地理院地図、Wikipedia)