下津井電鉄線の廃線跡(茶屋町~下津井。2005年ほか訪問) | 『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

『乗り鉄』中心ブログ(踏破編)

当ブログでは、私の鉄道乗りつぶしの過程や、最近の乗り鉄のレポート等を中心に紹介いたします。

イメージ 1
下津井駅跡にて。

  

今回は、宇野線の茶屋町駅から分岐し、岡山県倉敷市内を南へ。ジーンズの生産や競艇で有名な児島を経て瀬戸内海に面した下津井駅まで走っていたナローゲージのローカル私鉄路線、
下津井電鉄線の廃線跡について簡単にレポートします。

  

下津井電鉄線は、宇野線の開業により衰退した瀬戸内海の下津井~丸亀間航路に再び四国渡航客を取り戻すべく、前身の下津井軽便鉄道により1914年に茶屋町~下津井の全線がナローゲージ(軌間762mm)、非電化で開業しました。児島へはJR(国鉄)よりも70年以上も先に乗り入れています。
その後、戦後の1949年に電化され、社名も下津井電鉄に代わりました。しかし、高度経済成長期になると、客は次第に岡山市街や倉敷市街へ直通する自社バスやマイカーに取られていき、1972年に根元の部分に当たる茶屋町~児島が廃止され、道路交通事情の悪さなどから末端部の児島~下津井のみが残りました。
部分廃止後は徹底した合理化が実施され、バス事業などが黒字だったこともあり路線を維持できていました。

  

そして、1988年の瀬戸大橋開通を機に、大規模投資を行い観光客誘致を図りました。しかし、肝心の観光客は瀬戸大橋そのものや四国へと流れ、下津井電鉄にまでブームは波及しませんでした。そんな折、主力事業のバスもJR瀬戸大橋線の開業による影響などで鉄道事業の赤字補填ができなくなり、惜しまれつつも1990年12月31日限りの営業運転で児島~下津井も廃止となり、1913年に茶屋町~児島(当時は味野町)が開業して以来、77年の歴史に幕を閉じました。

  

尚、今回の区間はバスでサラッと辿っただけなので調査が不十分なことを、
また写真が少ないことをお詫び申し上げます。
また、訪問時は2005年と古く、当時と現在で廃線跡の状況が異なっていることをご了承願います。
そして、下津井電鉄線は下津井が起点なのですが、本稿では茶屋町~児島の順で紹介していきます。

  

さらに、今回は私の趣味に沿って沿線写真を中心に取り上げたため、遺構の写真は少なくなっています。
廃墟マニアの方にはつまらない記事内容になる可能性が高いですが、何卒ご了承願います。

  
  

イメージ 2
(Yahoo!地図を使用)  

  

  
全盛期のデータです  

路線名   区間   営業キロ  廃止日  
下津井電鉄:下津井電鉄線  茶屋町~下津井  21.0km   (※1)  
(※1)茶屋町~児島(14.5km)は1972年4月1日廃止、児島~下津井(6.3km)は1991年1月1日廃止。尚、児島駅は1987年に0.2km下津井方へ移設されています。     

  
  

探訪・撮影時   2005年12月、2007年5月  

  

  

イメージ 3
(1)茶屋町駅にて。廃止後に宇野線の駅が高架化されて当時の面影が失われています。
下津井電鉄線の駅は宇野線駅の西側にありました。

  

茶屋町駅を出発すると、廃線跡を転用したサイクリングロードは右へカーブして宇野線・本四備讃線と分かれます。そして六間川を渡りますが、サイクリングロードの橋は新たに架けられたものでした。その後は丘陵に沿って左カーブで走り、天城駅跡を通り過ぎます。そして今度は倉敷川を渡り、右へカーブして藤戸駅跡に着きます。

  
  

イメージ 4
(2)藤戸駅跡にて。ホーム跡が撤去されずに残されています。

 

藤戸駅跡を出発すると、丘陵の間を縫うように右へ左へカーブしながら走り、やがて平地の田園地帯を走るようになり、交換可能駅だった林駅跡に着きます。
林駅跡を出発後は右へカーブして、県道21号線と並走しながら南西へ走ります。そして瀬戸中央自動車道の水島ICの部分は廃線跡がIC施設に転用され、サイクリングロードは北側を迂回するように走ります。その後、サイクリングロードは県道21号をアンダーパスして県道の南側へ出ますが、現役当時はそのまま平面を走っていたと思われます。その後は左へカーブして、比較的広い構内を有していた福田駅跡に到着します。


 

イメージ 5
(3)福田駅跡を出発すると、さらに左へカーブして松楠山の中腹まで登ります。


 

イメージ 6
(3)左側を望むと、先ほど通った水島ICの辺りを見渡せます。この辺りはΩカーブを描いています。

 

その後もカーブしながら進み、南へ針路を取りますが、この付近では廃線跡が瀬戸中央自動車道に取り込まれ、サイクリングロードは東側を通る県道21号に沿って通ります。しかし、ここでも廃線跡用地の一部が県道の拡幅に使用されたようです。そしてサイクリングロードとなった廃線跡は右へカーブして県道と分かれ、緩い下り勾配で南南西へと進み、右側へ軽いオメガカーブを描きますが、Ωカーブの一部は県道276号に取り込まれています。その後はサイクリングロードとして右へカーブして、稗田駅跡に着きます。ここには疑似プラットホームが設置されています。

 

稗田駅跡を出発後は住宅地の中を通り、児島小学校の付近で左へカーブすると柳田駅跡に着きます。
柳田駅跡を出発後も住宅地の中を走って、左へカーブするとサイクリングロードは歩道橋で小田川を渡ります。現役当時は築堤へ上がらずに渡っていたと思われますが、橋台などを確認することは忘れました。その後は歩道橋を下りて工業地帯を通り、児島小川駅跡に着きます。地図では駅跡の西側に「小川駅前集会所」の存在を確認できます。


 

イメージ 7
(4)児島小川駅跡を出発後は住宅地の中を南南東へと進み、市街地へ入ると小田川の大正橋へと差し掛かりますが、廃線跡の橋梁は撤去され(橋台はありました)、自転車ですと南側の道路橋へ迂回することになります。

 

そしてかつての児島駅跡に着きますが、この付近は再開発されて倉敷市の施設になっています。
旧児島駅跡を出発後も廃線跡は道路のロータリーなどに変わっていますが、文化センター交差点を過ぎると全廃時まで存在していた児島駅跡に到着します。


 

イメージ 8
(5)児島駅跡にて。ホームを覆っているドーム型の駅舎は全廃の少し前に建設されたもので、まだ古くはないです。
私の訪問した2005年は下津井電鉄(下電)の旅行センターとして使用されていましたが、現在は不明です。


 

イメージ 9
(5)児島駅跡を下津井方より望む。ホームなどが残存しています。
私の訪問時は駅跡へ入ることができませんでした。


 

児島駅跡~下津井駅跡の廃線跡は、「風の道」という遊歩道として整備されています。

 

児島駅跡を出発すると市街地を南下し、備前赤崎駅跡に着きます。


 

イメージ 10
(6)備前赤崎駅跡にて。現役時の相対式ホームが残存していて、またこの付近の廃線跡には架線柱も残されています。

 

備前赤崎駅跡を出発後は国道430号と交差してから左へカーブして引き続き住宅地の中を走り、今度は右へカーブし始めると阿津駅跡に着きます。

 

阿津駅跡を出発するとさらに右へカーブして、上り勾配で南南東へと進みます。


 

イメージ 11
(7)やがて左へカーブすると本四備讃線をアンダーパスします。そして山の斜面を南へ、児島競艇場の西側を走ると琴海駅跡に着きます。


 

イメージ 12
(8)琴海駅跡を出発後は左手に瀬戸内海を見下ろしながら山の中腹をカーブしながら走り、やがて本四備讃線と瀬戸中央自動車道を潜り鷲羽山駅跡に着きます。


 

イメージ 13
(9)鷲羽山駅跡からは瀬戸大橋を望めます。

 

鷲羽山駅跡を出発すると、左手に下津井の住宅街を見ながら山の中腹を西へ走り、東下津井駅跡に着きます。


 

イメージ 14
(10)東下津井駅跡を出発後も起伏に富んだ場所を西へ走ります。

 

その後は下り勾配となり、大きく左へカーブして南へ針路を取ると終点の下津井駅跡に到着します。


 

イメージ 15
(11)下津井駅跡にて。廃止後しばらくの間は駅舎が残存していましたが、老朽化が著しく2005年に解体されました。
また、駅構内にはホーム跡などの遺構が残っています。
尚、下津井駅跡のすぐ東側、すぐ南側は港になっていて、瀬戸大橋も望めます。かつてはここから丸亀へ向かう船が出ていたのですね…。


 

イメージ 1
(11)下津井駅跡にはカフェテラスとして建造された旧温室が残存していて、現在は車庫代わりとして使用されているようです。
旧温室の中には現役当時の車両が静態保存されていて、2002年から地元の有志で結成された「下津井みなと電車保存会」により、下津井電鉄の協力も得て維持整備活動が行われています。よって、保存状態は良好です。但し、通常時は見学不可で、年1回開催される「下津井みなと電車まつり」でのみ公開されています。

  

  

廃線跡探訪の注意点  

今回の廃線跡は、21.0kmという長い距離もあり、徒歩での探訪には最低でも半日はかかります。また、廃線跡の9割以上が自転車道や遊歩道として整備されているので、道中は起伏が多くて坂道が多数存在しますが、自転車での訪問が効率良いです。私の場合は倉敷駅でレンタサイクルを借りました。尚、倉敷駅~茶屋町駅は7km弱あり、30分ほどを要します。

  

また、多数のサイトや書籍では、1991年に廃止となった末端区間の児島~下津井のみを取り扱っています。児島~下津井ですと6.3kmなので徒歩でも片道2時間あれば辿れるかと思います。

  

ちなみに、全線にわたり沿線にコンビニ等の商店がほとんどない状態なので、食糧・飲料は事前に調達しておいた方が良いでしょう。

  

  
接続路線  

(参考:JTBキャンブックス『鉄道廃線跡を歩く』、『鉄道趣味 高急グループのページ』、Wikipedia)