south korean

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1993年~1996年度までのリアルな韓国留学話を一部フィックションを交え物語形式で記載しております。

物語の中、もしくは韓国の事に質問がありましたら、わかる範囲内でお答えもします。(時間があれば)

悪魔での自己満足の世界になりますのでご注意下さい。

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連日の連載です。! 凄いね! 何故かやる気が出ましたので,書いてみます。


昨日、いや,前話でお伝えした,ムチの嵐!そう夏休みの宿題が全然終わってなくて,

そのツケが帰ってきましたわ!!!!!


僕は日本の感覚でいたので,宿題をしなくても,口で怒られるだけで,体罰が有るとは想像すら

してませんでした。しかも,僕が授業を受けているのは普通科です!!!


スポーツ科なら理解出来ますが まさか!!!普通科でっと余裕をこいてると,そのしっぺ返しです。

人生の厳しさを痛感した14歳の秋でしたね!!!!


まずは


        体罰の場所                         凶器              

①.  化学先生から太ももを10発              直径10cmほどの木製の棒

②.  数学先生から手のひら&こう回数不明       30cmステンレスの物差

③.  国語先生から内もも平手攻撃 5発                手(しかも太くて分厚)

④.  英語先生からおでこ 回数不明            鉄製 直径2-3cm細長い棒

                                  (指が痛いとの理由で棒に変更)

⑤.  歴史先生から無差別攻撃 回数不明            先生自体の肉体

⑥.  漢字先生から手の指先のみ 20発             太鼓を叩く時に使用している棒

⑦. 社会先生から足の裏 10発               モップのもち手部分 木製

                         (ちなみに僕の順番前で折れて新品の凶器で叩かれました)

以上が


僕の記憶している愛のムチ詳細になります。


ここで一番痛かったのは足の裏

次に内ももです。

無差別攻撃に関してはコメントしようがないですね!どこ叩かれるか分からんし

よけるなり,防御すると余計に叩かれましたので。。。。。


今,思えばよい思い出ですね! しかも他人が叩かれる時のを見るのみ

結構,面白いですよ!自然と笑いが発生しましたし!!!

叩かれてる本人はその余裕はないですが,なんか,よい空気感とゆうか,

お祭り的な好例行事とゆうような感じで,一体感があったような気がします。

日本では味わった事のない感覚でしたね!!!!!


おわり




いやいや~,2ヶ月ほどあいていまいました。

僕にはブログが向いていないようで・・・・・・。

今は北京にいます。 来週は韓国ソウルに出張予定ですわ!!!

久々に韓国なので,楽しみです。


では本題に入ります。


夏合宿が終わり,プライベートでは宿題とメガネとの遊びで大忙しでしたね!!(多分・・・記憶がさだかではないが・・・・・)


一番覚えてるいるのが海にアワビサザエを捕りにいった事が記憶に残ってますね!!

僕はお金があったので,お菓子やジュースを買えましたが他の友達はおやつ代わりにサザエ!!アワビですわ!


これにはびっくりでした。僕はなんて贅沢なおやつなんだ!と思っておりましたが,逆にジュースを飲んでる僕が贅沢の方になるとはその時には気づきませんでした。


みんな,腹こしらえに嫌々食べてみたいです。あのアワビを・・・・・・・・・。


現在では,僕たちが漁をしていた海は埋め立てられて,ラマダホテルと遊園地になっております。

これにもビックリ!!!


段々と友達も増えてきて,片言の言葉とジェスチャーでなんとか会話は進み。

秘密基地も作り,漁にもでて,野犬退治に行き,虫取りもして,釣りやサーフィンモドキ(板の代わりに発泡スチロールの上に乗る)もして,凄い楽しい夏休みが明けました。


勿論,宿題は半分以上も出来て無く,後でムチの嵐でしたわ!(この内容は次の回にします。)


休み明けに初練習で,着替えのロッカーに行くと(ロッカーって表現より,ステンレス棚に木枠で囲っているような

物です。スパイク入れると後は何も入りません。)


一軍は専用ロッカールームと鍵のついたロッカーがあります。

僕たちは第2運動場の端っこにある棚!靴箱と表現した方がいいかな!!

そこでお着替え及び私物を置いときます。貴重品は勿論200%の確立で

練習後には綺麗に無くなっております。


故に貴重品,特にバスの回数券!!!

これはお金より大事です。定期みたなもんですから!!!

これはごまかしが利かないし,無くしたと言ったらヨンジュおじさんに怒られるしで

大変貴重です。

日にもよりますが,パンツの中に入れて練習したり,ソックスの中,あるいは食堂のおばちゃんにあずけるか

です。

1年生の時はほどんどメガネに預けてました!


話を戻します。

着替え用のロッカーに行くと大体場所は決まっておりまして,僕は日本人と呼ばれておりましたが

2軍以下は全員番号です。

僕は入団テスト時にF中隊でしたのでF-15番でした。

ロッカーに赤紙と黄色の紙が張ってあり,裏には名前の代わりに番号が書いてありました。

そう,自分の番号です。


ぼくは意味が分からず何かと聞くと!!!

解雇通知だと聞きました!

えっ解雇?????そうまさにクビ!!!!

赤紙は解雇で黄色は他のスポーツ部から推薦及び移籍の話があり,受けなければクビとゆう事です。


4軍の皆は赤紙でした!

黄色は2年生の先輩で名前が・・・・サンチォル先輩だったと思いますが実力ないですが

背が高く,9月2日からバスケット部に移籍してましたわ!!!!


これにはびっくり,解雇になった4軍連中はこのあと,学校を辞めて何をしているかも

分かりません。


スポーツ学科をクビなると普通科に配属されるのですが,小学時代サッカーばかりしているので

九九もろくに言えない連中ばかりです。


これは90年代後半になると韓国の社会問題にもなった事です。

学力貧富と言っていたような気がします。(表現に間違いがあったらごめんなさい。)


僕は3軍のキャプテンからMFに変更になったのでMFに空きがあり,その枠に入れたようです。

GKのままですと赤紙だったと聞きまして,子供ながら物凄く凹んだ記憶があります。


ヨンジュおじさんにこの事を話したら,一言目が「古っ!!」でした!

えっ!って聞き返すと,「まだ,解雇制度があるのか!!!俺の時代で終わったと思ってたわ!!!」

と言っていたような気がします。


これは10年後僕がヨンジュおじさんにもう一度確認したので,間違いありません。

俺の通った中学はまだ解雇制度を適用している,時代遅れの中学みたいで,

校舎が綺麗で有名な中央中学は解雇制度は僕たちの時代では廃止になったと後に知りました。


解雇制度を適用していた,サッカーの名門中学は僕の中学と第一中学のみでした!!!!!!


あわり




このブログをきっかけに韓国に交わる日本人の多さにびっくりしております。

近年は親日及び日本の人にも韓国知名度が上がっているので,本当にうれしい限りです。

では本題になります。(今日は中国シンセンまで移動予定なので飛行機の時間までに書き上げます。)


前話にて秘密基地を作り,生活するには困らない韓国語も出来るようになり,少し余裕が出てきた僕は

韓国生活にて初の夏休みに入りました。

僕はまだ普通科とスポーツ学科の半々の生活でしたので,勿論,夏休みの宿題も山ほどあります。

(つなみにスポーツ学科の生徒は普通科に比べて宿題は半減します。)


宿題のメインは韓国では小学生使用するドリル的な教科書に死ぬほど韓国語を記載していくのがメインです。

1000ページ以上ありました。その他に英語,数学は普通に皆が出された宿題をこなさないといけません。


今,その時に宿題量を考えても気が重くなります・・・・・・・・。


夏休み早々にサッカー部が一番のりで,合宿に入ります。1軍は夏休み中全て合宿になり

2,3,4軍は2WEEKの合宿になります。

僕は3年生になるまで,1軍の合宿メニューすら見る事がありませんでした。故に何をどのようにしているかも

知らないし,僕が1年生のときのレギュラーをしている先輩方の顔すら覚えていません。



僕はゆうまでも無く,4軍の基礎トレーニングからスタート!!!!

正にシンプルです。朝5時30分からトイレ掃除,1軍の方々が使用している布団干し,雑用をこなし

昼からは地獄峰で,とりあえずくたばるまで走り続けます。


この繰り返しが約1WEEKほど続きます。ボールすら触る事のない合宿!!!凄い経験でした。

合宿の良い思いでも無く,このまま日がたち,合宿の最終日には2軍の先輩方と練習ゲームです。

この時に初めてボールをさわり,同じチームメイトのポジションもやっと把握できた状態でした。


練習ゲームもシンプルです。5チームづつにわかれて,20分ハーフをひたすら日が暮れるまで続けます。

僕のポジションはGK(ゴールキーパー)なのですがおかげさまで,色んなポジションをやることが出来ました。


練習ゲームが終わり,2軍のキャプテン(名前を忘れてしまいましたので2軍キャプテンでいきます。)


2軍キャプテンが僕のポジションを指示するのです。僕はGKで入団登録をしたのにMF(中盤)に指定されました。

理由は背が175CM以下のため!中1で175CMがいるか!!!!っと呆れましたが,なんといました!!

そう,ゴリラです。こいつもGK志望でした!!!!僕の同学年でゆいつのGKゴリラ!!!

女風呂を覗き,本気の鼻血を出してたGO・RI・RA !!!


僕は歯向かう事も出来ず3軍のMFに昇格するか,4軍のGKをするかのリアルな選択を突きつけられました!!!

まだ中1なのに・・・・・・・・。

あの時の事は今も鮮明に覚えております。

僕は拘りを忘れ昇格をとりました!9月からは3軍で練習する事を条件にMF(やったこと無いですが・・・・)

を選択しました。

これで,合宿が終わり,2軍以下は解散!!!


9月1日付けで4軍の68名か70名弱が解雇になる事なんて,その時は想像すら出来ず

家路に急いでた事を覚えております。


終わり


次回,題:中学生で解雇????

期待しててください。

 


今,中国出張中で,今日は少し飲んでおります。

この勢いで書きます!!!!(読者の皆様,適当ですいません。)


14話 秘密基地


ここで,僕が留学生活を送っていた,地区の事を書きます。

何話かでメガネ,ギョンジニ,チフン君の近所に住んでいると記載しておりましたが

僕が住んで居た所は済州島のオラドンって所です。

別にこれといった特徴も無く,済州島の陸上競技上の近くになります。


生活もあっとゆうまに6ヶ月以上経ちまして,道もある程度覚えましたし,奇跡的にチフン君との関わりも

ほぼ0状態でした。


近所で遊ぶとなれば虫取りやサッカーがメインでしたが,僕がエアーガンをヨンジュおじさんから買ってもらった

事をきっかけにエアーガンの撃ち合いが大ヒットしたのです。

当時の済州島では今のようなガスを充電して,威力があるやつでは無く,アナログ式といいますか

単発で発射するマニュアルタイプの奴です。


今では100円ショップでも売っているような玩具に少し毛が生えた程度と想像してください。


僕が購入したのはウィルスミス45径かな????(良く分かりませんが・・・・・)

僕が購入後,直に真似して購入したのがギョンジニです。彼はコールド45だったと思います。


最初は僕とギョンジニが撃ち合いをして,メガネはダンボールで作った盾と刀もどきで3人で野犬退治や

お互いを撃ち合ったりしてました。


ここで,びっくりする出来ごとがあり,何処で噂をききつけたのかチフン君がM-16をもって登場ですわ!!!

しかも彼のは連射式です。 俺は嫌な予感をしておりましたが・・・・・彼は今まで俺ともめてた事なんか

無かったように僕たちに溶け込んできたのです。


しかも俺にも優しいし!!!僕はまったく持って意味不明状態でしたが,子供だったのでエアーガンを持って

いる人数が増えただけで嬉しくて,そのまま何事も無かった事の用に一緒に遊ぶようになりました。

チフン君の家も金持ちだった事を1年後に知りました。家もりっぱな三階建ての家でお父さんは貿易会社と

 海鮮料理屋を経営しておりました。


僕はメガネがダンボールで作った盾で遊んでいるのがかわいそうで,ヨンジュおじさんにおねだりして

もう一丁エアーガンを買ってくれるように駄目元で頼んでみたら,チフン君がM-16を持っているのを何処で

見たのか僕にレミントンを買ってくれて,ヨンジュおじさんが僕に言った衝撃の一言が「チフンを殺せ!


今思えばヨンジュおじさんは僕がチフン君から苛められてたのを知っていたみたいです。さすが大人だな!!!

これで僕を含め4人がエアーガンを持つようになり次に必要なのは基地と悪役です。


悪役はなかなか適役者及び志願者がいなく,先に基地を作る事に話がまとまりました。

ここでポイントですがなんと僕自身が皆の言っている韓国語を理解している事に気がつきました。

(これは進歩です。)


秘密基地を作る為に虫とりをしている丘や,人気無い場所を探してみましたが,野犬もいるので

少し危険と判断して,もっと近所及び少し人気のある場所にする方針でもう一度,検索作業を再開しました。


しかし,思っていたよりもこれが探すのに一苦労どころの話でありません。あまり近所だと近所のおじさん達に

うるさい!としかられ,人気のない丘側に行くと野犬,蛇に怯える始末・・・・・・・・。


どこかいい所ないかと真剣に悩んでいる時に僕が暮らしてる家の前に空き地があり,そこはミカンを運ぶ小さめの

コンテナが積んでありました。

これに僕が目をつけてその敷地内でコンテナを組み立てて,基地を作る事を提案しました。

しかし問題点が2点あり,その敷地に入るには,はしごが必要な事。鍵がかかっており,塀も高い為!

もうひとつは誰の所有物かが分からないので,みつかると,しばかれる可能性が非常に高い事。


しかし,基地に飢えてた僕たちはお構い無に進入して2時間あまりで秘密基地を完成させました。

小さめのコンテナなので組み立てが簡単だし,ブロックみたいで直に基地らしい基地になりました。

これには感動したことを覚えております。

基地が完成したら,皆が食べ物や自分の宝物,どの国の男共も一緒だと思いますがエロ本も持って

くる奴が必ずいますね!!!!

食べ物は虫に食われ!エロ本は雨に濡れ!まぁこれが現実ですね!


そこで2対2に分かれて気のすむまま撃ち合いをして,帰る日々が何日か続き

ある日曜日に撃ち合いをしているさなか所有者が現れたのです。これはしばかれる覚悟をして

所有者の前に整列をした瞬間!チフンがお父さんと言いました!!!


そうです、土地の所有者はチフン君のお父さんで,知人のミカン畑をしている方がコンテナの置き場所に

悩み,間借りしていたようです。


チフン先輩!自分家の所有している土地ぐらい知っておけよ!なんの為にはしごを用意してん!!!

しかも,基地を探すのにも苦労せずに出来たやろ!!!と言いたいです。


でも今でも良い思いでですし10年近く逢っていないチフン先輩に再会した時には酒の肴になる話だと

思います。


終わり




 いや~忙しくて1ヶ月ほどあいてしました。読者の皆様,すません。(居るかどうか分かりませんが一様謝ります。)


では,本題です。


13話高等部スポーツ学科


僕が留学していた中学は高校もあり,西側に中学,東側に高校がある地理になります。

共同で使用するのはトイレ,地獄の峰,食堂,テコンドー部が共同で使用していたと記憶しております。


高等部のスポーツ学科は人数が激減します。

しかし,専用グラウンドは僕らより広かった!!!

理由は中学でスポーツ学科を解雇になり,進学が難しくなる事と,やはり大学受験を控えるせいか

スポーツで進学出来るか出来ないかの中途半端な実力者は皆,1年生の2学期までに退部をするみたいです。


故に高校のサッカー部は総員70名弱です。僕らの中学は1年生だけで150名弱います。

五賢中学及び五賢高校はサッカーは名門中の名門です。(今はどうか知りません


しかし,僕らの中学及び高校卒業生でプロに入った人は聞いた事はありません。

そうです。ご存知の方も居るかと思いますが韓国サッカーにてプロの資格を得れるのは

日本で言いますと高校選手権見たいな全国大会に出場は勿論,ベスト4に入らないとプロの資格はもらえません。


ベスト4制度と言っていたような気がします。例外はありました。日本のJリーグでも活躍をしていた

ホン・ミョンボ選手はこのベスト4制度の適用者では無いのにプロに上がり,韓国代表まで勤め上げて

成球(成金に掛けてみました。)です。


五賢高校は全国大会には出場しますが,1回戦負けが多かったと記憶しております。


最高がベスト8の記録を持っていました。中学は全国の常連で3位がベストの記録です。

その中で僕の実力が通じる訳も無く,根性だけついたと思います。


では皆,卒業後何をしているかと言いますと,大学に進学できる人は3%未満。全ては軍隊に行くか

韓国マフィアに行くか,漁師になるか,家の仕事を手伝うかに分かれてと思います。


僕が仲良くしていたミヌ先輩は高等部のサッカーまで進学して,レギュラーをとりましたが

プロになれず韓国の海兵隊に行き,今はボディーガード会社を設立してる聞いております。

ミヌ先輩みたいな人はスポーツ学科出身では成功した例になります。


その他の人はあまり良い噂は聞きません。


目茶苦茶面白いのは学生時代はスポーツ学科所属だと女にもてます。

社会に出るとプロ契約した人,以外はゴミ扱いです。

これは悲しい現実です。

日本のようにクラブ活動レベルで,勉強も両立出来る環境は素晴らしいと僕は思います。

本当にプロになりたい人は名門高に進み,そうでない中間層は勉強もする!!!

これはいい環境ですよね????


韓国もこのように変わればいいなと,これを書きながら改めて実感をしております。


終わり


次はの題はまで未定!!!!





今日はあまり時間が無いので,即,本題に入ります。


12話 危険な放課後


学年喧嘩ランキングの余談は2週間ぐらい続き,終息を迎えました。

僕は朝連は免除になっていたので,8時半から15時まで皆と一緒に授業を受けて,15時半から午後の練習参加のスケジュールで,3ヶ月ほど時が過ぎて行きました。


ここで,僕と仲良くなった,普通課の友達とスポーツ課の友達を整理します。

読者の方の混乱を避ける為に簡単ですが整理いたします


普通科

ギョンジニ(同じクラス),メガネ(大親友),白セファン(優等生,今後搭乗します。)黒セファン(あほ,今後搭乗します。),ヨンミニ(元柔道選手,喧嘩強いが優しい)


スポーツ科 

ゴリラ(3,4話に搭乗してた子),ミンス(同学年,ポジションFW),ミヌ先輩(1ヶ上,ポジションDF),隊長(同学年,勿論,あだ名です,ポジションDF)


以上が3ヶ月で仲良くなった仲間です。今後また増えますが増え次第また整理します。


3ヶ月日本人との関連もまったく無く,韓国語だらけの世界で過すと人間は不思議な物でこの環境に対応する為に脳のどこかが働くのか,相手の言葉が全部ではないが理解出来るようになりました。

勿論,ジェスチャーも減り,授業を受けるのが苦では無くなりまじめたのです。


一番理解出来るのでが,「何食べる?,質問?,風呂入る,トイレ,寝る,女」この言葉は完璧に出来るようになり

生活も大分なれました。しかし本業のサッカーですが,意志の疎通がまだまだで連携プレー,セットプレーの練習は僕はよく外されました。


ここで,ミヌ先輩がよく言葉を教えてくれてました。彼は親日家で,方ごとの日本語をしゃべります。独自で勉強をしているみたいです。何故日本が好きなのか??????その理由はAVとドラゴンボールが大好きみたいです。

AVの男優の言葉は完璧に理解をしております。僕もピックリでしたわ!

鳥山あきらさんは凄いですね!ドランゴンボールのマンガは韓国全土の子供心をつかんでました。

僕もそのお陰で,沢山得ををしました。

例えば,皆マンガの行方が気になるので,僕に質問をしてきます。その時に簡単な手土産を持参してくる奴,喧嘩が強い奴はぼくを守ってくれる約束と交換に質問をしてきます。金持ちの奴は食いものをよくおごってくれました。一番思い出が大きいのは第一中学校の奴と喧嘩になって,僕のチームが負けてボコボコになって居る時に

ドラゴンボールの結末を教える代わりに,見逃してくれた事がありました。勿論,結末は僕も知らないでの嘘をつきましたが・・・・・・・・・・。


焦点がずれてきたので,修正します。危険な放課後ですが,午後の練習が終わると2軍以下は部室と運動場の掃除,周辺付近の掃除が待ってます。

後,バスケット部との交流会を得て,帰宅です。だいたい20時には帰れます。

交流会は単なる情報交換です。内容はどの中学に可愛い子が居て,誰ならS●Xが出来る,やらしてくれる等のなんの根拠も無い話で1時間(ほぼ毎日です。)しゃべくりするだけです。

いつもながら,根拠も無い話で僕は退屈で仕方ありませんでしたが,ある日,メガネがスポーツ課に僕の様子を見に来てくれました。

その時,ちょうど交流会の最中でして,バスケ部に小学校時の同級生が居たようです。メガネは同級生のお陰で交流会に参加出来て,凄い情報を仕入れたようです。


その日,メガネは僕が終わるまで待っててくれました。僕は何故???と思いながら,帰るバスを待ってました。

いつも乗るバスが来て,乗ろうとするとメガネがNo!!と叫び,僕を止めるのです。僕はまったく意味が分からず

,メガネに従いながら,次のバスに乗りました。このバスは僕が暮らす,2ブロック先で止まるバスです。

僕は何処に行くのか?と聞くと・・・・・・・。メガネは女!!!と答えるのです。

そう,答えになっていません。


15分後,僕は興奮する出来事は起こりました。

到着したのは,お風呂屋さん前,しかも俺とメガネが良く行く風呂屋です。


ここの裏に廃家があり,その二階に上がっていくのです。僕はなにが何か分からずついていくと,なんと!

女湯を覗ける絶好のポイントでした。そこには先約が居てミンスとゴリラでした。

皆がするように僕も窓の向こうを除くと脱衣所が見えました。もう,丸見え!!!近所の若奥さんの姿もあり

俺とメガネはもう興奮状態です。もちろんおばあちゃんも居て,皆テンションが下がっておりました。

この姿を見た時に「人間皆同じだな!!!!」と子供ながら,思っておりました。


これは絶好のおかずポイントです。この覗き生活は3ヶ月ほど続き,めがね,ゴリラ(家は反対方向),僕はほぼ毎日通いました。廃家が工事に入る時点で僕たちの危険な放課後は幕を閉じることになりました。


ゆくゆく,きけばメガネの同級生(バスケット部の奴)の家が風呂屋で,自分家の絶景ポイントをその時,メガネに教えてたみたいです。

ここで,交流会の大切さを改めて実感しました。


おわり


次は 高等部のスポーツ学科 ご期待下さい。

どうもご無沙汰しております。5年ぶりの復帰です。この5年色々ありました。最愛の子供も生まれましたし,もちろん結婚もしました。このブログを始めるきっかけになった尊敬できる方とも今でもよい関係で過しております。なぜか今は中国に滞在しております。中国は凄いね!!!!

今度は頑張って最終話まで書き続けますので,長い目で見て,お付き合い下さい。


11話 キファン 対  僕


正直あまり覚えてないが,大変光栄なことに僕を指名して頂き,人間リングに入り(確か4,5話あたりのも人間リングがありましたね!!!)1分も経たない内にボコボコにされたと思います。僕はキファンに1発も殴る事すら出来なかったと思います。

先生の号令と同時に人間リングは終了!!!!

俺は席につかされ,キファンは皆から祝福の拍手の嵐!!!


問題はここからでした!!!! クラス皆が僕が負けたせいで,日本人は皆,喧嘩が弱いとのイメージを持つようになりました。(日本の皆様,大変に申し訳ありませんでした。


勿論,当時の僕は韓国語は分からないので,どうして喧嘩が弱いイメージを持つようになった事を分かるようになったのかは数日後,いかにも弱そうな子にいきなり頭を叩かれる事件が発生!!!

これは大変,男社会でこのような子に舐められたら,僕の学生生活、、、、いや、、留学生活が無茶苦茶になります。


頭を叩かれた僕は,一瞬何が起こったかは想像すら出来ず,彼を見上げるだけでした。。。。。。。。

横に居たギョンジニ君が何か言葉を掛けておりましたが分かる事も無く,僕は即効,殴り返しました。しかも問答無用でボコボコにです。

彼は泣きじゃくり,何か言っていましたが,当時の僕には分かるよしも無く,殴り続けてました。


すると野次馬達が,「日本人が喧嘩していると叫ぶと」300人近くが見にきておりました。

教室はもう~パンパンですわ!!!臭いし,男ばかりなので,何とも言えない空気(男子校出身の方は理解して頂けるかと思います。


先生に見つかる前に僕の圧勝でかたがついたのですが,数日間ずっと,似たような子達に喧嘩を売られる毎日を過すハメになりました。


2年後に気づくのでしたが,どうも学年喧嘩ランキングが有るみたいで,誰かが弱い!と噂になると下順位の子達が自分のランクを上げる為に,よく有る光景のようです。

日本も似たような事はありますよね???????



このハイエナ喧嘩は2週間弱続き,自慢にも何にもなりませんが僕の圧勝で終わりました。

次は中間ランクの仲間入りです。(全然うれしくないですが・・・・・・・・・・


キファン君との関係ですが彼はうちのクラスの体育員になり,体育時間は彼のしきの下,色々授業を行うのですが彼とは普通課を卒業するまで(2年生の終わり)同じクラスで過す事になります。

2年生になると僕の方が背が伸びて,キファン君を見下ろせる用になりました。そっからは僕に一切,ちっょかいを掛けて来る事もなく,あたりさわりの無い関係で過して,キファン君とは終わりです。

これといったネタが思いつかないので,キファン君はここで終わりにします。


次回12話 危険な放課後 ご期待願います。



読者の皆様、だいぶん長い間、サボっておりまして、申し訳ありません。

9話で話が止まっており、皆様からの応援のコメントを沢山頂きまして、心を入れ替え物語を進行させて頂きます。(下書きが全て消えてしまい、また書きますので更新にお時間を頂きますが、御了承お願いします。)どうぞ御愛読宜しくお願いします。


ヨンジュおじさんと学校に行くバスの中でメガネとギョンジニに出会い、しかも同じ中学に通う事になるとは、とてもテンションが上がったのを覚えております。15分ほどで中学に着き、校門をくぐった瞬間、期待と不安を胸に抱えて、緊張しながら職員室にいったのを記憶しております。職員室まで徒歩で10分ぐらいかかります。なんせ、グラウンドが広い為、校舎までも徒歩で10分少々かかりますねん!!!

担任と挨拶をかわし(勿論言葉は通じません)ヨンジュおじさんと別れの瞬間、あんなに不安と寂しい思いをしたのは、幼稚園に入学して祖母と別れる時の気持ちを思い出しました。教室はスポ-ツ学科の教室ではなく、普通科の教室に案内されました。理由は韓国語をマスタ-するまで、朝の練習は免除でその代わり授業を受けて韓国語をマスタ-する為だったと追々聞かされました。勿論、当時の僕は普通科なのかスポ-ツ科なのかは区別がつきませんでした。クラスは1-A組で60人いました。60人全てが僕を興味深々で見る奴、殺気を出して今にも飛び掛りそうに見る奴と極端に二つに分かれました。その中でギョンジを発見したのです。多分、ヨンジュおじさんが先生に口を聞いてもらい、ギョンジニと同じクラスに入れてくれたと、20歳時聞かされました。

勿論、席はギョンジニの隣で朝の授業が始まりました。授業の内容は全く覚えておりません。ギョンジニ以外のクラスメイトもまだまだ様子を伺っているようで、誰一人僕に話をかけてきませんでした。

そうこうしている内に昼休みになり、メガネが様子を見に教室に来てくれた瞬間、他のクラスの人々も興味深々で200人くらいがドット押し寄せてきました。僕はパニックになるは、男臭いわで、泣きそうになったのを覚えています。教室がメチャクチャになった瞬間、同じクラスのムン・キファン君が切れて、200人を一気に追い返しました。彼は南小学校のボス各でちょっと名の知れた子だった聞いております。文句一切言わず半分以上の人間が帰って行き、その後、僕の仲のいいメガネに対して、怒りだすのです。メガネも負けず嫌いのせいか言葉はわかりませんがもめているのははっきり分かりました。掴み合いになった瞬間、僕はメガネが心配で怖そうなキファンに止めに入った瞬間、次は僕に火の粉が回ってきまいた。そこでタイミングよく英語の先生がきて、喧嘩を止めて、一安心(とても力では勝てそうになかったので)していたら・・・・先生の号令で人間リングが出来あがりました。30人ぐらいが腕を組合輪を作るのです。僕は何が起きているか全然分からずそれを眺めていたら・・・・・・・・・・・・・その中にキファンが入り、次に大変光栄にも僕を指名してきたのですわ!!!!


今日はここまで。次回 キファン対僕




今回も前回のあらすじはなし!


日本に帰国後、小学校を卒業後、僕は念願の韓国での留学生活の準備に入った。ここで振り返ると、夜一人で過ごす事に飽き、少々の悪さもして、それが度が過ぎ同級生のツレも出来ず、初恋の子がサッカ-を見ていただけで、僕はサッカ-と出会い、寂しいとゆう言葉が徐々にへり、韓国とゆう外国の国を知り、そこで自分が仲間だと思える人間に出会う事ができたと思う。出会いや自分を変えるチャンスは色んな所にあると思う。ただ、それに気づきトライするか逃げるかの違いだと思う。なんでこんな事をいきなり書くか?と読者の方は思うかも知れないが、これは今現状でも僕は尊敬できる人を見つけて、自分を磨く努力をしている。これは僕が今後どの位生きて行けるかは分からないが、人!そう人と人がこの世の中を作って行くと最近改めて実感したので予定に無かったが急遽記載している。僕はこれからもこの生き方をポリシ-として持ち、日々自分を磨き続けて行きたい。この物語の中でも尊敬できる人や仲間も沢山出来ている。今はそれぞれの道に向けて皆が歩いているが僕の心の中でも彼等は生きているし、力もくれる。その仲間達も僕と同じ心境だと僕は信じている。さて、本題に入る。

僕はメガネがいつまでも気になっていた。チフン君の一件で僕をかばったせいで先輩達に目をつけらていたので一日でも早く僕は韓国に行きたかったのを記憶している。今思えば母は物凄い不安と心配をしていたとも思う。親心、子知らず!!!まさにそれやな!!!当時の僕はサッカ-より、母の心配より、メガネのことだけで頭が一杯でした。韓国に行く当日、空港まで母と一緒に行き、出発前に母が一言僕に言った言葉が忘れない「男の子やから途中で逃げんと最後まで頑張ってきなさい!」その言葉の意味が今後韓国生活の中で僕を苦しめる言葉にもなったし、励みにもなった言葉でした。でもその時はチフンに逢えば絶対殺したる!と意気込み持ち飛行機に乗ってました。済州島の空港に着くと、母の弟(ヨンジュ)さんが向かいにきて頂き、ヨンジュおじさんと一緒に暮らしながら、学校に通う事になった。ここでヨンジュおじさんの話をしよう。

歳は当時25か6でした。軍隊を除隊後、自動車部品関係の営業マンをしていたと記憶しています。ははの兄弟の中で一番下の方で高校時代はボクシング選手でした。要はスポ-ツ学科出身の人なのでめちゃくちゃ怖かったです。気合、根性で世界征服が出来ると信じているひとでしたので・・・・・。勿論、言葉が通じないので最初は身振り手振りで何とか意思の疎通をしていました。韓国に行き一番困ったのが調理でした。なんせ全部辛いのですから!当分はサラダと卵焼きに沢庵しか食べてなかったと思います。テレビも当時は夜11:30分を越えると全部放送が終わってたのを覚えております。朝から昼の12時ぐらいまで放送して13:00時から17:00まで放送を中断していました。これには僕は驚きましたね!!!入学式の前の夜僕はいつもながら近所を走ってトレ-ニングをしていました、その時メガネと偶然に逢ったのです。しかもメガネの家の前で!!!!僕が住んでいる家の4件隣がメガネの家だったのです。僕は本当に運命を感じましたね!二人で夜遅くまで語りあったのを覚えてます。ノ-トに絵を書き意思疎通しておりました。もう一つ運命を感じたのが道路を挟んでメガネの家の前がチフン君の家でいた。朝通学時に絶対逢うと予感しておりました。よもふけてきたので明日また会う約束(韓国式指きり)をして、別れ初の韓国での中学生を味わい制服に袖を通して、おじさんと一緒に学校バスで登校しました。そこでまた運命ですわ!!!メガネとギョンジニが一緒のバスで同じ制服を着ているのです。その時初めて彼らが同じ学年になることを知り、メチャクチャテンションが上がっていたのを覚えております。でもそのテンションがすぐ消えるような出来事が2時間後に起こるとは全然想像もできませんでした。


終わり。

次回10話 韓国式 対マン!!


今回も前回のあらすじはなし!


入団テストが終わり、一旦、ホテルに戻り母に合格したのを伝え、僕は熱を出して寝込んでしまった。二日ぶりに母の顔見た瞬間、僕は緊張の糸が切れたと思う。二日間下痢に高熱に苦しんでいたのを覚えている。二日目にはお爺ちゃんに連れられ病院に行き、注射を打たれた。ここでビックリ、午後には先ほどまで死に掛けていたのが嘘みたいに元気になり、メガネを探しに野原や近所の高校のグラウンドに行ってみた。すると、メガネは野原でサッカ-しながら遊んでいた!僕を見つけるとまるで昔からの親友に久しぶりに会うように大声で叫びながら、僕に走って来るのである。その時、僕も体が勝手に反応したかのように両手を広げ走っていた。二人が抱き合うと、僕は日本語でさしぶり!と言いメガネは当時韓国語で話かけてきたが、僕は残念ながら覚えていない。とりあえず、会えて本当に嬉しかったのだけは今でも覚えている。長いスキンシップの終了後、サッカ-していた仲間を僕に紹介を始めるのです。僕は何を言っているかは分からなかったが名前だけでも覚えるように努力しようとしたのを覚えている。そこで、メガネ以外に僕と同期になる二人と出会う事になる。今後、済州島生活において欠かせない仲間達との出会いになる。まずは内気でナイ-ブテイリ君微妙に金持ちで頭のいいお洒落好なギョンジニ君(あだ名は無いので一様本名でいく!問題無いと思うので・・・)それ以外に何人かいたけど、あまり覚えていないので省略する。最初の初印象はチフン君との一件もあり、ギョンジニ君は僕の事を一歩引いた目で見ていたのをしっかり記憶しているし、今でもたまに酒を飲みながら会うと当時の事をネタにして、いじめている。テイリ君は僕に興味シンシンでした。服は触りながら見るわ!靴も履いてみるわ!田舎者代表各でした。言葉は通じないですが少し落ち着いた瞬間チフン君とその怖い仲間たちが噂聞きつけ僕達の所にきたのです。僕を一人にして皆を呼び集めると円になって何かこそこそ話しをしていました。話が終わった瞬間メガネが大声僕の方に逃げろと叫ぶのです。当時は勿論、言葉なんて分からないので、ボ-っと立っていると皆がいっせいに石を僕に投げてきたのです。勿論、メガネは止めに入ってたのですが僕は何発かは当たったと思いますが壁に隠れて、冷静になっている僕がいたのを覚えています。入団テストに比べるとこんな仕打ち屁でもないと感じていました。僕も石を投げ返すとジャジャ馬達は消え、チフン君とその怖いお友達が残り、ダッシュで僕の方に走ってきて、一瞬でした、飛びけりを喰らい僕は吹っ飛びましたね!これも一生忘れない一発でした。チフン君と掴み合いになり、喧嘩になると、近所おじさんがが止めに入ったのです。僕は興奮していて、手当たり次第武器になりそうな物を持ち、飛び掛って行きましたがメガネが止めに入り、僕とメガネとテイリで海の方まで逃げて、落ち着くまで春の海で泳いでいました。今、思うとそのおじさんがギョンジニ君のお父さんでした。ゆくゆくは皆と仲良くなり、ギョンジニの親父さんは僕らが遊んでいると皆を捕まえチンチンの大きさ競争を始める、名物おじさんでした。強制的に一列で並ばされチンチンを出し、一番大きな奴にアイスクリ-ムを買ってやり、笑いながら帰るおじさんでした。(決して精神的におかしくは無いので、誤解の無いように)ギョンジニの親父さんは韓国の空軍出身で空軍名物チンチンバカでか競争とのよく意味の無い競争をしていたので、その余韻で僕達にスキンシップ様そうゆう事をしていたのです。いつも優勝するのは僕の同期ではメガネです。ギョンジニの親父さんは口癖のようにメガネに空軍に入隊しろと言っておりました。日本では考えられない行動ですが当時の済州島では全然OKな事でうす。それをネタにギョンジニをからかった事も一度もありません。(近年聞いたのですがギョンジニ本人は死ぬほど嫌やったみたいです。)チフン君との中はまだまだ解消できず、日にちが入団記念式の日が訪れました。メガネが僕が五賢中学に入団が決まると知り、金銭的名な問題で中学をあきらめていたメガネが入試に力を入れていました。ここで説明:一般入試の場合、合格すれば抽選で中学が決まる事になっています。

入団記念式では第何期かは忘れましたが監督からの挨拶。OBからの挨拶が終わると申告式とゆう洗礼があり、皆裸で踊る、叫ぶ、次にグラウンドを走るといった、監督、OBを楽しませる役を進入部員がするのです。僕はまたまた、なんて人権の無い国だと思いながら、楽しんでやっていました。入団記念式が終わると番号(背番号ではありません)自分の名前みたいな物です。2軍まで昇格しないと、名前では呼んでくれません。ぼくは7-A番でした。Aは中隊の意味。後は一旦帰国して、手続きのみとなり、僕の留学生活がリアルになってきたのを実感しはじめました。

おわり


次回は9話まだ未定。。。。仕事が落ち着くと考えます。