第9話  渡韓  | south korean

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1993年~1996年度までのリアルな韓国留学話を一部フィックションを交え物語形式で記載しております。

物語の中、もしくは韓国の事に質問がありましたら、わかる範囲内でお答えもします。(時間があれば)

悪魔での自己満足の世界になりますのでご注意下さい。

今回も前回のあらすじはなし!


日本に帰国後、小学校を卒業後、僕は念願の韓国での留学生活の準備に入った。ここで振り返ると、夜一人で過ごす事に飽き、少々の悪さもして、それが度が過ぎ同級生のツレも出来ず、初恋の子がサッカ-を見ていただけで、僕はサッカ-と出会い、寂しいとゆう言葉が徐々にへり、韓国とゆう外国の国を知り、そこで自分が仲間だと思える人間に出会う事ができたと思う。出会いや自分を変えるチャンスは色んな所にあると思う。ただ、それに気づきトライするか逃げるかの違いだと思う。なんでこんな事をいきなり書くか?と読者の方は思うかも知れないが、これは今現状でも僕は尊敬できる人を見つけて、自分を磨く努力をしている。これは僕が今後どの位生きて行けるかは分からないが、人!そう人と人がこの世の中を作って行くと最近改めて実感したので予定に無かったが急遽記載している。僕はこれからもこの生き方をポリシ-として持ち、日々自分を磨き続けて行きたい。この物語の中でも尊敬できる人や仲間も沢山出来ている。今はそれぞれの道に向けて皆が歩いているが僕の心の中でも彼等は生きているし、力もくれる。その仲間達も僕と同じ心境だと僕は信じている。さて、本題に入る。

僕はメガネがいつまでも気になっていた。チフン君の一件で僕をかばったせいで先輩達に目をつけらていたので一日でも早く僕は韓国に行きたかったのを記憶している。今思えば母は物凄い不安と心配をしていたとも思う。親心、子知らず!!!まさにそれやな!!!当時の僕はサッカ-より、母の心配より、メガネのことだけで頭が一杯でした。韓国に行く当日、空港まで母と一緒に行き、出発前に母が一言僕に言った言葉が忘れない「男の子やから途中で逃げんと最後まで頑張ってきなさい!」その言葉の意味が今後韓国生活の中で僕を苦しめる言葉にもなったし、励みにもなった言葉でした。でもその時はチフンに逢えば絶対殺したる!と意気込み持ち飛行機に乗ってました。済州島の空港に着くと、母の弟(ヨンジュ)さんが向かいにきて頂き、ヨンジュおじさんと一緒に暮らしながら、学校に通う事になった。ここでヨンジュおじさんの話をしよう。

歳は当時25か6でした。軍隊を除隊後、自動車部品関係の営業マンをしていたと記憶しています。ははの兄弟の中で一番下の方で高校時代はボクシング選手でした。要はスポ-ツ学科出身の人なのでめちゃくちゃ怖かったです。気合、根性で世界征服が出来ると信じているひとでしたので・・・・・。勿論、言葉が通じないので最初は身振り手振りで何とか意思の疎通をしていました。韓国に行き一番困ったのが調理でした。なんせ全部辛いのですから!当分はサラダと卵焼きに沢庵しか食べてなかったと思います。テレビも当時は夜11:30分を越えると全部放送が終わってたのを覚えております。朝から昼の12時ぐらいまで放送して13:00時から17:00まで放送を中断していました。これには僕は驚きましたね!!!入学式の前の夜僕はいつもながら近所を走ってトレ-ニングをしていました、その時メガネと偶然に逢ったのです。しかもメガネの家の前で!!!!僕が住んでいる家の4件隣がメガネの家だったのです。僕は本当に運命を感じましたね!二人で夜遅くまで語りあったのを覚えてます。ノ-トに絵を書き意思疎通しておりました。もう一つ運命を感じたのが道路を挟んでメガネの家の前がチフン君の家でいた。朝通学時に絶対逢うと予感しておりました。よもふけてきたので明日また会う約束(韓国式指きり)をして、別れ初の韓国での中学生を味わい制服に袖を通して、おじさんと一緒に学校バスで登校しました。そこでまた運命ですわ!!!メガネとギョンジニが一緒のバスで同じ制服を着ているのです。その時初めて彼らが同じ学年になることを知り、メチャクチャテンションが上がっていたのを覚えております。でもそのテンションがすぐ消えるような出来事が2時間後に起こるとは全然想像もできませんでした。


終わり。

次回10話 韓国式 対マン!!