泳ぐ写真家龍之介 -98ページ目

「マンションと車」

の販売が減速しているそうです。

最近、ポストに投函される不動産のチラシの量が異常に多いので、

何かおかしい。と思っていたら案の上そうだったようです。


おそらく今からは、土地を直近の最高値で購入した業者さんが

投売りを始めるのでは?と思っています。


北米大陸では車の販売が結構減速しているようです。

車がないと移動できない国で減速するとは

リセッションに入っているのでは?

と考えてしまいます。


ところで、日本で人気のメルセデスベンツは、

なぜか北米大陸では売れません。

人気がないのです。

昔も今もです。

価格も、日本よりはるか下に設定してあるにも関わらず、です。

これは、世界で一番リッチな国としては、とても不思議な現象だと思います。

私が住んでいた頃は、

乗用車販売総数の1%にも達していませんでした。

北米大陸で売れないと、自動車メーカーはとても厳しくなります。

大手自動車メーカーは北米市場をターゲットに商品を開発するからです。


ダイムラーベンツ社の不振は、元はと言えば、北米大陸販売不振から来ているようです。

アメリカの都市部に住んでいた経験から推測するのですが、

私は、アメリカ、特に都市部ではドイツという国のイメージが良くない。というのが

その原因になっていると考えています。

日本では信じられないと思いますが、

アメリカでは、現在でもホロコースト(ナチスドイツのユダヤ人大虐殺)

のテレビドラマを定期的に放映しています。

なぜか?は、お分かりになる方が多いと思います。


多分、そのあたりが原因になっているのではないかと睨んでいます。

ただ、BMWは人気があります。そこも不思議です。


古いドイツの負のイメージ=メルセデスベンツ

新生ドイツの明るいイメージ=BMW


という図式ができあがっているのかもしれません。

007でも、ボンドカーがBMWで、

それを攻撃する敵の車がすべてメルセデスという設定がありました。


これは、一種のサブリミナル効果と言えなくもないと思います。

誰が見てもベンツのイメージは良くありません。

この映画を見た子供が、潜在的にどういうイメージを植えつけられるか?

そこまで、推測してしまいます。


そういえば、アメリカでは、

ポルシェが、子供向けにテレビコマーシャルを流しています。

これを見た、将来の潜在ユーザーである、こどもたちは、

スポーツカー=ポルシェ

と、イメージするようになるらしいですね。


とても賢いやり方だと思います。


これらを考えると、自動車文化は、いろんな歴史や思惑を抱え込んでいて

興味がつきないと思います。


しかし、

太平洋戦争で戦火を交えて、

かつては、嫌われていた日本国の

アコードやレクサスがアメリカ国民に愛されて、

派手に売れている現実と比較すると、

メルセデスベンツの販売不振は興味ある現象です。




「ゲイとファッション写真」



この写真は、アメリカのある大手モデルエージェンシーのウェブサイトの写真です。

とてもセクシーな写真だとは思いませんか?


実は、アメリカでメンズファッションを撮っているフォトグラファーの9割は

ゲイだと言われています。日本では考えられませんね。

この写真を撮ったフォトグラファーもゲイでしょう。

でなければ、こんな写真は撮れません。


彼らは、通常の男性フォトグラファーが女性を撮るような感覚で撮っています。

やはり、ゲイのフォトグラファーにとっては、

男性モデルを、性という、肉体の根本に近い、遺伝子的なところで、

ある意味欲望の対象として見ているところがあるのでしょう。

写真には、そういう部分が怖いほど正直に出ます。


ニューヨークにいたころ

知り合いのゲイのフォトグラファーに作品(男性ファッション、人物)

を見せてもらいましたが、

これは、敵わないと思いました。

生理的・審美的感覚が根本から違っているんです。

スタイルだけをまねしてできるものじゃありません。

撮影のアイデア、ライティング、コミュニケーション等の技法とは、

次元が違うのです。

あまりの美しさに、嫉妬に近い感覚を覚えた記憶があります。


男性ヌードを撮るゲイのフォトグラファーは多いのですが、

ファッション撮影では、「際どさ」の一歩手前で撮ることになります。

この、「あと一歩」というところに、

限りない欲望の力が鬱積して、美に昇華しているのを感じます。


ニューヨークでは、私の回りのクリエーターは、約8割ほどは、同性愛者でした。

全体的にみても、そのくらいの割合らしいですね。

「お前はまだ目覚めていないだけだ」

なんて、口説かれた?こともありますが、

美という世界から現実に戻されると、

ゲイに対しては、決して人格的に否定したりはしないのですが、

感覚的、生理的に、意識の底では、拒否反応を覚えていました。

まあ、ストレートの男性にとっては、それが自然な反応かもしれません。


彼ら、彼女らには、いろんな意味で、影響を受けました。

人格的にもすばらしいアーティストばかりでした。

今の自分は、彼らの影響抜きでは考えられません。

彼らの審美的感覚に触れたり、触発されたり、供に仕事をしたりしたと

得がたい経験ばかりでした。

本当に感謝しています。



ゲイのフォトグラファーの撮ったあちらのメンズファッション雑誌を見ると、

「おお!みな、がんばってやっているな!」

なんて、嬉しくも、懐かしくなってしまいます。

ゲイパワー健在なり!、、、です。







「本日も~

駒沢公園ランニングコースを走ってきました。

昨日は、10km、本日は8km。

日差しは強かったのですが、風がひんやりとして気持ちの良い一日でした。


東京マラソンの影響か、ランナーの数がずいぶんと増えてきました。

年齢層もレベルも様々、ファッションも多種多様でした。

それから、気のせいか

なんとなく、皆連帯感があるようで、少し感動しました。


私は、走るのは得意ではないのですが、

走っている時は、頭の中が真っ白になります。

肉体は厳しい状態ですが、精神は安らかになっている。

なんか、修行僧みたいな精神状態になっているところが

たまりません。


仏教徒のチベット巡礼。カトリック教徒のサンチャゴ・デ・コンポステラ巡礼。

みな、祈りながら、黙々と1000km以上歩き続けます。


ランニングには、そんなところがあります。

動機はどうであれ、走り始めて、「ハイ」な精神状態を経験すると

止められなくなるのです。