「デジカメが圧倒的に威力を発揮するのは、」
ドキュメンタリーの世界でしょう。
フィルムの場合は、常に、
フィルム感度と色の問題がありました。
暗い蛍光灯やタングステンライト、
太陽光と蛍光灯のミックス光のもとで撮影する場合、
いつも、
高感度フィルムを2~3種類と
ゼラチンフィルターを束にして携帯したものです。
それでも不快な色になったり、
ディティールが損なわれたりで、
神経質になるあまり、
被写体に集中できないこともありました。
その点、
デジカメの登場は革命的なものでした。
感度はボタンひとつで、ISO1600まで選択可能。
ホワイトバランスもオートで大体満足いく結果が得られます。
おまけに、色温度設定もできて、
かなり色温度の低いタングステンライト、
ハロゲンライトにも適応できるようになりました。
また、
手振れ補正機能が秀逸で、
3絞り分のアドバンテージがあります。
例えば、私が使っている35mmフルサイズCMOS搭載カメラの場合で、
85mmレンズで1/30のシャッタースピードでもほとんどぶれません。
私のように、
悪条件下で撮影する機会の多いカメラマンにとって、
デジカメは、とても有難いものなのです。
「花の写真」
は、私の専門外ですが、
機会があって、
2年ほど連載で花の写真を撮っていたことがあります。
花の写真といっても
野に咲く花をそのまま撮るのではなく、
主に室内で生け花やフラワーアレンジメントの写真を撮っていました。
ある盛夏の早朝、
杉並区の某公園で、
野に咲く「さぎ草」を、
咲いているその場で生けて撮ることになりました。
生けていただいたのは、
今年亡くなられた安達瞳子先生。
先生と構成を相談しながら、
ポラを切りながらアングルや花の位置を微調整していきました。
場所は湿地で、三脚を立てることがちょっと不可能。
少ない光をレフ版で集めながら、
中型カメラ(マミヤRZ67)を手持ちで、
絞りは開放。
サーカスみたいなポーズで本番となりました。
「花」の撮影は、
人物撮影でもなく、物撮影でもなく、
独特のものです。
その「花」の表情を出す光が、それぞれ違うのです。
その難しさは、撮ってみてはじめて分かりました。
「月刊太陽」の思い出
1990年代の後半に、
年に3~4回の割合で「月刊太陽」の撮影をしていました。
1963年に創刊されてから休刊に至るまで、
写真家にとって、最も仕事をしたい本のひとつであったようです。
私はある方の紹介で直接編集長の清水さんに
作品を見せに行ったのですが、
気に入っていただけたようで、
その場で仕事をいただきました。
それ以来、編集部の方や、取材先の方々とは、
仕事をするというよりは、
道楽話に花を咲かせる
友人同士のようなおつきあいをさせていただきました。
ですから、
あまり仕事をしているという感覚はなく、
道楽の延長で写真を撮っていたようなところがありました。
残念なことに、
「月刊太陽」は2000年12月号をもって廃刊になりました。
偶然、私は最終号の仕事でロケに出ていて、
ロケ先で、そのニュースを知りショックを受けました。
休刊までの1~2年は、
ユニークな特集主義で
有名だった「月刊太陽」はますます、
そのユニークさをエスカレートさせ、
「徳川慶喜」、「サン・テグジュペリ」、「白州次郎」
などの特集を連発していました。
私としては、嬉しい限りでしたが、
これで売れるのだろうか?商売が成り立つのだろうかと、
人ごとながら心配したものです。
案の定、心配は的中してしまったわけですが、
自分の広告塔でもあり、
愛着を持っていた「月刊太陽」が廃刊になって、
力が抜けてしまいました。
写真家は雑誌で育てられるようなところがあるので、
「月刊太陽」のように、
半ば白紙委任状で写真を撮らせてくれるような雑誌は貴重な存在でした。
「月刊太陽」は、一応休刊ということで、
版元の平凡社も存続しています。
また再び、本物を求める、道楽の時代が再来したら、
是非復活して欲しいものです。