「朝寝坊が〜」
気持のよい季節になりました。
多摩川河川敷に近い、我が家からも
桜の花がちらほら見えるようになりました。
冬の間は泳ぐだけで、走っていなかったのですが、
そろそろジョギング開始です。
これから梅雨の直前にかけての河川敷は
のどかで、走っていて最高の気分です。
明日は快晴との予報。
時間を見つけて、走ろうと思っています。
平和な生活に感謝です。
多摩川河川敷に近い、我が家からも
桜の花がちらほら見えるようになりました。
冬の間は泳ぐだけで、走っていなかったのですが、
そろそろジョギング開始です。
これから梅雨の直前にかけての河川敷は
のどかで、走っていて最高の気分です。
明日は快晴との予報。
時間を見つけて、走ろうと思っています。
平和な生活に感謝です。
「復活祭」
私の父方は代々有名なキリシタンの家系だ。
ご先祖様は天草や島原に点在していた。
現在でもその辺に住んでいる方が多い。
かつては隠れキリシタンと呼ばれていた。
今では、浄土真宗の教徒が多数派を占めるが、
私は、父方では、最後のクリスチャンだ。
しかし、
私はほとんど教会に行かない。
行くのは、復活祭のときだけだ。
まあ、
クリスチャンとしての良心のかけらが
少し残っているところか?
それで、
復活祭の本日は、早朝からミサにでかけた。
窓際の席で聖書を手に、説教を聞いていたら、
雲間から太陽が顔を出し、
私の真横の細長いステンドグラスから
日が差し込んで来て、
私が手にしていた聖書だけを照らし出した。
回りのおばさんたちも、それを見て、
ぎょっとしたようで、ひそひそ何か言っていた。
私は、神様から
もっと真面目に教会に通うようにと
説教されているような気になった。
まあ、そんなことで、
とても印象深い復活祭のミサになった。
何か良い事がありそうで、
ちょっとうれしい気分だ。
ご先祖様は天草や島原に点在していた。
現在でもその辺に住んでいる方が多い。
かつては隠れキリシタンと呼ばれていた。
今では、浄土真宗の教徒が多数派を占めるが、
私は、父方では、最後のクリスチャンだ。
しかし、
私はほとんど教会に行かない。
行くのは、復活祭のときだけだ。
まあ、
クリスチャンとしての良心のかけらが
少し残っているところか?
それで、
復活祭の本日は、早朝からミサにでかけた。
窓際の席で聖書を手に、説教を聞いていたら、
雲間から太陽が顔を出し、
私の真横の細長いステンドグラスから
日が差し込んで来て、
私が手にしていた聖書だけを照らし出した。
回りのおばさんたちも、それを見て、
ぎょっとしたようで、ひそひそ何か言っていた。
私は、神様から
もっと真面目に教会に通うようにと
説教されているような気になった。
まあ、そんなことで、
とても印象深い復活祭のミサになった。
何か良い事がありそうで、
ちょっとうれしい気分だ。
「ファッション?」
10年程前、原宿でストリートファッションの写真を撮ったことがある。
クライアントはフランスのマリクレール。
結構過激だった2人組のショットが、ファッション班に受けて
目次頁に大々的に掲載された。
東京のストリートファッションは本当にすごいと思う。
何がすごいのかというと、
他にまったくないオリジナリティがあるからだ。
ストリートファッションというと
カウンターカルチャー的なものがあるが、
ファッションのメインカルチャー的なものが、ほとんど
盲目的に西欧に追随したものだから、
よけいに目立ってしまうのかもしれない。
私が若かった頃、
アイビーが全盛だった。
私はこのアイビーが大嫌いだった。
ルール、ルールで、
西欧の一部の階級のファッションルールを
そのまま持って来て、
ルールからはずれると、おかしいという。
勝手気ままに着こなしていたのが
いつの間にかルールらしきものになったといういきさつが
日本にはないものだから、
どこかいびつな儒教的な教条主義になってしまっていた。
日本のファッション評論家にもそのようなところがあって、
理屈は分かるのだけれど、
話を聴いていると、息が詰まりそうだった。
パリコレのモデルだった女性と20歳もの年の差結婚をした
ファッション評論家が、妻の愛人らしき人を恐喝して逮捕された。
先日、日記にも書いたが、
私も一度仕事をしたことがある方だ。
彼の今までの著書を見て、
奥さんの気持が分かるような気がする。
きっと、息がつまりそうな生活だったろう。
明らかに不潔な格好やTPOからはずれたファッション
は良くないと思うが、
もともとファッションとは、
自分が気に入ったものを自由に身につけるというものであるはずだ。
それが知識として一人歩きしたり、
それに盲目的に追従するのは、
不自然で、窮屈極まりないと思う。
クライアントはフランスのマリクレール。
結構過激だった2人組のショットが、ファッション班に受けて
目次頁に大々的に掲載された。
東京のストリートファッションは本当にすごいと思う。
何がすごいのかというと、
他にまったくないオリジナリティがあるからだ。
ストリートファッションというと
カウンターカルチャー的なものがあるが、
ファッションのメインカルチャー的なものが、ほとんど
盲目的に西欧に追随したものだから、
よけいに目立ってしまうのかもしれない。
私が若かった頃、
アイビーが全盛だった。
私はこのアイビーが大嫌いだった。
ルール、ルールで、
西欧の一部の階級のファッションルールを
そのまま持って来て、
ルールからはずれると、おかしいという。
勝手気ままに着こなしていたのが
いつの間にかルールらしきものになったといういきさつが
日本にはないものだから、
どこかいびつな儒教的な教条主義になってしまっていた。
日本のファッション評論家にもそのようなところがあって、
理屈は分かるのだけれど、
話を聴いていると、息が詰まりそうだった。
パリコレのモデルだった女性と20歳もの年の差結婚をした
ファッション評論家が、妻の愛人らしき人を恐喝して逮捕された。
先日、日記にも書いたが、
私も一度仕事をしたことがある方だ。
彼の今までの著書を見て、
奥さんの気持が分かるような気がする。
きっと、息がつまりそうな生活だったろう。
明らかに不潔な格好やTPOからはずれたファッション
は良くないと思うが、
もともとファッションとは、
自分が気に入ったものを自由に身につけるというものであるはずだ。
それが知識として一人歩きしたり、
それに盲目的に追従するのは、
不自然で、窮屈極まりないと思う。