極真会館の門弟は、暴力に屈してはならず

権利に媚びる人間であってはならない。



極真会館の門弟諸君は、

決して金で魂を売るようなことがあってはならない

泰然自若として、自己の信念に従って

「極真」の道を全うして欲しいものである。



アフリカの諺に、次のような一節がある。

この地球は、

親がくれたものではなく、

子供に借りたものである。

だから、私たちはこの地球を汚してはならない。

子供のために、

地球を大切に使わなければならない。


なんと素晴らしい言葉であろうか。

私はこの言葉に接した時、身の震えるような感動を覚えた。

アフリカの国々は総じて貧しいが、

アフリカは精神的に豊かな国であると思った。

現在、地球上には54億人の人々が生活している。

豊かな国があり、貧しい国がある。

その54億人の人口の中で、物質的に恵まれ、

豊かに生活している人間は、地上総人口の

わずか5億人に過ぎない。

残る49億人の人々は、

明日の生活をも知れず、貧困にあえいでいるのである。

未だに戦争をしている国もある。


極真空手は地上最強の武道であり格闘技であると

私は自負している。

しかし、強さだけで「精神」的裏づけの無い武道では、

永久に生き残っていくことはできない。

極真空手を永劫不滅の武道にするために、

極真会館の門弟諸君には、

極真精神を以って一人でも多くの人々に

安らぎを与ええる「きれいな地球」をつくってもらいたい。

空手着を脱げば只の人―

病める大国より、健全な小国を

未来の子供たちのために汚れなき地球を

これが、裸一貫で通してきた私大山倍達の、

1,200万人の門弟に贈る言葉である。




極真カラテ 21世紀への道 (大山倍達著) 

最終章 21世紀に向かう極真カラテ より



力なき正義は無能なり

正義なき力は暴力(制圧)なり



「ケンカは気の美学であり、

力の美学であり、

動の美学である」  とわたしは言う、

そして、

「ケンカのできるような覇気のある男になれ」

と教え、同時にまた

「ケンカにもルールがある」

と教えている。


しかし、だからといって私は、

「私闘」を奨めている訳ではない。


武人たるもの、無闇やたらと”刀”を抜いてはならない。


大義名分の立たないケンカは「やるな」と教えている。


では、大義名分の立つケンカとは、

どのような場合をいうのであろうか?


それは、例えば生みの親、自分を育ててくれた両親が

侮辱された時などをいう。

あるいは、自分の妻や恋人、親しい友人が

侮辱され辱めを受けたときなどのことをいう。

目の前で、弱い老人や子供が、

理不尽な目にあっているのを見て”見ぬふり”をするのは、

人間の正しい行為とは言い難いであろう。

このようなとき、正義のためすなわち、

大義名分の立つケンカのできるような人間でなければ、

男として生まれた価値がない。

(中略)

男たるもの、大義名分の立つケンカなら、

伝家の宝刀を抜かなければならない。




極真カラテ 21世紀への道 (大山倍達著)

「私のカラテ観と人生兵法の理」より



年明けの旅行の際、成田で購入した本がこちら



武士道の精神を学ぶ

40歳から伸びる人、40歳で止まる人

川北義則 著


人生の折り返し地点、後半の人生をいかに豊かに過ごすか

そのために40歳からが重要な年代のようだ。

私自身は、年老いた自分の理想像まである程度明確にもっています。

その為には、40代、50代は突っ走りますよ!

60代からは、思いっきり元気に遊びたいですから、、、。




そして、もう一冊はこちら


武士道の精神を学ぶ


常識として知っておきたい世界の三大宗教

歴史の謎を探る会 編


それぞれの宗教の生い立ちから考え方まで、

とても解り易く書かれていて、これまで知っているようで

知らなかったことがあったので、宗教の理解はもちろん、

これまでの世界の歴史が、いかに宗教に大きく係わって

いるのかがよくわかりました。





そして、そして 今、読んでいる本はこちらです。



武士道の精神を学ぶ



でました!!!


極真空手 21世紀への道 出てこいサムライ

大山倍達 著


やっぱり、総裁の本は全部読みたいと思っています。

今回は、「出てこいサムライ」ですよ。 

おーいだれか出てこいコラ!


総裁の熱い想いを読み取りたいです。

また、読み終わりましたら、感想をアップしたいと思います。




そろそろ、仕事の休憩時間も終わりにして、勤務に戻ります。


あーっ!月曜日に提出する予定の提案書がまだ出来ていません。

よーしっ!集中!集中!


明日は、社員の結婚式、披露宴、二次会に出席予定です。

しかも、明日はスピーチつきなんです。

これも、まだ考えてないよーぅ!

二次会が終われば、空手の大会のお疲れ様会の予定。

酔っ払って遅ればせながら駆け付ける予定です。


そしてそして、明後日の日曜日は、またまた別の友人の結婚式!


おめでたい事ばかりでいいのだけれど、、、。


明日からの2日間、幸せのパワーの御すそわけをもらって、

美味しい料理とお酒を満喫するために、今日は頑張るぞ!おおぉーっ!







一撃の拳 松井章圭 (著者:北之口太)




武士道の精神を学ぶ


極真会館館長松井章圭氏のこれまでの歩みが書かれた本です。


実のところ私は、18年ほど前からこちらの松井章圭氏のファンです。


こちらの本を読んで、やはり私が概ね想像していた通りの


性格の方だと感じました。


とても、極真空手に対して真っ直ぐで、


信念を持たれている様子が伺えました。


決して驕らず、真面目な性格がとても素敵な方だと思います。




正直なところ、新極真会においては衝撃的な内容もありましたが、


それぞれの団体で、様々な思いがあって


今日、バラバラになってしまっていますが、


目指す己の道は、みんな同じ極真の道であると信じています。



いつか、各団体が合同で協力しながら、大会やイベントなど、


大きな目標に向かって団結できる日が来ることを祈ってやみません。


極真大道を歩むすべての極真門下生は、歩むべき道は同じであると、、、。


押忍!






男の生きざまを演じ、

人生の失格者にならないための条件


※大山総裁

「青春をどこまでも熱く生きよ」 より



「憧れを持つこと」


憧れがなくては、人は生きようがない。

憧れの延長に、目標、目的がある。

高邁であればあるほどよく、強ければ強いほどよい。

「よい家を建てたい」と思うより「よい人間になりたい」

と思うほうがよく、その人物を引き上げる力となる。



「戦略・知恵」


そのような人物になるにはどうしたらいいか。

何かを達成するためにはどうすればいいか。

それを知ることである。


戦略を作り上げるには、その道についての

知識や考えが必要である。

先人のあとを観る。実践する。

なぜ先人がこう主張しているのかを考える。

自分が修行しながら、こうした知識と接すれば、

何が必要であるかが、必然的にわかってくるであろう。



「地道な訓練と人に何倍かする忍耐力」


私が今まで努力する才能と言ってきたことである。

石にかじりついてもの忍耐力をもって、

自分の力をあげていかねばならない。



「異性・アルコールなどの誘惑との戦い」



「敵を知り、自分を知る謙虚の心」



「敗れても敗れても立ち上がる根性。挑戦しつづける勇気」



「いつまでも現役であって引退しないこと」



これだけの努力をして、かりに十分の仕事が達成し得なくても、

その人物は、その道を知る人に、周囲の人々から、

十分に尊敬されるに違いない。


したがって、彼の進みゆく道には、

多くの人々が続いていくだろう。

しかし彼はそのために歩みをゆるめることなく、

どんどん前進し続けるだろう。


かりにその時、

名誉がなくても、

金銭がなくても、

彼は満ち足りているだろう。

すでに道の上にあるからである。






一生のことと思えば、青春は、大切なものだ。


青春だけが、一生の時間の別にあるのではない。


これは、道を決める時間であり、


迷う時間であり、


多くの道を試みる時期であり、


そうしながら、生涯に貫くものははなにかを選択するときである。


(中略)


ひたむきな信念と、


どんなに献身しても、惜しむことのない度量をもった人物のみが、


社会全体の責任を負うことになるのである。


道を歩む者は、責任を求め、責任を回避しない。


こうした人物にとっては、人生全体が青春であろう。


責任を回避する者は、若くして青春を失った老人である。


道に立ち、たゆまず道を求める心


これこそは、いかなる才能よりも、大きな才であると私は信ずる。




※青春をどこまでも熱く生きよ (大山倍達 著)

  孤の篇-道をきわめる人間は孤独に強い より


久しぶりの更新になりました。

今週は、徹夜で企画書を作成したり、あちらこちらのお役所周りで

とても忙しい一週間でした。



そんな中、電車での移動中や休憩中に読んだ本がこちら



武士道の精神を学ぶ

「我が武道空手」

極真会館 最高顧問 盧山初雄

(現 極真館 館長)


先日読んだ、「死力達成」 (緑健児) にしても、こちらの本にしても

極真の道の厳しさ、その中で頂点に登りつめる人達は、

どれほどの努力をしているのか。

壮絶な人生が綴られており、

自分自身の甘さを思い知らされました。



この本の中で、「うさぎとかめ」のお話


童話に「うさぎとかめ」の話がある。

うさぎとかめは、山の頂上を目指して競争をした。

足の速いうさぎはかめよりも先に行き、途中で休んでいた。

かめは、歩みを止めずに歩き続けた。

かめは、うさぎが休んでいる時に頂上に達することができた。


うさぎの敗因はどこにあったのか?

それは、油断したためだと、私たちは教わってきた。


しかし、私はある方から、そうではないと聞いたことがある。

うさぎの本当の敗因は、頂上を見ていなかったことにあるという。

うさぎは、かめばかりを見ていた。

かめとこれぐらいの差がつけばこれでいいと思い、

そこでうさぎは油断した。


一方のかめは、うさぎなどは見ていない。

常に頂上だけを見ていた。

うさぎを追いかけるのではなく、頂上を目指して歩き続けた。

それがかめの勝因となったというのだ。


(中略)

他人がこうした、アイツはあのレベルにあるなどと、

人を基準にして自分を計ってはならない。

(中略)

頂上を目指して、今自分は道のどこにいるのかと確認しながら進んでいく。

まだここなのか、まだこれしか進んでいないのか、

そんな思いにぶつかると、足を止めることなどできなくなる。

そして、気がついたときには、頂上が間近に見えている。


私は、これからの武道人生を踏みしめるように、

ゆっくりと歩んでいきたい。

まさしく、かめのような歩みで進んで行こうと考えている。

そうすれば、どんな困難にぶつかろうとも

私は乗り越えられる気がする。



→わたしもそんな気持ちで、これからの人生、極真の道を全うしたい。




(先週末は、六本木ヒルズへ、ポケモンフェスティバルに行きました。)


娘もご満悦でした!



武士道の精神を学ぶ


国家の品格 藤原正彦


読み終えました。



脱 近代的合理精神

誤ってはいけない、自由と平等の概念

市場原理主義の間違い、あきれた金銭至上主義



日本人が昔から大切にしてきた道徳心


四季を感じる自然豊かな国で培われた


自然への感受性と敬愛、もののあわれなどの美しい情緒


懐かしさ、惻隠の情、卑怯を憎むなどの形


世界を救うのは、


日本人の道徳の中核をなす 「武士道精神」


日本の高貴な品格を、世界に毅然と示さなければならない。


私たち自身が、日本人として美しい情緒と形を身につけ、


子供たちに伝えなければならない。


そう思いました。








総裁の著書「覇者王道」の最後の章(努力に優るものなし)の中に

極真の艦 南里宏四段 (現新極真会六段)

という記載があった。


現在、我が道場(東京東支部長)の師範である。

総裁のその記載には、


「努力」この二文字を地でいくような人物がわが極真会館のなかには大勢いる。

その中から誰か一人を選べと言われたら、私は躊躇無く南里宏四段の名前を挙げるだろう。

野武士然とした面魂だが、根は優しい男だ。

冬や夏の合宿では毎回、隊長を務めている。

人望は厚い。

身長は百六十センチあるかないかといったところだろう。

それでいて極真の四段を勤めるくらいだから、彼の努力のほどがそれだけでも知れよう。

(途中省略)

とにかく南里君という男は、年齢を感じさせない。

毎回の合宿では先頭に立って実によく走り、決して音を上げない。

恐るべきタフネスさといえよう・

それも彼の努力の賜物に違いない。

南里君のような素晴らしい先輩が大勢いる極真会館は、それだけでも安泰といえるのではないだろうか。長として私は誇りに思うし、嬉しく思っているのである。

(以上一部抜粋)



南里師範の年齢を感じさせない鋼の身体はまさに驚異的だ!

40を過ぎた私も、まだまだこれからも強くなれると勇気付けられる。

少しでもそんな強さを身につけたいと思い、身近に大きな目標がいらっしゃるのは何と幸せであろうか。南里師範をはじめ、師範代、指導員の皆さん、先輩方、同輩からいい刺激を受けながら、自分も努力して精神的にも生理肉体的にも強く逞しくなるぞ。師匠を見習え!




覇者王道(大山倍達)より


つまるところ、われわれにとって一番重要なことは何だろうか。

私が質問を受けたなら、

それは努力である」と答える。

何と素晴らしい言葉だろう。何と素晴らしい響きだろう。

そう、努力を続けなければならない。

努力を続けることを怠ってはならない。


「憂患に生じ、安楽に死す」 孟子

人は困難によって成長し、安楽のなかで挫折する


人間の価値というものは、その人が困難に突き当たったとき、初めて判明するのではないだろうか。普段どんなに高尚なことを言っていても、実際に壁がやってきたとき、ビクビクしてそれを越えられないような者(または越えようとしない者)は傑物とはいえない。烈火の気合を発して、ほとんど超越不可能な壁であっても一瞬のうちに飛び越えてしまうような者が、真の武士(もののふ)というものではないだろうか?


「盤根錯節(ばんこんさくせつ)に遇いて利器を知る」

人間は困難に出会って、初めて力量を試すことができる


今、われわれは深く肝に銘じたい。



(総裁語録)※おまけ

「キミたちねぇ、大会見ていても、キミたちの拳でいくら叩いても、相手が倒れないじゃないの。ワタシの昔の若い頃のケンカを見せてやりたいよぉ。一発叩いたら人が吹っ飛んだ!

牛だってね、一発叩いたらね、牛が『モー、まいりました』って頭下げるんだよ」