極真の道場訓にもある謙譲の美徳とは何だろうか?


(大山総裁の覇者王道の著書より)



敢(あ)えて主とならずして客となる


へりくだった態度であり、相手の態度に即応するような態度も、人間には必要だといえよう


そしてまた慎むことである。


力は貧に勝ち、慎は禍(わざわ)いに勝つ


努め励めば必ず貧乏を克服することができ、慎みを忘れなければ禍は襲ってこない


一方で、自らの力を誇示しないことが謙譲の美徳の中核になるのではないだろうか?


老子曰く 善く士たる者は武(たけ)からず


真に優れた武士は外見はあくまで威張らず、武勇を誇ったりしないのもにちがいない。かえって弱々しく見られたりすることがあるかもしれない。



かつて敬慎の道は下記の四者を抑えることにあると教えられた


敖 奢(おご)りを増徴させてはいけない


欲 欲望もまた、欲しいままにしてはいけない


志 志は満足させてはいけない(いつもハングリーであれ)


楽 楽しみも極めつくしてはいけない



空手家たるもの、武勇を吹聴せず、普段は紳士たれと私は言いたい。

武道家は孝悌(こうてい)を尊ばなければならない。



孝悌は仁の本

(※孔子)

孝悌とは、親に孝行を尽くし、兄長に使えて従順なこと

仁とは、一般に解釈されるただ無差別の愛ではなく、孝悌を本とした実践理論の体現と定義される


我を非として当(むか)う者は吾が師なり

(※荀子)

自分の欠点を指摘して忠告してくれる人は、皆自分にとって先生である


父の恩は山よりも高く、母の恩は海よりも深し


父母之を愛すれば、喜んで忘れず

(※孟子)

父母の自愛をゆめゆめ忘れてはならない


忠臣は孝子の門に出ず

昔から東洋では君主に至誠を尽くす家来は、親孝行を尊ぶ家の出だといわれ、私は思う。親に孝行する者ほど、立派な社会人になれると。




→私自身、親孝行できているだろうか?

いや、その逆でいつも気苦労を掛けてきた息子だ!

なかなか気持ちでは理解しているが、逆に世話にばかりなっている私は、いまからでも改めなければならないとつくづく思います。


往者は諫(いさ)むべからず、来者は猶(な)お追うべし

過去のことはいまさらどうにもならないが、将来のことは心がけ次第でどうにでも改めることができる


五十にして四十九年の非を知る

半生を振り返ってみると、誤りだらけだったことに気付くというように、今からでも遅くはないのだ。


絵事は素を後にす

人間とは、修養を積んだ上に礼儀で最後の磨きをかけるべきではないだろうか?


神は非礼を受けず

私たちが神に一歩でも近づこうと思ったら、やはり非礼の振舞いをしてはならない。


もし、人間から礼というものを奪ってしまったら、人間はもはや人間ではなく獣になりさがってしまうにちがいない。私たちが究極的に求めるものは、礼だと見做せよう。


〈※上記、覇者王道(大山倍達)より一部抜粋〉

人は「受けた恩義は倍で返せ。」


「受けた恨みも倍で返せ。」という。


が、私は違う


「受けた恩は倍で返せ。」


「受けた恨みは忘れてしまえ。」


私は武芸者として勝負の世界に住む以上、試合で一発殴られたら二倍三倍にして返すようには心がけてきたが、一般社会のしがらみのなかで、恨みをかえすようなことはしたくないと、永年念じてきたのである。

またこうしたことが武道精神のひとつだとも思っている。


※わがカラテ求道万日 大山倍達 より

君子とは?(三省堂 大辞林によると)

学識人格 ともに優れ、徳行 のそなわった人。


「君子は周すれども比せず」

周とは、血縁や利害などのかかわりある人に限らず、公平に付き合うこと。比は、一部特定の人と親しくすること。すなわち誰彼の区別なく公平に付き合うこと


「君子は交わりを絶つも悪声を出ださず」

たとえ他人と絶交するようになっても、決してその人の悪口を吹聴するのは、結局自分を卑しめることになる


「君子は食飽かんことを求むるなし」

食をたらふく喰い、快適な生活をと願うのは人情の常には違いないが、その種の目に見える欲望よりも、目に見えない精神的な向上こそ、追い求めるべきである


「君子は道を憂えて貧を憂えず」

自分が正しい道に外れていないかどうか、常に気を配らなければならないが、物質的・金銭的に貧しいことには気を病む必要などない


「仁者は憂えず、知者は惑わず、勇者は懼(おそ)れず」
仁を体現する者には私利私欲が無いから、どんなことが起きても悠然としておれるし、何かに頭を悩ますことも無い。学問を積んだ知者は、物事の道理に明るく、善悪の判断が的確であるから惑うことは無い。勇者は不動心を確立し、<千万人と雖(いえど)も吾往かん>の心境で、ことに臨むから何ら怖じることがない。憂えず・惑わず・懼れずの三点を備えることが中国では君子の理想の美徳とされた。

何百年何千年を経ても、その訓えは死なないようである。すなわち、それらは真の武芸者として欠くべからざる条件といえる。


※(マス大山の帝王学より一部抜粋)


「武は礼に始まり礼によって終わる」以上、


礼節のないところには何ら武の進歩はありえない。


換言すれば、強くなる為の必要十分条件が


「礼節を保つ」ことにほかならない。


礼を知らぬものは強くなれぬ、と私は明言しておこう。


なぜか。


礼を知る者は態度がまじめである。


まじめな者は必ず強くなる。


それが武道である。


要領のいい者がうまくなり、


まじめに稽古する者が下積みになって、光があたらないということは、


武道の世界の常識にはない。


いわんや例外にもない。


武に精進する者よ、礼節を保て。


そして大和魂の男たれ。


私たちは、今こそ東洋の道徳を思い出し、


真の日本人に戻ろうじゃないか。


※わがカラテ求道万日 大山倍達 

 (蘇れ!日本精神より)



今朝のジョギング中に、川の反対岸のラーメン屋さんから大声が聞こえてきた。


「おい!お前なにやってんだ!こら!お前誰だ!」


ふと、川の反対側から見てみると、

年齢20代~30代くらいの男が、ラーメン屋の屋外のテーブルや椅子、花壇をメチャクチャにしている様子が見えた。

「うぇ~っ! はっはっ! おら~ぁ」とちょっとふざけた感じで、酔っ払っているのか?ラリっているのか?


それまで、前日の稽古の疲れで、今朝は身体が重いなと感じながら走っていた自分が、嘘のように

一気に 覚醒モード突入!


最初の一瞬は野次馬目線でみていたものの、そのうちに


「何や!あいつ何やっとんねん!?」


と私の絶対に許せないモードに火がついた!


今までの重く感じていた身体が嘘のように軽く、

絶対に捕まえてやる!と自分でも驚くほど軽快なダッシュで川の反対岸に渡るための橋に向かって走っていました。


しかし、そいつは車(白のマークX)に乗り込み逃走。

ナンバープレートも遠くて確認できませんでした。


これから自分の子供も含めて、通勤や通学の時間になるので、こんなやばい奴が車に乗ってウロウロしていたら危険だと思ったので、何とか捕まえてやろうとしましたが、結局逃げられてしまいました。


たぶん、反対岸から猛ダッシュで走る私が目に入り、逃げちゃったのかなと後から考えると後悔と反省をしています。


その後一応、お店の人には、犯人が乗っていた車種と色についてはお伝えしておきました。


今度見かけたら絶対に捕まえてやる!

(ちょっと悔しい一日の始まりでした)



(大山総裁曰く)


現代の世相は、他人の非をあげつらうことが盛んだ。

私は好まない。

他人を辱めることは、自分の品性を墜とすことに間接的につながる

と思うからだ。

だから他人との口論、諍いといったことは好きでないし、

暴露的なものを苦々しく、いや憎々しく私は思う。


古語に「訂(あば)きて以って直と為す者を悪(にく)む」という言葉がある。

他人の過失を暴露して正直ぶっている者を憎む、という意味である。

孔子と弟子の子貢が憎むべきタイプの人間を居列しているうちに、

図らずも出てきた言葉といわれる。まったく同感である。


自分は清廉潔白、公明正大だ、それに比べ、

あいつはこういう悪いことをしている、、、と

他人の非のみを探すものがいるが、大嫌いだ。

他人の非をあげつらい、攻撃する様な者に限って

根は臆病者で"小物”である。

( 以上、 「覇者王道」 より )


※真っ先に思い浮かんだのは、今の国会議員達。

 その他、これまでの仕事仲間でもそんな他人の非をあげつらう

 嫌な思い出も蘇ります。

 私自身これまでの反省を踏まえ気をつけたいと思います。(口は禍の門)


 やはり、

 頭は低く目は高く、口謹んで心広く、孝を原点とし他を益す。ですね!

先程、昇級審査が終了しました。


審査内容は、

柔軟体操、基本の型、移動稽古、型(平安4まで)

補強運動(逆立ち歩き、側転、回転跳び、腕立て伏せ、腹筋)

組み手(1分間)


無事終了しましたが、最初は緊張して手足が少し震えました。

組み手では、下段をもらってしまい、また左足太ももが痛いです。

やっぱり組み手は、もっと上手く捌けるように稽古して、

今後は、試合出場を目指します。


しかし、うちの道場の高校生エースたち(全日本ユース)の

模範演技(型・組み手)は素晴らしい。

あらためて、感心させられました。


俺も頑張るぞ!

今、こんな本を読んでいます。


「日本人の美しい和のふるまい」  著者: 藤野 紘


日本武道/武士道の精神を学ぶ-和のふるまい

古来からの日本人が守り伝えた「ふるまい」について書かれた本ですが、


えぇ~つ!そうなの? とか


そんなのきっと誰も知らないからそんな振る舞いをしたらビックリされちゃうよ!


というものがあります。


まだ、読んでる途中ですが、日本人として知っておきたい


「美しい和のふるまい」


押さえました!


いや、押さえときます。

総裁曰く、(続き)



健康と身辺、そして人間の第3の条件は、奉仕である。


自立する力を持ち、幸福な家庭を築くだけで、


人間は十分とはいえない。


自分を取り囲む社会、民族、国家に対しての


責任と義務を果たさなくてはならない。


国の世話になっていないと考えるのは、とんでもない間違いである。


はじめからこの自由と富と、


わがままを許される環境があったわけではない。


このためには、多くの日本人が血を流した。


今、国家は生命までよこせとは言わない。


しかし、いざという時には国家のためには、


命をも奉げるという心意気があってこそ国家は護持される。


そういう熱血の愛あって、はじめて国家は、


健やかに国際社会に自立しうるのである。


私たちは、日本人としての誇りを持って、


国際社会を胸を張って歩くことができるのだ。




国家のために命をも懸ける。私自身、理屈では理解できても、


なかなか自覚できないです。


この国のお陰で生かされ、恩恵を受け、世界で日本人として誇りを持てる。


それは、確かにそうだと思う。


しかし、国家のために命をも懸けることについては、


総裁は複数の本で述べておられるが、


その心理については、自分自身で歴史や世界社会について、


もっと学び考えたいと思います。


ただ、そういう国家の誇りと奉仕の気持ちを是非、


今の政治家に持って頂きたい。