力なき正義は無能なり

正義なき力は暴力(制圧)なり



「ケンカは気の美学であり、

力の美学であり、

動の美学である」  とわたしは言う、

そして、

「ケンカのできるような覇気のある男になれ」

と教え、同時にまた

「ケンカにもルールがある」

と教えている。


しかし、だからといって私は、

「私闘」を奨めている訳ではない。


武人たるもの、無闇やたらと”刀”を抜いてはならない。


大義名分の立たないケンカは「やるな」と教えている。


では、大義名分の立つケンカとは、

どのような場合をいうのであろうか?


それは、例えば生みの親、自分を育ててくれた両親が

侮辱された時などをいう。

あるいは、自分の妻や恋人、親しい友人が

侮辱され辱めを受けたときなどのことをいう。

目の前で、弱い老人や子供が、

理不尽な目にあっているのを見て”見ぬふり”をするのは、

人間の正しい行為とは言い難いであろう。

このようなとき、正義のためすなわち、

大義名分の立つケンカのできるような人間でなければ、

男として生まれた価値がない。

(中略)

男たるもの、大義名分の立つケンカなら、

伝家の宝刀を抜かなければならない。




極真カラテ 21世紀への道 (大山倍達著)

「私のカラテ観と人生兵法の理」より