L型チューブバルブ
自分でメンテナンスできるよう、模索中。。。ひとつひとつなら手が届きそうだけど、最初のバイクだから1から工具をいろいろ揃えなきゃならない。永く飽きなければいいけど。
たとえばタイヤなんかことあるごとに圧(あつ)をみて、調整をする必要がある。けれど、どうやらGS(ガソリンスタンド)で無料でできるらしい。しかも今はセルフも多いから、だれにも迷惑をかけずに。
ただしバイクの場合、タイヤの内径(ないけい)が小さくまたチェーン等むき出しになっているので、チューブバルブまでにぶつかってしまうらしい。もともと4輪用が多いようで、それば仕方がない。
バイクにも使える機材が整っているGSを探せばいいのだが、その情報源のひとはそのポンプにL字型のパイプを取り付けているらしい。それだけなら普段シートの下に置いておけそうだ。
その流れでいろいろ調べていると、チューブバルブ自体がL字型になっているのを発見。前後2つ購入しても、前述のパイプと同じ値段だ。その上、持ち歩かずに済む。汎用(はんよう)とあるので、試してみよう。
たとえばタイヤなんかことあるごとに圧(あつ)をみて、調整をする必要がある。けれど、どうやらGS(ガソリンスタンド)で無料でできるらしい。しかも今はセルフも多いから、だれにも迷惑をかけずに。
ただしバイクの場合、タイヤの内径(ないけい)が小さくまたチェーン等むき出しになっているので、チューブバルブまでにぶつかってしまうらしい。もともと4輪用が多いようで、それば仕方がない。
バイクにも使える機材が整っているGSを探せばいいのだが、その情報源のひとはそのポンプにL字型のパイプを取り付けているらしい。それだけなら普段シートの下に置いておけそうだ。
その流れでいろいろ調べていると、チューブバルブ自体がL字型になっているのを発見。前後2つ購入しても、前述のパイプと同じ値段だ。その上、持ち歩かずに済む。汎用(はんよう)とあるので、試してみよう。
ブレーキパッド交換
転(こ)けて永(なが)らく引きずっていたフロントディスクの問題が解消されるといいんだけど。
CB400SF(NC31)は前輪に左右2枚のディスクブレーキがある。それを2枚のパッドで挟(はさ)み込むため、計4枚必要になる。
バランスを失わないよう、この4枚は一緒に取り替えたほうがいい。
ちなみにリアのディスクは1枚で、パッドが2枚必要。これはまた後ほど。
今回はyamasidaのパッドを選択。特徴は安いこと。高いのは4枚揃えると15000円くらいする。数ヶ月に1回、ブレーキパッドだけでこれだけかかったなら継続したメンテナンスが大変になる。
公道を走るのだし、交換時期に躊躇(ちゅうちょ)しないほうが大事。またかかりの強いパッドは、ディスク自体を痛める。
以前と比べてかなりソフトになった。引きずりはもうない。パッドの面取りをしたのでキーキーという鳴きもない。
バイクの季節だ。擦(こす)れていたストレスも今はなくなり、絶好調です。
CB400SF(NC31)は前輪に左右2枚のディスクブレーキがある。それを2枚のパッドで挟(はさ)み込むため、計4枚必要になる。
バランスを失わないよう、この4枚は一緒に取り替えたほうがいい。
ちなみにリアのディスクは1枚で、パッドが2枚必要。これはまた後ほど。
今回はyamasidaのパッドを選択。特徴は安いこと。高いのは4枚揃えると15000円くらいする。数ヶ月に1回、ブレーキパッドだけでこれだけかかったなら継続したメンテナンスが大変になる。
公道を走るのだし、交換時期に躊躇(ちゅうちょ)しないほうが大事。またかかりの強いパッドは、ディスク自体を痛める。
以前と比べてかなりソフトになった。引きずりはもうない。パッドの面取りをしたのでキーキーという鳴きもない。
バイクの季節だ。擦(こす)れていたストレスも今はなくなり、絶好調です。
こと演技
演技は訓練すればうまくなるのだろうか。そもそも、何をもって上達したといえるのだろう。
今までにきっとその多くが手にした楽器も、満足に弾けるにはある程度の時間がかかる。
また、自分には向かない、と投げ出した人も少なくないに違いない。
ところがこと演技に関しては、判別が難しい。
相対的な判断材料に欠けるからだ。なにしろ自分の想像力が少なければ、すぐに満たされてしまう。
また不安や不足を感じながらも漫然(まんぜん)で、シーンが成立するだけでなにかを達成した気分になるのだから厄介(やっかい)だ。
ぼくは他人からのアイディアを渇望(かつぼう)している。と同時に彼らへのイメージも伝えている。けれど別にその通りして欲しいから話しているわけではない。ただ鵜呑(うの)みにされ、ぼくが自己満足している画(え)は望んでいない。
いくらサッカーが好きだからといって、勝敗を知ってから観るビデオは苦痛だ。
クリエイターの創造を打ち消すのはだれにでもできる。しかし表現者の端くれなら、自分からなにかをもっともっと生み出さないと。ぜんぜん足りない。
今までにきっとその多くが手にした楽器も、満足に弾けるにはある程度の時間がかかる。
また、自分には向かない、と投げ出した人も少なくないに違いない。
ところがこと演技に関しては、判別が難しい。
相対的な判断材料に欠けるからだ。なにしろ自分の想像力が少なければ、すぐに満たされてしまう。
また不安や不足を感じながらも漫然(まんぜん)で、シーンが成立するだけでなにかを達成した気分になるのだから厄介(やっかい)だ。
ぼくは他人からのアイディアを渇望(かつぼう)している。と同時に彼らへのイメージも伝えている。けれど別にその通りして欲しいから話しているわけではない。ただ鵜呑(うの)みにされ、ぼくが自己満足している画(え)は望んでいない。
いくらサッカーが好きだからといって、勝敗を知ってから観るビデオは苦痛だ。
クリエイターの創造を打ち消すのはだれにでもできる。しかし表現者の端くれなら、自分からなにかをもっともっと生み出さないと。ぜんぜん足りない。
