渡部遼介オフィシャルブログ「Ryosuke’ Note」powered by アメブロ -294ページ目

稽古+デバッグ

5月にむけた舞台稽古も中日(なかび)を迎えた。立ち稽古も佳境(かきょう)にはいり、通し稽古も始まる。
手を替え品を替え、はたまたアプローチ、キャラクターまで変わり、混沌としてくるのが今ごろだ。

いざ完成品の枠組みにあてはめてみると、思ってもみなかった弊害(へいがい)が目の前にぶちまけられていたり。。。
気づかずにいたが、どうやら看過(かんか)できない状況。

プログラムでいえば“デバッグ”。・・・やったことはないが、きっと僕らと同じように問題部分を切除すればいい、という手術では解決できないんだろう。

読み合わせのメリット

読み合わせとは、共演者と脚本を持ったまま声のみで合わせること。たいていは座ったまま。
これは普段演じているより、何倍も難しい。

人間はふつう身体を棒(ぼう)にして話したりはしない。その場その場で精神的・物理的な距離を感じつつ、必要であれば手振り身振りを交えたりしている。
意外とあらゆる手段を駆使(くし)し、なんとか相手とのやりとりをしているのだ。

それが声だけで表現しなければならないのだから、時を待たずして、自(おの)ずと破綻(はたん)が生まれていく。


では、どうすれば良いのか、は、ずっと考えていたことだった。


一番、気をつけなければいけないのは、台詞(せりふ)だけでなんとかしようとしないこと。
そして、できていると錯覚(さっかく)しないこと。

こうして力量を量られることもあるが経験上、あまりに器用に振舞(ふるま)う相手を注意している自分がいる。
そして万一(まんいち)、これに頼っているスタッフであれば、事前にものごとを逆算していく必要がある。

フラットに既成概念(きせいがいねん)を作り上げない方法もあるが、目的をおろそかにしては、いずれにしろあまり求められた結果は得られないだろう。

だれひとり思ってない。

監督やカメラマン等、同じ現場にいても、もちろんこだわりがそれぞれあって。お互いにけっして解らない部分がある一方、それを少しでも解消できればそのまま作品にも反映されるはずだ。

ぼくはそうした話を聞きたい。そうしたすれ違いで、『だれが生意気だ』、『だれが芝居ができない』、『だれが軽視している(ナメている)』といった誤解を生み出すことが往々(おうおう)にしてあるからだ。

俳優同士で集まるのもいいけれど、先日のように異なる価値観やスタンスを知れば、どこの現場でもプラスに作用するだろう。

我が身の保身だけを考える連中でなければ、だれひとり映画を悪くしようなんて思っていないのだから。